2月のフィールドワーク予定 2021/入国制限による出演者変更など【再追記】

1月7日に発令の緊急事態宣言で客席は再び50%以下に抑えられた(それ以前に売れた分は OK)。また12月28日に入国制限が変更され海外アーティスト(音楽家)の来日が再度不可能となり、今月も出演者の変更が相次いでいる。ただ 1月23日に開幕した新国立劇場オペラ《トスカ》の場合、早めに来日した海外アーティスト4名全員が、やる気全開の実演を見せた。一方、今月の《フィガロの結婚》は、下記の通り、一部来日が叶わず国内アーティストが代役を務める。タイトルロールは偶々《トスカ》で来日中のダリオ・ソラーリがそのまま残って歌うらしい。スカルピアより適役かもしれない。伯爵夫人に抜擢された大隅智佳子は、すでに昨年10月 オペラ《夏の夜の夢》でヘレナの代役を見事にこなしている。今回それとはまったく異なるコンテッサ役で見られるのは嬉しい。どんな歌唱と演技を披露してくれるのか。期待したい。

BCJの演奏会でも昨夏から日本人歌手が歌い続けている。今月の《ヨハネ受難曲》はどんな演奏になるのだろう。じっくり見守りたい。

ドイツ在住の新日本フィル音楽監督 上岡敏之は「ドイツ国内の感染状況」と「本人の渡航上の困難をふまえ」「出演見合わせの決定」が12月の段階でなされた。上岡氏の契約は今季限りだから、このままだと最後のシーズンに音楽監督がまったく振らないことになる。新国立劇場では欧州から歌手や指揮者が、読響では常任指揮者のドイツ人ヴァイグレが、【東響では音楽監督ジョナサン・ノットが、都響では桂冠指揮者のエリアフ・インバル】などが続々と来日している。そうした現状があるだけに、「本人の渡航上の困難」が何を意味するのか不明のため、サブスクライバーとしてはどうも釈然としない。

新国立劇場バレエ団は、ここ数年、海外のゲストダンサーに頼らない自前の上演を実現してきた。これはかつて芸術監督(2010-14)を務めたデイヴィッド・ビントリーの遺産といってよい。ただし、新制作の演目では海外からスタッフ(指導者等)を招聘する必要がある。そのため、当初「吉田都セレクション」と銘打つ新制作のトリプル・ビルを予定していたが、イーグリング版『眠れる森の美女』に差し替えられた。個人的には『くるみ割り人形』の二ヶ月後にまた苦手な版が続くと思うとちょっと…。木村・井澤組の回は座席 50%の影響かチケットが取れなかった(こちらの気合い不足か)。米沢唯が入間市の武蔵ホールで音楽家や島地保武とのコラボで踊る。待ち遠しい!

5日(金)19:15 新日本フィル #630 定演 トパーズ〈トリフォニー・シリーズ〉モーツァルト交響曲第13番 ヘ長調 K.112/J.シュトラウスⅡ:ワルツ「芸術家の生涯」 op. 316/R.シュトラウスクラリネットファゴットのための二重協奏曲 TrV 293/J.シュトラウスⅡ:ワルツ「南国のバラ」 op. 388/モーツァルト交響曲第38番 ニ長調 K. 504 「プラハ」/指揮:阪 哲朗[「ドイツ国内における新型コロナウイルス感染状況と上岡(敏之)氏ご本人の渡航上の困難をふまえ(中略)出演見合わせ」(12/31 楽団 HP)のため指揮者変更。これに伴い二重協奏曲以外の曲目もすべて変更]クラリネット:重松希巳江(NJP首席クラリネット奏者)/ファゴット:河村幹子(NJP首席ファゴット奏者)@すみだトリフォニーホール

7日(日)14:00 新国立劇場オペラ《フィガロの結婚指揮:沼尻竜典エヴェリーノ・ピドが降板を申し出たため)/演出:アンドレアス・ホモキ/美術:フランク・フィリップ・シュレスマン/衣裳:メヒトヒルト・ザイペル/照明:フランク・エヴァン/[出演]アルマヴィーヴァ伯爵:ヴィート・プリアンテ(早めのビザ取得で来日できたらしい)/伯爵夫人:大隅智佳子(セレーナ・ガンベローニが12/28の入国制限変更により来日不可のため)/フィガロ:ダリオ・ソラーリフィリッポ・モラーチェが同理由で来日不可のため《トスカ》に出演のソラーリが急遽代役)/スザンナ:臼木あい/ケルビーノ:脇園 彩/マルチェッリーナ:竹本節子/バルトロ:妻屋秀和/バジリオ:青地英幸/ドン・クルツィオ:糸賀修平/アントーニオ:大久保光哉/バルバリーナ:吉原圭子/二人の娘:岩本麻里、小酒部晶子/合唱:新国立劇場合唱団/管弦楽:東京交響楽団 @新国立劇場オペラハウス

【11日(木・祝)田中一村展」/「常設 田中一村と千葉ゆかりの作家たち」/「プラチスラバ世界絵本原画展」@千葉市美術館】←追記

【14日(日)11:00 芸劇ウインド・オーケストラ・アカデミー 第7回演奏会 Stage.4 クラリネット四重奏/J-P.ラモー:ダンス組曲より/J.S.バッハ:イタリア協奏曲 第3楽章/W.A.モーツァルト:歌劇『魔笛』より/F.メンデルスゾーン:無言歌集第6巻 第2曲「失われた幻影」、劇音楽『夏の夜の夢』より「スケルツォ」/G.ジェイコブ:スケルツェット、パヴァーヌとゴパーク/P.ハーヴェイ:クラリネット四重奏のための「一楽章の幻想曲」/T.エスケシュ:クラリネット四重奏のための「超絶的タンゴ」/G.コネッソン:クラリネット四重奏のための「プレリュードとファンク」/トレーナー:アレッサンドロ・べヴェラリクラリネット 東京フィルハーモニー交響楽団首席奏者)/アカデミー生:近野千昌、設楽正義、吉川清香(クラリネット)@芸劇シアターイースト】←追記

【17日(水)「木下晋 初の自伝『いのちを刻む』 刊行記念展」@永井画廊】←追記

19日(金)19:00 BCJ #141 定演《ヨハネ受難曲》指揮:鈴木雅明エヴァンゲリストテノール):櫻田 亮(ジェイムズ・ギルクリストが入国制限変更により来日不可のため)/ソプラノ:松井亜希(ハナ・プラシコヴァが同理由で来日不可のため)/アルト:久保法之(ダミアン・ギヨンが同じく来日不可のため)/テノール谷口洋介/バス:加耒 徹(クリスティアン・イムラーが入国制限変更により来日不可のため)/合唱&管弦楽バッハ・コレギウム・ジャパンサントリーホール

20日(土)14:00 新国立劇場バレエ団『眠れる森の美女』振付:ウエイン・イーグリング(マリウス・プティパ原振付による)/音楽:ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー/美術:川口直次/衣裳:トゥール・ヴァン・シャイク/照明:沢田祐二/指揮:冨田実里/管弦楽:東京交響楽団/[主演]オーロラ姫:小野絢子/デジレ王子:福岡雄大 @新国立劇場オペラハウス←当初予定の〈吉田都セレクション〉『ファイヴ・タンゴ』 [新制作] /『A Million Kisses to my Skin』 [新制作] / 『テーマとヴァリエーション』は「新型コロナウイルス感染症に係る現下の情勢に鑑み、一部作品の公演準備を万全の状態で進めることが困難と判断」(劇場HP)され、演目が差し替えられた

21日(日)18:30 新国立劇場バレエ団『眠れる森の美女』オーロラ姫:米沢 唯/デジレ王子:渡邊峻郁 @新国立劇場オペラハウス←同上

28日(日)14:00  「音楽×空間×ダンス」第二回公演/バッハ:無伴奏フルート パルティータよりCorrente/笠松泰洋「The garden in the South, or Solitude for piano」/木ノ脇道元「月は有明のひんがしのやまぎはに細くていづるほどいとあはれなり」「UKIFUNE」/ドビュッシー前奏曲より/シューベルト:三つのピアノ曲 D946より/即興演奏と即興ダンス/[出演]ダンス:米沢 唯/振付+ダンス:島地保武/作曲+フルート:木ノ脇道元/ピアノ:松木詩奈 @音の降りそそぐ武蔵ホール

 

新国立劇場バレエ団〈ニューイヤー・バレエ〉2021 ライブ無料配信/観客不在の意味

無観客の「ニューイヤー・バレエ」ライブ配信を見た(1月11日 14:00)。無料。画質の質がよくないのは、ライブ配信だから? それとも準備の時間がなかったせい? 高画質でないためか、ぐっと注視しずらい感じ。

指揮:冨田実里/管弦楽東京フィルハーモニー交響楽団

 以下、ごく簡単にメモする。

第1部

『パキータ』音楽:レオン・ミンクス/振付:マリウス・プティパ/美術:川口直次/衣裳:大井昌子/照明:立田雄士/出演:米沢 唯、渡邊峻郁

『パキータ』は久し振り。前に見たのは何年前だろう。たしかヴィシニョーワとコルプが出ていたはずだが。西川さんの悔し涙も覚えてる(調べたらあれが2003年の新国立初演で、なんと18年前!)。米沢のオーラ。大きく丁寧な踊り。フェッテはトリプルを最後まで? すごい。渡邊は前よりよくなってる。プレッシャーのなかよく踊った。トロワの速水は別格の踊り。

第2部

『Contact』音楽:オーラヴル・アルナルズ/振付:木下嘉人/出演:小野絢子、木下嘉人

 コロナ禍でいかにコンタクトせずにコンタクトするかを追求したようなパ・ド・ドゥ。小野はとてもよい。相手が木下だからか。 それにしても作品として短すぎる印象。昨年8月大和市シリウスホールで米沢と木下が踊るのを観た。そのときは他にも何人か出演者がいて、もっと長かったような。気のせい?

『ソワレ・ド・バレエ』音楽:アレクサンドル・グラズノフ/振付:深川秀夫/出演:池田理沙子、中家正博

本作(1983)は新国立では2017年に「ヴァレンタイン・バレエ」で米沢・奥村が初演。今回は池田・中家。中家の主演を見るのは嬉しい。丁寧できれいな踊り。もっと思い切りよく踊ってもよいか。それには真ん中での場数がもっと必要。池田はいわゆる「カワイイ」から脱却しつつある。ただ、米沢・奥田組と比べるとテンポが遅く作品本来(?)の味わいが薄い気も。

『カンパネラ』音楽:フランツ・リスト/振付:貝川鐵夫/ピアノ演奏:山中惇史/出演:福岡雄大

福岡の気合いと力強さ。さすが。一方、生ピアノの気が足りない(ライブではミスタッチよりそっちが大事)。

第3部

ペンギン・カフェ音楽:サイモン・ジェフス/振付:デヴィッド・ビントリー/美術・衣裳:ヘイデン・グリフィン/照明:ジョン・B・リード/[出演]ペンギン:広瀬 碧/ユタのオオツノヒツジ:米沢 唯/テキサスのカンガルーネズミ:福田圭吾/豚鼻スカンクにつくノミ:五月女遥/ケープヤマシマウマ:奥村康祐/熱帯雨林の家族:本島美和、貝川鐵夫/ブラジルのウーリーモンキー:福岡雄大 

8年振りぐらいか。新国立では2010年に初演し、13年に再演した(そのメモ)。やはり素晴らしい作品。ケープヤマシマウマは、銃声なしでも、しっかり殺されてた。鳴らなかったのはアクシデント? ひとり残されるペンギンの佇まいなど、演出がやや甘めの印象。入国制限の変更でビントリーが来日できずやむをえないが。ぜひ完全なかたちで(客を入れて)再演して欲しい。

急遽ライブの無料配信を決行した劇場の英断は評価したい。客を入れての中継ならもっとよかったが。結果、無観客の舞台がいかに味気ないか、よく分かった。

舞台芸術は客席との相互作用なしには成立しない。演者のエネルギーが客席に伝わるだけなら、一方通行の映画と同じだ。が、舞台は、演者から受け取ったエネルギーに観客のエネルギーが加わり、それが舞台の演者へ跳ね返る。すると、その波動を受けた演者が変容し、その波動がさらに客席へ伝わって…、劇場内に波状的なうねりが生じる。

「演劇は、観客と俳優のあいだで絶えず行き来する精神的なエネルギーの交換によってこそ、命をもつ」(スタニスラフスキー

とか、

「演技は観客の息づかいにふれ、観客のからだにおいて成り立つ」(竹内敏晴)

とか、

「一人で芝居なんかできませんよ。お客さんがいるからできるんです。お客さんの波動が芝居をつくる。[中略]パフォーマンスを左右するのは観客である私なんです」(片桐はいり

というのは、すべて、この〝相互作用〟のことを言っているのではないか。

とすれば、今回の配信は、舞台芸術において、生身の演者(ダンサー、俳優、歌手等々)のみならず、生身の観客がいかに重要か、再確認させてくれた。

観客は、劇場へでかけて「何ものかを受信」してくるのではなく、「何ものかを共有」してくるのであり、「受信」の場合は、その伝えられる「何ものか」の内容によって、感動したりしなかったりであるが、「共有」の場合は、その伝えられる「何ものか」の内容に関わりなく、「共有した」という体験の中に、「演劇的感動」が含まれている、ということがある。(別役実

この「演劇的感動」は「劇場的感動」といいかえてもよいだろう(西洋語では同じ言葉だ)。

客が入った『ドン・キホーテ』や『くるみ割り人形』の配信は、この〝相互作用〟や〝波状的なうねり〟が生じたさまを、外から見たことになる。無観客の配信より「感動」は伝わるとしても、そこに参加することは叶わない。ゆえに、生の「劇場的感動」とは千里の径庭があるというべきだ。

新国立劇場オペラ《トスカ》初日 2021/苦手演目だが【追記】

《トスカ》の初日を観た(1月23日 14:00/新国立劇場オペラハウス)。

 全3幕〈初演1900年/イタリア語上演/日本語及び英語字幕付〉

作曲:ジャコモ・プッチーニ(1858-1924)/台本:ジュゼッペ・ジャコーザ&ルイージ・イッリカ/原作:ヴィクトリアン・サルドゥーの戯曲『トスカ La Tosca』(1887)/指揮:ダニエレ・カッレガーリ/演出:アントネッロ・マダウ=ディアツ/美術:川口直次/衣裳:ピエール・ルチアーノ・カヴァッロッティ/照明:奥畑康夫

トスカ:キアーラ・イゾットン/カヴァラドッシ:フランチェスコ・メーリ/スカルピア:ダリオ・ソラーリ/アンジェロッティ:久保田真澄/スポレッタ:今尾 滋/シャルローネ:大塚博章/堂守:志村文彦/看守:細岡雅哉/羊飼い:渡邉早貴子

合唱:新国立劇場合唱団/管弦楽:東京交響楽団

当プロダクションの初演は2000年で今回が8回目。初演は見逃し、2002年の2回目からはずっと見てきた(5回目/2012年公演の簡単なメモ)。が、どうも苦手な演目。第二幕の残忍で暴力的な悪趣味はちょっと堪えがたい。だが今回は、コロナ禍で世界のオペラ劇場が閉鎖するなか来日し、14日間の隔離を経て出演した二人のイタリア人歌手が素晴らしかった。冒頭から幕切れまでいっさい手を抜かない。お陰で〝イタオペ〟の神髄を多少なりとも味わえた。席は3階左バルコニー。以下、感想を簡単にメモする。

第一幕後半「テ・デウム」の人数がいつもより少なめ。感染リスクを避けるためだろう。オケと合唱もさほどの強奏ではなかったか。ここは、聖アンドレア・デッラ・ヴァッレ教会を模したリアルな美術と音楽が相乗する絢爛豪華な場面である。だが、司祭や大勢の信者たちが荘厳に神を讃える一方で、警視総監スカルピア(ダリオ・ソラーリ)は残虐で好色な企みをほくそ笑みながら吐露するのだ。考えてみれば罰当たりな趣向ではある。

そのスカルピア男爵の残忍さが露わになる第二幕。彼は脱獄したアンジェロッティ(久保田真澄)の逃亡を助けた廉で逮捕した画家カヴァラドッシ(フランチェスコ・メーリ)を拷問させ、その呻き声を恋人のトスカ(キアーラ・イゾットン)に聞かせて、その居場所を彼女に吐かせる魂胆だ。卑劣極まりない! 愛する人の呻吟を耳にすれば、トスカでなくとも白状するだろう。あまつさえこの卑劣漢は、カラヴァドッシ処刑の回避と引き換えに、自分に身を任せるようトスカに要求するのだ。レイプ犯まがいのマゾ的嗜好を吐露しながら。この絶体絶命下で歌われるのが、あの「歌に生き、愛に生き」である。初めてこのオペラを見たときは驚嘆した。聞き慣れたあの綺麗なアリアが、まさかこんな醜悪極まりないシチュエーションで歌われるとは!

…これまで私は芸術(歌)に生き、愛に生きてきた。いつも揺るがぬ信仰で祈りを捧げ、貧しい人々には手を差し伸べてもきた。それなのに、主よ、なぜこんな報いが与えられるのか云々…。

だが、何度かこの場面を見るうち、このアリアはスカルピアの要求を受け入れるため、納得するために(納得など出来ないが)歌われるのかと思ったりした。いや、そもそも歌は、アウシュビッツを生き延びたフィリップ・ミュラーが『ショアー』で証言したように、危機においてこそ歌われるものなのかもしれない。

今回トスカ役のイゾットンは、第一幕から全開で迫力満点だったが、このアリアでは内にこもる抑えた歌唱で美しく聴かせた。トスカはスカルピアの要求を受け入れるが、条件として、二人が逃亡するさいの通行証を書くよう要請する。スカルピアが書き終わると、トスカは目に留まったテーブルのナイフで、迫る男を刺し殺す。この後の動きは見応え十分だ。トスカは死んだ男の手に握られた通行証をもぎ取る。続いて、文机の二本の蝋燭を手に取り、横たわる死体の両脇に置き、十字架を死者の胸の上に置く。突如、スネアドラムのロール音が響き、トスカと共にわれわれ観客もビクッとする! トスカは自分の赤いショールが死体の下敷きになっているのに気づき、怖ごわそれを引き出して立ち去るのだ。これら一連のトスカの動作には、アリアの歌詞と呼応した、彼女の信心深さや人の好さが滲み出ている。このアリアとト書きがなかったらこのオペラはとっくに消えていただろう。

第三幕、牢獄のカヴァラドッシは、自らの生がまもなく尽きる(処刑される)前にトスカへ手紙を書こうとする。「星は光りぬ」は、そのときの思いを歌ったアリアだ。

…星々は輝き、大地は香ばしかった、そんな夜、私は彼女を抱擁し、甘美な口づけを交わして… だが愛の夢は永遠に消え去ったのだ、私は絶望のうちに死んでいく、これほど生を愛しいと思ったことはなかった…

エミリ・ディキンスンではないが、それが存在しなくなると知って初めてその尊さや掛け替えのなさが分かるとは、なんとも人間は因果な生き物である。

そこにトスカが現れ、彼に事の次第を説明し、銃殺は空砲でかたちだけだと告げる。突然ひらけた未来への希望。二重唱。巧く倒れる演技をするよう何度も念を押すトスカ。だが、スカルピアの残忍さは死後も生きていた。銃殺は空砲ではなかったのだ。カヴァラドッシの死体に取りすがるトスカ。スカルピアを殺したトスカに追っ手が迫り、彼女は城壁から飛び降りて幕となる。逃亡していたアンジェロッティも自殺したから、主要な四人はみな死んだことになる。

トスカ役のキアーラ・イゾットンの強声は迫力満点だが、どこか古風な味わいを感じさせるソプラノだ。カヴァラドッシ役のフランチェスコ・メーリも、終始、気持ちの入った演技と歌で、緊急事態宣言下に集まった聴衆にイタリアオペラの快楽を味合わせてくれた。特に第3幕では「星は光りぬ」をはじめ、弱音から強音まで自在にコントロールした素晴らしい歌唱を聴かせた。イタリア人テノールにありがちな(?)これ見よがしに声を張り上げることはなく、慈しむように歌っていたのが印象的。メーリとイゾットンには(指揮のダニエレ・カッレガーリも)オペラを愛するイタリア人の誇りを感じた。スカルピアのダリオ・ソラーリは、オケが抑えたシークエンスではそれなりに強く響くが、オケの強奏場面では声が埋もれてしまう。歌声に密度がない分、残忍なスカルピアとしては少し物足りないが、力を尽くしてはいた【ソラーリは《トスカ》終了後も日本に残り、次作《フィガロの結婚》のタイトルロールを歌うらしい。入国制限の変更でフィリッポ・モラーチェが来日できなかったためだ。ソラーリモーツァルトの方が合っているかも】。

美術セットは実在の聖アンドレア・デッラ・ヴァッレ教会や聖アンジェロ城などをリアルに再現していて見応えがある(この装置家は想像力を刺激するイマジナティヴな美術には向いていないらしく、バレエ『くるみ割り人形』や『眠れる森の美女』などは評価できない)。

カーテンコールで、メーリやイゾットンはピットや客席に手を振ってとても嬉しそう。久し振りの舞台だったのだろう。歌手も観客も、舞台芸術にしか味わえない格別の喜びを噛みしめていた。そう感じた。メーリが再演演出の田口道子を袖から呼んだ。イタリアの主要な劇場での経験が豊富らしい。彼女の存在はメーリら海外アーティストにはさぞ心強かったのだろう。

青年団 第84回公演『眠れない夜なんてない』2021 初日・5日目

『眠れない夜なんてない』の初日と5日目を観た(1月15日 19:00,19日 14:00/吉祥寺シアター)。初日の席は最前列で全体像が見えにくかった。受付では4列目のチケットを渡されたが、支援会員でない同行者の席が最前列で不安そうだったので交代したためだ(飛沫の問題はまったくなかったので念のため)。二回目は4列目の中央で見やすかった。

作・演出:平田オリザ[出演]猪股俊明(客演)羽場睦子(客演)山内健司 松田弘子 永井秀樹 たむらみずほ 小林智 島田曜蔵 能島瑞穂 井上三奈子 堀 夏子 村田牧子 井上みなみ 岩井由紀子 吉田 庸[スタッフ]舞台美術:杉山 至/舞台監督:中西隆雄 小川陽子/照明:井坂 浩/照明操作:西本 彩 高木里桜/音響:泉田雄太/音響操作:秋田雄治/衣裳:正金 彩/宣伝美術:工藤規雄+渡辺佳奈子 太田裕子/宣伝写真:佐藤孝仁/宣伝美術スタイリスト:山口友里/制作:太田久美子 赤刎千久子 金澤 昭

初日のアフタートークで、平田作品が好んで「日常」を描く話がフロアから出た。たしかに。もっとも今回の設定は「マレーシアの日本人向けリゾート地」だから、観客には必ずしも〝日常〟とはいえないが、そこで暮らす人々には日常だろう。その何気ない日常にじつは様々な非日常が、というか非日常への回路が隠されている。平田オリザは、一見すると平凡な日常会話が、それこそ「眠れない夜」に繋がりかねない非日常と表裏にあるさまを描くのだ。

入居者の千寿子(能島瑞穂)を日本から訪ねてきた友人の直枝(松田弘子)は、お土産に大量のチューインガムを千寿子に渡す。そこに隠された高校時代の二人の関係(後者による前者への陰湿ないじめ)はあとで顕在化する。入居者の磯崎賢一(猪股俊明)は一見ふつうの高齢者だが、後に、病気(たぶん癌)が見つかっていたことや、シベリア(抑留)帰りの過去が、娘二人の来訪により明らかになる。他にも短期入居者のカップル(島田曜蔵・井上みなみ)がじつは〝離婚旅行〟で来ていたこと、ビデオの配達人 原口充(吉田庸)の日本での「引きこもり」や彼と千寿子との意外な〝関係〟が、少しずつ分かってくる。ただし、平田作品の場合、そこから大きく展開して意外な結末に至ることはまずない。代わりに、歌がうたわれ(プチ カタルシス)、日常の向こうにかすかな希望(明日はみんなで日の出を見に行く)が示唆されて終わる。

[ちなみに、近年見る機会が増えたiaku(横山拓也)の場合、何気ない日常と、隣接する非日常やその後の展開が、リアルな時間性をこえて(あるいは時間性を攪乱して)、交互に、もしくはカットバックで舞台化される。ちょっとフォークナーの小説みたいだ。観る者はそこから何が得られるか。あっという驚きと認識の喜び、何気ない日常の不可知性、わからなさ等々。]

二回目の19日は2008年の初演舞台をビデオで見たうえで臨んだ。

セリフが重なるシークエンスやチューインガムの〝ラブシーン〟など、全体的に初日よりスムーズ。後者のシーンで、ソファーに座っていた千寿子(能島)は、いったん風船を大きく膨らませたあと少し小さく萎ませ、テーブルを隔てた反対側のスツールに座る原口(吉田)の膨らんだガム風船に、身を乗り出して近づく。なんともいえない緊迫感。このとき能島はテーブルのラジカセのボリュームを巧みに上げていた(初日は見えなかった)。が、けっして初演時のように風船を接触させない。コロナ禍ではリスクが大きいからだろう。ビデオでは男が女のガムを吸引するが、今回の台本では「千寿子がすべて口に入れる」とあり、千寿子の〝積極性〟を強調する狙いだったのか(蜷川幸雄 演出の唐十郎 作『黒いチューリップ』で李麗仙と柄本明が同じチューインガムを口に含み、そのままどんどん離れていってガムを引き延ばしたシーンを思い出した)。その後、千寿子はガムにまつわる高校時代のいじめ被害を原口に話し、自分の時代にも登校拒否があればよかった、と。だから、直枝(松田)には絶対ここへ来させない、どこまで行っても日本が追いかけてくる、等々。

父(磯崎健一)の病気を知った娘 好江(たむらみずほ)と保奈美(岩井由紀子)が三橋明(山内健司)に、父の病気のことや日本に帰りたがらない理由について相談する。三橋は、たぶん日本が嫌いなんだと思う、と応じる。これは自分の話で磯崎さんの気持ちは分からない、としながらも、むしろ磯崎さんの方がそうかもしれない、一度、国に捨てられてますからね、と。シベリア帰りの磯崎は満州に住んでいた(日本は「国体護持」つまり天皇制さえ維持できれば、日本軍兵士や満州居留民らを労働力としてソ連に提供することもやむなしと考えていた)。こうしたやりとりが、昭和が終焉しようとする1988年12月に設定された舞台で展開されるのだ。

ところで三橋は還暦(つまり終戦時は17歳)の設定で、演じた山内は58歳ぐらいだからこの配役に計算上は問題ない。初演版(2008年)は時代設定が異なるものの、三橋を演じた篠塚祥司は当時64歳。ビデオを通してだが、戦時を語るに十分耐える身体性と見えた。これは、たぶん絶対年齢というより、観る者との相対的な年齢差に関わるのだろう。私は劇中の沼田勇人(島田曜蔵)同様、「怪傑ハリマオ」のジャスト世代だ。幼いころ三橋と同年の母親に風呂敷を頭に巻いてもらい「ま〜っかな太陽、燃えている〜」と唄いながら近所を走り回っていた。そのせいか、戦争を語る山内の、巧みではあるがコミカルに傾きがちな発話に少し違和感を覚えた。おそらく、より若い世代の観客には特に問題ないだろうし、彼の軽妙さは歴史への啓蒙の意味ではむしろ好ましいのかもしれない。いずれにせよ、昭和が終わろうとしているとき、彼らは軍歌や「怪傑ハリマオ」を一緒に歌う(島田は声がいいし歌もうまい)。一方で、健一は、昔ばっかり思い出すくせに、戻りたいとは思わない、とも言うのだ。彼が発する「天皇より先に死なないよ、俺は」のセリフは初日より力強く響いた。日本の暗い過去を共有する健一と三橋のあうんの呼吸(共感)がよく効いている。

マレーシアの日本人向け保養地で交わされる日常的な対話から、昭和が終わろうとする日本での自粛のこと、ひきこもり(外こもり)やいじめの問題、戦争の過去などが、じんわりと浮かび上がってくる。久し振りに見るフルレングスの平田作品はやっぱり面白いし、見応えがあった。もっと東京での公演を増やしてほしいと思うのは自分だけではないはずだ。

〈コンポージアム Composium 2019〉武満徹作曲賞本選演奏会

コロナの影響で昨年5月31日から延期になっていた〈Composium 2020〉を聴いてきた(2021年1月19日 18:30/東京オペラシティコンサートホール:タケミツ メモリアル) 。これについてはいずれメモしたいが、そのまえに、前年の感想をどこかに書いたはずだがブログには見当たらない。調べたらツイートしてた。以下にこれをそのまま貼り付けたい。

〈Composium 2019〉武満徹作曲賞本選演奏会に行ってきた(6月9日 15:00 東京オペラシティコンサートホール:タケミツ メモリアル)。面白かった。今回の審査員はフィリップ・マヌリ Philippe Manoury。応募総数83作からマヌリが選んだ4作品(いずれも15分前後)を聴いたわけだが、3作が中国人で1人はアルゼンチン人。中国人の三作はいずれもスケールが大きく、独りよがりでない。

最も気に入ったのはシキ・ゲン Shigi Geng(24)の《地平線からのレゾナンス Resonanz vom Horisont for Orchestra。弦楽を主体とした音楽は心地よく、後半で遥かに響くレゾナンス(記憶)はリリカル。もう一度聞きたいと思った。

ツォーシェン・ジン Zhuosheng Jin(28)の《雪路の果てに At the End Of Snow Line For full Orchestraは「故郷三部曲」の第一部らしい。響きに厚みがあり、技巧的な面も窺える。政治(思想)的な感触もあったか。

スチ・リュウSiqi Liu(28/女性)の《三日三晩、魚の腹の中に Im des Fisches drei Tage und drei Nächte für Orchesterは旧約の『ヨナ書』が題材でブラスが咆哮するドラマティックな作品。

パブロ・ルビーノ・リンドナー Pablo Rubino Lindner(33)の《Entelequias for orchestraは弦のモコモコ感は面白いが、集中して聞きにくい印象。力量はあるのだろうが、お金を払って聞きたいとは思わない。

審査結果は、ゲンとリンドナーが1位、2位がリュウで3位がジン。マヌリは総評で匿名での審査について言及した。4作のうち2作がドイツ語のタイトル、他は英語とスペイン語。が、開けてみたら3人が中国人で驚いたと。受賞スピーチは英語だが、ゲンだけ日本語だった。

ゲンは当初 武満徹に影響され、日本文化への興味から日本語の勉強を続けていると。この作曲家は、作品からも、真率で真っすぐ取り組んでいると感じさせる。

日本人の応募は国別では最多の16人。だがマヌリの三つの基準では誰も残れなかった。なぜだろう。たまたまなのか。

阿部加奈子指揮の東フィルは、ファイナリストが異口同音に感謝した通り、質の高い演奏だった。ただ指揮者の特にカーテンコール時のステージマナーは改善の余地がある。表彰式のややぎごちない進行(通訳の囁くような発語等)も。

2020年12月の公演メモ/新国立《こうもり》/岩松了の新作/新国立バレエ『くるみ割り人形』/BCJ定演/民藝+こまつ座『ある八重子物語』/風姿花伝『ミセス・クライン』/都響《くるみ割り人形》/BCJ《第九》

 2020年12月に観た公演について簡単にメモする。

5日(土)14:00 新国立劇場オペラ オペレッタ《こうもり》指揮:クリストファー・フランクリン/演出:ハインツ・ツェドニク/美術・衣裳:オラフ・ツォンベック/振付:マリア・ルイーズ・ヤスカ/照明:立田雄士/ガブリエル・フォン・アイゼンシュタイン:ダニエル・シュムッツハルト/ロザリンデ:アストリッド・ケスラー/フランク:ピョートル・ミチンスキー.オルロフスキー公爵:アイグル・アクメチーナ/アルフレード:村上公太/ファルケ博士:ルートヴィヒ・ミッテルハマー/アデーレ:マリア・ナザロワ/ブリント博士:大久保光哉/フロッシュ:ペーター・ゲスナー/イーダ:平井香織/合唱:新国立劇場合唱団/バレエ:東京シティ・バレエ団/管弦楽東京フィルハーモニー交響楽団新国立劇場オペラハウス

 大好きな演目。どこをとっても素晴らしい音楽だ。歌手はみな質が高いし、演技もうまい。

序曲では特に身体は反応せずだが、アデーレ(マリア・ナザロワ)の歌唱とコミカルな芝居で一気に頬が緩んだ。ロザリンデ(アストリッド・ケスラー)とアイゼンシュタイン(ダニエル・シュムッツハルト)のオーストリア組は歌唱が柔らか。前者は少し暗めの熟成した歌声、後者は細かい演技で汗を搔いた。素晴らしい。ファルケ(ルートヴィッヒ・ミッテルハマー)の歌声は端正でノーブル、フランク(ピョートル・ミチンスキー)は渋い。オルロフスキー(アイグル・アクメチーナ)は童顔だが、歌唱は濃厚で強い。アルフレード(村上公太)も歌は好い。フロッシュのペーター・ゲスナーは健闘した。もっと軽みが欲しいが、伝統芸みたいな役だから一朝一夕にはいかないか。彼は日本で活動している演劇人(プログラム略歴の「岸田國夫」國士が正しい)。

感染防止のため、特に2幕は演出を変えていた。ソリストがコーラスと交わらないよう後者の演技はすべて手前のステージ。チャルダッシュはダンサー(東京シティバレエ)との絡みはなく、他の歌手たちも等間隔で棒立ちなのは少し気の毒。ひと工夫欲しかった。奥の一段高いフロアは紗幕越しに見えるが、少し狭苦しい。「兄弟姉妹になりましょう」でやっと紗幕が上がる。コーラスの歌詞は時節柄、特別の感慨を抱かせた。

指揮のクリストファー・フランクリンは割合あっさりしている。可もなく不可もなしか。海外の歌手や指揮者はコロナ禍によく来てくれた。PCR検査がもっと安価で頻度も上がれば、演出の幅も広がるのではないか。

8日(火)18:00 M&Oplays『そして春になった』作・演出:岩松 了/出演:松雪泰子 ソニン 瀧内公美 片桐はいり[スタッフ]照明:沢田祐二/音響:高塩 顕衣裳:飯田恵理子/ヘアメイク:大和田一美/映像:荒川ヒロキ/舞台監督:南部 丈/美術:中根聡子/ステージング:仁科 幸/制作:近藤南美/制作助手:寺地友子/制作デスク:大島さつき/宣伝:ディップス・プラネット/宣伝美術:坂本志保/プロデューサー:大矢亜由美 @下北沢本多劇場

岩松了の新作 初日。簡単なセットに台本を持ちながらの二人芝居。コロナ禍から当初は朗読配信の予定で書き始めたのか。発話だけで一気にコンテクストを現出させる 片桐はいりはさすが。対する瀧内公美 も負けてはいない。新国立劇場『どん底』(2019年10月)のナターシャ役で初めて見たが、改めてセリフのレンジが広く自在な役者だと感心した。二人の役は映画監督の妻と監督が育てた若手女優。前作『二度目の夏』に似たチェーホフ的背景だが、内容は正直よく分からない(!)。それでも両者の〝気〟のやりとりに引き込まれた。やはり生の舞台は好い。松雪泰子/ソニンも見てみたかった。 

12日(土)13:00 新国立劇場バレエ団『くるみ割り人形』音楽:ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー/振付:ウエイン・イーグリング/美術:川口直次/衣裳:前田文子/照明:沢田祐二/指揮:冨田実里/管弦楽東京フィルハーモニー交響楽団/合唱:東京少年少女合唱隊[主演]クララ/こんぺい糖の精:小野絢子/ドロッセルマイヤーの甥/くるみ割り人形/王子:福岡雄大新国立劇場オペラハウス

 何度見てもいまひとつのプロダクション(演出・振付・特に美術)。紗幕越しに見るパーティのシーンは地味。紗幕はその後の夢の世界をより輝かせるためだろうが、そもそも、当の夢の世界がさほどでもない。続く「冬の樅の森で」のクライマックスで雪景がマジカルに現出すればここまでの不満は報われるのだが、背景の美術がお粗末すぎて…。雪の結晶たち(コール・ド)は、その分、照明できらきら輝いてはいた。気球がフライングで少し降りてきてしまった。

冒頭の小部屋のシーンは以前より演技が理にかなっている印象。小野はいまひとつ伸びやかさがない。福岡は堅実。ねずみの王様は奥村だったのか。前のように好き勝手にやっていない印象。コーラスの録音は音質があまりよくない【実際はバックドロップの裏で歌っていたらしいから、スピーカーのクオリティの問題なのか】

二幕で宮殿から出入りする趣向どうなのか。アラビアの本島はよかった。その途中で何度か落下音が。バタフライがつまずいたのはサポートが原因か。花のワルツは少しバタバタ感が。コール・ドで一人女性が転んだ。パ・ド・ドゥの福岡は油が抜けた感じ。エネルギーが感じられない。サポートもどっしり感がない。小野は少しガクッとなり、リズムが狂ったか、その後もなんかおかしい。福岡のヴァリエーショはきれいに踊ろうとしているように見えたが、こちらも、おかしい。小野のヴァリエーション。腕の使い方が前と違う印象。やっぱり変。新監督から教わったことが頭に残っているのか。本番は全部忘れて好きに踊ったらいいのに。カーテンコールで福岡は珍しくねずみの王と手を繋いだ。らしくない(前は頑なに拒否していた)。やっぱりおかしいぞ。イーグリング版は、客が帰っていく音楽で幕切れとなる。その間にクララが見た夢の世界という設定。目覚めた姉弟ドロッセルマイヤーと甥を見送れるのはそのためだ。が、チャイコフスキーが作曲した終曲を聴けないのはなんとも…。2017年の初演時に不満点を詳しくメモしているので、いずれアップしたい。というか、早く牧版に戻すか、新制作してほしい。

12日(土)18:00 新国立劇場バレエ団『くるみ割り人形』クララ/こんぺい糖の精:米沢 唯/ドロッセルマイヤーの甥/くるみ割り人形/王子:井澤 駿新国立劇場オペラハウス

 こっちがファーストキャストだ。夫人の本島は本当に見る喜びがある。フリッツを叱る仕草等、家を支える気品のある母親。井澤は勢いがあった。米沢はドラマの流れのなかにある。というより、その流れを作っており、動きのすべてが生きている。貝川は杖を落とした。老人福田圭吾はキレがある。ネズミの王(渡邊)は魔法で固まったクララ(米沢)に「カワイイ! 胸キュン」の仕草(そう見えた)。気球で離れるとき、クララは「さよなら」と地上のねずみらに手を振る。クララ米沢のユーモア。

アラビア木村は顔を黒く塗ってたか。自分の身体をモノみたいに「自己放棄」する感触がもっとほしい。ロシアに木下か。驚いた。蝶々柴山をドロッセルマイヤー中家がサポートする。『ドン・キ』と同じだ。それにしてもこの振付は無意味に難しすぎ。浜崎の華やかさは「花のワルツ」に合っている。速水はちょっとごつすぎるか。パ・ド・ドゥ。難しい振りを米沢はよく踊った。井澤は気合いが入っていた。こんな井澤は見たことない。オケもよく鳴っていた。それにしても最後まで難度の高い振り。井澤ヴァリエーションは福岡とは異なる振りだが、珍しく意志を感じさせる力強い踊り。米沢のヴァリエーションは脚の高さがこれまでと違う? コーダも迫力があり素晴らしい! 米沢は二回目のカーテンコールでクララの子役(佐原舞南)を前に出し、共にレヴェランス。こうでなくっちゃ。最初は指揮者を自分と井澤の間つまり真ん中に招いた。前に出てしっかりオケにもお礼する。いつもながら舞台マナーが素晴らしい。舞台上の演者は技術面だけでなく、人間性が丸見えになる。それを見るのも舞台を見る喜びのひとつ。

16日(水)19:00 BCJ #138 定演〈創立30周年記念演奏会〉(2020/5/24からの延期公演)J.S.バッハ:ファンタジアとフーガト短調 BWV542 */カンタータ第78番《イエスよ、あなたはわが魂を》 BWV78/《マニフィカト》変ホ長調BWV243a(初期稿)/指揮:鈴木優人/オルガン:鈴木雅明*/合唱と管弦楽バッハ・コレギウム・ジャパン他 @東京オペラシティ コンサートホール:タケミツ メモリア

 鈴木雅明のオルガンは即興的な感触の強い、気迫のこもった演奏で、グッときた。一方、鈴木優人の指揮でBCJを聴くと、どうしても気のエネルギーが足りないと感じてしまう。カンタータは普通にやると、なんというか……。ソプラノとアルトのデュエットも客席まで届かない。フラウト・トラヴェルソ(鶴田洋子)のソロはよかった。菅きよみの後継者か。

18日(金)19:00 新国立劇場バレエ団『くるみ割り人形』クララ/こんぺい糖の精:米沢 唯/ドロッセルマイヤーの甥/くるみ割り人形/王子:井澤 駿新国立劇場オペラハウス

 米沢&井澤の二回目。1階15列の中央からだと全体がよく見えるし、オケのバランスもよい。子役の二人は初日より大きい。夫人本島は本当に見る喜びがある。芝居にも踊りにも気品が。ルイーズ柴山、詩人 原、青年 速水、老人 福田圭吾は、みな丁寧な踊り。柴山は鉄骨が入っているみたいにしっかりした踊り(硬いという意味ではない)。グロース・ファーターのファミリーロマンスは面白い趣向だが、シュタルバウムが祖父(老人)から杖を取ってしまうところはこの日もスムーズでない。「戦い」の騎兵隊長速水の回転!「樅の森」で井澤は初日ほどの熱はなくサポートがスムーズでない。にもかかわらず米沢はおくびにも出さす、乗り切った。雪の結晶のコール・ドは元気がよくきれい。ただ、全体的に初日のソワレの方がよい。

19日(土)17:30 劇団民藝こまつ座公演『ある八重子物語』/作:井上ひさし/演出:丹野郁弓/出演:日色ともゑ 桜井明美 中地美佐子 有森也美 篠田三郎 ほか/装置:勝野英雄/照明:前田照夫/衣裳:宮本宣子/音楽:八幡 茂/効果:岩田直行/所作指導:西川瑞扇/舞台監督:風間拓洋 @東京芸術劇場シアターイース

演目の予備知識はなく、有森が舞台でどんな演技をするのか興味があり、なにより劇場が近いので見た(!)。面白かった。新派ファンの古橋院長(篠田三郎)に、看護婦(藤巻るも)や女中(中地美佐子)、事務方(横島亘)の三人が新派劇の口真似をするシーンは、新派にさほど馴染みがなくても楽しい。本作の中心となる第二幕は京都帝大生の一夫(塩田泰久)が『女形の研究』の執筆に入れ込み過ぎて寝坊し入営に間に合わず、〝徴兵忌避者〟として姉のゆきゑを訪ねてくる話だ。が、こうした戦時下の深刻な筋書きにもかかわらず、最後まで誰も死なない。女形(みやざこ夏穂)がセリフの稽古をしながら幕毎に薬をもらいに来るシーンはハラから笑った。芸者を演じる三人の女優を見る喜びも大きい。第一幕の月乃(吉田陽子)は入院患者だが一目で分かる花柳界らしい佇まい、第二幕のゆきゑ(桜井明美)が醸し出す本格的な色気(『夏・南方のローマンス』は素晴らしかった)。全篇を通じての花代(有森也美)の人の好さ等々。冒頭と幕切れでの注射器による「滝の白糸」の水芸や、第三幕で着付けをパジェントリーとして見せる趣向など、祝祭的な明るさが強く感じられた。帰宅後、調べてみると水谷八重子十三回忌追善・新派特別公演として1991年に初演されている。なるほど。舞台の祝祭性が腑に落ちた。コロナ禍で閉塞しがちな気分を解放させてくれるタイムリーな公演だった。

20日(日)14:00 風姿花伝プロデュースvol.7『ミセス・クライン Mrs KLEIN』作:ニコラス・ライト/翻訳:小田島恒志、小田島則子/演出:上村聡史/出演:那須佐代子 伊勢佳世 占部房子/美術:乘峯雅寛/照明:阪口美和/音響:加藤温/衣裳:半田悦子/ヘアメイク:鎌田直樹/演出部:黒崎花梨/舞台監督:梅畑千春/宣伝美術:チャーハン・ラモーン/絵画提供:佐和子/WEB:小林タクシー/制作:斎藤努加藤恵梨花・高村 楓・北澤芙未子/風姿花伝スタッフ:中山大豪/プロデューサー:那須佐代子/企画・製作:風姿花伝プロデュース @シアター風姿花伝

 コロナ禍が襲った年の最後にこんな質の高い舞台を見ることができて幸運だった。精神分析家の女性3人が交わす対話は、知的な言葉の背後に熱い感情がフツフツと、いまここで湧き出してくる。三人の演技はいずれも極めて質が高い。実に見応えのある公演だった。

精神分析メラニー・クラインとその娘、さらにクラインの新しい助手の三人。みなユダヤ人で、クラインと娘はベルリンからロンドンに移住して8年ほど、助手はナチスの迫害を逃れて来たばかり。舞台はロンドンにあるミセス・クラインの書斎。娘(伊勢佳世)は母(那須佐代子)を憎みながらも、煙草を吸うときのマッチの擦り方、酒を注ぐよう母の助手(占部房子)に「ここまでお願い」とピンポイントでグラスを指す仕草などは、母親そっくり。その可笑しさと痛々しさ。息子の死(自殺)について、自分が傷つかないですむ解釈を次々に繰り出す母。那須の人物造形は極めて秀逸で眼を見張った。一気にまくし立てるセリフ回しは凄まじい。すべて自分の思い通りにやらないと気が済まない。その「すべて」には娘や助手も含まれる。その性格が登場後、他者と関わる前、すでに表現されていた。その可笑しさ、ユーモア。深刻さと同時に可笑しさやユーモアが表出された点が素晴らしい。伊勢は裕福なユダヤ人女性の華やかさや、精神分析家の娘としての複雑な思いをよく表現していた。占部は、有無を言わせぬミセス・クラインの要求を当惑しながらも受け止める絶妙なあり方を見事に演じた。那須『リチャード三世』(2013)『長い墓標の列』で、伊勢は『ソウル市民』(2005)『アンチゴーヌ』(2018)『OPUS/作品』(2013)で、占部は『焼き肉ドラゴン』(2008、2011)『月の獣』(2015)等で見て、注目していた。その三人が揃った舞台は、予想通り、いやそれ以上に極上だった。

26日(土)14:00 都響くるみ割り人形》op.71 全曲 指揮:大野和士/女声合唱/⼆期会合唱団(事前収録による出演) @サントリーホール

踊りに合わせる(遅めの)テンポで聞き慣れた耳には、すべてが快速で進む。それが爽快で気持ちいい。クリスマスツリーが(クララの視点で)次第に大きくなる様を髣髴させる例のクレッシェンドは凄まじい。「冬の樅の森で」は大野の手が伝える激しい振動で、深く濃密な高まりが現出した。「花のワルツ」も速めのテンポで、優雅さとは無縁。チェロが主導する単調の第二主題は、続く「パ・ド・ドゥ」の〝悲劇性〟を予告する。後者の粛然とした導入からクライマックスに至るシークエンスにはグッときた。この至福感から現実へと覚醒していくヴァイオリン群の冷たい美しさ! 極寒を知るロシア人ならではの音楽だ。本作が《悲愴》と地続きであることがよく分かる演奏だった。《第九》に代えて《くるみ》を選んだ大野和士の意図はよく伝わってきた。

サントリーホールへ来ると必ず水内庵(みのちあん)で食事する。ざるそばと玉子丼が目当てだ。それがなんと2日後に閉店するという。店主の娘さんによれば、コロナ禍で中断した後の再開が体力的にきつくなり決断したとのこと。落ち着いたら規模を縮小して、娘さんら〝若手〟で再開すると聞き、ほっとした。

  

27日(日)14:00 BCJベートーヴェン生誕250年記念〉J. S. バッハ:パッサカリアとフーガ ハ短調 BWV582*/ベートーヴェン交響曲第9番 ニ短調 op.125《合唱付き》指揮:鈴木雅明/オルガン:鈴木優人*/ソプラノ:森 麻季/アルト:林美智子/テノール:櫻田 亮/バス:加耒 徹/合唱&管弦楽バッハ・コレギウム・ジャパン東京オペラシティ コンサートホール:タケミツ メモリア

ピリオド楽器の演奏は聴覚のみならず触覚に訴えてくる(特に弦楽器)。この感触はバッハの時代の音楽よりもベートーヴェンの方がはるかに強まる。この日の席は舞台から遠い3階正面だったため、さほどでもなかった。が、定演(11/28)で5番交響曲を1階9列で聴いたとき(通常より舞台が張り出し実質は6列か)、弦楽器奏者の激しいボーイングによる波動が、こちらにびしびし伝わってきた

今回の《第九》は、2019年1月の演奏同様、1楽章でオーボエ(とフルート?)に「あれ?」と思う箇所が。それはともかく、スケルツォでは(モダンより)ティンパニがいっそう強く響く(前回はもっと攻撃的だった)。アダージオではこの楽章の「無言歌的な性格」がよく分かった(第二主題で合唱を始める案もあったらしい)。例の第4ホルンのソロはナチュラル・ホルンの場合、ハンドストップを交互に駆使して上昇し下降する。藤田麻理絵(新日フィル)は見事に吹ききった。ただ、当然ながらハンドストップは閉鎖音となり、音色は死んでしまう。当時はそうした響きで満足していたと思っていた。が、大崎滋生の実証的研究によれば、第3楽章の第4ホルンのパートは有弁(クラッペン)ホルン、すなわちヴァルブ・ホルンを前提に書き下ろされたという(『ベートーヴェン像 再構築3』2018年)。大崎氏の論述はかなり説得的だが、鈴木氏の見解も聞いてみたい。第4楽章のコーラスは、前回同様、実に印象的。いわゆる〝第九〟ではなく、シラー/ベートーヴェンの歌詞をメロディにのせて、あたりまえに歌う。叫ぶのではなく〝歌う〟のだ。結果は革新的な素晴らしさ。「身体のすべてが鳴っている感じ。これを聴くと、これまでの《第九》のコーラスは、スポーティというか体育系のノリで声を発していたと思えてくる」(19年のメモ)。海外からソロイストを呼び寄せた前回は、彼/彼女らの歌唱にも歌曲のような趣があった。今回はさほど感じない。が、バスの加耒徹の歌唱は詩の意味をかみしつつ十分な声量で聴衆に語りかけ、申し分なかった。森麻季はいいと思う。櫻田亮の歌唱はきれいだが、もう少し声量を上げたいし、トルコ行進曲の様式をもっと出してもよい。林美智子は真面目に歌っていたが、声が届いてこない。終曲後の沈黙が皆無だったのは残念。会場はほぼ満席だった。

1月のフィールドワーク予定 2021【追記】【追加】

コロナ禍により実演者と受容者が同じ時空を共有して初めて成立する実演芸術の上演が、困難もしくは厳しく制限されるようになった。関係者たちは知恵を絞り、インターネットを介した映像や音楽の配信などで、一定の喜びや利益を生み出した。これはネットや IT技術の進化がなければありえなかったろう。だが、ネットを媒介した映像や音楽の受容には、決定的な要素が欠けている。それは、実演者と受容者の〝生身のからだ〟が相互に反応して起きる「共振作用」(別役実)である。この相互作用が決定的なのは、なにより「お客さんの波動が芝居をつくる」(片桐はいり)からであり、「演技は観客の息づかいにふれ、観客のからだにおいて成り立つ」(竹内敏晴)からである。まさに、これを体験するためにこそ劇場やホールに足を運んできたといっても過言ではない。2020年は、実演芸術を愛する者なら誰でもからだが(で)知っているこの事実を、あらためて確認した一年だった。

明日7日に二回目の緊急事態宣言が出るらしい。新国立劇場バレエ団の「ニューイヤー・バレエ」は「公演関係者」に陽性者が出たため中止となった。大変残念だが仕方ない。その「関係者」については詮索しないようにしたい。東京の感染者は1日で1500人を超える勢いだ。注意しているつもりでも、いつどこで感染するか分からない。今月は、下記の通り、公演数は少ないが、実演芸術ならではの共鳴作用をじっくり体験したい。

5日(火)14:00 青年団 第82回公演『コントロールオフィサー』+『百メートル』二本立て公演/作・演出:平田オリザ/[出演](コントロールオフィサー)永井秀樹 立蔵葉子 海津 忠 島田桃依 串尾一輝 尾﨑宇内 中藤 奨 木村巴秋/(百メートル)永井秀樹 海津 忠 串尾一輝 尾﨑宇内 中藤 奨 木村巴秋[スタッフ]舞台美術:杉山 至/舞台監督:黒澤多生/照明:井坂 浩/衣裳:正金 彩/フライヤーデザイン:カヤヒロヤ、西 泰宏/制作:太田久美子、金澤 昭 @アトリエ春風舎

9日(土)14:00 新国立劇場バレエ団〈ニューイヤー・バレエ〉第1部『パキータ』音楽:レオン・ミンクス/振付:マリウス・プティパ/美術:川口直次/衣裳:大井昌子/照明:立田雄士/指揮:冨田実里/管弦楽東京フィルハーモニー交響楽団/出演:米沢 唯、渡邊峻郁//第2部『Contact』音楽:オーラヴル・アルナルズ/振付:木下嘉人/出演:小野絢子、木下嘉人『ソワレ・ド・バレエ』音楽:アレクサンドル・グラズノフ/振付:深川秀夫/出演:池田理沙子、中家正博『カンパネラ』音楽:フランツ・リスト振付:貝川鐵夫/ピアノ演奏:山中惇史/出演:福岡雄大//第3部『ペンギン・カフェ音楽:サイモン・ジェフス/振付:デヴィッド・ビントリー/美術・衣裳:ヘイデン・グリフィン/照明:ジョン・B・リード/[出演]ペンギン:広瀬 碧/ユタのオオツノヒツジ:米沢 唯/テキサスのカンガルーネズミ:福田圭吾/豚鼻スカンクにつくノミ:五月女遥/ケープヤマシマウマ:奥村康祐/熱帯雨林の家族:本島美和、貝川鐵夫/ブラジルのウーリーモンキー:福岡雄大 @新国立劇場オペラハウス←1/4のウイルス検査で「公演関係者」に陽性反応が出たため中止

10日(日)14:00 新国立劇場バレエ団〈ニューイヤー・バレエ〉『パキータ』木村優里、井澤駿//『Contact』米沢 唯、渡邊峻郁/『ソワレ・ド・バレエ』池田理沙子、中家正博/『カンパネラ』速水渉悟//ペンギン・カフェペンギン:広瀬 碧/ユタのオオツノヒツジ:米沢 唯/テキサスのカンガルーネズミ:福田圭吾/豚鼻スカンクにつくノミ:奥田花純/ケープヤマシマウマ:奥村康祐/熱帯雨林の家族:小野絢子、中家正博/ブラジルのウーリーモンキー:福岡雄大新国立劇場オペラハウス←同上

【11日(月/祝)14:00 新国立劇場バレエ団〈ニューイヤー・バレエ〉上記9日と同キャストで、下記の通り、無観客上演を無料ライブ配信

1月7日に改めてその他の公演関係者にウイルス検査を行ったところ全員陰性の結果となり、また保健所からは新国立劇場内には濃厚接触者はいないとの判断をいただきました。

公演中止の判断の時点では、公演準備が整う見通しが立たなかったため、やむなく中止とさせていただきましたが、このたび、皆様になんらかの形で公演をお届けするべく検討した結果、1月11日(月・祝)に無観客で上演し、無料でライブ配信を行うことといたしました。(新国立劇場HP)

タイムスケジュール

第1部 14:00~14:40

<休憩25分>

第2部 15:05~15:35

<休憩25分>

第3部 16:00~16:45

15日(金)14:00 新日本フィル #36 定演ルビーアフタヌーン コンサート・シリーズ〉ベートーヴェン交響曲第 8 番 ヘ長調 op. 93/モーツァルト:ピアノ協奏曲第 20 番 ニ短調 K. 466*/ベートーヴェン交響曲第 6 番 ヘ長調 op. 68「田園」指揮:上岡敏之佐渡裕/*ピアノ:田部京子すみだトリフォニーホール

15日(金)19:00 青年団 第84回公演『眠れない夜なんてない』作・演出:平田オリザ[出演]猪股俊明(客演)羽場睦子(客演)山内健司 松田弘子 永井秀樹 たむらみずほ 小林 智 島田曜蔵 能島瑞穂 井上三奈子 堀 夏子 村田牧子 井上みなみ 岩井由紀子 吉田 庸[スタッフ]舞台美術:杉山 至/舞台監督:中西隆雄 小川陽子/照明:井坂 浩/照明操作:西本 彩 高木里桜/音響:泉田雄太/音響操作:秋田雄治/衣裳:正金 彩/宣伝美術:工藤規雄+渡辺佳奈子 太田裕子/宣伝写真:佐藤孝仁/宣伝美術スタイリスト:山口友里/制作:太田久美子 赤刎千久子 金澤 昭 @吉祥寺シアター

17日(日)15:00 鈴木雅明 指揮 BCJ メンデルスゾーン《エリアス》キャロリン・サンプソン(ソプラノ)→中江早希/マリアンネ・ベアーテ・キーラント(アルト)→清水華澄/セイル・キムテノール)→西村 悟/エリアス:クリスティアン・イムラー(バス)→【加耒 徹】合唱&管弦楽バッハ・コレギウム・ジャパン @オペラシティコンサートホール タケミツメモリアル

18日(月)19:00 〈リーラ・ジョセフォウィッツ&トーマス・アデス デュオ・リサイタル〉ヤナーチェク《ヴァイオリン・ソナタアデス《マズルカ op.27》(2009)[ピアノ・ソロ]/アデス《おとぎ話の踊り》(2020)[日本初演][ルイ・ヴィトン財団、東京オペラシティ文化財団共同委嘱作品]/ストラヴィンスキー《協奏的二重奏曲》ナッセン《リフレクション》(2016)/ラヴェル《ヴァイオリンとピアノのためのソナタ第2番》/リーラ・ジセフォウィッツ(ヴァイオリン)+トーマス・アデス(ピアノ)@東京オペラシティ リサイタルホール←「12月23日に政府が発表した、新型コロナ変異ウイルスの感染拡大を受けたイギリスからの入国禁止措置により、トーマス・アデスの来日は不可能となり」中止

【19日(火)14:00 青年団 第84回公演『眠れない夜なんてない』作・演出:平田オリザ @吉祥寺シアター←初日は最前列で全体像が見えなかったため、もう一度(支援会員は何度でも見られる)

19日(火)18:30 コンポージアム 2020 武満徹作曲賞 本選演奏会/審査員:トーマス・アデス/杉山洋一(指揮)/東京フィルハーモニー交響楽団[ファイナリスト](エントリー順)シンヤン・ワン(中国)『ボレアス』/フランシスコ・ドミンゲス(スペイン)『MIDIの詩』/デイヴィット・ローチ(イギリス)『6つの祈り』/カルメン・ホウ(イギリス/香港)『輪廻』@オペラシティ コンサートホール:タケミツメモリアル←上記の通りアデスは来日できないが「会場での演奏は予定通り行います。審査、結果発表の各方法につきましては後日お知らせします」とのこと→【*2020年度武満徹作曲賞審査員トーマス・アデスは、高音質・高画質の通信を用いて当日の本選演奏をロンドンで聴き、審査を行います。審査結果は本選演奏会翌日にホームページ等で発表の予定です。】

23日(土)14:00 新国立劇場オペラ ジャコモ・プッチーニ《トスカ》全3幕〈イタリア語上演/日本語及び英語字幕付〉指揮:ダニエレ・カッレガーリ/演出:アントネッロ・マダウ=ディアツ/美術:川口直次/衣裳:ピエール・ルチアーノ・カヴァッロッティ/照明:奥畑康夫/[出演]トスカ:キアーラ・イゾットン/カヴァラドッシ:フランチェスコ・メーリ/スカルピア:ダリオ・ソラーリ/アンジェロッティ:久保田真澄/スポレッタ:今尾 滋/シャルローネ:大塚博章/堂守:志村文彦/看守:細岡雅哉/羊飼い:渡邉早貴子/合唱:新国立劇場合唱団/管弦楽:東京交響楽団 @新国立劇場オペラハウス