1月のフィールドワーク予定 2025【追加】

1月はオペラ1,コンサート2の3公演と少なめ。4月から自由に使える時間は増えるが公演数は減少の見込み。そのぶんブログの更新頻度が上がればいいけど、どうなるか。

【ポリタスTV「阪神淡路大震災から30年…」で宮崎園子が安成洋(安克昌の弟/『港に灯がともる』の共同プロデューサー)にインタビューする1/6の回を見て『心の傷を癒すということ』と題する安克昌の遺著を知り、一読し、同名のNHKドラマ全4話(2000年)の再放送を見た。引き込まれた。適材適所と思わせるキャスティングや演出の見事さに圧倒され、同じ演出家が撮ったという『港に灯がともる』も見ることにした。】

19日(日)14:00 新国立劇場オペラ《さまよえるオランダ人指揮:マルク・アルブレヒト/演出:マティアス・フォン・シュテークマン/美術:堀尾幸男/衣裳:ひびのこづえ/照明:磯野 睦/再演演出:澤田康子/舞台監督:髙橋尚史/[配役]ダーラント:松位 浩/ゼンタ:エリザベート・ストリッド/エリック:ジョナサン・ストートン/マリー:金子美香/舵手:伊藤達人/オランダ人:エフゲニー・ニキティン/合唱指揮:三澤洋史/合唱:新国立劇場合唱団/管弦楽:東京交響楽団新国立劇場オペラハウス

[23日(木)12:10 映画『港に灯(ひ)がともる』監督:安達もじり/脚本:川島天見 安達もじり/エグゼクティブプロデューサー:大角 正/プロデューサー:城谷厚司 堀之内礼二郎 安 成洋/アソシエイトプロデューサー:京田光広 坪内孝典/取材:京田光広/監督補:松岡一史/撮影:関 照男/照明:大西弘憲/録音:高木 創/整音:高木 創/美術:石村嘉孝/美術プロデューサー:坂口大吾/衣装:横山智和/ヘアメイク:野村雅美/持道具:荒木功/装飾:田村正之/編集:安澤優弥/音響効果:荒川きよし/音楽:世武裕子/記録:木本裕美/制作担当:姜勇気/出演:富田望生(金子 灯),伊藤万理華(金子美悠),青木 柚(金子滉一),山之内すず(綾部寿美花),中川わさ美(桃生紀枝),MC NAM(グエン・ヴァン・フォン),田村健太郎(林 洋太),土村 芳(平良 夕),渡辺真起子(富川和泉),山中崇(青山勝智),麻生祐未(金子栄美子),甲本雅裕(金子一雄)/2025年製作/119分/G/日本/配給:太秦/劇場公開日:2025年1月17日 @シネマ・ロサ池袋]←追加

30日(木)19:00「30年の時の深み」細川俊夫 生誕 70 年記念コンサート細川俊夫:独奏ソプラノサクソフォンのための「3つのエッセイ」(2016/2019)/笙とサクソフォン(ソプラノとテナー)のための「明暗」(2020/21)/ソプラノとアルト・サクソフォンのための「3つの愛のうた」(2006)/ソプラノ・サクソフォンとハープのための「弧のうた」(1999/2015)/テナー・サクソフォン、ピアノ、打楽器のための「ヴァーティカル・タイム・スタディ」II (1993/94)//ルチアーノ・ベリオセクエンツァⅦb(1969)//武満徹:ディスタンス(1972)/出演:大石将紀(サクソフォン)宮田まゆみ(笙)吉野直子(ハープ)田口智子(ソプラノ)大宅さおり(ピアノ)葛西友子(パーカッション)/ゲスト出演:小㞍健太(ダンス)白石雪妃(書道)/主催:サクソフォン×邦楽器×現代音楽実行委員会/協力:ゲーテ・インスティトゥート東京/助成:東京都歴史文化財団 アーツカウンシル東京【東京ライブ・ステージ応援助成】、野村財団/協力:野中貿易株式会社、ショット・ミュージック株式会社 @ゲーテ・インスティトゥート東京 ホール

31日(金)N響 #2030定演〈B-2〉ムソルグスキー(リャードフ編):歌劇「ソロチンツィの市」─「序曲」「ゴパック」/バルトーク:ヴァイオリン協奏曲 第2番/ドヴォルザーク交響曲 第8番 ト長調 作品88/指揮:トゥガン・ソヒエフ/ヴァイオリン:郷古 廉サントリーホール

舞台の収穫 2024 rev.

体調が回復した本年は102のステージ(オペラ・バレエ・ダンス・演劇・演奏会)に足を運ぶことができた。特筆すべき公演を挙げてみる(見た順)。

・ゲオルク・カイザー作 五戸真理枝演出『兵卒タナカ』(1940)2/3吉祥寺センター

岡田利規作・演出/セノグラフィー金氏徹平消しゴム山』6/7世田谷パブリックシアター(『リビングルームのメタモルフォーシス』9/21も印象深いが〝打ちのめされた〟度合いは『消しゴム』が優った)

・コツコツプロジェクト3rd 試演会の本公演 船岩祐太翻案・演出『テーバイ』11/8新国立小劇場

イザベル・ファウスト モーツァルト ヴァイオリン協奏曲 全曲演奏会12/10,11オペラシティコンサートホール

ジョナサン・ノット指揮 東響《ばらの騎士》12/13サントリーホール

読んだ本で印象深かったもの。

松下竜一『狼煙を見よ——東アジア反日武装戦線〝狼〟部隊』1986(松下の『豆腐屋の四季』1968、『ルイズ——父に貰いし名は』1982、『久さん伝——あるアナキストの生涯』1983も釣られて読んだ)。

加藤哲郎ゾルゲ事件——覆された神話』(2014)と渡部富哉『偽りの烙印——伊藤律スパイ説の崩壊』1993は木下順二オットーと呼ばれる日本人』再演(5/17)の余熱で読んだが、いずれも文献資料の渉猟と妥協のない現地調査の徹底ぶりに舌を巻いた。

ハン・ガン『少年が来る』井出俊作訳(原作2014/全六章+エピローグ)は久々に〝文学を読んだ〟と感じた。内容と形式が見事に融合し、前者が後者を促したと思わせる。異なる視点で光州事件の被害(死)者の内実を描く各章は、深くリンクし照らし合う。一読後、フォークナーの小説を想起した(手持ちの高橋正雄訳『響きと怒り』は1972年出版。新しい岩波文庫版を注文した)。

新国立劇場演劇『白衛軍』2024

ロシア帝国時代のキーウで生まれたブルガーコフ原作の翻案英語版『白衛軍』の5日目を観た(12月7日 土曜 13:00/新国立中劇場)。

日本初演文化庁劇場・音楽堂等における子供舞台芸術鑑賞体験支援事業/作:ミハイル・ブルガーコフ(1891-1940)/英語台本:アンドリュー・アプトン(1966- )/翻訳:小田島創志/演出:上村聡史/美術:乘峯雅寛/照明:佐藤 啓/音楽:国広和毅/音響:加藤 温/衣裳:半田悦子/ヘアメイク:川端富生/演出助手:中嶋彩乃/舞台監督:北条 孝&加瀬幸恵

出演:村井良大 前田亜季 上山竜治 大場泰正 大鷹明良 池岡亮介 石橋徹郎 内田健介 前田一世 小林大介 今國雅彦 山森大輔 西原やすあき 釆澤靖起 駒井健介 武田知久 草彅智文 笹原翔太 松尾 諒

1917年の革命でロシア帝政が崩壊した翌年、ウクライナの首都キーウ(キエフ)で《革命に抗う「白衛軍」、キーウでのソヴィエト政権樹立を目指す「ボリシェビキ」、そしてウクライナ独立を宣言したウクライナ人民共和国勢力「ペトリューラ軍」の三つ巴の戦い》を、白衛軍の主要メンバーが集うトゥルビン家の視点から描く。ドラマは舞台機構を駆使して展開されるが、中劇場ゆえに俳優はPAを付けている。

奥から舞台が手前に移動し、トゥルビン家の居間が現出。青年ニコライ・トゥルビン(村井良大)がギターで歌うシーンから始まるが…笑わそうとする芝居はみな〝臭い〟(後で触れるが必ずしも役者のせいではない)。白衛軍の幹部タリベルク大佐(小林大介)の妻エレーナ(前田亜希)は本作では紅一点。夫の大佐がドイツへ行く直前に危惧した通り、ゲトマン軍の副官(上山竜治)はエレーナに言い寄り…。当時のウクライナの複雑な状況(に起因する人間関係)がこの場ではちょっと分かりにくいか。

ゲトマン軍の司令室の場。白衛軍を支援していたドイツ軍は撤退し、ウクライナ傀儡政権の元首だったゲトマン(采澤靖起)を連れてドイツへ…。

ペトリューラ軍の司令部の場。負傷兵や商人をユダヤ人と決めつけ虐待する。…

学校(体育館)の場。壁際に跳び箱や肋木(登る器具)やロッカー等々。白衛軍の大佐たちが立て籠もっている所へ、アレクセイ・トゥルビン大佐(大場泰正/エレーナや士官候補生ニコライの兄)にペトリューラ軍の優勢とゲトマン逃亡の知らせが届く。大佐は部下に武装解除と撤退を命じるが、アレクサンドル大尉(内田健介)らは従わず、大佐に銃口を向ける(このシークエンスはかつて情報を軽視し大敗を喫した日本軍を想起させる)。ヴィクトル大尉(石橋徹郎)やニコライが必死で説得し、やっとそこから逃げのびる。が、大佐はロッカーに入れた部下たちのリストを取り出し焼却するのに手間取り、敵の攻撃で死ぬ。ニコライは傷を負うが命は助かる。

トゥルビン家の居間。エレーナとラリオン(従兄弟)の居る家へ、ヴィクトル大尉とアレクサンドル大尉が這々の体で辿り着く。/その前に?レオニード副官が来訪。…深手を負ったニコライも帰宅する。…兄の戦死を知るエレーナ…。

舞台が回転し、学校の体育館に多くの遺体と灯明が並べられ、用務員が百合の花を供える…。

トゥルビン家の居間。クリスマスツリーの飾りを片付けるエレーナとラリオン。タリベルク大佐の帰宅…。終わり近くで『三人姉妹』【『ワーニャ伯父さん』? どういうセリフだったか忘れた】終幕のセリフが引用される。…

当時の史的な状況がやや複雑で、それをよく知らないと分かりにくいか。

いくつか疑問がある。

ブルガーコフのロシア語小説『白衛軍』(1924)と、それを本人が戯曲化した『トゥルビン家の日々』(1926)をオーストリア人劇作家アンドリュー・アプトンが翻案しイギリスで上演した舞台に感銘を受けた上村氏が、今回、その英語版『白衛軍』(2010)を和訳(小田島創志訳)した台本で上演した。ブルガーコフの原作は小説・戯曲とも邦訳があるらしい。にもかかわらず、なぜ14年前の英語版を使ったのか。ロシアのウクライナ侵攻からすでに2年半経過している。2024年の上演に相応しい新たな翻案の作成も可能だったはず。簡単ではないとしても、船岩裕太による見事な翻案・演出の『テーバイ』を直前に観ただけに尚更そう思った。

なぜ演劇では満足度の高くない中劇場を使ったのか。ここはキャパの大きさやマイクの使用等から、舞台と観客との相互波動が起きにくく親密な演劇体験が損なわれやすい。今回ダイナミックな舞台機構を駆使してはいたが、その演劇的必然性はどの程度あったか(たとえば新国立開場公演『紙屋町さくらホテル』のような)。

トゥルビン家の日常を描く(本来は)コミカルな遣り取りは、後のシリアスな場面との対照性を際立たせる狙いだろう。小劇場なら功を奏したかもしれないが、舞台と客席が離れた中劇場だと(ミュージカルならともかく演劇では)たんなる〝臭い芝居〟に見えてしまい、冒頭で帰りたくなった。

新国立劇場は、原作を英米人が英語に翻訳・翻案した台本(の翻訳)に依存すぎだと思う。なぜ原作から(直接)訳した、または、みずから翻案したものではなく、二重に媒介された台本で上演するのか。そこに演劇的な理由はあるのだろうか。船岩祐太の『テーバイ』は〝国立〟(National)の名を冠した劇場で上演するに相応しい作品だった。

イザベル・ファウスト モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲 全曲演奏会 2024

イザベル・ファウスト モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲 全曲演奏会」を聴いた(12月10日 火曜 19:00,11日 水曜 19:00/東京オペラシティコンサートホール:タケミツ メモリアル)。共演したのは指揮:ジョヴァンニ・アントニーニ管弦楽イル・ジャルディーノ・アルモニコ

この公演は2021年11月の予定がコロナ禍で延期になり、今回やっと実現。バロックから現代曲まで、優れた音楽的解釈で見事に弾きこなすファウストモーツァルトにどう向き合うか興味津々だった。が、期待に違わぬ素晴らしい演奏会となった。以下、簡単にメモする。

10日 モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第1番 変ロ長調 K207/モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第3番 ト長調 K216/モーツァルト:セレナーデ第13番 ト長調 K525《アイネ・クライネ・ナハトムジーク》/モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第4番 ニ長調 K218

ファウストは日本の着物柄を思わせる衣裳で、6月のN響共演時より若々しく見えた。19〜20歳のモーツァルト作品を演奏すると、自然にそうなるのか。

協奏曲第1番 ファウストはオケや指揮者と対話しながら実に楽しそうに弾く。一音たりとも機械的な音はない。すべてに生(息)を吹き込み、弾んだ音楽が生まれていく。3楽章のプレストなどインプロみたいだ。カデンツァはおもしろい。あのかすれ音。

協奏曲第3番 ジャズのセッションみたい。3楽章は途中の変化が面白い。終わり方の唐突さも。フラウト・トラヴェルソBCJの例の二人がゲスト出演した。

ファウスト不在のアイネ・クライネ・ナハトムジークは、わりあい無色の印象。

協奏曲第4番 実に華やかだった。

[アンコール]

ディヴェルティメント 3楽章 ソロはもちろんないがファウストは一緒に弾く。すると色が付くから不思議。

②冒頭に演奏した協奏曲第1番 3楽章 プレスト カデンツァなしだが、変わらず楽しそうなファウスト

11日 モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第2番 ニ長調 K211/グルックバレエ音楽ドン・ファン》より/モーツァルト:ロンド ハ長調 K373/モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第5番 イ長調 K219《トルコ風》

昨日もそうだが、どの曲も初めて聴くような感触。〝いわゆる〟は一切ない。その場で音楽が生成される。その場限りで、いまここで、最高の音楽が生まれては消えていく。なんと贅沢な時空だろう!

ファウストは本当に面白がって、モーツァルトが乗り移ったみたいに弾いている。

協奏曲第2番 第2楽章アンダンテの弱音。聴いていると、スーッとからだがもっていかれそうになる。ファウストの、奏者たちの呼吸にスーッとこちらも同調する感じ。それがなんとも心地よい。

グルックバレエ音楽ドン・ジュアンあるいは石の宴》全曲 各シーンが頭に浮かぶ。面白い。モーツァルトの《ドン・ジョヴァンニ》は影響されてるな。

ロンド ハ短調 初め短調の部分が結構あった。それがなぜか新鮮。

協奏曲第5番 3楽章はこんな曲だったのか! が、最後は右バルコニーから残念なブラボーが…。

[アンコール]

①6月のN響定期(B-2)で弾いた曲。そのとき初めて聴いたが、ちょっとビーバーのような、歌謡的かつ舞踊的で、宗教的感触もあったか。 曲名はニコラ・マッテイス Sr(父)のヴァイオリンのためのエア集より「パッサッジョ・ロット」やはり素晴らしい。最後ファウストは弓をなかなか弦から降ろさなかった。たぶん、あの残念ブラボーへの〝教育的指導〟だろう。

ハイドンのシンフォニー第44番 ホ短調《悲しみ》より第4楽章 合奏を実に楽しそうに弾くファウスト

こんなに楽しく喜びに溢れ、かつ質の高いコンサートはちょっと記憶にない。

今回、音楽はフレージングが生命(息)なのだと納得した。演劇もたぶん踊り(バレエ)も同じ。フレージングを、演劇のセリフ同様、自然な息継ぎで息を吹き込みおこなうことがいかに重要か。

新国立劇場オペラ 新制作《ウィリアム・テル》2024

ジョアキーノ・ロッシーニウィリアム・テル/ギョーム・テル》2日目を観た(11月23日 土祝 14:00/新国立劇場オペラハウス)。以下、当日の印象を手短にメモする。

[新制作]全4幕〈フランス語上演/日本語及び英語字幕付〉令和6年度(第79回)文化庁芸術祭主催公演

指揮:大野和士/演出・美術・衣裳:ヤニス・コッコス/アーティスティック・コラボレーター:アンヌ・ブランカール/照明:ヴィニチオ・ケリ/映像:エリック・デュラント/振付:ナタリー・ヴァン・パリス/舞台監督:髙橋尚史

[キャスト]ギヨーム・テル(ウィリアム・テル):ゲジム・ミシュケタ/アルノルド・メルクタール:ルネ・バルベラ/ヴァルテル・フュルスト:須藤慎吾/メルクタール:田中大揮/ジェミ:安井陽子/ジェスレル:妻屋秀和/ロドルフ:村上敏明/リュオディ:山本康寛/ルートルド:成田博之/マティルド:オルガ・ペレチャッコ/エドヴィージュ:齊藤純子/狩人:佐藤勝司

合唱:新国立劇場合唱団/管弦楽東京フィルハーモニー交響楽団

序曲 オケは少々あらが目立つ。2日目なのに…。チェロはまずまずか。フルートも悪くないが少しぎこちない点も。クラリネットが…。中音の金管がひとりフライング? カーテンに映し出されるイメージは夜の雲のような、心の情動のような、やがて森になり…

第1幕 ダンス(ナタリー・ヴァン・パリス振付)は民族舞踊ではないし、妙に〝現代的〟なスタイルの無さに違和感を覚えた。

第2幕 マティルド(オルガ・ペレチャッコ)とアルノルド(ルネ・バルベラ)のデュエットはよかった。アルノルドが父の死を知ったあとの苦悩も。その後のシークエンスはただただ長い、音楽がもっと…退屈。

第3幕 チェロのソロは太響き。

第4幕 悲しみに暮れるアルノルドのソロは素晴らしい。例によって高音も楽々。エドヴィージュ(齊藤純子)とジェミ(安井陽子)とマティルドの三重唱はよかった。そしてグッとくる終曲。後半にマティルドが小高い奥のカミテから登場、打ちひしがれてシモテへゆっくり歩く。その背後の壁に破壊された建物の映像が。キーウやガザを想起せずにはいない。ラストはマティルドも合わせて歌った。ペレチャッコはロシア人だ。

今回大野の指揮は、ロッシーニスタイルでなく、ベルディやワーグナーにかなり寄っている(寄りすぎか)。後者に繋がるロッシーニ最後のセリアとはいえ、全体的に重苦しく暗い。彼の健康状態が影響したのか。

タイトルロールのゲジム・ミシュタケはタフな歌手。歌唱も演技もよい。アルノルドのルネ・バラバラはテル役と姿形が似すぎている以外は、よいと思う(好みの声ではないが)。マティルドのオルガ・ペレチャッコはロッシーニ向きでないが、姿形がよい(ルチアの時も声・発声に違和感が)。ルチア時より声が重くなった。

ジェミの安井陽子は今回最も印象的。まさに少年に見える素晴らしい演技。歌もよい。ジェスレルの妻屋秀和は、シリアスであるべき時コミカルに見える。リュオディの山本康寛は舞台そでで舟歌を歌ったが、最もロッシーニ的で素晴らしい。エドヴィージェの齊藤純子は背が高く、対他的な演技がよい。

14年前ゼッダが東フィルを振ったハイライト版(オーチャードホール)では心が躍った記憶がある。今回はちょっと…。ぜひロッシーニを愛する指揮者で再演して欲しい。

ケダゴロ『代が君・ベロベロ・ケルベロス』2024

ケダゴロの『代が君・ベロベロ・ケルベロス』3日目マチネを見た(8月24日 土 14:00/シアタートラム)。

ケダゴロは初めて。〝逆撫で感〟はかつての黒田育代を連想しないでもなかったが、あれはもっとスタイリッシュだったか。〝過激さ〟は市原佐都子? あり方はだいぶ違うけど。以下、簡単なメモ。ただ時系列はかなりあやしい。

振付・構成・演出:下島礼紗/出演:木頃あかね 小泉沙織 中澤亜紀 下島礼紗(以上、ケダゴロ)鹿野祥平(東京乾電池) 岸本茉夕 佐藤冴太郎 おかだゆみ あいま采乃 阪田小波 篠原陽 金指喜春/主催:ケダゴロ/提携:公益財団法人せたがや文化財団 世田谷パブリックシアター/後援:世田谷区/助成:公益財団法人セゾン文化財団、芸術文化振興基金、公益財団法人東京都歴史文化財団 アーツカウンシル東京[東京芸術文化創造発信助成]/作品制作協力:世田谷パブリックシアター

開演前、空色のふわふわスカートドレスにティアラを冠した女がシモテの地べたに座っている。その前には洗濯籠。スタッフに耳打ちされ、籠から紙切れを取り出し、スタンドマイクで上演時の注意アナウンス。開演すると、女は籠からさらし木綿3枚を取り出し、1枚ずつバトン(横棒)に取り付け「国歌斉唱」を宣す。「君が代」が流れるなか紐をゆっくり引くと、同じ高さに吊された3枚が掲揚され、照明で「赤」が入った。三つの日の丸。下方には大きな桶のような暗赤色の輪が3つ並んでる。文脈から五輪の上半分にも見えるが、質感は北斎富嶽三十六景「桶屋の富士」に近い(尾州不二見原 びしゅうふじみがばら)。移動式の回し車に人が入り走って回す、リスのように。というより、急かされるように休みなく回り続ける独楽鼠か。三人の女は色違いのふわふわドレス。他の女はみな体育着のブルマー姿。3人の男は褌。音楽は、初めは謡もどきから、読経もどきへ、そこにブラスの響きが加わり、ショスタコーヴィチのシンフォニーのような趣きも。匍匐前進は戦争を模したのか、「兵隊蟻蟻」? 頭部と胴体を切り分ける手品のシークエンスで「オリーブの首飾り」が流される…。…三人の男は褌を外し、三人の女はドレスを脱ぎ、降りてきたバトンから三枚の木綿を外し、代わりに脱いだドレスを吊るし、掲揚。ドレスを脱いだ女は男の褌を鉢巻きにして頭に巻き付ける。裸の三人男は、バトンから外した木綿で急所を巧みに隠しつつ、互いに絡みながら踊る。(このあたりでシモテ側の客が一人帰った。)その後、女が男のそこに二個の鈴を付け、赤紙を垂らす。…男が女を危ういかたちで支えながらの騎馬戦で帽子を奪い合う。…ダンサーの変顔は歌舞伎の「見得切」か。…

ラストで三つの樽の中、前方でみなクルクル回る。掛け声で反対周りに。やがて三つの樽の周りをまわりはじめ、限界が来たら後方に倒れ込む。樽の中はまだ回ってる…正面の1人が残り、スピードを増しやがて果てる。トルコの旋舞舞踊を想起するが、むろんあの宗教性はない。むしろトワイラ・サープの『イン・ジ・アッパー・ルーム』に似た体感があった(『ダイナミック ダンス! Bintley's Choice』新国立中劇場2013)。サープの方はフィリップ・グラスのミニマルミュージックの効果もあり意識と無意識の境界が曖昧になる感じだが、無音のこちらは、限界まで追い込む体育会系のトレーニングに近いか。ここで拍手した人もそう感じたのだろう。

「国体」といえば天皇制だが、創り手にはこう見えるのか。これがあの「時代」(中島みゆき)なのか。なるほど。訳わかんないグロテスクなごた混ぜもたしかに日本だな。…

最前列のシモテに母とおめかしした小さな娘さんが座っていたが、この内容で大丈夫だったのか…ちょっと心配。

神奈川県民ホール 開館50周年記念 オペラシリーズVol. 2 シャリーノ《ローエングリン》2024

シャリーノ作曲《ローエングリン》+《⽡礫のある⾵景》初日を観た(聴い)た(10月5日 土曜 17:00/神奈川県民ホール 大ホール)。簡単にメモする。

《⽡礫のある⾵景》(2022年)[⽇本初演]初演:2022 年11 月3 日 ヴィリニュス(リトアニア

ローエングリン》(1982-84年)[⽇本初演]⽇本語訳上演*⼀部原語上演:原作:ジュール・ラフォルグ/音楽・台本:サルヴァトーレ・シャリーノ/初演:1984年9⽉15⽇カタンツァーロ(イタリア)(初版初演:ミラノ1983年1⽉15⽇)/修辞:大崎 清夏/演出・美術:吉開 菜央・山崎 阿弥

指揮:杉山洋一/エルザ役:橋本 愛/演奏(○=「ローエングリン」◇=「瓦礫のある風景」:成田達輝 ○◇(ヴァイオリン/コンサートマスター)、百留敬雄 ○(ヴァイオリン)、東条 慧 ○(ヴィオラ)、笹沼 樹 ○◇(チェロ)、加藤雄太 ○◇(コントラバス)、齋藤志野 ○◇(フルート)、山本 英 ○(フルート)、鷹栖美恵子 ○◇(オーボエ)、田中香織 ○◇(クラリネット)、マルコス・ペレス・ミランダ ○(クラリネット)、鈴木一成 ○(ファゴット)、岡野公孝 ○(ファゴット)、福川伸陽 ○(ホルン)、守岡未央 ○(トランペット)、古賀 光 ○(トロンボーン)、新野将之 ○◇(打楽器)、金沢青児 ○(テノール)、松平 敬 ○(バリトン)、新見準平 ○(バス)、山田剛史 ◇(ピアノ)、藤元高輝 ◇(ギター)

振付:柿崎麻莉子/照明:高田政義/音響:菊地 徹/衣裳:幾左田千佳/副指揮:矢野雄太/音楽アシスタント:小松 桃、市橋杏子、眞壁謙太郎/演出助手:田丸一宏/スタイリング:清水奈緒美/ヘアメイク:石川ひろ子/舞台監督:山貫理恵/ステージマネージャー:杉浦友彦/プロダクションマネージャー:大平久美/制作:神奈川県民ホール、山根 郎、坂元恵

ローエングリン

あまちゃん』(2013)に出ていたあの橋本愛がここまでやれるとは!

大きめのチュチュで白鳥のコスチュームに素足。薄い紗のカーテン。後ろ向きで立ち、やがてこちらを向き、土俵より大きめの円形池(鏡)のなかへ(水が浅めに溜めてある)。その池が背後のカーテンに反射すると、水紋の動きが美しい。まるで月が輝いているかのよう。

橋本エルザは、はじめ息を吐く音…鳥の鳴き声のような喚声…センテンスを早口コトバでグリッサンドのように上昇音型でまくし立てる。何度も。見事。手の動きもよい。彼女の声に楽器群が音を添えたり、エコーのように応じたり…。

中間部は橋本の一人舞台。原作ラフォルグ「パルシファルの子、ロオヘングリン」(1886/吉田健一訳)のエルザ(地の文)とローエングリンを、すべて一人で演じる。途中、カーテンの向こうにベッドが見える。初夜のベッドかと思いきや、精神病院の病室ベッドらしい。すべては少女(まだ18歳にもならない)の〝妄想〟なのだろう。

途中でチュチュを脱ぎ捨てる。ラストはベッドへ赴き、枕を取り、また池の中へ。枕を抱いたまま童謡を歌う。その枕は空中へ上がっていく。暗転。

後半で上から肌色の羽毛でできた釣鐘のような物体が降りてきて、やがてまた上へ…。あれは何だったのか。羽毛のような材質からすると白鳥の胴体のようでもあるし、形状からは「道成寺」の鐘のようでもある。娘を裏切った山伏が鐘の中へ逃げ込む話は、ローエングリンが巫女のエルザから白鳥(枕)に乗って逃げ出す本作と似ていなくもない。もちろんエルザの方は大蛇となって隠れた男を焼き殺したりしないが、同等のパトスを橋本エルザの歌唱と演技に感じた。

演出・声のそれ・美術(吉開 菜央・山崎 阿弥)、動き(振付 柿崎麻莉子)、言葉/修辞(大崎 清夏)みなとてもよい。演奏もsure(指揮 杉山洋一)。何より橋本愛の才能に驚かされた。

少女の騎士(王子)願望。その騎士(ローエングリン)が〝典型的〟な女性(ふくよかな腰)を望むが、痩せた硬い腰の持ち主の自分は拒絶され…。これがすべて少女のモノローグとして語られ歌われる。ヴァーグナー版(1850)との落差も含め、とても面白い。

たまたま翌日ベッリーニ夢遊病の女》(1831)を見たが、ドニゼッティ《ルチア》(1835)も含め、コロラトゥーラと同等のものを、橋本エルザの超絶発声に感じた。なるほど、アミーナやルチアの歌唱を現代化するとこうなるのかと。

前半の《⽡礫のある⾵景》は25分ほどの曲だが、ロシアのウクライナ侵攻が念頭にあるらしい。最初、空調の音が気になった。効果音かと…。