新日本フィル #609 定演 /ブルックナー#7/希望としての歌

新日本フィル #609 定演 ジェイド〈サントリーホール・シリーズ〉を聴いた(9月5日 19:00/サントリーホール)。指揮は上岡敏之コンサートマスターは崔文洙。遅まきながら、ごく簡単にメモする。

フランツ・シューベルト(1797-1828):交響曲第4番 ハ短調 D417「悲劇的」

〝 歌の人〟シューベルトの19歳の作品。こぢんまりしたきれいな音楽、あるいはそのような演奏だった。

アントン・ブルックナー(1824-96):交響曲第7番 ホ長調 WAB 107(ハース版)

 初めて聞くような感じ。シューベルトと地続きで、どのパートも自然に歌っている印象だ。終演後、電車内で音楽監督の「2019/2020 SEASON MESSSAGE」を見たら、歌と人間との本質的な関係に言及し、争いの絶えない世界にあって、歌に希望を見出したい旨が綴られていた(プログラム)。なるほど。

第一楽章の地上と天上を往還するようなテーマはとても伸びやかで自然。第二楽章はワーグナーへの追悼(葬送)音楽として有名だが、短調長調いずれのテーマも実によく歌っていた。とりわけ長調の主題はとても懐かしく美しい。 故人との交わりを、あれは天国だったのかと追慕しているような印象だ*1。二つの主題をうねるように何度も繰り返し、やがて頂点を極める。が、どこまでも自然でふっくらとしていた(シンバルやトライアングルを加えずティンパニのみの選択は説得的)。決して咆哮し威圧することはない。そもそも歌では威圧できない。終楽章の開始テーマでヴァイオリンは指揮者から生を吹き込まれ、飛び跳ねるように歌う(崔!)。ラストですべて音が鳴りやみ、完全に消えていくまで美しい沈黙が保たれた。客席は満杯ではなかったが、本当に耳を傾ける人だけが来ていたようだ。こうでなくては。

いたるところで分断や争いが絶えない現在、上岡敏之新日本フィルは、音楽家として、歌うことの素晴らしさ、人間に本来そなわっている歌心を、身をもって示した。ヒットラーが自殺したあとドイツのラジオ放送はこのアダージョワーグナーの《神々の黄昏》から「ジークフリートの死」を終日流したという。演奏は総統お気に入りのフルトヴェングラーが指揮するベルリンフィル。「英雄の死」を印象付けるためだろう。が、この日の演奏は「英雄の死」からはるかに遠い、どこまでも人間的な音楽だった。

*1:E. Dickinsonの詩の一節を思い出す、「別れは天国について我々が知っているすべてであり、/地獄について知らねばならぬすべてである」。

9月のフィールドワーク予定 2019【追記】

スウェーデン王立劇場の来日公演でベルイマンが『ハムレット』『サド公爵夫人』を演出したのは昭和が終わる頃だったか(東京グローブ座)。どちらも印象深いが、とりわけ後者はミリ単位の演出に舌を巻いた。その彼が書いたドラマとあれば、見ないという選択肢はない。iaku(大阪)を知った昨春以来、東京公演はなるべく見逃さないようにしている。《ランスへの旅》では、ゼッダ氏の薫陶を受けたアーティストたちがどんなロッシーニを聴かせてくれるか。楽しみだ。

1日(日)19:00 地人会新社『リハーサルのあとで』作:イングマール・ベルイマン/翻訳:岩切正一郎/演出:栗山民也/美術:長田佳代子/照明:沢田祐二/衣裳:西原梨恵/音響:井上正弘/ヘアメイク:鎌田直樹/演出助手:坪井彰宏/舞台監督:福本伸生・小川亘/製作/渡辺江美/[キャスト]ラーケル:一路真輝/アンナ:森川由樹/ヘンリック:榎木孝明 @新国立小劇場

【3日(火)「塩田千春展:魂がふるえる」森美術館←追記

【3日(火)没後90年記念 岸田劉生展」東京ステーションギャラリー←追記

5日(木)19:00 新日本フィル #609 定演 ジェイド〈サントリーホール・シリーズ〉シューベルト交響曲第4番ハ短調D417 「悲劇的」ブルックナー交響曲第7番ホ長調WAB 107指揮:上岡敏之すみだトリフォニーホール

6日(金)14:00 藤原歌劇団公演(共催:新国立劇場東京二期会)ロッシーニ作曲《ランスヘの旅》ドランマ・ジョコーゾ全1幕〈字幕付き原語上演〉総監督:折江忠道/指揮:園田隆一郎/演出:松本重孝//コリンナ:光岡暁恵/メリベーア侯爵夫人:富岡明子/フォルヴィル伯爵夫人:横前奈緒/コルテーゼ夫人:坂口裕子/騎士ベルフィオーレ:糸賀修平/リーベンスコフ伯爵:山本康寛/シドニー卿:小野寺光/ドン・プロフォンド:押川浩士/トロンボノク男爵:折江忠道/ドン・アルヴァーロ:上江隼人/ドン・プルデンツィオ:田島達也/ドン・ルイジーノ:曽我雄一/デリア:中井奈穂/マッダレーナ:高橋未来子/モデスティーナ:田代直子/ゼフィリーノ:有本康人/アントーニオ:田村洋貴/合唱:藤原歌劇団合唱部/新国立劇場合唱団/二期会合唱団/管弦楽東京フィルハーモニー交響楽団新国立劇場オペラパレス

7日(土)14:00 藤原歌劇団公演《ランスヘの旅》コリンナ:砂川涼子/メリベーア侯爵夫人:中島郁子/フォルヴィル伯爵夫人:佐藤美枝子/コルテーゼ夫人:山口佳子/騎士ベルフィオーレ:中井亮一/リーベンスコフ伯爵:小堀勇介/シドニー卿:伊藤貴之/ドン・プロフォンド:久保田真澄/トロンボノク男爵:谷 友博/ドン・アルヴァーロ:須藤慎吾/ドン・プルデンツィオ:三浦克次/ドン・ルイジーノ:井出 司/デリア:楠野麻衣/マッダレーナ:牧野真由美/モデスティーナ:丸尾有香/ゼフィリーノ:山内政幸/アントーニオ:岡野 守 @新国立劇場オペラパレス

13日(金)18:00 銕仙会 9月定演 能「通小町 雨夜之伝」観世清和狂言「栗焼」野村万作能「海士 懐中之舞」西村高夫 @宝生能楽堂

14日(土)14:00 iaku 新作公演『あつい胸さわぎ』作・演出:横山拓也/出演:辻凪子 枝元萌(ハイリンド) 田中亨(劇団Patch) 橋爪未萠里(劇団赤鬼) 瓜生和成(小松台東)@こまばアゴラ劇場

20日(金)19:15 新日本フィル #610 トパーズ〈トリフォニー・シリーズ〉シューベルト:劇音楽『キプロスの女王ロザムンデ』D797より序曲、間奏曲第3番、バレエ音楽第1番、バレエ音楽第2番/メンデルスゾーン交響曲第2番変ロ長調op. 52「讃歌」*/指揮:ポール・マクリーシュ/ソプラノ:馬原裕子*/ソプラノ:相田麻純*/テノール清水徹太郎*/栗友会合唱団/合唱指揮:栗山文昭すみだトリフォニーホール

22日(日)15:00 BCJ #134 定演〈狩のカンタータ〉J. S. バッハ:協奏曲イ短調BWV 593 (ヴィヴァルディ《調和の霊感》第8番に基づく)*/結婚カンタータ《主は私たちを御心に留め》BWV196結婚カンタータ《消えるのです悲しみの影よ》BWV 202ブランデンブルク協奏曲第1番へ長調BWV 1046(初期稿)より第1楽章狩のカンタータ《楽しき狩こそわが悦び!》BWV 208指揮:鈴木雅明/ソプラノ:ジョアン・ラン、ソフィー・ユンカー/アルト:青木洋也/テノール:ザッカリー・ワイルダー/バス:ドミニク・ヴェルナー/オルガン:鈴木優人*/管弦楽バッハ・コレギウム・ジャパン東京オペラシティコンサートホール:タケミツメモリアル

 

DULL-COLORED POP 福島三部作・第三部『2011年:語られたがる言葉たち』

福島三部作 第三部『2011年:語られたがる言葉たち』二日目マチネを観た(8月15日 14:00/東京芸術劇場 シアターイースト)。

作・演出:谷 賢一/美術:土岐研一/照明:松本大介/音響:佐藤こうじ/衣裳:友好まり子/舞台監督:竹井祐樹/演出助手:美波利奈/宣伝美術:ウザワリカ/制作助手:柿木初美・德永のぞみ・竹内桃子(大阪公演)/制作:小野塚央

 第一部(昨年)と第二部の感想はここ。第三部は、演劇について、あるいは危機と表現(表象)の問題について、いろいろと考えさせられた。以下、正直な感想をだらだらと書いてみる。

第三部は、舞台のあちこちに倒れた家具や調度等が散乱している。シモテ奥にはベッドがあり、パジャマ姿の老人が横たわる。カミテ上方に夥しい電球の吊された塊が見えるのは、第二部と同じ。

穂積 真(53歳・穂積家三男・TV-U福島 報道局長):井上裕朗*

塩崎将暉(45歳・TV-U福島 報道局ナンバー2):平吹敦史

不破修二(30歳・TV-U福島 報道局勤務):ホリユウキ*

小田真理(25歳・TV-U福島 報道局勤務):柴田美波(文学座

荒島 武(35歳・双葉町出身・元荒物屋・足が悪い):東谷英人*

飯島佳織(25歳・富岡町出身・妊娠三ヶ月):佐藤千夏*

飯島貴彦(30歳・富岡町出身・元教師):森 準人

宮永壮一(45歳・飯舘村出身・元牛の肥育農業・現在酒浸り):大原研二*

宮永美月(17歳・飯舘村出身・福島県放射能汚染をネットで発信):春名風花

高坂美穂(20歳・浪江町出身・地元でアルバイト):有田あん(劇団鹿殺し

老人(69歳・穂積 忠?):山本 亘

美弥(69歳・その妻):都築香弥子

幻の人(19歳と44歳と69歳を行き来・老人の見る幻):渡邊りょう

 * DULL-COLORED POP

開演時間。客席の両側ドアから黒いコート姿の数人が談笑しながら登場。突然、轟音が響き、照明が落ちる。音はどんどん増大し臨界点を超えていくかのよう。地震津波を知らせるアナウンサーの声。老人がなにか叫んだか。恐怖におののく人々。東日本大震災原発事故の衝撃的な再現だ。

重低音の大音量は正直苦手。鼓動が速くなる。ダムタイプの『memorandum』(2000年/新国立小劇場)やビントリーの『E=mc²』(2013年/新国立劇場オペラハウス)では思わず耳を塞いだ。後者の「マンハッタン計画」では原子爆弾の炸裂音を模していたか。

やがて、黒い服を着た人々が客席に向かって次々に訴える。「私は死にたくなかった!」「私たちは死にたくなかった!」「私は魚に食べられたくなかった!」「私は水で腐りたくなかった!」「私には家族がいた!」「私には夢があった!」「私たちは帰りたかった!」「私たちは見つけて欲しかった!」

この場面で、ジェシカ・ラングが新国立劇場バレエ団に振り付けた『暗やみから解き放たれて』(2013/2016)を想起した。同作は(私見では)大津波で波に浚われ死にゆく人々が、〝暗やみから解き放たれて〟光の世界へと旅立つさまを描いている。「救い」が感じられるダンス作品だ。

舞台では、地元のテレビ局員らが議論をたたかわすミーティング場面や、局員らが福島の人々を取材し報道する場面と、ベッドの老人(元町長の忠)が幻を見たり、妻や見舞いに来た真(弟)らとの遣り取りなどが、コラージュ的に描かれる。冒頭の大地震原発事故の場面は、老人のフラッシュバックかも知れない。

震災・原発事故の被害を受けた/受けつつある人々(荒島、飯島夫妻、宮永父娘、高坂)は、互いにいがみ合ったり、苦しい胸の内を口にしたりする。これらの言動は、設定上は、局員のインタビュー(取材)やテレビカメラを介した間接的なものである。だが、俳優たちの演技は、当然ながら、観客席に向けられる。その怒りや叫びは、直接、われわれに目がけて発射されるのだ。しかも、叫び続ける彼/彼女らの発話と動きに、様式性はない(つかこうへいの舞台を想起するような)。むしろ、生で未加工な印象さえ受ける。この点を含め、第一部・第二部とは演劇的な感触がまったく違った。

テレビの局員たちは取材や報道のあり方で何度も対立する。認知症気味の元町長(山本亘)は、弟の真(局長)らが見舞いや取材に来ても、原発事故については何も語らない。そのまま向こうの世界へ旅立っていく(幻の人が介添えし去る)。元町長の沈黙は戦場経験者の戦後を想起させた。「福島に自信と誇りを取り戻す」報道が信条の真(井上裕朗)は、結局、定年前にテレビ局を辞め、浪江町の職員に転職する。信条を貫くためだ。

たしかに被災者たちの生(なま)の叫びは、人の心を動かす。最初は話すのを拒んでいた荒島(東谷武)も、幕切れ近くでみずから口を開く。妻と娘を津波で失った経緯を語る彼の言葉は、とりわけ観客席の涙を誘った。

だが、それでも演劇としては物足りない。こうした話を伝えるなら、それこそテレビのドキュメンタリーの方が向いている。演劇はフィクション(虚構)だ。本作もむろんフィクションだが、 第一部・第二部で見られた演劇的趣向(パペットや歌と踊りによる異化効果等々)が影を潜めている。なぜなのか。その理由はプログラムに見出せる。

2016年に作者は自転車で福島県中通りから浜通りまで現地取材した。「絶対に自分から震災/原発の話はしない」と決めて。ところが、みな自然に愚痴や怒りをこぼしてきたという。つまり、被災者役の俳優たちが発したのは、作者が現地で聞き取った「語られたがる言葉たち」であった。作者にすれば、そんな貴重な生の言葉(事実)を、演劇(虚構)の仕掛けのために、加工したり、異化することは憚られたのかも知れない。

ロビーに平積みされた『Alios paper vol. 67』(いわき芸術文化交流館アリオス/2019.6.5)に、作者と平田オリザの対談「ここに立つ覚悟」が載っていた。平田は「隣に当事者がいても(その演劇を)一緒に観られるか」を基準に書いているという。平田の『ソウル市民』(三部作)には、支配する側の日本人がされる側の朝鮮人(当時)に差別的な言葉を発する場面がけっこうある。それを韓国で上演するのは、たしかに「非常に怖いし、勇気のいること」だ。が、「表現者は他者を傷つけるリスクを超えて[、]でも表現しなくてはならない」「そこを超えていかないと表現は成り立たない」。さらに平田はこうもいう、「劇作家は、地元出身であろうがなかろうが、言葉にするという仕事をするにあたっては他者です。なので、できるだけ遠くから、月からぐらいの距離から、できるだけ解像度の高い顕微鏡でものを見る必要がある」と。

「月からぐらいの距離から」という言葉は、チェルフィッチュの『現在地』(2012)を思い出させる。「放射性物質の影響を気にして九州に移住した」岡田利規が、同調圧の問題を実体験から戯曲化したものだ。舞台では壁に空や地球が変化していく映像を映すことで、自らの体験を相対化し、普遍化しようとした。同じ3.11の主題でも、今回の三部作とは真逆の selfish(chelfitsch)な視点から創作したものだ。『地面と床』(2013)『部屋に流れる時間の旅』(2016)と合わせて岡田の3.11三部作といってもよい。

先の対談によれば、福島三部作の作者が原発問題を作品化したきっかけは「使命感」だという。震災の4年前チェルノブイリに取材した作品(セシウムベリー・ジャム)を創作・上演したが、当事者意識が欠けていたと。さらに「父親が原発に出入りしていた技術者だったということで、半ば自分が犯罪を犯したかのような気持ちにすらなっ」たとも。先に平田が「他者」と「距離」の問題を持ち出したのは、こうした作者の当事者意識や加害者意識への言及を受けたものだ。

原発事故の前史を扱う第一部・第二部は、「月からぐらいの距離」はともかく、「他者」として一定の距離感をもって創作しえていたと思われる。重いテーマにもかかわらず、ふんだんに笑いが起きた事実等がそれを証ししている。が、地震原発事故を扱う第三部ではどうか。むしろ、当事者(被災者)に寄り添いすぎではないか(「胡散臭い」平田や selfish な岡田に比べ、この作者は優しすぎるのか)。「語られたがる言葉たち」を神聖視して演劇的なディヴァイスを控えた結果、泣かせる態の芝居に近づいていないか。テレビ局の取材を介在させる趣向も、「言葉たち」に手を付けず発話させる方便ではないか。それとも、倫理的観点から、演劇性を弱めてでも直接「言葉たち」を伝えることを優先したのか。あるいは、三作を連続して見たら(都合でそれは叶わないが)、また異なった印象になる可能性もあるのだろうか・・・。

 

 

DULL-COLORED POP 福島三部作 第二部『1986年:メビウスの輪』昨年の第一部も少々【+脚注】

福島三部作 第二部『1986年:メビウスの輪』の二日目を観た(8月9日19:00/東京芸術劇場シアターイースト)。

簡単にメモする。が、その前に、昨年7月に観た第一部『1961年:夜に昇る太陽』についても少しだけ。

細部は覚えていないが、こころが強く動いた舞台だった(今回もう一度見たかったが都合で断念)。福島に原発ができた経緯を、双葉町に誘致した1961年を起点に独特のタッチで描いていた。冒頭は主人公の青年が故郷へ帰る汽車の中の場面だったか。そこで青年は『三四郎』ばりに「先生」と出会い、対話する。その後の、子どもの縫いぐるみを使ったドタバタ芝居には少し面食らった。孝と美弥が夜に出会って話す件りは、ペーソスたっぷりで、とても印象的。双葉町に残る娘と、自由を求め故郷を捨てて東京に旅立つ青年。今後の二人はどうなるのか、想像を刺激された(二人の役者は誰?*1 今回は別キャスト?)。声をはり上げた福島弁は笑いと共に田舎(双葉町)の純情を喚起するが、都会から来た東電(先生)がその純情につけ込み、搾取=開発する。その冷徹な「先生」を古屋隆太(青年団)が見事に演じていた。

作・演出:谷 賢一/美術:土岐研一/照明:松本大介/音響:佐藤こうじ/衣裳:友好まり子/舞台監督:竹井祐樹/演出助手:美波利奈/宣伝美術:ウザワリカ/制作助手:柿木初美・德永のぞみ・竹内桃子(大阪公演)/制作:小野塚央

 助成:セゾン文化財団/アーツカウンシル東京(公益財団法人東京都歴史文化財団)、芸術文化振興基金

主催:合同会社DULL-COLORED POP

 第二部。ハイテンションの発話は、正直、苦手だが、さほど不快でなかったから不思議。ちょっとつかこうへいの舞台を想起した。昨年はなかった連想だ。

穂積 忠(元県議・反原発派のリーダー):岸田研二

穂積美弥(忠の妻):木下祐子

穂積 久(忠の息子):宮地洸成(マチルダアパルトマン/DULL-COLORED POP)

穂積モモ(穂積の飼い犬):百花亜希(DULL-COLORED POP)

丸富貞二(双葉町出身の県議):藤川修二(青☆組)

吉岡 要(自民党所属・町議の秘書):古河耕史

徳田秀一(忠の娘の婚約者・東電社員):椎名一浩

 セットは主人公の家の和室で、テーブルに座布団。後半は町長の執務室で中央奥にデスクが、シモテ手前に応接セットがある。幕切れは再び家の和室。カミテ上方に、常時、無数の電球が吊されたモノが見える。京都の十日ゑびすで売っているらしい「人気大よせ」を連想した(赤い傘の下に紙製の人形が沢山吊されているあの縁起物)。電球はもちろん電力を想起させる。衝立に電球をはめ込んだようなパネルも左右両側に立っている。

主人公は元県会議員で原発反対派のリーダーだった穂積忠(岸田研二)。自民党町議の秘書吉岡(古河耕史)は、そんな忠をあえて双葉町の町長選に立候補するよう説得する。当選した忠は、チェルノブイリ原発の事故が起きても、町長として「日本の原発は安全です」と宣言せざるをえない。その苦渋。こうした忠らの本来性から逸脱=頽落せざるをえないありようを、忠の(途中からは)死んだ愛犬モモ(百花亜希)が、ダス・マン(Das Man)ならぬ動物(非人間)の視点から、コロスとして異化し相対化する(モモの口からハイデガーへの言及もあった!)。面白い。幕切れ近くで、突然、赤く隈取りした忠らがスタンドマイクで「日本の原発は安全です!」と歌い踊る。これまたブレヒトばりの異化効果。ラストの和室の場面で、隈取りはそのままの忠が見せる泣き笑いの表情がとてもよい。ちょっと草薙剛を思い出す。忠の苦渋の表情に作品の肝が見て取れた。町の安全を一途に考え反原発を訴えた忠が、町のためにと町長になり、いつのまにか、当初の思いとは裏腹の自分を見出す悲喜劇。こうした苦境に忠らを追い込んだのは何なのか…。

忠役の岸田は方言ネイティブかと思ったが、静岡出身か。いい味出していた。忠の娘(登場せず)の婚約者で東電の社員である徳田の役は椎名一浩。椎名のつんのめった演技には何度も笑った。モモ(の霊魂)を演じた百花はバレエの嗜みがあるのか、トランジション等でアラベスクして回転したりジャンプしたりと浮遊感を出していた。吉岡(古河)は第一部の先生に相当する要の役。古河を見たのは何年ぶりだろう。『長い墓標の列』(2013)以来か。声と演技のレンジがとても広く、改めていい役者だと思った。

第三部は明日のマチネを見る予定。楽しみだ。

*1:今日(8月15日マチネ)第三部を見てきた。その終演後、ロビーで鼻を赤くした若い女性と目が合い、声を掛けられた。見覚えがある。教え子らしい。10年近く前か。「あたし昨年の第一部に出てたんですよ」。えっ? 役はまさか…「美弥です」 なんと、あれは教え子だったのか! まったく分からなかった。あの場面は今でもよく覚えているが。座って少し話す。授業では『エネミイ』と『ヘッダ・ガーブレル』を見に行ったと。あの年か。顔は数回会ったら忘れない自信があったのに。まあ、何年も経ってるし、舞台で役者は化けるからな。それにしても、ブログに「あの役者は誰?」と書いた翌日、本人に劇場でバッタリ会い、しかもそれが教え子だったとは。 

「バレエ・アステラス 2019」

「バレエ・アステラス 2019」の初日を観た(3日18:30/新国立劇場オペラハウス)。

今回は10回目を記念し2回公演となった(見たのは初日のみ)。なかなか見応えのある舞台だった。ごく簡単にメモする。

バレエ・アステラス委員(五十音順):安達悦子(東京シティ・バレエ団理事長・芸術監督)/岡本佳津子(井上バレエ団理事長)/小山久美(スターダンサーズ・バレエ団代表・総監督)/小林紀子小林紀子バレエ・シアター芸術監督)/牧阿佐美(新国立劇場バレエ研修所長)/三谷恭三(牧阿佐美バレヱ団総監督)

指揮:ポール・マーフィー

管弦楽東京フィルハーモニー交響楽団

『ワルツ』音楽:シャルル・グノー 振付:牧阿佐美 出演:新国立劇場バレエ研修所第15期生、第16期生、予科

 よく揃ってはいるが、もっと踊ってほしい。

『ダイアナとアクティオン』音楽:リッカルド・ドリゴ 振付:アグリッピナ・ワガノワ 出演:高森美結&森本亮介(ハンガリー国立バレエ団)

 悪くない。

ラ・シルフィード』第2幕よりパ・ド・ドゥ 音楽:ヘルマン・ルーヴェンシュキョル 振付:オーギュスト・ブルノンヴィル 出演:横山瑠華with ディエゴ・ブッティリオーネジョージア国立バレエ)

 ヴァイオリンとフルートのソロがこの曲のスタイルに乗り切れていない。シルフィードはかたちはよい。ジェイムズはブルノンヴィル・スタイルから遠い。ニーナ・アナニアシヴィリジョージアの芸術監督)はブルノンヴィル(デンマーク)好きのはずだが。

『Take Me With You』音楽:レディオヘッド(録音使用)振付:ロベルト・ボンダラ 出演:海老原由佳with クリストフ・シャボ(ポーランド国立歌劇場バレエ団)

 ダンサーのクラッピングで始まり、やがてドラムとアコースティックギター(?)+ヴォイス(3声?)の音楽(録音)に合わせて踊る。男女とも白シャツに黒の短パン。趣味のよいステージ。悪くない。

『ロメオとジュリエット』より寝室のパ・ド・ドゥ 音楽:セルゲイ・プロコフィエフ 振付:ジョバンニ・ディ・パルマ 出演:石崎双葉with ダービット・モルナー(ハンガリー国立バレエ団)

 振付に時おりアクロバティックなリフトが入るが、場面や音楽と合っているか(全幕を見れば違うのかも)。二日目の「『天地創造』よりパ・ド・ドゥ」(振付:U. ショルツ)を見たかった。

『海賊』第2幕よりパ・ド・ドゥ 音楽:アドルフ・アダン 振付:マリウス・プティパ 出演:直塚美穂with アリシェイ・カリヴァイ(国立モスクワ音楽劇場バレエ)

 女性はよいと思うが、男性が…。

『Notre Chopin』音楽:フレデリック・ショパン(ピアノ協奏曲第1番第2楽章)振付:リアム・スカーレット 出演:影山茉以with マルコ・エスポジト(ポーランド国立歌劇場バレエ団)ピアノ演奏:金子三勇士

〝静かなバレエ〟の印象。緩徐楽章だからか。さほど難しいことをしているわけではないが、効果的。音楽をよく生かしているからだろう。女は動かず男が移動して、また女に近づくシークエンスなど面白い。ゆったりと音楽に耳を傾けながら、二人の動きに注視させる。『Take Me With You』同様、客席から口笛が。ポーランドのサポーター? ここで25分休憩。 

『ヴァリエーションfor 4』音楽:ウィリアム・ウォルトン 振付:三谷恭三 出演:新国立バレエ研修所、井上興紀、石山蓮、小野寺雄(新国立劇場バレエ団ファースト・アーティスト/研修所第7期修了)、山本達史(牧阿佐美バレヱ団/研修所第10期修了)

 面白い振付。二人はゲストだが、あとの二人は研修生か。素質がありそう。

『ラ・バヤデール』第3幕影の王国よりパ・ド・ドゥ 音楽:レオン・ミンクス 振付:マリウス・プティパ 出演:プラウダ・トランフィールド&ベンジャミン・アレキサンダー(カナダ国立バレエ学校)

 若いですね。

『Three Images of Hope』よりデュエット 音楽:オーウェン・パレット(録音使用)振付:ロバート・ビネー 出演:イザベラ・キンチ&マッキンリー・ベイナード(カナダ国立バレエ学校)

 同じく。

『タランテラ』音楽:ルイス・モロー・ゴットシャルク&ハーシー・ケイ 振付:ジョージ・バランシン 出演:宮崎たま子&滝口勝巧(ワシントンバレエ)

 アジリティ! 二人ともガッツとショーマンシップが素晴らしい。ちょっとオシポワ&ワシリーエフの元カップルを思い出した。

『ジゼル』第2幕よりパ・ド・ドゥ 音楽:アドルフ・アダン 振付:ジャン・コラーリ&ジュール・ペロー&マリウス・プティパ 出演:永井綾香(シビウ劇場バレエ団)with ロベルト・エナケ(ブカレスト国立歌劇場バレエ団)

 ヴィオラのトップはオフだったのか。ホルンも? ダンサーは気の毒だが、演目が合っていたのか疑問も。

『グラン・パ・クラシック』よりパ・ド・ドゥ 音楽:フランソワ・オーベール 振付:ヴィクトル・グゾフスキー 出演:菊地桃花with パブロ・オクタビオカールスルーエ州立バレエ団)

 つい応援したくなるような二人。男性は小柄だが誠実で技術も高い。技はもちろん前提だが、その内側がいかに大切か。私の前の観客二人は拍手の仕方から彼の母と兄かも。 とすればブラジルから見に来たのか。

ドン・キホーテ』第3幕より 音楽:レオン・ミンクス 振付:マリウス・プティパ&アレクサンドル・ゴルスキー 改訂振付:アレクセイ・ファジェーチェフ 出演:米沢唯&渡邊峻郁 奥田花純(第1ヴァリエーション)廣川みくり(第2ヴァリエーション) 赤井綾乃 中島春菜 土方萌花 関晶帆 廣田奈々 横山柊子

 米沢唯はここまできたか。とても感慨深い。登場しただけで、磨き抜かれた美しさと風格(アウラ)が際立つ。踊りもこれまで以上に洗練されていた(新たな指導が入っている?との声も)。 数日前まで「子どものためのバレエ『白鳥』」を三回も踊り、数日後には「Last Dance」の二回公演が控える。しかもこの暑さだ。にもかかわらず、米沢はアダージョアラベスク・パンシェの角度!)、ヴァリエーション、グランフェッテ(扇子!)を見事に踊りきった(かつて同劇場のガラ公演でフィリピエワやコジョカルはあまりの暑さにフェッテを中断)。『ことばが劈かれるとき』の著者はさぞ喜んでいるだろう。渡邊も意志と責任感を感じさせる素晴らしい踊り。さらに様式性と重みが加わればもっとよくなる。奥田や廣川もしっかり役割を果たした。

フィナーレ『バレエの情景』Op.52 より第8曲"ポロネーズ" 音楽:A.グラズノフ 出演者全員

 気持ちの好いフィナーレ。見てよかった。

8月のフィールドワーク予定 2019【一部訂正】

8月はバレエのガラ公演が二つとオペラ《フィデリオ》 がコンサート形式で上演される。吉田都は来年9月から新国立劇場の舞踊芸術監督に就任するが、『Last Dance』で現役ダンサーを引退する。古巣の英国ロイヤルバレエ団や、やがて自身が指導する新国立のダンサーなどが、吉田のプロデュースで共演し踊る。どんな舞台になるのか。《フィデリオ》といえば昨年新国立で見たカタリーナ・ワーグナーの演出は衝撃的だった。今回はN響による演奏会形式だが、キャストがかなり充実している。楽しみだ。演劇では谷賢一の福島3部作が一挙上演される。第1部のプレ公演を昨年アゴラ劇場で見たから、今回は新たな第2部・第3部を見る予定。真夏に開催のバレエ公演は踊り手には大変だと思う。しっかりと見守りたい。【福島三部作のキャストを訂正した】

3日(土)18:30「バレエ・アステラス2019」『ワルツ』音楽:シャルル・グノー 振付:牧阿佐美 出演:新国立劇場バレエ研修所第15期生、第16期生、予科『ダイアナとアクティオン』音楽:リッカルド・ドリゴ 振付:アグリッピナ・ワガノワ 出演:高森美結&森本亮介ハンガリー国立バレエ団)/ラ・シルフィード』第2幕よりパ・ド・ドゥ 音楽:ヘルマン・ルーヴェンシュキョル 振付:オーギュスト・ブルノンヴィル 出演:横山瑠華 with ディエゴ・ブッティリオーネジョージア国立バレエ)/『Take Me With You』音楽:レディオヘッド(録音使用)振付:ロベルト・ボンダラ 出演:海老原由佳 with クリストフ・シャボポーランド国立歌劇場バレエ団)/『ロメオとジュリエット』より寝室のパ・ド・ドゥ 音楽:セルゲイ・プロコフィエフ 振付:ジョバンニ・ディ・パルマ 出演:石崎双葉 with ダービット・モルナーハンガリー国立バレエ団)/『海賊』第2幕よりパ・ド・ドゥ 音楽:アドルフ・アダン 振付:マリウス・プティパ 出演:直塚美穂 with アリシェイ・カリヴァイ(国立モスクワ音楽劇場バレエ)/『Notre Chopin』音楽:フレデリック・ショパン(ピアノ協奏曲第1番第 2楽章)振付:リアム・スカーレット 出演:影山茉以 with マルコ・エスポジトポーランド国立歌劇場バレエ団)ピアノ演奏:金子三勇士//『ヴァリエーションfor 4』音楽:ウィリアム・ウォルトン 振付:三谷恭三 出演:新国立バレエ研修所、井上興紀、石山蓮、小野寺雄新国立劇場バレエ団ファースト・アーティスト/研修所第7期修了)、山本達史(牧阿佐美バレヱ団/研修所第10期修了)/『ラ・バヤデール』第3幕影の王国よりパ・ド・ドゥ 音楽:レオン・ミンクス 振付:マリウス・プティパ 出演:プラウダ・トランフィールド&ベンジャミン・アレキサンダー(カナダ国立バレエ学校)/『Three Images of Hope』よりデュエット 音楽:オーウェン・パレット(録音使用)振付:ロバート・ビネー 出演:イザベラ・キンチ&マッキンリー・ベイナード(カナダ国立バレエ学校)/『タランテラ』音楽:ルイス・モロー・ゴットシャルク&ハーシー・ケイ 振付:ジョージ・バランシン 出演:宮崎たま子&滝口勝巧(ワシントンバレエ)/『ジゼル』第2幕よりパ・ド・ドゥ 音楽:アドルフ・アダン 振付:ジャン・コラーリ&ジュール・ペロー&マリウス・プティパ 出演:永井綾香(シビウ劇場バレエ団)with ロベルト・エナケブカレスト国立歌劇場バレエ団)/『グラン・パ・クラシック』よりパ・ド・ドゥ 音楽:フランソワ・オーベール 振付:ヴィクトル・グゾフスキー 出演:菊地桃花 with パブロ・オクタビオカールスルーエ州立バレエ団)/ドン・キホーテ』第3幕より 音楽:レオン・ミンクス 振付:マリウス・プティパ&アレクサンドル・ゴルスキー 改訂振付:アレクセイ・ファジェーチェフ 出演:米沢唯&渡邊峻郁 奥田花純(第1ヴァリエーション)廣川みくり(第2ヴァリエーション) 赤井綾乃 中島春菜 土方萌花 関晶帆 廣田奈々 横山柊子//フィナーレ『バレエの情景』Op.52 より第8曲 "ポロネーズ" 音楽:A.グラズノフ 出演者全員指揮:ポール・マーフィー管弦楽東京フィルハーモニー交響楽団//バレエ・アステラス委員(五十音順):安達悦子(東京シティ・バレエ団理事長・芸術監督)/岡本佳津子(井上バレエ団理事長)/小山久美(スターダンサーズ・バレエ団代表・総監督)/小林紀子小林紀子バレエ・シアター芸術監督)/牧阿佐美(新国立劇場バレエ研修所長)/三谷恭三(牧阿佐美バレヱ団総監督)@新国立劇場オペラハウス

5日(月)14:00 日英演劇アカデミー国際交流公演『怪物/The Monster』作:アゴタ・クリストフ/翻訳:堀茂樹 バート・スメット/演出:田中麻衣子(新国立劇場演劇研修所コーチ)/美術:伊藤雅子/照明:中川隆一/音楽:国広和毅/音響:黒野尚/ステージング:篠崎芽美/衣裳:西原梨恵/ヘアメイク:川端富生/演出助手:菅井新菜/舞台監督:野村久美子/演劇研修所第14期生&マンチェスター・メトロポリタン大学演劇学校2年生/パーカッション:鈴木佑/チューバ:東方洸介 @新国立小劇場

8日(木)18:30 特別企画『Last Dance』吉田都引退公演「NHKバレエの饗宴」『シンデレラ』第3幕から 振付:フレデリック・アシュトン 音楽:プロコフィエフ 出演:吉田 都『誕生日の贈り物-Birthday Offering-』から抜粋 振付:フレデリック・アシュトン 音楽:グラズノフ(アーヴィング編曲)出演:吉田都、フェデリコ・ボネッリ/島添亮子、福岡雄大/米沢唯、井澤駿/渡辺恭子、池田武志/永橋あゆみ、三木雄馬/沖香菜子、秋元康臣/阿部裕恵、水井駿介『リーズの結婚』第2幕から 振付:フレデリック・アシュトン 音楽:エロール(ランチベリー編曲)出演:ミーガン・グレース・ヒンキス、ヴァレンティーノ・ズケッティ『タランテラ』振付:ジョージ・バランシン 音楽:ゴットシャルク(ケイ編曲)出演:ミーガン・グレース・ヒンキス、ヴァレンティーノ・ズケッティ『シルヴィア』第3幕から 振付:デヴィッド・ビントレー 音楽:ドリーブ 出演:小野絢子、福岡雄大『Flowers of the Forest』から"Scottish Dances" 振付:デヴィッド・ビントレー 音楽:アーノルド 出演:池田武志、渡辺恭子、石川聖人、石山沙央理、塩谷綾菜、髙谷遼ドン・キホーテ』グラン・パ・ド・ドゥ 振付:マリウス・プティパ、アレクサンドル・ゴルスキー 音楽:ミンクス 出演:米沢唯、秋元康『アナスタシア』第2幕から 振付:ケネス・マクミラン 音楽:チャイコフスキー 出演:平田桃子、ジェームズ・ヘイくるみ割り人形』グラン・パ・ド・ドゥ 振付:ピーター・ライト(レフ・イワノフ版に基づく)音楽:チャイコフスキー 出演:ヤスミン・ナグディ、平野亮一白鳥の湖』第4幕から 振付:ピーター・ライト 音楽:チャイコフスキー 出演:吉田都、フェデリコ・ボネッリ『ミラー・ウォーカーズ』から 振付:ピーター・ライト 音楽:チャイコフスキー 出演:吉田都、イレク・ムハメド指揮:井田勝大/管弦楽東京フィルハーモニー交響楽団新国立劇場オペラハウス

9日(金)19:00 DULL-COLORED POP 第20回本公演 福島三部作・第二部『1986:メビウスの輪』作・演出:谷 賢一/出演:宮地洸成(マチルダアパルトマン) 百花亜季(以上 DULL-COLORED POP) 岸田研二 木下祐子 椎名一浩 藤川修二(青☆組) 古河耕史 @東京芸術劇場 シアターイース

15日(木)14:00 DULL-COLORED POP 第20回本公演 福島三部作・第三部『2011:語られたがる言葉たち』作・演出:谷 賢一/出演:東谷英人 井上裕朗 大原研二 佐藤千夏 ホリユウキ(以上 DULL-COLORED POP) 有田あん(劇団鹿殺し) 柴田美波(文学座) 都築香弥子 春名風花 平吹敦史 森 準人 山本 亘 渡邊りょう @東京芸術劇場 シアターイース

29日(木)19:00 ベートーヴェン生誕250周年記念 オペラ《フィデリオ》作品72(演奏会形式・原語上演・字幕付き)レオノーレ:アドリアンヌ・ピエチョンカ/フロレスタン:ミヒャエル・シャーデ/ロッコ:フランツ・ヨーゼフ・ゼーリヒ/ドン・ピツァロ:ウォルフガング・コッホ/マルツェリーネ:モイツァ・エルトマン/ヤキーノ:鈴木 准/ドン・フェルナンド:大西宇宙/合唱:新国立劇場合唱団/指揮:パーヴォ・ヤルヴィ管弦楽NHK交響楽団オーチャードホール

30日(金)14:00 劇団銅鑼公演 No.53『Endless——挑戦!』作:田口 萌/演出:西川信廣/美術:小池れい/照明:賀澤礼子/音楽:上田亨/音響:中嶋直勝/衣裳:山田靖子/舞台監督:村松眞衣/出演:佐藤文雄 長谷川由里 馬渕真希 植木圭 永井沙織 福井夏紀 池上礼朗 真原孝幸 大竹直哉 @シアターウェスト

 

すみだサマーコンサート2019 バレエ音楽『ロメオとジュリエット』上岡・新日本フィルと中高生演劇のコラボ

「すみだサマーコンサート2019 ―Chance to Play―」を聴いた(7月27日 14:00/すみだトリフォニーホール)。

中高生による演劇と上岡が率いる新日本フィルのコラボ。素直で物怖じしない前者の演技を、後者は美しく時に苛烈ともいえる極上の演奏で支えた。あるいは、若者たちの真っ直ぐなあり方に呼応した結果、最上級の音楽が現出した。そういうべきか。プロコフィエフの『ロミ&ジュリ』はこれまで主にマクミラン版バレエの舞台で何十回と聴いてきたが、今回ほど質が高く感動的な演奏は初めてだ(条件がステージとピットでは違うとしても)。

音楽:バレエ音楽『ロメオとジュリエット』組曲より抜粋

指揮:上岡敏之

管弦楽新日本フィルハーモニー交響楽団

コンサートマスター:崔 文洙

演劇:『ロメオとジュリエット』〜たった5日間の恋の物語〜

演劇・台本・振付・衣裳:日本大学第一中学・高等学校/小野弘美(英語科教諭/演劇部顧問)

演技の主たる場所はオケ後方壁際の壇上。その中央に指揮台のような台が置かれ、ジュリエットが横たわるベッド(死の床)になったり、ロミオがそこに立ち、パイプオルガンのバルコニーに現れたジュリエットに手を伸ばす台の役目も果たす。オケが陣取る舞台の手前は時折ヴェローナの街路に早変わりする。台本はシェイクスピアの原作をかなりアレンジ(単純化)していた*1。上演時間の制約や分かりやすさのためだろう。少し気になる点もあったが、今回の上演には一応フィットしていた。

全体の構成は「劇付随音楽 incidental music」的というのか、先にオケが場面を音楽で描いた後、役者が台詞と動きで演じていく。その意味では、どの曲も序曲の機能が付加された。だが、ドラマが進むにつれて、音楽が前場の演技を引き継ぐ機能もさらに加わる。聴衆(観客)は、見てきた演者たちの台詞や行動を思い返しつつ上岡の指揮振りを見、演奏を聴くことになるからだ。音楽と演技が同時進行する場面も数回あった。

1.「モンタギュー家とキャピュレット家」(第2組曲より)—「ヴェローナの街角 両家のいさかい」

2.「少女ジュリエット」(第2組曲より)—「舞踏会の前 ジュリエット結婚話」

3.「ジュリエット」(第3組曲より)—仮面舞踏会 運命の出会い」

4.「ロメオとジュリエット」(第1組曲より)—キャピュレット家バルコニー 再会」

休憩(20分)

5.「僧ローレンス」(第2組曲より)—「僧ロレンスの計らい 愛の誓い」

6.「タイボルトの死」(第1組曲より)—「両家のいさかい 親友たちの死」

7.「別れの前のロメオとジュリエット」(第2組曲より)—「悲しみと憎しみの両家 裁きと別れ」

8.「ジュリエットの墓の前のロメオ」(第2組曲より)—「ロレンスの計画 愛する人の死」

9.「ジュリエットの死」第3組曲より—「悲しみにくれる両家」(無言劇)

冒頭の「大公の宣言」で両家の不和に対する大公の決然たる思い(ff)と憂い(ppp)が音化され、「騎士の踊り」の音楽では子供たちの純愛を踏みにじる親同士のプライドが威圧的に空間を満たした。悲劇の始まりだ。

「ロメオとジュリエット」(4)を聴くと、いつもならバルコニーシーンのパ・ド・ドゥ(バレエでは一番の見所)が頭に浮かぶ。だが今回、二人の出会いの演技の直後に演奏されたため、聴きながら、出会った後の二人の思いをあれこれ想像した。恋の喜び、相手はよりによって仇敵の一人娘/息子? 胸の高鳴り、歓喜、等々。音楽が終わるとバルコニーシーンが始まり、想像が劇化されていく…。

 「別れの前のロメオとジュリエット」(7)は素晴らしかった! 少し詳しくメモする。原作ではロミオを帰したくないジュリエットが「あれは朝を告げるヒバリじゃない。夜に歌うナイチンゲールよ」と言い張る場面。音楽ではフルートの抑えたソロ(荒川洋)から始まり、クラリネット(重松希巳江)、第一ヴァイオリン(崔文洙)、第二ヴァイオリン(吉村知子)、チェロ(長谷川彰子)、ヴィオラ(井上典子)、オーボエ(古部賢一)等々、極上のソロが続く。ヴィオラのソロでプロコフィエフヴィオラ・ダモーレを指示している。ジュリエットの愛のテーマを奏するには、たしかに「愛のヴィオラ viola d’amore」がふさわしい。井上はモダン楽器でさらりと弾いたが、気品のある繊細な感触があとに残った。コンマスを始め、トッププレーヤーのソロはみな質が高い。中間部の勇壮なホルンに導かれるシークエンスは、バレエでは(乳母にも頼れず)孤独なジュリエットが考えた末、ロレンス僧のもとへ助けを求めに駆けつける音楽。最後のアンダンテはロレンスに貰った薬への恐怖(永遠に目覚めず死ぬかも知れない)とロミオへの愛を思い出し、恐怖に打ち勝つ音楽。薬を飲んだときの吐きそうな感じも音化されていて面白い。

3の「仮面舞踏会」のダンスシーンでは、本作とは別の音楽が演奏された(プーランクの「フランス組曲」より第1曲とのこと)。

6で親友のマキューシオが殺された敵討ちにロミオがティボルト(タイボルト)と決闘するシーンは(剣の速い打ち合いを表す)音楽と同時進行。ただし、曲の前半はマキューシオとティボルトとの闘いを描いたものだが、特に違和感はなかった。音楽の最後の部分はティボルトの縁者(マクミラン版ではキャピュレット夫人)の大仰な嘆きとロミオへの恨みが印象的に描写されている。

最後の場面では、ロミオが納骨堂で横たわるジュリエットの元へ駆けつけ、仮死を死と思い込み服毒自殺する。やがてジュリエットが目覚め、最愛の夫の死に驚き慟哭する。ジュリエットの「ここにナイフがある」と語るあたりから「ジュリエットの死」の音楽が始まり、演技と同時進行する。ジュリエットの自刃。やがてロレンス僧や二人の両親、友人たちが次々に登場し二人の死を悼み、両家は和解するが、すべて黙劇。この間、上岡と新日本フィルは演技に寄り添い、二人の無念さや悲しみが深く内側へ沁み入るように抑えて演奏した。ラストは音が消えると同時に暗転。しばらく誰も手を叩かなかった。

前半の終了時も、照明が暗くなり上岡はさっと袖へ引っ込み、拍手させない。休憩後も指揮者はすでに台上におり、拍手なしで開始。あくまでもドラマの流れを最優先させた素晴らしい演出。【追記 パイプオルガンに当たる照明がとても綺麗で、舞踏会では赤系、バルコニーシーンでは青系と場面によって変化し、大変効果的だった。】

日本大学第一中学・高等学校演劇部の生徒たちは癖のない素直な演技でよく頑張った。指導者がよいのだろう。マイクなしでも声はよく聞こえたから大したものだ。響きすぎて少し聞き取りにくい台詞もあったが、それは彼/彼女らの責任ではなくホールの音響のせい(本来演劇のための空間ではない)。生徒たちには貴重な経験だったと思う。

 

*1:台本の〝単純化〟について、少し気になった点は以下の通り。

①ジュリエットはパリスとの縁談を拒否するときロミオへの愛を両親に告げていたが、これはおかしい(親に言えるぐらいなら秘密結婚などしないだろう。それほど両家は反目している)。これだと悲劇の前提条件が甘くなる。

②ロレンス僧の手紙がロミオに届かない理由が、たんに僧の従者がロミオを探せなかったからとなっていた。これだと悲劇の原因がその従者に帰せられてしまう(原作はペストのため足止め=不可避性=運命=悲劇性)。

③ばあや(乳母)は終始ジュリエットの味方をしていたが、原作では、ロミオの追放後、乳母はパリスとの縁談を、両親同様、強く勧め、ロミオを貶める「ロミオなんか雑巾ですよ」。結果、ジュリエットは親にも乳母にも頼れず孤独に陥る(宗教者のロレンス僧は別)。この孤独こそ、ジュリエットが成長していく条件ともいえる。

④パリスの滑稽化(原作は立派な貴族の若者)/ロミオの片思いの相手ロザラインの不在

①②については、原作に忠実であればもっと悲劇性が高まったと思われるので少し残念な気もする。③も同様だが、④は今回のままでもよいと思う。