新国立劇場バレエ『ペンギン・カフェ 2013』

ブログを始めて13ヶ月。記事数は80篇。けっこう書いたものだ。対象とする舞台芸術のジャンルが複数に亘るため、このさい演劇・オペラ・バレエ・ダンス・コンサートの五つのカテゴリーに整理してみた。今後は劇場文化を考えるうえで参考となる本についてもメモしていきたい。

新国立劇場バレエのトリプル・ビル『ペンギン・カフェ 2013』の初日と二日目を観た(4月28日・29日/新国立劇場オペラハウス)。
三作のなかではやはり「ペンギン・カフェ」が作品として圧倒的だと思う。舞台の感触は〝圧倒的〟という形容詞はまったくそぐわないのだが。

「シンフォニー・イン・C」Symphony in C
音楽:ジョルジュ・ビゼー Georges Bizet
振付:ジョージ・バランシン George Balanchine
指揮:ポール・マーフィー Paul Murphy
管弦楽東京フィルハーモニー交響楽団 Tokyo Philharmonic Orchestra
【4月28日(日)2:00p.m./4月29日(月・祝)2:00p.m.】
第1楽章 米沢 唯&菅野英男/長田佳世&福岡雄大
第2楽章 小野絢子&厚地康雄/川村真樹&貝川鐵夫
第3楽章 寺田亜沙子&奥村康祐/厚木三杏&輪島拓也
第4楽章 本島美和&マイレン・トレウバエフ/細田千晶&古川和則

「シンフォニー・イン・C」(1947)の魅力は、曲想の異なる各楽章の音符がひと形となって躍動するような振付にある。フィナーレではそれぞれの楽章の音符=ダンサーたちが再登場し、やがて全員がユニゾンで踊り大団円を迎える。音楽が生き生きと立体化されるコーダの迫力にはいつも胸が高鳴る。和の力?
まずは初日から。第1楽章 Allegro vivoプリンシパルは米沢唯と菅野英男。二人のコンビを見るのは久し振り。米沢は3月の「solo for 2」(「Dance to the Future 2013」)では金森穣の振付をじゅうぶん身体に取り込みきれていないように見えた。が、今回は、悪くない。そもそも米沢の踊りを初めて見たのはこのバランシン作品だった(2010年10月)。あのときは、身体全体に気が漲り濃厚なアウラを感じさせる踊りで、サイボーグのような高い技術力が印象的だった。今回は、テクニックの確かさに揺らぎはないが、3年前の張り詰めた感触はほどけ、余裕を感じさせる。全幕物で菅野と組むと、舞台上での〝対話〟がひときわ顕著に交わされるのだが、今回は控え気味。プロットレス・バレエゆえに抑制したのだろう。
第2楽章 Adagio は小野絢子と厚地康雄。近年、小野の踊りはややもすると杓子定規というか、枠にきっちり収まりすぎて、〝倍音〟が響いてこない憾みがあった。だが、この日の小野には、身体がキレているうえに、新たな段階に入ったと感じさせる何かがあった。プリマバレリーナは観客の感情同化を促す存在だ。その意味では、見る側の視線や情動を全存在で受け止めるリセプターの働きが重要かも知れない。プリマの身体(こころ)が、客席から放たれる視線や情動を躱(かわ)したり避(よ)けたりしたら、観客との交流は成立しない。だとすれば、プリマの身体=精神にはどっしりとした〝静けさ〟が要求されるのではないか。特にアダージョではそういえる。また一歩前進した小野絢子を見ながら、そんなことを考えた。厚地はサポートをそつなくこなし、踊りも優雅。
第3楽章 Allegro vivace は寺田亜沙子と 奥村康祐。寺田の踊りは快活で愛らしくいかにもバレリーナらしい。第4楽章 Allegro vivace は本島美和とマイレン・トレウバエフ。本島は存在感は十分だが、踊りは少し精彩を欠いた。トレウバエフはまずまずか。
二日目は第2楽章の川村真樹に注目した。久し振りの舞台だ。昨年の『白鳥』以来だとすれば、ほぼ一年振りか。初めはさすがにおっかなびっくりの感じで、覚束ない。それでもラインの美しさは川村ならではのもの。舞台で踊る喜びが徐々に湧いてきたように見えた。次回の『ドン・キホーテ』では、より伸びやかで快活な踊りを期待したい。第4楽章の細田千晶は悪くないのだが、存在が小粒に見える。もっと自我を出してもよいか。嬉しそうに踊る古川和則を見ると、こっちまで嬉しくなる。
ポール・マーフィー指揮の東フィルの演奏は両日とも大きな瑕疵はなかった。ただし、アダージョはもっと叙情的でもよいし、なによりオーボエのソロが十全に鳴っていないのは残念。第1楽章(Allegro vivo)のテンポはもっと速くても踊れるのではないか。

「E=mc²」
音楽:マシュー・ハインドソン Matthew Hindson
振付:デヴィッド・ビントレー David Bintley
照明:ピーター・マンフォード Peter Mumford
衣裳:ケイト・フォード Kate Ford
【4月28日(日) 2:00p.m./4月29日(月・祝)2:00p.m.】
エネルギー Energy:福岡雄大、米沢 唯/本島美和、奥村康祐
質量 Mass:小野絢子、長田佳世、寺田亜沙子/小野絢子、長田佳世、寺田亜沙子
マンハッタン計画 Manhattan Project:湯川麻美子/厚木三杏
光速の二乗 Celeritas²:福田圭吾、五月女 遥/八幡顕光、竹田仁美

「E=mc²」(2009年)はアインシュタイン相対性理論を主題にしたボダニスの科学ノンフィクション『E=mc²——世界一有名な方程式の「伝記」』に触発されて創られた作品とのこと(プログラム)。マシュー・ハインドソンによるバレエ音楽は、交響曲第2番:E=mc²として演奏されているらしい。
「エネルギー」の衣装は、黒い鉄にコイルを巻いたように見えるタイツ。福岡雄大と米沢は、運動神経のよさが存分に発揮され、ストラヴィンスキー張りの音楽に見合う俊敏で迫力ある踊り。群舞のなかではさいとう美帆と厚木三杏が眼に付いた。二日目の本島美和と奥村康祐も好演。「質量」の音楽は「エネルギー」とは一変し、ピアノとハープで静かに始まり、弦楽器やクラリネット等が加わっていく。小野はずいぶん女性らしさが出るようになった。「マンハッタン計画」では電子音が響くなか、白い和服姿の女性が赤い扇を持って現れる。袂がかなり長く「パゴダの王子」の女王エピーヌのよう。初日の湯川麻美子は毅然として誇り高く舞う。二日目の厚木三杏は、内的な襞を感じさせる細やかな踊り。両者とも、死の匂いを放つ。次第に高まる轟音。広島と長崎に落とされた原子爆弾の炸裂音か。一階席に座った初日は心臓の鼓動が速くなり、目眩を起こしそうになった(二日目の二階バルコニーではさほどでもなかったが)。以前もダムタイプの「memorandum」(2000年/新国立小劇場)で同様の経験をした(そのときは「心臓疾患のある方、特にペースメーカーをご使用の方は、ご考慮のうえ観劇ください」との事前注意があったほど)。「高速の二乗」は黄色い光線の逆光の舞台。ミニマル風の軽快な音楽に合わせて、初日は福田圭吾と五月女遥を、二日目は八幡顕光と竹田仁美を中心に踊りが展開された。

ペンギン・カフェ2013」'Still Life' at Penguin Café
音楽:サイモン・ジェフス Simon Jeffes (Penguin Cafe Orchestra)
振付:デヴィッド・ビントレー David Bintley
装置・衣裳:ヘイデン・グリフィン Hayden Griffin
照明:ジョン・B・リード John B. Reed
【4月28日(日)2:00p.m./4月29日(月・祝)2:00p.m.】
1. ペンギン・カフェ:ペンギン The Great Auk (musical piece: Air à Danser):さいとう美帆 /井倉真未
2. ユタのオオツノヒツジ Utah's Longhorn Ram (Prelude and Yodel):湯川麻美子/米沢 唯
3. テキサスのカンガルーネズミ Texan Kangaroo Rat (Long Distance, original title Horns of a Bull):八幡顕光/福田圭吾
4. 豚鼻スカンクにつくノミ Humboldts' Hog-Nosed Skunk Flea (The Ecstasy of the Dancing Flea, original title Pythagoras's Trousers):高橋有里/竹田仁美)
5. ケープヤマシマウマ Southern Cape Zebra (White Mischief):奥村康祐/古川和則
6. 熱帯雨林の家族 Rain Forest Family (Now Nothing):本島美和・貝川鐵夫/小野絢子・山本隆之(日本ジュニアバレエ 齋藤花恋/羽佐田結美)
7. ブラジルのウーリーモンキー Brazilian Woolly Monkey (Music By Numbers):福岡雄大/厚地康雄
8. 終曲 Conclusion (Numbers 1-4)

2010年に初めて本作を見たとき、ビントレーの懐の深さを思い知らされた。初演は1988年だから31才の創作だ。動物の被り物といい、一見すると子供から大人まで楽しめるエンターテインメント・バレエ。だが、ユーモラスで心地のよい感触の先に、人間の営みに対するずしりと重い批評がある。サイモン・ジェフスのミニマルな音楽も効果的。
冒頭でカフェのウェイター=ペンギンオオウミガラス)がトレイを片手に動き出した途端、思わず微笑んでしまった。さいとう美帆は役のツボを心得ている。ラストシーンもそうだが、ペーソスを生む健気な在り方を見事に実現していた。井倉真未も悪くないが、ペーソスの点ではもう一歩か。
ユタのオオツノヒツジは初日が湯川麻美子。湯川はビントレー作品を踊るとゴージャスさが遺憾なく発揮される。チェロが「Amazing Grace」をもじったような音楽を奏するなか、トレウバエフと踊るオオツノヒツジは誇り高い。二日目の米沢唯は少しはにかんだような少女らしいヒツジだが、後半部ではノリのよい踊りを全開させた。
テキサスのカンガルーネズミは、八幡顕光と福田圭吾。共に達者な踊りで可愛いが、自意識の強弱により個性が出ていた。最後に動かなくなったと思うと、音楽に合わせてまた足を動かし始めるところは、客席の笑いを誘う。だが、動きの不在は死を意味する。動くということは生きているということだ。
豚鼻スカンクにつくノミは民族衣装を着けてモリス・ダンスを踊る男性舞踊家たちに絡んでいく。高橋有里は上手いのだが、もっとノンシャランというか、のんきに一人で楽しんでるよといった感じが欲しい気もする(西山裕子の動きが頭に残ってしまっているので)。
ケープヤマシマウマのシークエンスには物語性がある。ブラスが暗示的な和音を奏したのちマリンバのアフリカ的なリズムに合わせてケープヤマシマウマが自分を誇示しながら野性的な踊りを繰り広げる。そこへシマウマ模様の衣装を身に纏い、頭に動物の頭蓋骨の髪飾りを付けたファッションモデルのような女性たちが登場。ニコリともしないでポーズを取りながらモデル歩きをする。立ち止まったとき顔の前で片方の掌を小刻みに動かす仕草が面白い。金井克子のヒット曲「他人の顔」の振付を想い出した(だいぶ違うけど。そういえば、彼女は西野流呼吸法で有名な西野バレエ団のダンサーだった)。シマウマは彼女たちに発情しているように見えなくもない。ニジンスキーの「牧神の午後」を連想。女たちはシマウマに〝美〟を誇示しながらも、相手にせず無視。やがて、銃声が聞こえ、上手奧でシマウマは倒れ、身体を捩って息絶える。女たちは何もなかったかのように例の振りをクールに繰り返し、下手へ去る。初日の奥村康祐は重量感は希薄だが、個性的で柔軟な踊り。特に打たれたときの死に方がよく、胸に迫るものがあった。人間は着飾るために動物を殺しているのだ。二日目の古川和則は、初演時同様、重心の低い独特の踊りはよかったが、死に方はいまひとつか。
入れ代わるように上手から熱帯雨林の家族が登場。初日は本島美和と貝川鐵夫。文明から遠く離れた熱帯雨林(ジャングル)で子供と三人、仲良く暮らす様子がそこはかとなく滲み出てくる。自意識を感じさせない健気でイノセントな在り方が素晴らしい。初演時もそうだった。シークエンスの終わりで、三人の家族が下手奧に佇み観客席の方をじっと見詰める。視線の先には、ずっと暮らしてきた〝故郷〟があるのだろう。だが、このジャングルにはもう住めなくなった。妻/母親=本島は、やっぱりだめか、とでもいうようにちょっと下を向いた後、三人寄り添って下手へ去る。グッときた。12月に観た蜷川幸雄演出の『トロイアの女たち』を想い出す。ラストで炎上するトロイア(客席後方)を見届けながら、日本人とイスラエルユダヤ系とアラブ系の役者たちが扮するコロスが去っていく。アラブ系の役者はそこに故国パレスチナを重ね、日本の役者は原発事故で住めなくなった福島を思いながら演じていた。この舞台でも、本島と貝川らが演じるジャングルの家族の苦境が、フクシマの悲劇と重なって見えた(本島と貝川は『カルメン』のコンビだが、波長が合うのか)。二日目の小野絢子と山本隆之の家族からは初日ほどの情動は生じなかった。
ブラジルのウーリーモンキー。福岡雄大は野性味ある力強い踊りで舞台を盛り上げた。はまり役だと思う。二日目の厚地康雄はミスキャスト。舞台では次第に雲行きが怪しくなる。
終曲。雨が降ってくる。突然倒れるシマウマ模様のドレスの女。酸性雨だろうか。それとも〝黒い雨〟?『創世記』の主(神)はいう、「わたしは四十日四十夜、地に雨を降らせて、わたしの造ったすべての生き物を、地のおもてからぬぐい去ります」と(第7章)。なぜなら「彼ら[すべての人]は地を暴虐で満たしたから」(第6章)。両手を万歳させて揺すりながら逃げまどう動物たち。やがて、彼らは箱舟に逃れるが、ペンギンだけはひとりあとに取り残され、幕となる。
下手にぽつんと立ち尽くす健気なペンギン(さいとう美帆)の姿に、グッときた。かなりきた。原発事故後のフクシマの惨状が再度そこに重なって見えた。2010年に見たときは3.11を経験する前だった。今回は直前の「E=mc²」(「マンハッタン計画」)の原爆炸裂音もあり、そうした連想がいっそう強まり、客席の作品理解が深まったかも知れない。初日は、取り残されたペンギンの姿が完全に見えなくなるまで、拍手が起きなかった。みんな、ラストに込められた意味を噛みしめていたのだと思う。だが、二日目は、カーテンがまだ半ばぐらいまでしか降りないうちに、後方から拍手が始まってしまった。残念だ。東フィルの演奏はよかったと思う。