新国立劇場オペラ《ドン・ジョヴァンニ》2019

ドン・ジョヴァンニ》の初日を観た(5月17日 18:30/新国立劇場オペラハウス)。簡単にメモする。

指揮:カーステン・ヤヌシュケ(フランチェスコ・ランツィロッタは本人の都合でキャンセル)

演出:グリシャ・アサガロフ

美術・衣裳:ルイジ・ペーレゴ

照明:マーティン・ゲプハルト

再演演出:三浦安

舞台監督:斉藤美穂

このプロダクション(2008年12月初演)では、演出のグリシャ・アサガロフ(ドイツ) が舞台をドン・ファンのセビリアからカサノヴァのヴェネツィアに移している。ルイジ・ペーレゴの美術・衣裳がとても美しく、何度見ても気持ちが好い。三回目となる今回も歌手が揃っており、十分に楽しめた。

ドン・ジョヴァンニ:ニコラ・ウリヴィエーリ

騎士長:妻屋秀和

レポレッロ:ジョヴァンニ・フルラネット

ドンナ・アンナ:マリゴーナ・ケルケジ

ドン・オッターヴィオ:フアン・フランシスコ・ガテル

ドンナ・エルヴィーラ:脇園彩

マゼット:久保和範

ツェルリーナ:九嶋香奈枝

合唱指揮:三澤洋史

合唱:新国立劇場合唱団

管弦楽東京フィルハーモニー交響楽団

 レポレッロのジョヴァンニ・フルラネット(イタリア)は導入曲の出だしを乗り損ね、途中から歌い始めるアクシデント。ボーッとしていたのか。ノラリクラリは役と合ってはいるが……。タイトルロールのニコラ・ウリヴィエーリ(イタリア)は歌唱・演技とも余裕綽々。色悪ながらノーブルさを失わない(それが〝色悪〟か)。ドンナ・アンナのマリゴーナ・ケルケジ(クロアチア)は(体型も)豊かで柔らかな歌唱。優美さもある。ドン・オッターヴィオのフアン・フランシスコ・ガデル(アルゼンチン)は立ち姿が美しい。第10-a 曲「彼女の安らぎこそ」ではダイナミクスのレンジを目いっぱいとり、弱音は消え入るかのよう。美声をたっぷりと聴かせた(少しやり過ぎか+この劇場は弱音に堪えられない客が少なくない)。ドンナ・エルヴィーラの脇園彩は、期待どおり海外の歌手たちと遜色ない歌唱を聴かせた。日本人歌手にいつも感じる平板さは皆無で、声が立体的に響く。2幕 第21-b 曲「なんてひどいこと」の印象的なアリアの音型は、さらなるクッキリ感がほしい。演技もよいと思うが、少し入れ込みすぎの感あり(気持ちは分かるが)。なにせ親がアトレ会員で高校生の頃から劇場に来ていたと(インタビュー)。この劇場も少しずつ歴史を刻みつつある。マゼットの久保和範はレチタティーヴォではまずOKだが、アリアになると声が引っ込んでしまう。ツェルリーナの九嶋香奈枝は少し音程が不安定な所もあるが、よく役割をこなしている。騎士長の妻屋秀和は、2幕の石像では声にもっと凄味があってもよい。

いつも楽しみな2幕の23曲「私が残酷ですって? 違います」のレチタティーヴォで1階席の左右から足音が。選りに選ってここで? と思いきや、右手のノイズは急病人(?)を外へ連れ出したものかも知れない。舞台上でも聞こえたはずだが、ケルケジは集中してアリアを歌いきった。オペラは高齢者の割合がかなり高い。今後もこうした事態が増えるだろう。

指揮のカーステン・ヤヌシュケ(ドイツ)は若手のようだが、ピリオド奏法を選択し、ティンパニを含めドライな音を引き出した。テンポはきびきび感もなくはないが、アリア等ではたっぷり歌わせるため、少しまったりした。オケ(東フィル)ではアレッサンドロ・ベヴェラリのクラリネットがアリア等の要所でよく効いていた。

ドン・ジョヴァンニが騎士長の石像に地獄へ引き込まれた後、関わった女三人と男三人で「これが悪人の末路」と快活に歌う。が、女たちはジョヴァンニの遺品(男レポレッロはカタログ)をそれぞれ手にして名残惜しそう(特にエルヴィーラ)。悪を糾弾する歌詞とは裏腹に、「罰せられた放蕩者」の魅力が後に残る舞台である。

利賀演劇人コンクール2019 第一次上演審査 後半

「利賀演劇人コンクール2019」第一次上演審査の後半を観た(5月4日 15:30-19:10/こまばアゴラ劇場)。

□第一次上演審査 審査員(50音順・敬称略)

相馬千秋(あいちトリエンナーレ2019 キュレーター)

野村政之(演劇制作者・ドラマトゥルク)

平田オリザ舞台芸術財団演劇人会議理事・青年団主宰・こまばアゴラ劇場芸術総監督・劇作家・演出家)

柳美里(劇作家・小説家)

 後半の課題戯曲は岸田國士(1890-1954)『温室の前』(1927)(一部抜粋/上演時間:最長20分)。全一幕三場で、場面は東京近郊の大里家の応接間。自宅の温室で草花を育て販売する兄の貢とその世話をする妹の牧子。兄妹は人とほとんど交際しない。そこへ牧子の学校時代の友人高尾より江が来訪。さらに貢の学友西原敏夫(課題では出番なし)がフランス留学から五年ぶりに帰国。より江は出戻りの職業婦人。西原は民衆劇の運動を起こすべく奔走する活動家(作者同様フランス帰りの西原がいう「遊動劇」は、十四年後の戦時に「日本移動演劇連盟」が発足し岸田自身が委員長に就任することを思うと意味深長)。活発で社会的な二人の来訪を機に、大里家の応接間はにわかに華やぎ(絵画が新たに掛けられる)、引っ込み思案の兄妹に「希望」が芽生える。妹は西原と、兄はより江と、新しい生活を始める希望が。だが、結局は来訪者同士が結ばれる皮肉な結末に……。課題部分については、プログラムを引用する。

「暗い生活」を送ってきた兄弟に、それぞれの伴侶となってくれるかもしれない「友達」がやってくる第一場の全体である(朴建雄)。

以下、上演順にメモしたい。

神田真直(劇団なかゆび)

大里貢:串尾一輝/大里牧子:佐山和泉/高尾より江:緑川史絵

 貢は花オタクの引きこもり。妹(牧子)とより江(緑川)の対話の間、貢(串尾)は子供のように後ろで丸めた紙を上へ放り上げながら花の名前を次々に叫ぶ。途中から二人に紙つぶてを投げつける貢。したがって二人のセリフはよく聞き取れない。貢はより江の前だと妹の影に隠れ、人が変わったような囁き声に。すべて妹が〝通訳し〟取り次ぐ始末。温室内ではまた子供のようにはしゃいだ様子で花をより江に見せる。思い切ったキャラ造形で面白いが、台本の肝はそこにあるのか。

小野彩加 中澤陽

木村トモアキ/藤瀬典子/永山由里恵

 牧子(藤瀬)が客席側から舞台へ上がり、カミテ奥へ。そのまま舞台の袖でより江(永山)との対話が始まり続いていく。観客には声しか聞こえない。舞台は空。やがてシモテより貢(木村)が現れ舞台のカミテへ。そこで奥にいる二人の対話を聞いている、等々。男の視点から作品世界を描きたいらしい。貢の造形は病的で不気味。女が帰ったあと、男は椅子を2脚舞台に置き、紙切れを見ながら「男の声」のセリフを棒読みする。後ろ向きで。妙なセリフ回し。何がしたいのか?

三浦雨林(隣屋/青年団

秋山建一/坊薗初菜/西村由花

 「まだ大丈夫ですよ」……どうやら後半の演出家たちは、対話が成立せず、みなバラバラで自分の世界に自足しているさまを描きたいらしい。妹(坊薗)の片足を少し浮かせる等の身体表現の巧みさ。兄妹の対話と、より江の発話を同時多発的に進行させる、等々。見ていて少々苦痛。この演出家は引き出し(技術)はいろいろもっているらしい。が、これがチェーホフならぬ岸田の本を読み込んだ結果なのか。

ここで休憩20分

松浦友(演劇ユニットYOU企画)

佐藤岳/和田華子/岩井由紀子

 椅子とテーブル。一場の流れはもっともよく分かるオーソドックスな演出。だが、このままでは物足りない。もっと緻密に仕上げたい。

酒井一途

森一生/小野亮子/新田佑梨

四方型の台上にA4大の紙が敷きつめられている。そのシモテ側の外に椅子が1脚。これは一場では出番のない貢の学友西原敏夫を表すのだろう。……暗い生活(一場)から希望の光が芽生え(二場)、再び光のない生活へと落ち込む(三場)作品全体を表現しえた唯一の舞台。個々の表現の強度が増せば、面白くなるかも知れない。

この日は、正直、もう一度見たいと思う舞台は見いだせなかった。が、最後の演出は抜粋上演にもかかわらず作品全体の趣旨を暗示しえたゆえに、観客賞に入れた。観客賞は酒井一途氏。本選に残ったのは、小野彩加、中澤陽の両氏(二人で演出)が選ばれ、客席から驚きの声が。私もまったく予想せず。

その後、審査員が一人ずつ講評を述べたが、なかには、課題戯曲を読めているのか疑問に思うコメントも。昨年の顔ぶれで審査したらあるいは違った結果になったかも知れない。ただ、今回の趣旨は、「自身の座組を率いてチェーホフ作品を利賀山房で上演する」演出家の選定だった。前回とはその意味で微妙な違いがあるように思われる。いずれにせよ、この場でコンクールが完結する昨年の方式がやはり望ましい。是非、元に戻して欲しい。

前半の上演審査についてはこちら

利賀演劇人コンクール2019 第一次上演審査 前半

「利賀演劇人コンクール2019」の第一次上演審査 前半を観た(5月2日 15:30-19:20/こまばアゴラ劇場)。

昨年スタートした「こまばアゴラ演出家コンクール」はたいへん面白かった(一次審査二次審査)。これを見るために劇場の支援会員になったといってもよいほど。今年は「利賀演劇人コンクール」と連動し、利賀での最終上演審査に進む2名(前後半各1名)をアゴラ劇場で選出するかたちに変更(シアターオリンピクスの利賀開催が理由らしく今回限定の由)。コンクールがアゴラで完結した昨年の課題戯曲は、一次がイプセン『ヘッダ・ガブラー』とチェーホフ『かもめ』、二次はシェイクスピア『お気に召すまま』だった(いずれも抜粋)。

審査を前後半に分けた今回は、前半が別役実『マッチ売りの少女』、後半が岸田國士『温室の前』(共に一部抜粋/上演時間:最長20分)。参加演出家には、昨年同様「それぞれの日程の一週間前に課題戯曲と抜粋部分を通知」し、青年団の「俳優はコンクール主催者側が指定する組み合わせの中から」「それぞれの1日目[上演審査前日]の朝に抽選で決定」された。日本の作品が選ばれたのは、利賀山房での最終審査がチェーホフだから差別化したのだろう。

□第一次上演審査 審査員(50音順・敬称略)

相馬千秋(あいちトリエンナーレ2019 キュレーター)

野村政之(演劇制作者・ドラマトゥルク)

平田オリザ舞台芸術財団演劇人会議理事・青年団主宰・こまばアゴラ劇場芸術総監督・劇作家・演出家)

柳美里(劇作家・小説家) 

プログラムに『マッチ売りの少女』(1966)の解説として『緊急対談・平田オリザ×別役実「焼け跡と不条理——復興とは何か?——』(2011)における別役(1937- )の発言が引用されている。「戦後20年にくらい経って、なんとなく平和になりつつあった市民社会に対する衝撃として書きたかった。少女が詐欺師的な「いちゃもんつけ」の精神、ゆすり・たかりの精神を持っていく。「市民社会からこぼれた放浪する人たち」の市民社会に対する復讐です。『マッチ売りの少女』の話は、大阪で実際にあった話なんですね。小さい少女がマッチ一本擦らせて、その間だけ、自分の陰部を見せるという商売ですね。僕はね、日本人の発明だと思ったんですよ。焼け跡が生んだ大発明だと。ただ残念なのはね、イタリアにずいぶん前からあったんですね。日本の発明じゃなかった」。

抜粋箇所は「女が「マッチ売りの少女」であったと判明する語りまでの導入部」(朴建雄/プログラム)とのこと。具体的には、「女の声」がアンデルセンの『マッチ売りの少女』冒頭部を語った後、「初老の男」と「その妻」が「夜のお茶」の準備をしている。そこへ「女」が「こんばんは」と来訪するのだが、この登場から、「男の声」で、人々は飢えて闇市がおできのように開かれる街角で少女がマッチを売って云々、と語る部分まで。 

以下、上演順に簡単にメモする。

中谷和代(ソノノチ)演出

初老の男:山内健司/その妻:小野亮子/女:川面千晶

舞台に家の区画を表す白テープが少しずらした位置に貼られ、その内部に椅子が三脚置かれる。展開されるのはきわめてオーソドックスな対話劇。最後に男(山内)が「男の声」のセリフを語りながらテープの中程をつまみ上げ、山形を作り、のぞき込む。「そのスカートがかくす無限の暗やみにむけて、いくたびとなく虚しく、小さな灯がともっては消えていった ……」。焼け跡の街角でマッチをすって「ささやかな罪」を「犯した人々」と初老の男を視覚的に重ねる趣向は悪くないが、もっと俳優を生かしたい。

中嶋さと(FOURTEEN PLUS 14+)

中藤奨/鄭亜美/名古屋愛

女(名古屋)が客席側から登場し、「私はマッチを売っていたのです」と客に話しかけながら舞台へ上がる。今度は初老の男(中藤/短パンにTシャツ!)やその妻(鄭)とすれ違うとき、女「私はマッチを売って……」、相手「こんばんは」と返すが、反復ごとにアッチェランドかつクレッシェンドしていく。こうしたハイテンションのドタバタのうち、尻取りゲームを模したシークエンスは面白かった。三人が客席に向かって列をなし、先頭に来ると次々に「ネコ!」「ダンロイロリのたぐい!」「ウィスキードブロク…!」「アミ棒と毛糸!」と叫ぶのだ。これは、女が家を訪ねて来たのは我家の家庭的雰囲気に興味をもったからだという妻に、男(夫)が「家庭テキ雰囲気に欠かすことの出来ないのは、第一にネコです。第二にダンロイロリのたぐい」云々と列挙するセリフを再構成したもの。会場ではかなり受けていた。やがて、何もなかったかのように三人のやりとりが「こんばんは」から静かに開始され、徐々に溶暗する。夫婦のハチャメチャな弾け振りを事前に見せられた観客は、この小市民然とした二人の佇まいに偽善を嗅ぎつけることになる(女=娘を食い物にしかねないと)。セリフの解体度はかなり高いが、再構成の意図が見終わって腑に落ちた。生き生きとした役者の演技も気持ちが好い(鄭の発声!)。もう一度見たいと思った。

中村大地(屋根裏ハイツ)

島田曜蔵/和田華子/寺田凜

…… 最後の「男の声」のセリフは女(寺田)が中央で身体を揺らしながら語る。初老の男と妻は無表情で聴いているが、語りが終わると男はいう「何でもよく忘れるのです。トシですからね」。役者の様々な動きやキャラ造形(島田)の面白さはあるが、基本的にはオーソドックスな作り。伝えたいことははっきりしている。

ここで20分休憩

こしばきこう(劇団風蝕異人街)演出

森一生/林ちゑ/南風盛もえ

平台で作られた家の室内で、夫婦が椅子に並んで座る。冒頭で男(森)が例の「男の声」のセリフをきわめて明確に語る。男は両手で自分の腿から膝関節を経て臑まで擦るような仕草を絶えず繰り返す。その横に座った妻(林)は、片手を上げ、時折痙攣するような動きと表情を見せる。「こんばんは」と現れた女(南風盛)は、身体を折り曲げ自分を抱きしめるような動きを繰り返しながら、舞台の縁(フリンジ)をなぞるように歩く。女の〝場所〟が社会の周縁であることを示唆? セリフが続くなか、妻が立ち上がり、以前の神経的な動作を続けながら、家(平台)のフリンジを方形に歩く。これも、家のなかでの妻(女)の〝位置〟を表象しているのか。「男の声」のセリフが再度語られる。ラストで女は、ゴジラが火炎を吐くような動作を繰り返した。チェルフィッチュを変形させたような様式性。森の狂言師のような力強い発声と女優二人の動きはインパクトがあった。だが、それで? という感が拭えない。

島村和秀(情熱のフラミンゴ)

折原アキラ/髙橋智子/西風生子 

 凝ったセット。凝った動き。夫婦(折原・佐山)が女(西村)のコトバを奪ってしまう。前者が後者を食い物にしている隠喩か。夫婦は、あの「マッチ売りの少女」のことを知っている……。

上述の通り、もう一度見たいと思った唯一の舞台は中嶋さと氏。ゆえに観客賞に投じた。結果は、観客賞は中嶋氏と中村大地氏の二人が同点(昨年もそうだった)。本選に残ったのは中村氏。やはり審査員とは基準が違うようだ。

 後半については後ほどアップしたい(こちら)。

5月のフィールドワーク予定 2019【追記】

昨年スタートした「こまばアゴラ演出家コンクール」はたいへん刺激的でめっぽう面白かった(一次審査二次審査)。じつはこれを見るために劇場の支援会員になったといってもよいくらいだ。今年は「利賀演劇人コンクール」と連動し、一部内容をリニューアルして開催される。昨年の課題戯曲は一次がイプセン『ヘッダ・ガブラー』とチェーホフ『かもめ』、二次はシェイクスピア『お気に召すまま』だった(いずれも抜粋)。審査の一週間前に発表された今回の課題は、別役実『マッチ売りの少女』と岸田國士『温室の前』。共に日本の作品が選ばれた。利賀山房での最終審査がチェーホフだから、差別化したのだろう。/昨年のコンクールで優勝した額田大志は、二次の課題戯曲『お気に召すまま』を全篇上演するという。あのとき「これで全幕を作れるのか。作れたとしても、チケットを買って見たいか」とブログに書いたが、結局〝買って〟見ることに(支援会員は無料だから予約するだけだが)。どんな舞台になるのか見届けたい。/ハーウッドの『Taking Sides』を加藤健一事務所が上演する。フルトヴェングラーが登場する本作には思い入れがあるので、見ないわけにはいかない。加藤といえば、以前、同じ作家の『コラボレーション』を日本初演した(2011年2月)。後者はリヒャルト・シュトラウス(作曲家)とシュテファン・ツヴァイク(台本作家)の関係を描いた作品で、前者同様、音楽(芸術)と戦争/政治(ナチス)の問題を扱っていた。/ところで、あと数時間経つと年号が変わる。そこではどんな舞台が見られるのか。どんな世界になるのか。

2日(木)15:30 利賀演劇人コンクール2019 第一次上演審査〈前半〉/審査員(50音順):相馬千秋(あいちトリエンナーレ2019 キュレーター),野村政之(演劇制作者・ドラマトゥルク),平田オリザ舞台芸術財団演劇人会議理事・青年団主宰・こまばアゴラ劇場芸術総監督・劇作家・演出家),柳美里(劇作家・小説家)/課題戯曲:別役実『マッチ売りの少女』より抜粋(上演時間:最長20分)/参加者:こしばきこう(劇団風蝕異人街),島村和秀(情熱のフラミンゴ),中嶋さと(FOURTEEN PLUS 14+),中谷和代(ソノノチ),中村大地(屋根裏ハイツ)/出演:青年団こまばアゴラ劇場

【3日(金)映画『主戦場』Shusenjo: The Main Battleground of the Comfort Women Issue 監督・脚本・撮影・編集・ナレーション:ミキ・デザキ/製作:ミキ・デザキ & ハタ・モモコ/音楽:オダカ・マサタカ/出演:トニー・マラーノ 藤木俊一 山本優美子 杉田水脈 藤岡信勝 ケント・ギルバート 櫻井よしこ 吉見義明 戸塚悦朗 ユン・ミヒャン イン・ミョンオク パク・ユハ フランク・クィンテロ 渡辺美奈 エリック・マー 林博史 中野晃一 イ・ナヨン他(USA,2018年)@シアター・イメージフォーラム

4日(土)15:30 利賀演劇人コンクール2019 第一次上演審査〈後半〉/課題戯曲:岸田國士『温室の前』より抜粋(上演時間:最長20分)/参加者:小野彩加  中澤陽,神田真直(劇団なかゆび),酒井一途,松浦友(演劇ユニットYOU企画),三浦雨林(隣屋/青年団)/出演:青年団こまばアゴラ劇場

10日(金)19:00 新日本フィル #605 定演 ジェイド <サントリーホール・シリーズ> ワーグナー:歌劇『タンホイザー』より「序曲とバッカナール」(パリ版)/ワーグナー楽劇『トリスタンとイゾルデ』より「前奏曲と愛の死」ワーグナー楽劇『神々の黄昏』より第1幕「ジークフリートのラインへの旅」第3幕「ジークフリートの死と葬送行進曲」ワーグナー舞台神聖祝典劇『パルジファル』より「第1幕前奏曲と第3幕フィナーレ」指揮:上岡敏之 @サントリーホール

15日(水)19:30『Aokid presents シェイクスピア(?)』/出演:Aokid 他 @こまばアゴラ劇場

16日(木)19:00 新国立劇場演劇 少年王者舘『1001』作・演出:天野天街/美術:田岡一遠/美術製作:小森祐美加 & 岡田 保/映像:浜嶋将裕/照明:小木曽千倉/音響:岩野直人/振付:夕沈 & 池田 遼/音楽:珠水/衣裳:雪港/小道具:る/演出助手:山田 翠/舞台監督:大垣敏朗/キャスト:珠水 夕沈 中村榮美子 山本亜手子 雪港 小林夢二 宮璃アリ 池田 遼 る 岩本苑子 近藤樺楊 カシワナオミ 月宵水 井村 昂 寺十 吾 廻 飛呂男 海上学彦 石橋和也 飯塚克之 青根智紗 石津ゆり 今井美帆 大竹このみ 奥野彩夏 小野寺絢香 小島優花 小宮山佳奈 五月女侑希 相馬陽一郎 朝長愛 中村ましろ 新田周子 一楽 野中雄志 長谷川真愛 坂東木葉木 人とゆめ 深澤寿美子 @新国立小劇場

17日(金)18:30 新国立劇場オペラ モーツァルトドン・ジョヴァンニ》全2幕〈イタリア語上演/字幕付〉指揮:カーステン・ヤヌシュケ/演出:グリシャ・アサガロフ/美術・衣裳:ルイジ・ペーレゴ/照明:マーティン・ゲプハルト/再演演出:三浦安浩/舞台監督:斉藤美穂//ドン・ジョヴァンニ:ニコラ・ウリヴィエーリ/騎士長:妻屋秀和/レポレッロ:ジョヴァンニ・フルラネット/ドンナ・アンナ/マリゴーナ・ケルケジ/ドン・オッターヴィオ:フアン・フランシスコ・ガテル/ドンナ・エルヴィーラ:脇園 彩/マゼット:久保和範/ツェルリーナ:九嶋香奈枝/合唱指揮:三澤洋史/合唱:新国立劇場合唱団/管弦楽東京フィルハーモニー交響楽団新国立劇場オペラハウス

18日(土)14:00 ヌトミック『お気に召すまま』作:ウィリアム・シェイクスピア/翻訳:松岡和子/構成・演出・音楽:額田大志/舞台監督:黒澤多生/舞台美術:渡邊織音(グループ・野原)/照明:松本 永(eimatsumoto Co. Ltd.)、佐々木夕貴(eimatsumoto Co. Ltd.)/音響:額田大志/振付:Aokid/ドラマトゥルギー:朴 建雄/宣伝美術:三ッ間菖子/制作:河野 遥/出演:原田つむぎ(東京デスロック) 深澤しほ 古屋隆太(青年団) 松田弘子(青年団) 矢野昌幸 @こまばアゴラ劇場

23日(木)14:00 加藤健一事務所 vol.105『Taking Sides ~それぞれの旋律~』作:ロナルド・ハーウッド/翻訳:小田島恒志 & 小田島則子/演出:鵜山仁//アーノルド少佐:加藤健一/ローデ:今井朋彦/エンミ:加藤忍文学座)/タマーラ:小暮智美(青年座)/デイヴィッド中尉:西山聖了/フルトヴェングラー小林勝也文学座)@下北沢 本多劇場

30日(木)14:00 劇団櫂人 第5回公演『かさぶた式部考』作:秋元松代/演出:篠本賢一/美術:篠本賢一 & 村上洋子/照明:朝日一真/出演:青木恵 向後正枝 鈴木里花 田中淳子 宮下文子 佐藤陽子 下地きく乃 村川玲子 小杉美智子(以上劇団櫂人) 森美穂子 篠田悦子 三井紀子 今野智子 高原美沙子 外山ヤス子 高橋知生 菊地伸二 湯浅嘉章 草野峻平 川邊史也(劇団銅鑼) 佐藤辰哉(PuR) 篠本賢一(遊戯空間) 柘植英樹 @上野ストアハウス

31日(金)19:00 新日本フィル #606 定演 トパーズ <トリフォニー・シリーズ> メンデルスゾーン:序曲「フィンガルの洞窟」op. 26シューマン:ピアノ協奏曲イ短調op. 54*/シューマン交響曲第2番ハ長調op. 61指揮:フィリップ・ヘレヴェッヘ/*ピアノ:仲道郁代すみだトリフォニーホール

4月のフィールドワーク予定 2019

 四月の公演数は仕事上さすがに控えめ。春祭の《さまよえるオランダ人》に出演するターフェルを聴くのは久し振り。新国立の『かもめ』は全キャストオーディションでの公演だ。小川絵梨子監督の果敢な挑戦のひとつだが、オリジナルでなくストッパード版の使用がどう出るか。《マタイ》は毎年聴いているが、今回はガルニエ・オルガン社に注文した持ち運び可能な新オルガンを用い、20年ぶりに再録音するという。いったいどんな響きがするのだろう。サンプソン(ソプラノ)やギヨン(カウンターテナー)らを久し振りに聴けるのも楽しみだ。バレエ『シンデレラ』の木村・井澤組、池田・奥村組は仕事や別公演と重なり断念した。

 5日(金)19:00 東京・春・音楽祭 ワーグナー・シリーズ vol.10《さまよえるオランダ人(演奏会形式/字幕・映像付)/指揮:ダーヴィト・アフカム/オランダ人:ブリン・ターフェル/ダーラント:イェンス=エリック・オースボー(アイン・アンガーは外科治療のためキャンセル)/ゼンタ:リカルダ・メルベート/エリック:ペーター・ザイフェルト/舵手:コスミン・イフリム他/管弦楽NHK交響楽団/合唱:東京オペラシンガーズ/合唱指揮:トーマス・ラング/合唱指揮:宮松重紀/音楽コーチ:パオロ・ブレッサン/映像:中野一幸 @東京文化会館 大ホール

7日(日)14:00 新国立劇場オペラ 新制作 アレクサンダー・ツェムリンスキー《フィレンツェの悲劇》全1幕〈ドイツ語上演/字幕付〉グイード・バルディ:ヴゼヴォロド・グリヴノフ/シモーネ:セルゲイ・レイフェルクス/ビアンカ:齊藤純子//ジャコモ・プッチーニ《ジャンニ・スキッキ》全1幕〈イタリア語上演/字幕付〉ジャンニ・スキッキ:カルロス・アルバレス/ラウレッタ:砂川涼子/ツィータ:寺谷千枝子/リヌッチョ:村上敏明/ゲラルド:青地英幸/ネッラ:針生美智子/ゲラルディーノ:吉原圭子/ベット・ディ・シーニャ:志村文彦/シモーネ:大塚博章/マルコ:吉川健一/チェスカ:中島郁子/スピネッロッチョ先生:鹿野由之/アマンティオ・ディ・ニコーラオ:大久保光哉/ピネッリーノ:松中哲平/グッチョ:水野 秀//指揮:沼尻竜典/演出:粟國 淳/美術:横田あつみ/衣裳:増田恵美/照明:大島祐夫/舞台監督:斉藤美穂管弦楽東京フィルハーモニー交響楽団新国立劇場オペラハウス

13日(土)13:00 新国立劇場演劇『かもめ』作:アントン・チェーホフ/英語台本:トム・ストッパード/翻訳:小川絵梨子/演出:鈴木裕美/美術:乘峯雅寛/照明:沢田祐二/音響:長野朋美/衣裳:黒須はな子/ヘアメイク:宮内宏明/演出助手:伊達紀行/舞台監督:村田 明/出演(全キャスト オーディション選考):朝海ひかる 天宮良 伊勢佳世 伊東沙保 岡本あずさ 佐藤正宏 須賀貴匡 高田賢一 俵木藤汰 中島愛子 松井ショウキ 山﨑秀樹 渡邊りょう @新国立小劇場

19日(聖金曜日)18:30 BCJ #132 定演 J. S. バッハ《マタイ受難曲BWV 244指揮:鈴木雅明エヴァンゲリストテノール):櫻田 亮/ソプラノ:キャロリン・サンプソン、松井亜希/アルト:ダミアン・ギヨン、クリント・ファン・デア・リンデ/テノール:ザッカリー・ワイルダー/バス:クリスティアン・イムラー、加耒 徹/合唱・管弦楽バッハ・コレギウム・ジャパン東京オペラシティ コンサートホール:タケミツ メモリアル

10日(土)14:00 新日本フィル#604 定演 トパーズ<トリフォニー・シリーズドヴォルジャークチェロ協奏曲ロ短調 op. 104, B. 191*/グラズノフ交響曲第5番変ロ長調 op. 55/指揮:ワシリー・シナイスキー/チェロ:宮田大* @すみだトリフォニーホール

27日(土)14:00 新国立劇場バレエ『シンデレラ』振付:フレデリック・アシュトン/音楽:セルゲイ・プロコフィエフ/監修・演出:ウェンディ・エリス・サムス&マリン・ソワーズ/美術・衣装:デヴィッド・ウォーカー/照明:沢田祐二/主演:米沢 唯&渡邊峻郁/指揮:富田実里/管弦楽東京フィルハーモニー交響楽団 @新国立劇場オペラハウス

28日(日)14:00 新国立劇場バレエ『シンデレラ』主演:小野絢子&福岡雄大新国立劇場オペラハウス

新国立劇場バレエ DANCE to the Future 2019 初日【+千穐楽】

「DANCE to the Future 2019」の初日を観た(3月29日 19:00/新国立小劇場)。アドヴァイザー:中村恩恵

楽日も見る予定だが、とりあえず簡単にメモする。

【初日はC5、楽日はD2列で。3列離れるだけで全体がずいぶん見やすくなった。】

第1部

ゴルトベルク変奏曲」振付:髙橋一輝

J.S.バッハ/出演:奥田花純、宇賀大将、益田裕子、渡邊拓朗

椅子が数脚倒れているのが見える。【ブルーが基調の】正面壁に【大小の】丸い赤色照明が【交互に】ゆっくり点滅【小輪→大輪の順に。重なる部分もあるが融合しないのは、二人の関係を表象するのか。】無音のまま椅子を倒す音が何回かリピートされる。やがて「ゴルトベルク変奏曲」冒頭のアリアがかなり速めで流される。音も最初は小さめ。四人の男女が変奏に合わせ、椅子を用いて次々に踊る。ソロありデュエットあり。特に男性のソロが面白い。宇賀の後ずさる踊りなど。最後に冒頭のアリアが回帰し、赤い光の輪が合わさってエンド。少し素人くさいか。【←この第一印象は消えた。ヴァリエーションごとに椅子を巧みに使い、男女のデュエットのみならず、男男、女女の踊りもあり、よく考えられている。以前、盆子原をフィーチャーした作品より前進した。対話、葛藤、調和…。】

「猫の皿」振付:福田紘也

出演:福岡雄大、本島美和、福田圭吾、小柴富久修

「Format」振付・出演:福田紘也

「公演が終わるまでSNSで細かな内容を書かないで」と振付家。あと一公演残っているのでネタバレしないようメモする。

紘也が座布団を持って中央手前に置き、手鏡を見ながら透けた赤いセロファン(のようなもの)を口元に貼って去る。カミテに照明が作り出す「縦の道」で本島がソロを踊る。その後、小柴がXXの出で立ちで登場。座布団に座る前、XXを履いた右足のつま先を…。振付家は異なるジャンルの表現を同時進行させる。音楽の代わりに別の表現を使ってダンスを踊らせる、というべきか。ダンスに注視すると、別の表現が意味を結ばず、後者に集中すると、ダンスを見ることができない。平田オリザの「同時多発会話」みたいだ(これは両方コトバ)。が、時折、両者の表現がぴたりと一致する。と、なぜか笑いが起きる。両者の表現が終了し、レヴェランス。ダンサーたちはにこりともしない。それにしても小柴はXXが上手すぎ(ツカミも堂に入ってる)。X研だったのか。

今度は紘也がカミテの「道」で本島の踊りを引き継ぐ…。ラストで例の赤いセロファンを口元から剥がし、別の表現と同じ締めで終わる。すっかり身体が緩んだ。

【初日とはツカミが違う。どうやら毎回変えているらしい。しかも変わらず面白い。小柴は落語の経験がない? ほんとか。それにしては巧すぎるぞ。初日にも書いたが、表現が同時進行すると、特に片方がコトバの場合、両方に注視し、理解するのは難しい(音楽とダンス/バレエでも、完全に同期すると音楽が聞こえないこともある)。ダンスに注目すると、噺(コトバ)は意味ではなく音として認知される。後者に耳を傾けると、ダンサーが見えない。物理的に見えてはいるが、動きの意味や効果が認識しずらくなる。福田紘也はコトバの人だと思うが、結果としてダンスの解釈学を解体させる作品を創った。紘也こそ「変な人」ではないか。】

第二部「Danae」振付:貝川鐵夫

音楽:J.S.バッハ無伴奏チェロ組曲第6番」よりサラバンド、「ピアノ[チェンバロ]協奏曲第5番」よりアリオーソ[第2楽章]、フルート・ソナタ第2番よりシチリアーノ[第2楽章](ケンプ編)/出演:渡邊峻郁、木村優

ゼウスの性愛が絡むギリシャ神話といえば、「レダと白鳥(ゼウス) 」が有名だが、これは「アルゴスの姫ダナエと全能の神ゼウスとの情事を描い」た作品。冒頭とエンディングで使われる金色の紙切れはゼウスが変身した黄金の雨か。「エロティシズムの世界に身をゆだねていく」(貝川)バレエに、あえて官能的でない音楽を選んでいる。二人の踊りや身体性からそこはかとなくエロスを立ちのぼらせる目論見か。が、それは実現せず。振付はいいし、踊り自体は悪くないのだが。【貝川は振付家としての才能を開花させつつある。本作もよいと思うが、今回のペアは役柄にあまりフィットしていない印象。貝川と小野絢子で見てみたい。】

「beyond the limits of...」振付:福田圭吾(「DANCE to the Future 2016」上演作品)

音楽:Tommy Four Seven/出演:奥村康祐、米沢唯、寺田亜沙子、奥田花純、木下嘉人、原健太、宇賀大将、玉井るい

バッコン、バッコンの音楽にフォーサイスばりの踊りが効果的な照明とフォーメーションで進行する。前回出演の堀口純から米沢に、林田翔平から宇賀に代わった。米沢は踊りにキレがあり、この手によくある妖しさよりも清冽で伸びやかな感触が勝った。寺田はフォーサイスっぽい踊りがよく似合う。奥田もこの手はお手のもの。【よく創っている。木下もいいですね。みなカッコイイ。】

「カンパネラ」振付:貝川鐵夫(「DANCE to the Future 2016」上演作品)

音楽:F.リスト/出演:福岡雄大

 空を切る福岡の気合いに圧倒された。さすが。袴のようなパンツ(?)に上半身裸の出で立ちはサムライのよう。ピアノのトレモロと同期した指の動きは面白い。本作は〝古典化〟してきた。

【楽日 出演:貝川鐵夫 自分はこれなんだ。これで生きるのだ。と言わんばかりに全身全霊で踊る。後半は歯を食いしばって。グッときた。かなり。ビントリーに振付の機会を与えられて本当によかったですね。】

第三部 Improvisation 即興

音楽監修:笠松泰洋/演奏:スガダイロー(pf.)、室屋光一郎(vl.)、伊藤ハルトシ(vc./gt.)/出演:貝川鐵夫、福田圭吾、池田理沙子、髙橋一輝

 面白い! 三人の男性振付家相手に、池田は迷いなく、どう見えるか(踊りになるか)など頓着せず、その場に嵌まり込んで動き踊る。貝川は音楽の変化を身体で感じ、フリージャズ風には山崎広太ばりのハチャメチャ踊りを見せる。池田との絡みも三者三様。圭吾は内側を介さず身体的に、高橋は相手を探りながら、貝川は〝気〟で対抗しながら。結果、池田がすべてを支配したように見えなくもなかった。即興の音楽と踊りは、見る/聴く側も想像力が刺激され大変面白いが、演る方は、掛け替えのない訓練になるのだろう。

明日の楽日が楽しみだ。

【楽日 演奏:林正樹(pf.)、佐藤芳明(acc.)、岩川光(quena)、笠松泰洋(oboe)/出演:米沢 唯、渡邊峻郁、福田紘也、中島瑞生】

【初日同様、ブルー系の照明。コスチュームもブルーのTシャツに金の模様付。紅一点の米沢は、鍛え抜かれた美脚が印象的。ケーナやオカリナ(岩川)のメロディは南米の風土を想起させる。ダンサーたちは、密度が濃く温度も高めの空間をゆったり泳ぐように動き踊る。渡邊と中島が積極的に動きを作る。米沢は彼らに呼応して絡んだり、動いたり。岩川が鳥の羽で羽音を作り出すと、ダンサーらは虚空を見上げる。何かが空を舞いあがっていくかのよう。アコーディオン(佐藤)がピアソラばりのフレーズを数回奏するが、他の楽器がさほど乗ってこない。持て余した佐藤から、米沢が音を引き出すような動きを見せる。思わず釣り出される佐藤。こうしたなか、紘也だけが取り残されたようにシモテの壁際でずっと座り込んでいる。ダンサーが働きかけると、紘也は応じず奏者らに「静かにしてもらっていいですか!」。やはり彼はコトバの人だ。ゆったりしたフィクションが壊れかけたが、渡邊や米沢が次々に指を口に立て、恐る恐る離れると、フィクションが保たれる。このあと、紘也も立ち上がり、乗ろうとするが乗り切れない・・・。紘也の言動は、「エア縄跳び」を想起させる。架空の縄を二人で回し、そこへ別の人がタイミングを計り入って飛ぶ、あのゲームである。参加者全員がイメージを共有すると縄があるように見えてくる。が、二人の間を別の人が平然と歩けば、一気にフィクションは壊れるのだ。紘也の意図は分からないが、舞台におけるフィクションのからくりに思いを馳せた(彼は四回の新作上演で、たんに〝頭〟が疲れただけかも知れない)。30日のマチネーではどうだったのか。】

新国立劇場バレエ『ラ・バヤデール』2019 初日(続き)&千穐楽【訂正加筆】

『ラ・バヤデール』初日(3月2日[土]13:00/新国立劇場オペラハウス)の続き。ニキヤ:小野絢子/ソロル:福岡雄大/ガムザッティ:米沢 唯

これまで小野は福岡と踊ると、やや小さく纏まる傾向が無きにしも非ず。一方、ゲストダンサー相手には、対他的なあり方がより開かれて、踊りが大きくなるように感じる。ソロル役にムンタギロフを迎えた前回(2015年2月)がそうだし、コルネホと『こうもり』を踊った時 もしかり(2015年4月)。

今回はどうか。福岡とこの演目を踊るのは初めてのはず【ではなく、2011年1月に組んでおり、今回は8年振りの共演】。それもあるのか大変よいパフォーマンスだった。第1幕はまずまずだが、それ以降、第2幕のソロを含め好演。「影の王国」では大きな踊りを見せた。福岡のサポートは盤石でリフトがかなり高い。彼のヴァリエーションは見事だった。

ソロルとガムザッティの婚約披露宴。ガムザッティの米沢は王(ラジャー)の娘として終始ゆったりした気品のある踊り。動きのキレを誇示せず、要所はしっかり押さえた踊りを見せた。そこへニキヤが登場し恨み節を踊る。ガムザッティはわざと手をソロルに差し出し・・・。チェロのソロ(伊藤文嗣)が素晴らしい。花籠を渡されたニキヤ(小野)は大きなアラベスクを見せた。・・・ニキヤが毒蛇に咬まれ、ハイ・ブラーミン(菅野)から渡された解毒薬も、ソロルが自分への思いを貫く意志がないのを見て取り、それを捨てて死ぬ。驚いたガムザッティは父に訴えるが、父はそれを制する・・・(以下前回公演のメモに譲りたい)。ラジャーの貝川は登場時の歩行が少し軽いか・・・

3月10日(日)14:00 千穐楽翌日3月11日はマリウス・プティパ(1818-1910)の誕生日

ニキヤ:米沢 唯/ソロル:井澤 駿/ガムザッティ:木村優里 

第1幕ハイ・ブラーミン(大僧正)が誰なのか分からずに見た。あんな長身の若いダンサーいたか? 休憩後プログラムを見たら、貝川鐵夫だった! 宗教的権威よりニキヤへの思いに比重を置いた造形(初日の菅野英男は逆)。もっと重みがあってもよいが、これはこれでOK。苦行僧らの踊りは迫力(脚力)不足。ソロル井澤は戦士として少し甘めだが、主演の趣きはある【山本隆之の佇まいを彷彿させた】。ニキヤ米沢の神々(聖なる火)に捧げる踊りは前回に比べやや淡泊に見える。大僧正の口説きを断るシーンで、微塵もゆるがず断るニキヤに、狼狽える大僧正。(このとき貝川とは認識せず)なんか新鮮でよいと思った。ニキヤ米沢とソロル井澤の密会の踊り。先ほどとは打って変わった人間的な踊り。サポートはまだ改善の余地がある。この喜びのシーンでも米沢はいまひとつ晴れやかでないと感じるのは気のせいか(先週同様、ガムザッティを踊った翌日にニキヤを踊るのは体力的かつ気力的に相当きつかったのだろう)。

第1幕第2場「ラジャーの宮殿の一室」。ラジャー(王)役の中家正博は重みがあって大変よい。その娘との縁談話に当惑するソロル井澤。ガムザッティ木村は少しお高く止まった王家の娘。ニキヤとガムザッティの対決。あの手この手でニキヤを諦めさせようとするガムザッティ。だが、カミテを指さし、聖なる火の前で誓ったのだと、まったく取り合わないニキヤ。・・・アクシデンタルに目にしたナイフを掴み、ガムザッティにナイフを振り上げるニキヤ。アイヤに止められると、しばらく途方に暮れる。自分の行動なのに、何が起きたのか分からない。この宙吊り時間がこれまで見た中でもっとも長かった。やっと自分がやってしまったことの重大さを悟り、居たたまれなくなりカミテへ走り去るニキヤ米沢。すごくリアル。

第2幕「ラジャーの宮殿の中庭」婚約披露宴。ジャンペの踊りはいまひとつ。ガムザッティ(木村)の踊りは大変よいが、王家の娘としてはどうか。ブロンズアイドルの奥村康祐は、時間が細分化された踊りで魅せた。ソロル井澤のヴァリエーションは珍しく少しぐらついたが(どうした?)他の踊りはきれい。壺の踊りの原田舞子は表情豊かでユーモアがあり、思わず頬が緩む。子役とのやり取りも血が通っていた。

ニキヤ米沢登場。恨みより悲しみが勝っている。これみよがしにソロルへ手を差し伸べ、その効果を(ニキヤに)見るガムザッティ木村はなぜか当惑し、ふて腐れたような表情を浮かべた(?)。ここは王の娘として、舞姫にすぎぬニキヤに優越し勝ち誇った態度が必要。花籠の踊りにアップテンポがないのはやはりさびしい(慣れの問題だとは思うが)。

この日もチェロの伊藤文嗣は四年前同様、素晴らしい。ヴァイオリンソロ(ニキティン)も頑張った。

第3幕「影の王国」。山から下りてくる影(死者の霊)たちはいつもながら実に幻想的。ちなみに1877年の初演セットは暗がりの山ではなく、光り輝く天空の城だったらしい。

そもそも「影(霊)たちの入場」の踊りは、ギュスターヴ・ドレがダンテの『新曲』「天国篇」のために描いた挿画(1869)から想を得たという(画像のキャプションは平川祐弘訳/河出文庫に基づく)。

 太陽天の祝福された魂(左)  土星天「光まばゆい黄金色の梯…」

だが、プティパは1900年の再演でセットを暗い岩山(ヒマラヤ山脈)に変え、コール・ドも32名から48名に増やした。人数はともかく美術の方はそれが現在まで踏襲されている。なるほどインドが舞台のバレエにキリスト者ダンテの「天国」ではちぐはぐだ。背景をヒマラヤに変えたのは、インド宗教(ヒンドゥーバラモン教)の趣きを強めるためか。天上の宮殿よりも山から霊が降りてくる方が我々には親しみやすい。死んだ魂は、十万億土の彼方へ消え去ることなく、国土の山中に留まり時を定めて家に戻ってくる。そう信じているらしい我々には(柳田國男『先祖の話』)。

影(死霊)となったニキヤ米沢は渾身の踊り(言語矛盾だけど)。アダージョはラインの美しさを含め素晴らしかった。観客を注視させる集中力が凄まじい。ソロル井澤のヴァリエーションもよい。ニキヤの高速シェネはすごいキレ。ヴァイオリンソロのヴェール(スカーフ)のヴァリエーションでは、ヴェールが身体に巻き付くアクシデントも。が、米沢は動じた様子など微塵も見せず、何もなかったかのように踊り続けた。

この踊り、プティパのオリジナル版ではソロルは参加せず、ニキヤだけが長いヴェールを持って登場する。ヴェールの端は舞台上部に繋がれており、ニキヤが手を放すとヴェールは舞い上がり天空へ消えたとか。「まるで霊に導かれたかのように」。そもそも「影の王国」のニキヤの振付は大部分がプティパではなく、ポノマレフ&チャブキアーニの復刻版(1941年)でニキヤを踊ったドゥジンスカヤのものという。高速ピケ等を加えたのも彼女らしい(以上斜体の主な出典は下の画像を含め「マリウス・プティパ協会」HP)。

1900年「影の王国」 中央にクシェシンスカヤ(ニキヤ)とゲルト(ソロル

寺院崩壊後のラスト。四年前のニキヤ米沢はソロル福岡にその気があるなら付いてきなさい、と慈母観音のようなあり方だった。が、今回は違う。魂(霊)として何の感情も交えずただ天上へと歩んでいく。なんかしびれた。同時に、強く勇気づけられた。体調等は万全でなかったはずだが、全身全霊、渾身の力を振り絞って踊りきる。カーテンコールでの米沢唯は、実に晴れやかだった。観客へ、指揮者へ、オケのメンバーへ、パートナーへこころから感謝を捧げる。素晴らしいレヴェランス。