2020年12月の公演メモ/新国立《こうもり》/岩松了の新作/新国立バレエ『くるみ割り人形』/BCJ定演/民藝+こまつ座『ある八重子物語』/風姿花伝『ミセス・クライン』/都響《くるみ割り人形》/BCJ《第九》

 2020年12月に観た公演について簡単にメモする。

5日(土)14:00 新国立劇場オペラ オペレッタ《こうもり》指揮:クリストファー・フランクリン/演出:ハインツ・ツェドニク/美術・衣裳:オラフ・ツォンベック/振付:マリア・ルイーズ・ヤスカ/照明:立田雄士/ガブリエル・フォン・アイゼンシュタイン:ダニエル・シュムッツハルト/ロザリンデ:アストリッド・ケスラー/フランク:ピョートル・ミチンスキー.オルロフスキー公爵:アイグル・アクメチーナ/アルフレード:村上公太/ファルケ博士:ルートヴィヒ・ミッテルハマー/アデーレ:マリア・ナザロワ/ブリント博士:大久保光哉/フロッシュ:ペーター・ゲスナー/イーダ:平井香織/合唱:新国立劇場合唱団/バレエ:東京シティ・バレエ団/管弦楽東京フィルハーモニー交響楽団新国立劇場オペラハウス

 大好きな演目。どこをとっても素晴らしい音楽だ。歌手はみな質が高いし、演技もうまい。

序曲では特に身体は反応せずだが、アデーレ(マリア・ナザロワ)の歌唱とコミカルな芝居で一気に頬が緩んだ。ロザリンデ(アストリッド・ケスラー)とアイゼンシュタイン(ダニエル・シュムッツハルト)のオーストリア組は歌唱が柔らか。前者は少し暗めの熟成した歌声、後者は細かい演技で汗を搔いた。素晴らしい。ファルケ(ルートヴィッヒ・ミッテルハマー)の歌声は端正でノーブル、フランク(ピョートル・ミチンスキー)は渋い。オルロフスキー(アイグル・アクメチーナ)は童顔だが、歌唱は濃厚で強い。アルフレード(村上公太)も歌は好い。フロッシュのペーター・ゲスナーは健闘した。もっと軽みが欲しいが、伝統芸みたいな役だから一朝一夕にはいかないか。彼は日本で活動している演劇人(プログラム略歴の「岸田國夫」國士が正しい)。

感染防止のため、特に2幕は演出を変えていた。ソリストがコーラスと交わらないよう後者の演技はすべて手前のステージ。チャルダッシュはダンサー(東京シティバレエ)との絡みはなく、他の歌手たちも等間隔で棒立ちなのは少し気の毒。ひと工夫欲しかった。奥の一段高いフロアは紗幕越しに見えるが、少し狭苦しい。「兄弟姉妹になりましょう」でやっと紗幕が上がる。コーラスの歌詞は時節柄、特別の感慨を抱かせた。

指揮のクリストファー・フランクリンは割合あっさりしている。可もなく不可もなしか。海外の歌手や指揮者はコロナ禍によく来てくれた。PCR検査がもっと安価で頻度も上がれば、演出の幅も広がるのではないか。

8日(火)18:00 M&Oplays『そして春になった』作・演出:岩松 了/出演:松雪泰子 ソニン 瀧内公美 片桐はいり[スタッフ]照明:沢田祐二/音響:高塩 顕衣裳:飯田恵理子/ヘアメイク:大和田一美/映像:荒川ヒロキ/舞台監督:南部 丈/美術:中根聡子/ステージング:仁科 幸/制作:近藤南美/制作助手:寺地友子/制作デスク:大島さつき/宣伝:ディップス・プラネット/宣伝美術:坂本志保/プロデューサー:大矢亜由美 @下北沢本多劇場

岩松了の新作 初日。簡単なセットに台本を持ちながらの二人芝居。コロナ禍から当初は朗読配信の予定で書き始めたのか。発話だけで一気にコンテクストを現出させる 片桐はいりはさすが。対する瀧内公美 も負けてはいない。新国立劇場『どん底』(2019年10月)のナターシャ役で初めて見たが、改めてセリフのレンジが広く自在な役者だと感心した。二人の役は映画監督の妻と監督が育てた若手女優。前作『二度目の夏』に似たチェーホフ的背景だが、内容は正直よく分からない(!)。それでも両者の〝気〟のやりとりに引き込まれた。やはり生の舞台は好い。松雪泰子/ソニンも見てみたかった。 

12日(土)13:00 新国立劇場バレエ団『くるみ割り人形』音楽:ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー/振付:ウエイン・イーグリング/美術:川口直次/衣裳:前田文子/照明:沢田祐二/指揮:冨田実里/管弦楽東京フィルハーモニー交響楽団/合唱:東京少年少女合唱隊[主演]クララ/こんぺい糖の精:小野絢子/ドロッセルマイヤーの甥/くるみ割り人形/王子:福岡雄大新国立劇場オペラハウス

 何度見てもいまひとつのプロダクション(演出・振付・特に美術)。紗幕越しに見るパーティのシーンは地味。紗幕はその後の夢の世界をより輝かせるためだろうが、そもそも、当の夢の世界がさほどでもない。続く「冬の樅の森で」のクライマックスで雪景がマジカルに現出すればここまでの不満は報われるのだが、背景の美術がお粗末すぎて…。雪の結晶たち(コール・ド)は、その分、照明できらきら輝いてはいた。気球がフライングで少し降りてきてしまった。

冒頭の小部屋のシーンは以前より演技が理にかなっている印象。小野はいまひとつ伸びやかさがない。福岡は堅実。ねずみの王様は奥村だったのか。前のように好き勝手にやっていない印象。コーラスの録音は音質があまりよくない。

二幕で宮殿から出入りする趣向どうなのか。アラビアの本島はよかった。その途中で何度か落下音が。バタフライがつまずいたのはサポートが原因か。花のワルツは少しバタバタ感が。コール・ドで一人女性が転んだ。パ・ド・ドゥの福岡は油が抜けた感じ。エネルギーが感じられない。サポートもどっしり感がない。小野は少しガクッとなり、リズムが狂ったか、その後もなんかおかしい。福岡のヴァリエーショはきれいに踊ろうとしているように見えたが、こちらも、おかしい。小野のヴァリエーション。腕の使い方が前と違う印象。やっぱり変。新監督から教わったことが頭に残っているのか。本番は全部忘れて好きに踊ったらいいのに。カーテンコールで福岡は珍しくねずみの王と手を繋いだ。らしくない(前は頑なに拒否していた)。やっぱりおかしいぞ。イーグリング版は、客が帰っていく音楽で幕切れとなる。その間にクララが見た夢の世界という設定。目覚めた姉弟ドロッセルマイヤーと甥を見送れるのはそのためだ。が、チャイコフスキーが作曲した終曲を聴けないのはなんとも…。2017年の初演時に不満点を詳しくメモしているので、いずれアップしたい。というか、早く牧版に戻すか、新制作してほしい。

12日(土)18:00 新国立劇場バレエ団『くるみ割り人形』クララ/こんぺい糖の精:米沢 唯/ドロッセルマイヤーの甥/くるみ割り人形/王子:井澤 駿新国立劇場オペラハウス

 こっちがファーストキャストだ。夫人の本島は本当に見る喜びがある。フリッツを叱る仕草等、家を支える気品のある母親。井澤は勢いがあった。米沢はドラマの流れのなかにある。というより、その流れを作っており、動きのすべてが生きている。貝川は杖を落とした。老人福田圭吾はキレがある。ネズミの王(渡邊)は魔法で固まったクララ(米沢)に「カワイイ! 胸キュン」の仕草(そう見えた)。気球で離れるとき、クララは「さよなら」と地上のねずみらに手を振る。クララ米沢のユーモア。

アラビア木村は顔を黒く塗ってたか。自分の身体をモノみたいに「自己放棄」する感触がもっとほしい。ロシアに木下か。驚いた。蝶々柴山をドロッセルマイヤー中家がサポートする。『ドン・キ』と同じだ。それにしてもこの振付は無意味に難しすぎ。浜崎の華やかさは「花のワルツ」に合っている。速水はちょっとごつすぎるか。パ・ド・ドゥ。難しい振りを米沢はよく踊った。井澤は気合いが入っていた。こんな井澤は見たことない。オケもよく鳴っていた。それにしても最後まで難度の高い振り。井澤ヴァリエーションは福岡とは異なる振りだが、珍しく意志を感じさせる力強い踊り。米沢のヴァリエーションは脚の高さがこれまでと違う? コーダも迫力があり素晴らしい! 米沢は二回目のカーテンコールでクララの子役(佐原舞南)を前に出し、共にレヴェランス。こうでなくっちゃ。最初は指揮者を自分と井澤の間つまり真ん中に招いた。前に出てしっかりオケにもお礼する。いつもながら舞台マナーが素晴らしい。舞台上の演者は技術面だけでなく、人間性が丸見えになる。それを見るのも舞台を見る喜びのひとつ。

16日(水)19:00 BCJ #138 定演〈創立30周年記念演奏会〉(2020/5/24からの延期公演)J.S.バッハ:ファンタジアとフーガト短調 BWV542 */カンタータ第78番《イエスよ、あなたはわが魂を》 BWV78/《マニフィカト》変ホ長調BWV243a(初期稿)/指揮:鈴木優人/オルガン:鈴木雅明*/合唱と管弦楽バッハ・コレギウム・ジャパン他 @東京オペラシティ コンサートホール:タケミツ メモリア

 鈴木雅明のオルガンは即興的な感触の強い、気迫のこもった演奏で、グッときた。一方、鈴木優人の指揮でBCJを聴くと、どうしても気のエネルギーが足りないと感じてしまう。カンタータは普通にやると、なんというか……。ソプラノとアルトのデュエットも客席まで届かない。フラウト・トラヴェルソ(鶴田洋子)のソロはよかった。菅きよみの後継者か。

18日(金)19:00 新国立劇場バレエ団『くるみ割り人形』クララ/こんぺい糖の精:米沢 唯/ドロッセルマイヤーの甥/くるみ割り人形/王子:井澤 駿新国立劇場オペラハウス

 米沢&井澤の二回目。1階15列の中央からだと全体がよく見えるし、オケのバランスもよい。子役の二人は初日より大きい。夫人本島は本当に見る喜びがある。芝居にも踊りにも気品が。ルイーズ柴山、詩人 原、青年 速水、老人 福田圭吾は、みな丁寧な踊り。柴山は鉄骨が入っているみたいにしっかりした踊り(硬いという意味ではない)。グロース・ファーターのファミリーロマンスは面白い趣向だが、シュタルバウムが祖父(老人)から杖を取ってしまうところはこの日もスムーズでない。「戦い」の騎兵隊長速水の回転!「樅の森」で井澤は初日ほどの熱はなくサポートがスムーズでない。にもかかわらず米沢はおくびにも出さす、乗り切った。雪の結晶のコール・ドは元気がよくきれい。ただ、全体的に初日のソワレの方がよい。

19日(土)17:30 劇団民藝こまつ座公演『ある八重子物語』/作:井上ひさし/演出:丹野郁弓/出演:日色ともゑ 桜井明美 中地美佐子 有森也美 篠田三郎 ほか/装置:勝野英雄/照明:前田照夫/衣裳:宮本宣子/音楽:八幡 茂/効果:岩田直行/所作指導:西川瑞扇/舞台監督:風間拓洋 @東京芸術劇場シアターイース

演目の予備知識はなく、有森が舞台でどんな演技をするのか興味があり、なにより劇場が近いので見た(!)。面白かった。新派ファンの古橋院長(篠田三郎)に、看護婦(藤巻るも)や女中(中地美佐子)、事務方(横島亘)の三人が新派劇の口真似をするシーンは、新派にさほど馴染みがなくても楽しい。本作の中心となる第二幕は京都帝大生の一夫(塩田泰久)が『女形の研究』の執筆に入れ込み過ぎて寝坊し入営に間に合わず、〝徴兵忌避者〟として姉のゆきゑを訪ねてくる話だ。が、こうした戦時下の深刻な筋書きにもかかわらず、最後まで誰も死なない。女形(みやざこ夏穂)がセリフの稽古をしながら幕毎に薬をもらいに来るシーンはハラから笑った。芸者を演じる三人の女優を見る喜びも大きい。第一幕の月乃(吉田陽子)は入院患者だが一目で分かる花柳界らしい佇まい、第二幕のゆきゑ(桜井明美)が醸し出す本格的な色気(『夏・南方のローマンス』は素晴らしかった)。全篇を通じての花代(有森也美)の人の好さ等々。冒頭と幕切れでの注射器による「滝の白糸」の水芸や、第三幕で着付けをパジェントリーとして見せる趣向など、祝祭的な明るさが強く感じられた。帰宅後、調べてみると水谷八重子十三回忌追善・新派特別公演として1991年に初演されている。なるほど。舞台の祝祭性が腑に落ちた。コロナ禍で閉塞しがちな気分を解放させてくれるタイムリーな公演だった。

20日(日)14:00 風姿花伝プロデュースvol.7『ミセス・クライン Mrs KLEIN』作:ニコラス・ライト/翻訳:小田島恒志、小田島則子/演出:上村聡史/出演:那須佐代子 伊勢佳世 占部房子/美術:乘峯雅寛/照明:阪口美和/音響:加藤温/衣裳:半田悦子/ヘアメイク:鎌田直樹/演出部:黒崎花梨/舞台監督:梅畑千春/宣伝美術:チャーハン・ラモーン/絵画提供:佐和子/WEB:小林タクシー/制作:斎藤努加藤恵梨花・高村 楓・北澤芙未子/風姿花伝スタッフ:中山大豪/プロデューサー:那須佐代子/企画・製作:風姿花伝プロデュース @シアター風姿花伝

 コロナ禍が襲った年の最後にこんな質の高い舞台を見ることができて幸運だった。精神分析家の女性3人が交わす対話は、知的な言葉の背後に熱い感情がフツフツと、いまここで湧き出してくる。三人の演技はいずれも極めて質が高い。実に見応えのある公演だった。

精神分析メラニー・クラインとその娘、さらにクラインの新しい助手の三人。みなユダヤ人で、クラインと娘はベルリンからロンドンに移住して8年ほど、助手はナチスの迫害を逃れて来たばかり。舞台はロンドンにあるミセス・クラインの書斎。娘(伊勢佳世)は母(那須佐代子)を憎みながらも、煙草を吸うときのマッチの擦り方、酒を注ぐよう母の助手(占部房子)に「ここまでお願い」とピンポイントでグラスを指す仕草などは、母親そっくり。その可笑しさと痛々しさ。息子の死(自殺)について、自分が傷つかないですむ解釈を次々に繰り出す母。那須の人物造形は極めて秀逸で眼を見張った。一気にまくし立てるセリフ回しは凄まじい。すべて自分の思い通りにやらないと気が済まない。その「すべて」には娘や助手も含まれる。その性格が登場後、他者と関わる前、すでに表現されていた。その可笑しさ、ユーモア。深刻さと同時に可笑しさやユーモアが表出された点が素晴らしい。伊勢は裕福なユダヤ人女性の華やかさや、精神分析家の娘としての複雑な思いをよく表現していた。占部は、有無を言わせぬミセス・クラインの要求を当惑しながらも受け止める絶妙なあり方を見事に演じた。那須『リチャード三世』(2013)『長い墓標の列』で、伊勢は『ソウル市民』(2005)『アンチゴーヌ』(2018)『OPUS/作品』(2013)で、占部は『焼き肉ドラゴン』(2008、2011)『月の獣』(2015)等で見て、注目していた。その三人が揃った舞台は、予想通り、いやそれ以上に極上だった。

26日(土)14:00 都響くるみ割り人形》op.71 全曲 指揮:大野和士/女声合唱/⼆期会合唱団(事前収録による出演) @サントリーホール

踊りに合わせる(遅めの)テンポで聞き慣れた耳には、すべてが快速で進む。それが爽快で気持ちいい。クリスマスツリーが(クララの視点で)次第に大きくなる様を髣髴させる例のクレッシェンドは凄まじい。「冬の樅の森で」は大野の手が伝える激しい振動で、深く濃密な高まりが現出した。「花のワルツ」も速めのテンポで、優雅さとは無縁。チェロが主導する単調の第二主題は、続く「パ・ド・ドゥ」の〝悲劇性〟を予告する。後者の粛然とした導入からクライマックスに至るシークエンスにはグッときた。この至福感から現実へと覚醒していくヴァイオリン群の冷たい美しさ! 極寒を知るロシア人ならではの音楽だ。本作が《悲愴》と地続きであることがよく分かる演奏だった。《第九》に代えて《くるみ》を選んだ大野和士の意図はよく伝わってきた。

サントリーホールへ来ると必ず水内庵(みのちあん)で食事する。ざるそばと玉子丼が目当てだ。それがなんと2日後に閉店するという。店主の娘さんによれば、コロナ禍で中断した後の再開が体力的にきつくなり決断したとのこと。落ち着いたら規模を縮小して、娘さんら〝若手〟で再開すると聞き、ほっとした。

  

27日(日)14:00 BCJベートーヴェン生誕250年記念〉J. S. バッハ:パッサカリアとフーガ ハ短調 BWV582*/ベートーヴェン交響曲第9番 ニ短調 op.125《合唱付き》指揮:鈴木雅明/オルガン:鈴木優人*/ソプラノ:森 麻季/アルト:林美智子/テノール:櫻田 亮/バス:加耒 徹/合唱&管弦楽バッハ・コレギウム・ジャパン東京オペラシティ コンサートホール:タケミツ メモリア

ピリオド楽器の演奏は聴覚のみならず触覚に訴えてくる(特に弦楽器)。この感触はバッハの時代の音楽よりもベートーヴェンの方がはるかに強まる。この日の席は舞台から遠い3階正面だったため、さほどでもなかった。が、定演(11/28)で5番交響曲を1階9列で聴いたとき(通常より舞台が張り出し実質は6列か)、弦楽器奏者の激しいボーイングによる波動が、こちらにびしびし伝わってきた

今回の《第九》は、2019年1月の演奏同様、1楽章でオーボエ(とフルート?)に「あれ?」と思う箇所が。それはともかく、スケルツォでは(モダンより)ティンパニがいっそう強く響く(前回はもっと攻撃的だった)。アダージオではこの楽章の「無言歌的な性格」がよく分かった(第二主題で合唱を始める案もあったらしい)。例の第4ホルンのソロはナチュラル・ホルンの場合、ハンドストップを交互に駆使して上昇し下降する。藤田麻理絵(新日フィル)は見事に吹ききった。ただ、当然ながらハンドストップは閉鎖音となり、音色は死んでしまう。当時はそうした響きで満足していたと思っていた。が、大崎滋生の実証的研究によれば、第3楽章の第4ホルンのパートは有弁(クラッペン)ホルン、すなわちヴァルブ・ホルンを前提に書き下ろされたという(『ベートーヴェン像 再構築3』2018年)。大崎氏の論述はかなり説得的だが、鈴木氏の見解も聞いてみたい。第4楽章のコーラスは、前回同様、実に印象的。いわゆる〝第九〟ではなく、シラー/ベートーヴェンの歌詞をメロディにのせて、あたりまえに歌う。叫ぶのではなく〝歌う〟のだ。結果は革新的な素晴らしさ。「身体のすべてが鳴っている感じ。これを聴くと、これまでの《第九》のコーラスは、スポーティというか体育系のノリで声を発していたと思えてくる」(19年のメモ)。海外からソロイストを呼び寄せた前回は、彼/彼女らの歌唱にも歌曲のような趣があった。今回はさほど感じない。が、バスの加耒徹の歌唱は詩の意味をかみしつつ十分な声量で聴衆に語りかけ、申し分なかった。森麻季はいいと思う。櫻田亮の歌唱はきれいだが、もう少し声量を上げたいし、トルコ行進曲の様式をもっと出してもよい。林美智子は真面目に歌っていたが、声が届いてこない。終曲後の沈黙が皆無だったのは残念。会場はほぼ満席だった。