新国立劇場オペラ《トスカ》初日 2021/苦手演目だが【追記】

《トスカ》の初日を観た(1月23日 14:00/新国立劇場オペラハウス)。

 全3幕〈初演1900年/イタリア語上演/日本語及び英語字幕付〉

作曲:ジャコモ・プッチーニ(1858-1924)/台本:ジュゼッペ・ジャコーザ&ルイージ・イッリカ/原作:ヴィクトリアン・サルドゥーの戯曲『トスカ La Tosca』(1887)/指揮:ダニエレ・カッレガーリ/演出:アントネッロ・マダウ=ディアツ/美術:川口直次/衣裳:ピエール・ルチアーノ・カヴァッロッティ/照明:奥畑康夫

トスカ:キアーラ・イゾットン/カヴァラドッシ:フランチェスコ・メーリ/スカルピア:ダリオ・ソラーリ/アンジェロッティ:久保田真澄/スポレッタ:今尾 滋/シャルローネ:大塚博章/堂守:志村文彦/看守:細岡雅哉/羊飼い:渡邉早貴子

合唱:新国立劇場合唱団/管弦楽:東京交響楽団

当プロダクションの初演は2000年で今回が8回目。初演は見逃し、2002年の2回目からはずっと見てきた(5回目/2012年公演の簡単なメモ)。が、どうも苦手な演目。第二幕の残忍で暴力的な悪趣味はちょっと堪えがたい。だが今回は、コロナ禍で世界のオペラ劇場が閉鎖するなか来日し、14日間の隔離を経て出演した二人のイタリア人歌手が素晴らしかった。冒頭から幕切れまでいっさい手を抜かない。お陰で〝イタオペ〟の神髄を多少なりとも味わえた。席は3階左バルコニー。以下、感想を簡単にメモする。

第一幕後半「テ・デウム」の人数がいつもより少なめ。感染リスクを避けるためだろう。オケと合唱もさほどの強奏ではなかったか。ここは、聖アンドレア・デッラ・ヴァッレ教会を模したリアルな美術と音楽が相乗する絢爛豪華な場面である。だが、司祭や大勢の信者たちが荘厳に神を讃える一方で、警視総監スカルピア(ダリオ・ソラーリ)は残虐で好色な企みをほくそ笑みながら吐露するのだ。考えてみれば罰当たりな趣向ではある。

そのスカルピア男爵の残忍さが露わになる第二幕。彼は脱獄したアンジェロッティ(久保田真澄)の逃亡を助けた廉で逮捕した画家カヴァラドッシ(フランチェスコ・メーリ)を拷問させ、その呻き声を恋人のトスカ(キアーラ・イゾットン)に聞かせて、その居場所を彼女に吐かせる魂胆だ。卑劣極まりない! 愛する人の呻吟を耳にすれば、トスカでなくとも白状するだろう。あまつさえこの卑劣漢は、カラヴァドッシ処刑の回避と引き換えに、自分に身を任せるようトスカに要求するのだ。レイプ犯まがいのマゾ的嗜好を吐露しながら。この絶体絶命下で歌われるのが、あの「歌に生き、愛に生き」である。初めてこのオペラを見たときは驚嘆した。聞き慣れたあの綺麗なアリアが、まさかこんな醜悪極まりないシチュエーションで歌われるとは!

…これまで私は芸術(歌)に生き、愛に生きてきた。いつも揺るがぬ信仰で祈りを捧げ、貧しい人々には手を差し伸べてもきた。それなのに、主よ、なぜこんな報いが与えられるのか云々…。

だが、何度かこの場面を見るうち、このアリアはスカルピアの要求を受け入れるため、納得するために(納得など出来ないが)歌われるのかと思ったりした。いや、そもそも歌は、アウシュビッツを生き延びたフィリップ・ミュラーが『ショアー』で証言したように、危機においてこそ歌われるものなのかもしれない。

今回トスカ役のイゾットンは、第一幕から全開で迫力満点だったが、このアリアでは内にこもる抑えた歌唱で美しく聴かせた。トスカはスカルピアの要求を受け入れるが、条件として、二人が逃亡するさいの通行証を書くよう要請する。スカルピアが書き終わると、トスカは目に留まったテーブルのナイフで、迫る男を刺し殺す。この後の動きは見応え十分だ。トスカは死んだ男の手に握られた通行証をもぎ取る。続いて、文机の二本の蝋燭を手に取り、横たわる死体の両脇に置き、十字架を死者の胸の上に置く。突如、スネアドラムのロール音が響き、トスカと共にわれわれ観客もビクッとする! トスカは自分の赤いショールが死体の下敷きになっているのに気づき、怖ごわそれを引き出して立ち去るのだ。これら一連のトスカの動作には、アリアの歌詞と呼応した、彼女の信心深さや人の好さが滲み出ている。このアリアとト書きがなかったらこのオペラはとっくに消えていただろう。

第三幕、牢獄のカヴァラドッシは、自らの生がまもなく尽きる(処刑される)前にトスカへ手紙を書こうとする。「星は光りぬ」は、そのときの思いを歌ったアリアだ。

…星々は輝き、大地は香ばしかった、そんな夜、私は彼女を抱擁し、甘美な口づけを交わして… だが愛の夢は永遠に消え去ったのだ、私は絶望のうちに死んでいく、これほど生を愛しいと思ったことはなかった…

エミリ・ディキンスンではないが、それが存在しなくなると知って初めてその尊さや掛け替えのなさが分かるとは、なんとも人間は因果な生き物である。

そこにトスカが現れ、彼に事の次第を説明し、銃殺は空砲でかたちだけだと告げる。突然ひらけた未来への希望。二重唱。巧く倒れる演技をするよう何度も念を押すトスカ。だが、スカルピアの残忍さは死後も生きていた。銃殺は空砲ではなかったのだ。カヴァラドッシの死体に取りすがるトスカ。スカルピアを殺したトスカに追っ手が迫り、彼女は城壁から飛び降りて幕となる。逃亡していたアンジェロッティも自殺したから、主要な四人はみな死んだことになる。

トスカ役のキアーラ・イゾットンの強声は迫力満点だが、どこか古風な味わいを感じさせるソプラノだ。カヴァラドッシ役のフランチェスコ・メーリも、終始、気持ちの入った演技と歌で、緊急事態宣言下に集まった聴衆にイタリアオペラの快楽を味合わせてくれた。特に第3幕では「星は光りぬ」をはじめ、弱音から強音まで自在にコントロールした素晴らしい歌唱を聴かせた。イタリア人テノールにありがちな(?)これ見よがしに声を張り上げることはなく、慈しむように歌っていたのが印象的。メーリとイゾットンには(指揮のダニエレ・カッレガーリも)オペラを愛するイタリア人の誇りを感じた。スカルピアのダリオ・ソラーリは、オケが抑えたシークエンスではそれなりに強く響くが、オケの強奏場面では声が埋もれてしまう。歌声に密度がない分、残忍なスカルピアとしては少し物足りないが、力を尽くしてはいた【ソラーリは《トスカ》終了後も日本に残り、次作《フィガロの結婚》のタイトルロールを歌うらしい。入国制限の変更でフィリッポ・モラーチェが来日できなかったためだ。ソラーリモーツァルトの方が合っているかも】。

美術セットは実在の聖アンドレア・デッラ・ヴァッレ教会や聖アンジェロ城などをリアルに再現していて見応えがある(この装置家は想像力を刺激するイマジナティヴな美術には向いていないらしく、バレエ『くるみ割り人形』や『眠れる森の美女』などは評価できない)。

カーテンコールで、メーリやイゾットンはピットや客席に手を振ってとても嬉しそう。久し振りの舞台だったのだろう。歌手も観客も、舞台芸術にしか味わえない格別の喜びを噛みしめていた。そう感じた。メーリが再演演出の田口道子を袖から呼んだ。イタリアの主要な劇場での経験が豊富らしい。彼女の存在はメーリら海外アーティストにはさぞ心強かったのだろう。