「木下晋展 いのちを描く」2019

「木下晋展 いのちを描く」を見た(11月14日、17日/ギャラリー枝香庵)。

枝香庵は2年前の「木下晋展 表現の可能性」で初めて訪れた。ギャラリーは古い銀座ビルディングの7Fと8Fにあるのだが、広い展示スペース(7F 枝香庵Flat)だけでなく、屋根裏を思わせるこぢんまりした回廊や小部屋(8F)もあり、屋上のテラスではお茶を飲みながら寛げるようになっている。とても居心地がよく、お気に入りの画廊である。

「願い」2019.7.21(125×200cm)

木下晋(1947- )は、十数種の鉛筆を使い分けて細密な人物像を描く〝えんぴつの画家〟として知られる。これまで氏のモデルとなったのは、母、瞽女小林ハル、元ハンセン病患者 桜井哲夫等々。つまり、この画家は〝危機的〟な境遇にある人物を好んで描いてきたといってよい。そんな木下氏が近年集中的に描いているのは、パーキンソン病に罹った妻である。「願い」(上図)もそのひとつ。仕上がる直前に見る機会を得たが、完成形を見るとまた違った感触があった。

横たわる半身。薄目を開け少し口を開いた苦悶の女性。表情だけ見るとこちらも苦しくなってくる。両手はしっかり合わさってはいないが、祈っているようにも見える。なにより彼女の周りに横溢する光が印象的だ。ギャラリーでは一段高くなったスペースの奥に展示され、その両側に大小の「合掌図」が掛けられている(下図)。まさに祭壇だ。光に包まれた女性は、宗教画のような神々しさを湛えている。作者のモデルへの深い愛をひしひしと感じる。

「願い」と二つの「合掌図」

2017年の「視線の行方」も妻を描いた作品。東京で展示するのは初めてで、私もこれが初見。二重瞼が年を重ねて少し垂れ下がっている。が、そこからわずかに覗く瞳はこのうえなく美しい。2年前このギャラリーに出展されていた「視線の光」(2015)と構図は似ているが趣がずいぶん異なる。「行方」では、澄んだ眼は何かを見ているようでもあり、何かに思いを馳せているようでもある。皮膚には深く皺が入り、頭髪はほつれ毛を含めみな白い。額の中央と鼻筋上部のやや左(本人からは右)に亀裂がある。肉体を徐々に蝕んでいく老いと病。が、そうした次元とは別の、透明な何かが瞳から視える。肉体は朽ちていくとしても、そこに宿る精神(魂)が、その美しさがここにある。それを、「痛み傷ついた老人の肉体」(阪田勝三)を克明に描き尽くすことで表現しえた木下晋に、画家としての凄味を感じた。

「視線の行方」2017.11.23(125×200cm)と「合掌図」2019.11.9(110×50cm)

「視線の行方」部分

 この部屋には他に旧作の「棄民」や「待つ人」が展示されている。ホームレスを描いた「棄民」は、氏と初めて会ったとき〝できたて〟として見た作品で、懐かしい。もう21年前か。

「棄民」1998(190×100)と「待つ人( I氏母堂)」1996(190×100)

8Fの小部屋や回廊には、木下氏に大きな影響を与えた瞽女小林ハルのデッザンや、猫を描いた小品、自画像等が展示されている。

映画監督の瀧澤正治氏(左)と木下晋氏

じつは、もう一度「願い」や「視線の行方」と会いたくなり、日曜の午後再訪した。この日は嬉しいことに木下さんも来ていた(前日のねじめ正一と木下氏のトークは都合がつかず断念)。また、日曜は映画監督の瀧澤正治氏が見に来られており、木下氏に紹介された。小林ハルを描いた映画『瞽女』の撮影が終わり、来年3月に公開されるという。構想を含め16年越しの完成だと。まったく知らなかった。ぜひ見たいと思う。

『刻む。ーー鉛筆画の鬼才、木下晋 自伝』城島徹 編(藤原書店)が12月に刊行される。「木下晋展」は21日(木)まで。
 

新国立劇場 演劇『どん底』2019/喜びは伝わったが

ゴーリキーの『どん底』を観た(10月18日 18:30/新国立小劇場)。楽日の三日前となったのは、12日(土)13:00の公演が台風19号の影響で中止となり、振り替えたため。

最後に『どん底』を見たのはもうずいぶん前だ。演出は千田是也(1904-94)、場所は砂防会館だったと思う。調べてみると1980年。他にも見たかも知れないがどうもはっきりしない。

どん底』(1902)全4幕/作:マクシム・ゴーリキー(1868-1936)/翻訳:安達紀子/演出:五戸真理枝/美術:池田ともゆき/照明:坂口美和/音楽監修:国広和毅/音響:中嶋直勝/衣裳:西原梨恵/ヘアメイク:川端富生/アクション:渥美 博/演出助手:橋本佳奈/舞台監督:有馬則純

 例によって時間が経過し細部の記憶は怪しいが、走り書きを頼りにメモする。

ルカ:立川三貴

サーチン:廣田高志

ヴァシリーサ:高橋紀恵

ナターシャ:瀧内公美

クヴァシュナ:泉関奈津子

俳優:堀 文明

ブブノフ:小豆畑雅一

メドヴェージェフ:原金太郎

コスティリョフ:山野史人

クレーシィ:伊原 農

アンナ:鈴木亜希子

男爵:谷山知宏

ペーペル:釆澤靖起

ゾブ:長本批呂士

ナスチャ:クリスタル真希

プロンプター 他:今井 聡

アルリョーシュカ:永田 涼

ダッタン人:福本鴻介

 セットは高速道路か新幹線の高架下。この工事現場に役者仲間が久し振りに集い『どん底』を演じるという趣向。プロンプターもいる。つまり劇中劇だ。第2幕の後半からそのフレームが外れた(というか観客に忘れられた)頃、その幕切れで、ヘルメットを被った工事作業員[高速道路職員らしい](プロンプター役の今井聡)が高架の上部から梯子をゆっくり降りてくる。すると、みな慌てて立ち去り幕。ブレヒト的異化効果? 15分の休憩後、立ち入り禁止の看板が立つ第3幕がスタート。次第に客席側も演技場に。3幕から4幕へのトランジションでは全員でセットを組む。…

第2幕でアンナ(鈴木亜希子)が死んだとき、彼女はベッドから離れ、ハケた役者としてそばで他の演技を見守る。夫クレーシィ(伊原農)が死の床の方へ来ると、アンナ役はゆっくり夫に近づきじっと彼を見る。この間、照明がななめ上から彼女を捉える。まるで死者の霊(妻)が生者(夫)を見つめているかのよう。

木賃宿の亭主コスティリョフ(山野史人)の妻であるヴァシリーサ(高橋紀恵)とペーペル(釆澤靖起)の不倫関係。さらにヴァシリーサの妹ナターシャ(瀧内公美)とペーペルの関係。ペーペルによる亭主殺害…。

様々な人間模様が展開されるが、幕切れで、ハケた役者が次々にサイドの金網ぎわに座り、仲間の芝居を見ている。最後の酒盛りでは演じ終えた役者を含め全員参加する。俳優(堀文明)が首を括ったことを男爵(谷山知宏)が告げる少し前(俳優役はすでにハケて酒盛りに参加)、観客席のカミテ出入り口から警官(今井)が登場。高架下で演じている役者たちの方へ不思議そうに近づき、ハケて見ていたメドヴェージェフ役(原金太郎)が事情を説明する風(互いに警官だ)。芝居はとりあえず最後までやりきり、みなあっという間に解散する。ひとり残った警官はサーチンが壁に描いた「人間」の文字を小声で呟き、肩に付いた無線で報告し…幕。

幕切れについて補足すると、第4幕で、不在のルカから影響を受けたサーチン(廣田高志)がルカ張りの演説をぶる。が、その悦に入ったスピーチをあざ笑うように俳優が首を括った知らせが入る。ルカの言葉に希望を抱いた俳優の死(絶望)。この幕切れは結構苦いが、その苦さ(筆名のゴーリキーは「苦い」の意らしい)は最後の警官の呟き(ニンゲン)等により、かなり弱められた。苦さよりも人間賛歌の趣き。

役者は好かった。宿の亭主コスティリョフ役の山野史人(『ゴドーを待ちながら』は素晴らしかった)、ルカ役の立川三貴はさすがの演技(チェーホフ/中村雄二郎の『プラトーノフ』はいまでも覚えている)。ナスチャのクリスタル真希は研修所の試演会でよく見たが、今回は久し振り。役にぴったりで笑った。ヴァシリーサの高橋は『アンチゴーヌ』では脇を強烈に固めていたが、ここではまた違った魅力を発揮。ペーペルの釆澤は『ナシャ・クラサ』で初めて見た。こういうヴァイオレントな役も出来るのか(さすがに文学座はよい役者を排出している)。他にも歌の巧い役者等々。

設定はとても面白い。工事現場で芝居をする役者たちは実に楽しそう。演劇(すること)の喜びはよく伝わってきた。

一方で、芝居の中身と設定(フレーム)との関係がいまひとつ判然としない。たしかに劇中にもアル中で落ちぶれた俳優が登場する。が、現代の役者一般を「どん底」生活者と見做すのはやはり無理がある(生活が楽ではないとしても、いまや〝河原乞食〟の時代ではない)。 劇の虚構性を破る作業員[高速道路職員](第2幕の終り)や警官(第4幕の終り)については、劇中のダッタン人やゾブが荷担ぎ人夫で、メドヴェージェフは警官だから、似た境遇とはいえる。

だが、社会的格差がかつてないほど広がったいま、役者や警官や作業員よりも「どん底」生活を強いられている者が外国人労働者(ダッタン人のような)を含め、もっと他にいるだろう。後味が釈然としないゆえんである。

翻訳者の作品解釈が載っていた。要するに、「現代を生きる私たちもそれぞれ形を変えた「どん底」を背負って」おり、「「どん底」と共生することこそが生きることであり、それこそが真実なのだ」と(プログラム)。

今回の舞台も同じラインから、普遍化/一般化した「どん底」のありようを描こうとしたのだろうか。

 プログラムには岸田國士(1890-1954)の「『どん底』の演出」と題する短文も掲載されていた。岸田は1954年の文学座公演で本作の演出を手がけたが、初日の前日に倒れ、翌朝 3月5日に永眠した。岸田はこの文で、パリ留学中の1922年にモスクワ芸術座の『どん底』(スタニスラフスキイのサーチン、チェーホフ夫人クニッペルのナースチャ等)を見たこと、帰国後、小山内薫訳・演出の『どん底』がじめじめして暗く、やりきれないほど「長い」こと等を指摘する。「戯曲「どん底」は、長い北欧の冬からの眼醒めを主題とする希望と歓喜の歌が、この、辛うじて人間である人々の胸の奥でかすかに響いてゐるやうな気がする。コーリキイは、「どん底」の人々の誰よりもスラヴ的「楽天家」なのである」と。

さらに岸田の「『どん底』ノート」(プログラムには未掲載)には登場人物についての短いメモが記され、たとえば、ルカは「最大の悪人、最も有害な存在。人を油断させ、人を嘘で酔はせる。空ろな希望に身を任させる。これが、やさしさの正体」とある(『岸田國士演出 台本「どん底」——神西清訳による』角川書店、1954)。

岸田が強調する作品の「明るさ」は、同じ文学座の五戸真理枝演出にも引き継がれていた。が、ルカには、岸田のいう悪人性は見られず、きわめてポジティヴな造形だった。巡礼者ルカの悪人性、有害性についてはもちろん議論の余地がある。翻訳者によれば、ロシアでもルカの人物像に関して論争があるらしい。だが、少なくともルカの言葉に踊らされた俳優が自死した結末からすれば、配布された「登場人物紹介」(上掲)の、「あったかい」「とても優しい」「おじいちゃん」との一面的な要約には、違和感がある。

ルカの悪人性を押さえたうえで、本作の明るさを読み取った岸田國士はいったいどんな舞台を創ったのか。観てみたかった。

ところで『岸田國士演出 台本「どん底」』に、演出助手を務めた戌井市郎の「稽古日誌」が載っている。興味深い記述が少なくないが、とりわけ次の指摘には強い共感を覚えた。

発声につき、所謂、音汚く怒鳴ることを極力避けるよう注意あり。

画家ブブノワ女史*1、来座。総じて日本の舞台俳優は怒鳴りすぎることを指摘。

 岸田の「注意」と、当時の在日ロシア人の「指摘」は奇しくも重なっている。こうした六十数年前の注意や指摘は、現在の日本の演劇界にもいまだに有効だといわざるをえない(今回の舞台はさほどでもなかったが)。

*1:ワルワーラ・ブブノワ(1886-1983)はロシア人美術家で、妹は、諏訪根自子や岩本真理などを育てたヴァイオリン教師の小野アンナ。オノ・ヨーコはアンナの義姪にあたる。

11月のフィールドワーク予定 2019【キャスト一部変更】【追記】

今月は新国立劇場 三部門の上演作に注目している。オペラではドニゼッティの《ドン・パスクワーレ》が新制作され、劇場初演となる。演劇部門の『あの出来事』(2013年初演)は、極右青年がノルウェーで起こした銃乱射テロ事件を扱った作品で、登場人物は2人だが30人の合唱団とピアニストがコロスとして参加するという。どんな舞台になるのだろう。バレエ(ダンス)では2017年3月に初演された中村恩恵振付の『ベートーヴェンソナタ』が再演される。生誕200周年を来年迎える作曲家の生涯をモチーフにした秀作で、再演を心待ちにしていた。BCJの定演は《ブランデンブルク協奏曲》の全曲版。つまり声楽(合唱)なしだ。第5番は佐藤俊介(35歳)率いるオランダ・バッハ協会の演奏で聴いたばかり。鈴木優人(38歳)がBCJでどんな音楽作りをするのか。これも楽しみだ。

8日(金)19:15 新日本フィル #612 定演 トパーズ〈トリフォニー・シリーズ〉グリーグ:序曲「秋に」 op. 11/ニールセン:ヴァイオリン協奏曲 op. 33*/チャイコフスキーバレエ音楽『眠れる森の美女』より抜粋/指揮:ニコライ・シェプス=ズナイダー/ヴァイオリン:ヨハン・ダールネ* @すみだトリフォニーホール

9日(土)14:00 新国立劇場オペラ《ドン・パスクワーレ》全3幕〈イタリア語上演/日本語及び英語字幕付〉作曲:ガエターノ・ドニゼッティ指揮:コッラード・ロヴァーリス/演出:ステファノ・ヴィツィオーリ/美術:スザンナ・ロッシ・ヨスト/衣裳:ロベルタ・グイディ・ディ・バーニョ/照明:フランコ・マッリ/演出助手:ロレンツォ・ネンチーニ[キャスト]ドン・パスクワーレ:ロベルト・スカンディウッツィ/マラテスタ:ビアジオ・ピッツーティ/エルネスト:マキシム・ミロノフ/ノリーナ:【ダニエル・ドゥ・ニースは「本人の都合」でキャンセル】ハスミック・トロシャン/公証人:千葉裕一/合唱指揮:三澤洋史/合唱:新国立劇場合唱団/管弦楽東京フィルハーモニー交響楽団新国立劇場オペラハウス

【14日(木)木下 晋 展――いのちを描く@ギャラリー枝香庵7F・8F】

14日(木)19:00 新国立劇場 演劇『あの出来事』The Events [日本初演]〈日本語上演/日本語及び英語字幕付 〉作:デイヴィッド・グレッグ(Greig グレイグ)/演出:瀬戸山美咲/翻訳:谷岡健彦/出演:南 果歩 小久保寿人/「あの出来事」合唱団(五十音順):秋園美緒 あくはらりょうこ 石川佳代 カーレット・ルイス 笠原公一 かとうしんご 鹿沼玲奈 上村正子 木越 凌 岸本裕子 小口舞馨 小島義貴 櫻井太郎 桜庭由希 Sunny 白神晴代 菅原さおり 杉山奈穂子 鈴木里衣菜 武田知久 谷川美枝 富塚研二 中村湊人 松浦佳子 南舘優雄斗 柳内佑介 山口ルツコ 山本雅也 吉岡あきこ 吉野良祐/ピアノ:斎藤美香 @新国立小劇場

24日(日)15:00 BCJ #135 定演 J. S. バッハ《ブランデンブルク協奏曲》全曲 BWV 1046〜1051指揮・チェンバロ:鈴木 優人/トランペット:ギ・フェルベ/フラウト・トラヴェルソ:鶴田洋子/リコーダー:アンドレアス・ベーレン/ホルン:福川伸陽/オーボエ:三宮正満/ヴァイオリン:若松夏美、高田あずみ、山口幸恵/管弦楽バッハ・コレギウム・ジャパン東京オペラシティ コンサートホール:タケミツ メモリアル

28日(木)19:00 新国立劇場オペラ《椿姫》全3幕〈イタリア語上演/日本語及び英語字幕付〉作曲:ジュゼッペ・ヴェルディ指揮:イヴァン・レプシッチ/演出・衣裳:ヴァンサン・ブサール/美術:ヴァンサン・ルメール/照明:グイド・レヴィ[キャスト]ヴィオレッタ:ミルト・パパタナシュ/アルフレードイヴァン・アヨン・リヴァス【「家族の事情」でキャンセル】ドミニク・チェネス/ルモン:須藤慎吾/フローラ:小林由佳/ガストン子爵:小原啓楼/ドゥフォール男爵:成田博之/ドビニー侯爵:北川辰彦/医師グランヴィル:久保田真澄/アンニーナ:増田弥生/ジュゼッペ:中川誠宏/使者:佐藤勝司/フローラの召使:上野裕之/管弦楽東京フィルハーモニー交響楽団/合唱:新国立劇場合唱団 @新国立劇場オペラハウス

29日(金)18:00 北とぴあ国際音楽祭2019 セミ・ステージ形式 オペラ《リナルド》1711年版・全3幕〈イタリア語上演・日本語字幕付〉作曲:ヘンデル/指揮・ヴァイオリン:寺神戸 亮/演出:佐藤美晴/管弦楽:レ・ボレアード(オリジナル楽器使用)[キャスト]リナルド:クリント・ファン・デア・リンデ/アルミレーナ:フランチェスカ・ロンバルディ・マッズーリ/アルミーダ:湯川亜也子/ゴッフレード:布施奈緒子/エウスターツィオ:中嶋俊晴/アルガンテ:フルヴィオベッティーニ/魔法使い:ヨナタン・ド・クースター/シレーネ1:澤江衣里/シレーネ2:望月万里亜 @北とぴあ さくらホール

30日(土)14:00 中村恩恵×新国立劇場バレエ団『ベートーヴェンソナタ振付:中村恩恵/音楽:ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン/照明:足立 恒/美術:瀬山葉子/衣裳:山田いずみ/音楽監修・編曲:野澤美香/音響:内田 誠[キャスト]ベートーヴェン:福岡雄大ジュリエッタ:米沢 唯/アントニエ:小野絢子/カール:井澤 駿/ヨハンナ:本島美和/ルートヴィヒ:首藤康之//池田理沙子、井澤 諒、貝川鐵夫、 木村優里、寺田亜沙子、 福田圭吾、渡邊峻郁、奥田花純 、 木下嘉人、五月女 遥/宇賀大将、 小野寺 雄、清水裕三郎、 髙橋一輝、玉井るい、中田実里、 福田紘也、 益田裕子、関 晶帆、 中島瑞生、 渡邊拓朗 @新国立中劇場

 

佐藤俊介とオランダ・バッハ協会管弦楽団/驚嘆すべき音楽家

佐藤俊介とオランダ・バッハ協会管弦楽団」のコンサートを聴いた(10月5日 14:00/彩の国さいたま芸術劇場 音楽ホール)。

音楽監督/ヴァイオリン:佐藤俊介

ヴァイオリン:アンネケ・ファンハーフテン、ピーテル・アフルティト

ヴィオラ:フェムケ・ハウジンガ

チェロ:ルシア・スヴァルツ

コントラバス:ヘン・ゴールドソーベル

チェンバロ:ディエゴ・アレス

バスーン:ベニー・アガッシ

フルート:マルテン・ロート

オーボエ:エマ・ブラック、ヨンチョン・シン

質の高いアーティストたちによる優雅で活き活きとした演奏。600人収容のホールはこの手の音楽には最適で、聴衆のマナーを含め、大変気持ちの好い公演となった。以下、簡単にメモする。

J. S. バッハ:管弦楽組曲第1番 ハ長調 BWV 1066

まさに舞曲だ。音はとても柔らか。メヌエットの中間部などは弦と管のコントラストを視覚と聴覚で楽しめた。

ヨハン・ゲオルク・ピゼンデル(1687-1755):ダンスの性格の模倣

初めて聴いた。ピゼンデルはドレスデン宮廷楽団のコンサートマスターとして活躍。22歳のとき若いバッハと知り合ったという(寺西肇「Program Notes」)。ピッコロが入り、バグパイプ風の響きも聞こえた。民族的な感触。が、あっという間に終わった。

J. S. バッハ:ヴァイオリンとオーボエのための協奏曲 ハ短調 BWV 1060R 

オーボエピリオド楽器とはいえ少し不安定か。第3楽章のアレグロで佐藤は伴奏と主題の別を明確に奏し分ける。装飾を入れるところでも実に軽々! とんでもないヴァイオリニストだ。

ここで20分休憩

J. S. バッハ:ヴァイオリン協奏曲第2番 ホ長調 BWV 1042

 第二楽章のアダージョでは、バッソ・オスティナートのうえにヴァイオリンソロが短調のメロディを奏でていく。その自然な美しさといったら。

ピエール=ガブリエル・ビュファルダン(1693-1768):《5声の協奏曲 ホ短調》より 第2楽章 

これも初めて。ビュファルダンはフルート奏者で作曲家。J. S. B.より八歳若い。この楽章はフルート変奏曲の趣きがある。チェンバロと弦のピチカートはリュートアルペジオのように聞こえた。マルテン・ロートのフラウト・トラヴェルソはまろやかな音色で、もっと聴いていたい。が、これもあっという間。

J. S. バッハ:ブランデンブルク協奏曲第5番 ニ長調 BWV 1050/ヴァイオリン

 第1楽章。例のチェンバロ(ディエゴ・アレス)の長いソロは、これみよがしでなく典雅に進んでいき、後半でとんでもない名人芸を発揮した。が、どこまでも気品を失わない。第二楽章はヴァイオリンとフルートの掛け合いが楽しい。第3楽章は、飛び跳ねるようなテーマを各楽器が次々に受け渡していく。

アンコール一曲目は

管弦楽組曲第2番 ロ短調 BWV1067 からバディネリー(バディヌリー)

フルートが速いテンポで戯れていく。二曲目は

組曲第3番 二長調 BWV1068 からアリア(エア)

佐藤が奏でるアリアは繊細だが神経質なところが微塵もない。虚飾は皆無で、限りなく優美。即興的に入る装飾に〝いまここ〟が刻印された。

楽曲・編成に応じて演奏家の立ち位置が様々に変わるため、視覚的にも変化があって飽きない。佐藤(コンサートマスター/音楽監督)と他の演奏者たちとのやりとりがとても興味深い。ヴァイオリンの技量はいうまでもないが、その〝対話力〟も尋常ではない(「佐藤俊介の現在(いま) Vol.1 ヴァイオリン×ダンス―奏でる身体 2015年」で実証済みだが)。

佐藤はヴァイオリンを弾くとき、その楽器と一定の距離があるかのように感じさせる。ピリオド楽器バロックヴァイオリン)は顎当てを使わないからそう見えるのだろうが、たぶんそれだけではない。佐藤の場合、弾いている人間と他の奏者の演奏を聴きながら指揮する人間が同時にそこに居るような錯覚に襲われるのだ。いったい彼の音楽脳はどうなっているのか。佐藤俊介は驚嘆すべき音楽家である。

無伴奏ヴァイオリン・ソナタ&パルティータ全曲」(2018年11月4日/所沢市民文化センター ミューズ キューブホール)

佐藤俊介の現在 Vol. 2 ドイツ・ロマン派への新たな眼差し」(2016年2月13日/彩の国さいたま芸術劇場 音楽ホール)

 

新日本フィル #611 定演/未完の二作

新日本フィルの定演 #611 トパーズ〈トリフォニー・シリーズ〉の初日を聴いた(10月4日 19:15/すみだトリフォニーホール)。指揮は上岡敏之コンサートマスターは崔文洙。

フランツ・シューベルト(1797-1828)交響曲第7番 ロ短調 D759「未完成」

第1楽章はハイテンポで、室内楽のようなやさしさ。と思いきや、突然、激しい感情が沸き起こる。第2楽章も速い。クラリネット(ペレス)が短調のメロディを歌いオーボエ(古部)が長調で返すシークエンスは、この上なく美しい。弦楽器が歩をしっかり進めるなか、管楽器群が流麗なメロディを奏するところも快速だ。時おり歩を休め、中断したかのような個所を経て、あっという間に幕を閉じる。まるで人生のように。そういえば、シューベルトは本作を未完のまま31歳で生涯を終えたのか。

ヴォルフガング・アマデウスモーツァルト(1756-91)レクイエム ニ短調 K. 626

ソプラノ:吉田珠代/アルト:藤木大地/テノール:鈴木准/バス:町英和/合唱:東京少年少女合唱団、東京少年少女合唱隊カンマーコア/合唱指揮:長谷川久恵

 コーラスに少年少女を使い、オケを極力抑えることで透明感ある音楽を目指したのだろう(フォーレのような)。ただ、頭ではそう理解しても、正直いまひとつ身体に食い込んでこなかった。音楽のかたちがみえ(感取し)にくい。Dies iraeなどはあれでよいのか。ソリストは質が高かった(特にソプラノとバリトン)。弦楽器のピリオド奏法はよいのだが、極端な弱音のとき音楽が崩れるような印象も。ペレスのクラリネット(バセットホルン)はよく効いていた。トロンボーンは感じが出ていたが、Tuba mirumのソロは残念。上岡の〝いわゆる〟を排した解釈には総じて好感を持っている。が、たまに弱音の過度な強調が裏目に出るというのか、パフォーマーのエネルギーが一つに収斂し損ね、こちらの身体に届かない場合がある。今回はもっと小さなホールなら違っていたのか。3階で聴いた知人はポジティブな印象をもったと言っていた。

それにしても客席はガラガラ。演目によっては仕方ないと思っていたが、未完成と〝モツレク〟でこれだとちょっと深刻だ。たとえ少なくとも傾聴する客ならまだましだが(斜め前の会員とおぼしき中年カップルは、レクイエムの演奏中にご婦人がちらしを折り畳んでハンドバッグへ入れると、今度は男性がのど飴を袋から出して口に入れる。自分が発しているノイズに気づかないらしい。そもそも音楽を聴いているのか…。指揮者や団員が気の毒になった)。

10月のフィールドワーク予定 2019【追記】

音楽では、新国立の新制作オペラ《オネーギン》、上岡=新日本フィルの〝モツレク音楽監督 佐藤俊介の率いるオランダ・バッハ協会の公演が並ぶ。/演劇では、野田秀樹の新作『Q』と、数十年ぶりに見る『どん底』がある。前者はたまたまフライヤーを見たのが追加販売前日で、補助席をゲットした。「クイーンのアルバムにインスパイアされた『ロミ&ジュリ』の後日談」というが、いったいどんな舞台になるのか。/千田是也演出の『どん底』を砂防会館で見たのはなんと1980年! 千田是也(本名 伊藤圀夫)といっても今の人はほとんど知らないだろう。ましてや、その名が関東大震災(1923年9月1日)直後に千駄ヶ谷(センダ)で自警団から「おまえは朝鮮人(コレヤ/コリア)か」と誰何された経験に由来するなど、いまや冗談に聞こえかねない。自警団(日本人)に虐殺された朝鮮人の追悼式には毎年都知事が追悼文を送付してきた。が、あろうことか、二年前から現都知事がそれを取りやめたのだ。希代の演劇人が千田是也という名に込めた思いを何度も想起する今日この頃である。/野田による恋愛悲劇の後日談を見たあと、新国立バレエの『ロミ&ジュリ』再演が待っている。ダンサーたちの成長を見届けたい。

1日(火)18:30 新国立劇場オペラ 新制作《エウゲニ・オネーギン》[全3幕/ロシア語上演/日本語・英語字幕付]音楽:ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー/原作:プーシキン/指揮:アンドリー・ユルケヴィチ/演出:ドミトリー・ベルトマン/美術:イゴール・ネジニー/衣裳:タチアーナ・トゥルビエワ/照明:デニス・エニュコフ/振付:エドワルド・スミルノフ/演出助手:ガリーナ・ティマコーワ/舞台監督:髙橋尚史[キャスト]タチヤーナ:エフゲニア・ムラーヴェワ/オネーギン:ワシリー・ラデュー/レンスキー:パーヴェル・コルガーティン/オリガ:鳥木弥生/グレーミン公爵:アレクセイ・ティホミーロフ/ラーリナ:森山京子/フィリッピエヴナ:竹本節子/ザレツキー:成田博之/トリケ:升島唯博/隊長:細岡雅哉/合唱指揮:三澤洋史/合唱:新国立劇場合唱団/管弦楽東京フィルハーモニー交響楽団新国立劇場オペラハウス

4日(金)19:15 新日本フィル #611 定演 トパーズ〈トリフォニー・シリーズ〉シューベルト交響曲第7番 ロ短調 D759 「未完成」/モーツァルト:レクイエム ニ短調 K. 626*指揮:上岡 敏之/ソプラノ:吉田 珠代*/カウンターテナー:藤木 大地*/テノール:鈴木 准*/バリトン:町 英和*/合唱:東京少年少女合唱隊東京少年少女合唱隊カンマーコア*/合唱指揮:長谷川 久恵* @すみだトリフォニーホール

5日(土)14:00 佐藤俊介とオランダ・バッハ協会管弦楽団」 J. S. バッハ:管弦楽組曲第1番 ハ長調 BWV 1066/ピゼンデル:ダンスの性格の模倣/J. S. バッハ:ヴァイオリンとオーボエのための協奏曲 ハ短調 BWV 1060R/J. S. バッハ:ヴァイオリン協奏曲第2番 ホ長調 BWV 1042/ビュファルダン:《5声の協奏曲 ホ短調》より 第2楽章/J. S. バッハ:ブランデンブルク協奏曲第5番 ニ長調 BWV 1050/ヴァイオリン/音楽監督佐藤俊介/ヴァイオリン:アンネケ・ファンハーフテン、ピーテル・アフルティト/ヴィオラ:フェムケ・ハウジンガ/チェロ:ルシア・スヴァルツ/コントラバス:ヘン・ゴールドソーベル/チェンバロ:ディエゴ・アレス/バスーン:ベニー・アガッシ/フルート:マルテン・ロート/オーボエ:エマ・ブラック、ヨンチョン・シン @彩の国さいたま芸術劇場 音楽ホール

10日(木)19:00 NODA・MAP第23回公演『Q:A Night At The Kabuki 』inspired by “A Night At The Opera”/作・演出:野田秀樹/音楽:QUEEN/美術:堀尾幸男/照明:服部基/衣裳:ひびのこづえ/美粧:柘植伊佐夫/サウンドデザイン:原摩利彦/音響:藤本純子/振付:井手茂太/舞台監督:瀬﨑将孝/出演:松たか子 上川隆也 広瀬すず 志尊淳 橋本さとし 小松和重 伊勢佳世 羽野晶紀 野田秀樹 竹中直人 秋山遊楽 石川詩織 浦彩恵子 織田圭祐 上村聡 川原田樹 木山廉彬 河内大和 末冨真由 鈴木悠華 谷村実紀 松本誠 的場祐太 モーガン茉愛羅 柳生拓哉 八幡みゆき 吉田朋弘 六川裕史 @東京芸術劇場 プレイハウス

12日(土)13:00 新国立劇場 演劇『どん底』作:マクシム・ゴーリキー/翻訳:安達紀子/演出:五戸真理枝台風19号のため中止 18日に振替↓】

【18日(金)18:30 新国立劇場 演劇『どん底』作:マクシム・ゴーリキー/翻訳:安達紀子/演出:五戸真理枝/美術:池田ともゆき/照明:坂口美和/音楽監修:国広和毅/音響:中嶋直勝/衣裳:西原梨恵/ヘアメイク:川端富生/アクション:渥美 博/演出助手:橋本佳奈/舞台監督:有馬則純/出演:立川三貴 廣田高志 高橋紀恵 瀧内公美 泉関奈津子 堀 文明 小豆畑雅一 伊原 農 鈴木亜希子 谷山知宏 釆澤靖起 長本批呂士 クリスタル真希 今井 聡 永田 涼 福本鴻介 原金太郎 山野史人@新国立小劇場】

19日(土)14:00 新国立劇場バレエ『ロミオとジュリエット』音楽:セルゲイ・プロコフィエフ/振付:ケネス・マクミラン/装置・衣裳:ポール・アンドリュース/照明:沢田祐治/指揮:マーティン・イエイツ管弦楽東京フィルハーモニー交響楽団//ジュリエット:小野絢子/ロミオ:福岡雄大/マキューシオ:奥村康祐/ティボルト:貝川鐵夫/ベンヴォーリオ:福田圭吾/パリス:渡邊峻郁/キャピュレット卿:輪島拓也/キャピュレット夫人:本島美和/乳母:丸尾孝子/ロザライン:渡辺与布/大公:内藤 博/ロレンス神父:菅野英男/モンタギュー卿:古川和則/モンタギュー夫人:玉井るい @新国立劇場オペラハウス

20日(日)13:00 新国立劇場バレエ『ロミオとジュリエット』ジュリエット:米沢 唯/ロミオ:渡邊峻郁/マキューシオ:木下嘉人/ティボルト:福岡雄大/ベンヴォーリオ:速水渉悟/パリス:井澤 駿/乳母:楠元郁子/ロザライン:関 晶帆 @新国立劇場オペラハウス

20日(日)18:30 新国立劇場バレエ『ロミオとジュリエット』ジュリエット:木村優里/ロミオ:井澤 駿/マキューシオ:木下嘉人/ティボルト:中家正博/ベンヴォーリオ:速水渉悟/パリス:小柴富久修/乳母:楠元郁子/ロザライン:関 晶帆

26日(土)14:00東京バレエ団×勅使川原三郎東京バレエ団創立55周年記念 委嘱作品 新作『雲のなごり』* 世界初演/演出・振付・照明・美術:勅使川原三郎/音楽:武満 徹「地平線のドーリア」「ノスタルジア//ジョージ・バランシン『セレナーデ』音楽:ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー//モーリス・ベジャール春の祭典』音楽:イーゴリ・ストラヴィンスキー//指揮:ベンジャミン・ポープ/管弦楽:東京シティ・フィルハーモニー管弦楽団共演:佐東 利穂子*(KARAS)東京バレエ団(出演が予定される主なソリスト)上野 水香 川島 麻実子 沖 香菜子 奈良 春夏 伝田 陽美 岸本 夏未 二瓶 加奈子 三雲 友里加 政本 絵美 金子 仁美 秋山 瑛 柄本 弾 秋元 康臣 宮川 新大 池本 祥真 岡崎 隼也 森川 茉央 杉山 優一 ブラウリオ・アルバレス 井福 俊太郎 @東京文化会館

26日(土)18:30 新国立劇場バレエ『ロミオとジュリエット』ジュリエット:小野絢子/ロミオ:福岡雄大/マキューシオ:奥村康祐/ティボルト:貝川鐵夫/ベンヴォーリオ:福田圭吾/パリス:渡邊峻郁/乳母:丸尾孝子/ロザライン:渡辺与布 @新国立劇場オペラハウス

27日(日)14:00 新国立劇場バレエ『ロミオとジュリエット』ジュリエット:米沢 唯/ロミオ:渡邊峻郁/マキューシオ:木下嘉人/ティボルト:福岡雄大/ベンヴォーリオ:速水渉悟/パリス:井澤 駿/乳母:楠元郁子/ロザライン:関 晶帆 @新国立劇場オペラハウス

新日本フィル #609 定演 /ブルックナー#7/希望としての歌

新日本フィル #609 定演 ジェイド〈サントリーホール・シリーズ〉を聴いた(9月5日 19:00/サントリーホール)。指揮は上岡敏之コンサートマスターは崔文洙。遅まきながら、ごく簡単にメモする。

フランツ・シューベルト(1797-1828):交響曲第4番 ハ短調 D417「悲劇的」

〝 歌の人〟シューベルトの19歳の作品。こぢんまりしたきれいな音楽、あるいはそのような演奏だった。

アントン・ブルックナー(1824-96):交響曲第7番 ホ長調 WAB 107(ハース版)

 初めて聞くような感じ。シューベルトと地続きで、どのパートも自然に歌っている印象だ。終演後、電車内で音楽監督の「2019/2020 SEASON MESSSAGE」を見たら、歌と人間との本質的な関係に言及し、争いの絶えない世界にあって、歌に希望を見出したい旨が綴られていた(プログラム)。なるほど。

第一楽章の地上と天上を往還するようなテーマはとても伸びやかで自然。第二楽章はワーグナーへの追悼(葬送)音楽として有名だが、短調長調いずれのテーマも実によく歌っていた。とりわけ長調の主題はとても懐かしく美しい。 故人との交わりを、あれは天国だったのかと追慕しているような印象だ*1。二つの主題をうねるように何度も繰り返し、やがて頂点を極める。が、どこまでも自然でふっくらとしていた(シンバルやトライアングルを加えずティンパニのみの選択は説得的)。決して咆哮し威圧することはない。そもそも歌では威圧できない。終楽章の開始テーマでヴァイオリンは指揮者から生を吹き込まれ、飛び跳ねるように歌う(崔!)。ラストですべて音が鳴りやみ、完全に消えていくまで美しい沈黙が保たれた。客席は満杯ではなかったが、本当に耳を傾ける人だけが来ていたようだ。こうでなくては。

いたるところで分断や争いが絶えない現在、上岡敏之新日本フィルは、音楽家として、歌うことの素晴らしさ、人間に本来そなわっている歌心を、身をもって示した。ヒットラーが自殺したあとドイツのラジオ放送はこのアダージョワーグナーの《神々の黄昏》から「ジークフリートの死」を終日流したという。演奏は総統お気に入りのフルトヴェングラーが指揮するベルリンフィル。「英雄の死」を印象付けるためだろう。が、この日の演奏は「英雄の死」からはるかに遠い、どこまでも人間的な音楽だった。

*1:E. Dickinsonの詩の一節を思い出す、「別れは天国について我々が知っているすべてであり、/地獄について知らねばならぬすべてである」。