7月のフィールドワーク予定 2025

今月はコンサート3,バレエ3,演劇1,オペラ1(その他1)の計8公演(〝その他〟のイベントは除く)。これぐらいがいいのかな。酷暑だし。

大塚直哉のレクコンは終了し感想をツイートした。

『消えていくなら朝』は2018年7月初演・宮田慶子演出を見た。たしか作者自身と家族に関わる話で、作家役に鈴木浩介、父は高橋長英、母は梅沢昌代でみな達者。結構きつい話で、ここまで書くのかと思った記憶がある。今回の再演は作者の蓬莱自身が演出し、役者はフルオーディションとのこと。どんな舞台になるか。

初台のヤングガラは若手の腕の見せどころ。今後の新国立バレエを担うダンサーが出てきてほしい。またブルノンヴィル好きとしては『ラ・シルフィード』で李と東がどんな踊りを見せるか楽しみ。「バレエ・アステラス」にも同演目に加え『ゼンツァーノの花祭り』と『ナポリ』が入ったのは嬉しい限り(チケ購入の主動機はまさにこれ)。

BCJの定演は《ロ短調ミサ》。指揮は鈴木優人だが、会場はオペラシティでなくサントリーホールだ。このホールでBCJを聞くのは何年振りか。聞き慣れた初台とどう違うか確かめたい。

ブリテンの《戦争レクイエム》(1962)は、第一次大戦で戦死したウィルフレッド・オーウェンの詩とミサ典礼文を組み合わせた素晴らしい曲。初演は第二次大戦の主たる交戦国 イギリス・ドイツ・ロシアの三歌手協演が企図されたが、ソ連当局が許可せず実現しなかった。今回ノットはブリテンの意向を尊重し、三つの国から歌手を配役(大野和士も以前から中韓日の歌手を起用してきた)。ノット音楽監督の最後のシーズンでもある。しっかり見届けたい。

オペラ研修所の本舞台(?)は久し振り。公開マスタークラスやアフタヌーンコンサートを聴いたら、見たくなった。フェラーリの『スザンナの秘密』(1909)もレスピーギの『ルクレツィア』(1937)も未見。後者は、疫病による劇場の閉鎖時にシェイクスピアが書いた物語詩「ルークリース陵辱」と同じ話らしい。ブリテンも同じ題材で室内オペラを書いている。いずれも大元はオウィディウスか。

6日(日)14:00  大塚直哉レクチャー・コンサート 第12回「バッハ家はフルートがお好き!?」出演:大塚直哉(ポジティフ・オルガン、チェンバロ、お話)/ゲスト:菅きよみ(フラウト・トラヴェルソ+鶴田洋子/曲目:C. P. E. バッハ:オルガン・ソナタ イ短調 Wq.70/4/J. C. バッハ:フルートとチェンバロのためのソナタ ニ長調op.16-1より 第1楽章/J. C. F.バッハ:フルートと鍵盤楽器のためのトリオ・ソナタ イ長調より 第1楽章/C. P. E.バッハ:ハンブルクソナタ ト長調/W. F. バッハ:《8つのフーガ》より/W. F. バッハ:2つのフルートのための無伴奏ソナタ第4番 ヘ長調(共演:鶴田洋子)//伝J. S. バッハ:フルート・ソナタ ハ長調 BWV 1033/J. S. バッハ:《平均律クラヴィ―ア 第2巻》より 第4番 嬰ハ短調 BWV 873/J. S. バッハ:フルートとチェンバロのためのソナタ ロ短調BWV 1030//アンコール曲:J. S. バッハ:《マタイ受難曲》より 愛ゆえに Aus Liebe/J. S. バッハ:マニフィカト第9曲 Esurientes BWV 243/主催:公益財団法人埼玉県芸術文化振興財団/後援:一般社団法人 全日本ピアノ指導者協会(ピティナ)@彩の国さいたま芸術劇場 音楽ホール

10日(木)19:00 新国立劇場演劇『消えていくなら朝』作・演出:蓬莱竜太/美術:小倉奈穂/照明:阪口美和/音響:工藤尚輝/衣裳:坂東智代/ヘアメイク:田中順子/演出助手:橋本佳奈/舞台監督:下柳田龍太郎/出演:大谷亮介 大沼百合子 関口アナン 田実陽子 坂東 希 松本哲也 @新国立小劇場

12日(土)14:00 新国立劇場バレエ団 Young NBT GALA[パ・ド・ドゥ集]『海賊』より/振付:マリウス・プティパ/音楽:リッカルド・ドリーゴ&レオン・ミンクス/出演:堀之内咲希 森本晃介//ラ・シルフィード』より/振付:オーギュスト・ブルノンヴィル/音楽:ヘルマン・ルーヴェンシュキョル/出演:東 真帆 李 明賢//白鳥の湖』第3幕より/振付:マリウス・プティパ &レフ・イワーノフ&ピーター・ライト/音楽:ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー/出演:花形悠月 仲村 啓//『O Solitude』振付:中村恩恵/音楽:ヘンリー・パーセル/衣裳:山田いずみ/照明:足立 恒/出演:中島瑞生//『The Theory of Reality』振付:福田圭吾/音楽:トラヴィス・レイク/衣裳:幾左田千佳/照明:鈴木武人/出演:大木満里奈 渡邊拓朗 渡邊峻郁ほか 新国立劇場バレエ団 @新国中劇場

12日(土)18:30 新国立劇場バレエ団 Young NBT GALA[パ・ド・ドゥ集]同上/『O Solitude』出演:大木満里奈/『The Theory of Reality』出演:吉田明花 森本亮介 米沢 唯ほか 新国立劇場バレエ団 @新国中劇場

18日(金)14:00 「バレエ・アステラス 2025~海外で活躍する日本人バレエダンサーを迎えて世界とつなぐ~」[ゲスト出演]高田 茜(英国ロイヤルバレエ プリンシパル)&平野亮一(英国ロイヤルバレエ プリンシパル『Within the Golden Hour』よりパ・ド・ドゥ/振付:クリストファー・ウィールドン/音楽:アントニオ・ヴィヴァルディ/ヴァイオリン演奏:城戸かれん(東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団 ゲスト・コンサートマスター)+〈追加演目〉『アスフォデルの花畑』よりパ・ド・ドゥ/振付:リアム・スカーレット/音楽:フランシス・プーランク/ピアノ演奏:巨瀬励起、滝澤志野//[海外で活躍する日本人ダンサー&パートナー(女性名五十音順)]金澤優美 (ジョフリー・バレエ)&清沢飛雄馬(ジョフリー・バレエ)アンナ・カレーニナ』よりパ・ド・ドゥ/振付:ユーリ・ポソコフ/音楽:イリヤ・デミューツキー//ジェシー・ドーティー(ヒューストン・バレエ コール・ド・バレエ)&アクリ士門 (ヒューストン・バレエ ソリストラ・シルフィード』第2幕よりパ・ド・ドゥ/振付:オーギュスト・ブルノンヴィル/音楽:ヘルマン・ルーヴェンシュキョル//チョン・ジェウン (ポーランド国立歌劇場バレエ団 ファースト・ソリスト)&北井僚太 (ポーランド国立歌劇場バレエ団 ファースト・ソリスト『ロメオとジュリエット』よりバルコニーのパ・ド・ドゥ/振付:クシシュトフ・パストール/音楽:セルゲイ・プロコフィエフ//中島 耀 (ドレスデン国立歌劇場バレエ コール・ド・バレエ)&モイセス・カラーダ・パルメロス (ドレスデン国立歌劇場バレエ セカンド・ソリスト『サタネラ』よりパ・ド・ドゥ/振付:マリウス・プティパ/音楽:チェーザレ・プーニ//野黒美茉夢 (西オーストラリアバレエ ソリスト)&フリオ・ブラネス (西オーストラリアバレエ プリンシパル『Take Me With You』よりデュエット/振付:ロベルト・ボンダラ/音楽:レディオヘッド//藤原青依 (ヒューストン・バレエ ソリスト)&チャン・ウェイ・チャン(ニューヨーク・シティ・バレエ プリンシパル『シンデレラ』第2幕よりパ・ド・ドゥ/振付:スタントン・ウェルチ/音楽:セルゲイ・プロコフィエフ//升本果歩 (ノーザンバレエ)&石井 潤 (ノーザンバレエ)コッペリア』第3幕よりパ・ド・ドゥ/振付:アルテュール・サン=レオン/音楽:レオ・ドリーブ//パリ・オペラ座バレエ学校]『ゼンツァーノの花祭り』よりパ・ド・ドゥ/振付:オーギュスト・ブルノンヴィル/音楽:ホルガー・シモン・パウリ+『ナポリ』よりパ・ド・シス/振付:オーギュスト・ブルノンヴィル/音楽:エドヴァルド・ヘルステッド、ホルガー・シモン・パウリ/パリ・オペラ座総裁:アレクサンダー・ネーフ(Alexander Neef)パリ・オペラ座バレエ学校校長:エリザベット・プラテル(Élisabeth Platel)//新国立劇場バレエ研修所]『トリプティーク~青春三章~』振付:牧 阿佐美/音楽:芥川也寸志//指揮:アレクセイ・バクラン/管弦楽東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団//[バレエ・アステラス委員(五十音順)]安達悦子(東京シティ・バレエ団理事長/芸術監督),岡本佳津子(井上バレエ団代表理事),小倉佐知子(新国立劇場バレエ研修所スーパーバイザー),小山久美(スターダンサーズ・バレエ団代表/総監督),小林紀子小林紀子バレエ・シアター芸術監督),法村牧緒(法村友井バレエ団団長),堀内 充(大阪芸術大学教授),三谷恭三(牧阿佐美バレヱ団総監督)@新国立劇場オペラハウス

20日(日)14:00 BCJ #167 定演 創立35周年特別企画 J. S. バッハ《ロ短調ミサ》BWV 232/指揮:鈴木優人/ソプラノ:櫻井愛子,森 麻季/アルト:テリー・ウェイ/テノール:吉田志門/バス:クリスティアン・イムラー/合唱・管弦楽バッハ・コレギウム・ジャパンサントリーホール

21日(月祝)14:00 東響 #732 定演 ブリテン《戦争レクイエム》op.66(字幕付き)指揮:ジョナサン・ノット/ソプラノ:ガリーナ・チェプラコワ/テノール:ロバート・ルイス/バリトンクリストフ・ポール(欧州でのスケジュール変更によりキャンセル)→マティアス・ウィンクラー/合唱:東響コーラス/合唱指揮:冨平恭平/児童合唱:東京少年少女合唱隊/児童合唱指揮:長谷川久恵 @サントリーホール

21日(月祝)18:00[公演関連イベント]新作オペラ『ナターシャ』創作の現場から~細川俊夫大野和士有馬純寿が語る~ 登壇者:細川俊夫(『ナターシャ』作曲),大野和士(『ナターシャ』指揮・オペラ芸術監督),有馬純寿(『ナターシャ』電子音響),宮木朝子(聞き手・空間音響作家◎尚美学園大学准教授)@新国立中劇場ホワイエ

27日(日)14:00 新国立劇場オペラストゥディオ(オペラ研修所)サマー・リサイタル 2025《『スザンナの秘密』/『ルクレツィア』》(原語上演・ピアノ伴奏)/指揮:松村優吾/演出:粟國 淳/照明:黒柳浩之/音響:横山友美/衣裳コーディネーター:加藤寿子/ピアノ:岩渕慶子,髙田絢子/オペラ研修所長:佐藤正浩/ヴォルフ=フェラーリ作曲『スザンナの秘密』伯爵ジル:中尾奎五(第26期)/伯爵夫人スザンナ:谷 菜々子(第26期)/サンテ(黙役):宇井晴雄(賛助出演/演劇研修所第2期修了)//レスピーギ『ルクレツィア』声:牧羽裕子(第27期)/ルクレツィア:齋藤菜々子(第28期)/セルヴィア:吉原未来(第28期)/ヴェニリア:島袋萌香(第27期)/コッラティーノ:菅野 敦(賛助出演/第15期修了)/ブルート:矢澤 遼(第27期)/セスト・タルクィーニオ:青山 貴(賛助出演/第4期修了)/ティート:上田 駆(第28期)/アルンテ:田中 潤(第28期)/スプリオ・ルクレツィオ:中尾奎五(第26期)/ヴァレリオ:小野田佳祐(第27期)/主催:新国立劇場 @新国立中劇場

新国立劇場バレエ団『不思議の国のアリス』2025【追記】

不思議の国のアリス』再演の全4キャスト+9日目マチネを観た(6月12日 木曜 19:00,14日 土曜 13:00,18:30,20日 金曜 14:00,21日 土曜 13:00/新国立劇場オペラハウス)。

『アリス』は2011年2月に英国ロイヤルバレエがカナダナショナルバレエと共同制作・初演した久々の本格的物語バレエ。それを18年11月に新国立バレエがオーストラリアバレエと共同制作・初演(全8回/全2キャスト+1回を見た)、22年6月の再演は全10回(同じく全3キャストを)、3回目の今回は全13回。

イギリスが生んだ〝ナンセンス文学〟の傑作をバレエ化した『アリス』は、以下で縷々述べる通り、エンタメとしてもよく出来ている。が、正直、イギリス人がイギリス(英語圏)のために創った『アリス』を再演するなら、イギリス人が日本のために創った『パゴダの王子』(2011年初演/14年再演)を再演してほしかった(3年前の再演時もそう思った)。

以下は、バレエ『アリス』のパフォーマンス面(後半で少し書いた)よりも、作品自体についてあれこれ考えた、文字通りの超だらだらメモ。

不思議の国のアリス』全3幕/振付:クリストファー・ウィールドン(1973- )/音楽:ジョビー・タルボット(1971- )/美術・衣裳:ボブ・クロウリー(1952- )/台本:ニコラス・ライト(1940- )/照明:ナターシャ・カッツ/映像:ジョン・ドリスコル&ジュンマ・キャリントン/パペット:トビー・オリー/マジック・コンサルタント:ポール・キエーヴ/指揮:デヴィッド・ブリスキン 冨田実里(6/14 土 13:00,21 土 18:30,24 火)/管弦楽東京フィルハーモニー交響楽団コンマス:依田真宣)

久し振りに見る『アリス』は1幕が長すぎると感じる。2回目以降そうでもないのは、慣れるからだろう。これは劇場初演時から同じ。

そもそも2011年のロンドン初演は2幕構成で、マッドハッターまでが1幕で70分も要したらしい。そこで初幕を「豚と胡椒」で区切って3幕構成に改訂。そのさい「豚」直後にアリスとジャックのPDDを追加した模様。だが、この改訂版でも長く感じるから不思議だ。

原作『アリス』は好奇心旺盛な7歳のアリスがウサギ穴に飛び込み、奇妙な動物やカードたちと遭遇する。言葉遊び満載の突飛なシーンが次々現れても別に問題ない。意味(無意味)が飲み込めねば読み直せるし、集中が切れたら本を閉じればよい。

一方、バレエに言葉はないし〝巻き戻し〟も不可。観客の集中を切らさずアリスの冒険に同伴させるには、相応の工夫が必要となる。

試しに原作本とバレエ初演版・改訂版の内容(エピソードの順序)を比べてみる。

【1865年/原作本】序詩 第1章「ウサギ穴落下」 第2章「涙の池」 第3章「コーカス競走と長い話」 第4章「ウサギがビルを投入」 第5章「イモ虫の忠告」 第6章「豚と胡椒」 *第7章「狂った茶会」 第8章「クィーンのクロッケー場」 第9章「ウミガメもどきの話」 第10章「ロブスターのカドリール」 第11章「誰がタルトを盗んだか?」 第12章「アリスの証言」[*1864年にキャロルがアリスへ贈った手書きの絵本『地下の国のアリス』に第7章「狂った茶会」はない。]

【2011年/初演版】第1幕(プロローグ/1862年)「学寮長館で庭園パーティ(茶会)」→「ウサギ穴を落下」→「ドアだらけのホールと涙の池」→「コーカス競走」→「豚と胡椒」→「チェシャー猫」→「狂った帽子屋の茶会」

第2幕 「イモ虫」→「花の庭園」→「ハートの女王とクロッケー試合」→「ハートのジャックと裁判」→(エピローグ/現在)「アリスの目覚め」

【2012年/改訂後】第1幕(プロローグ/1962年)「学寮長の館で庭園パーティ(茶会)」→「ウサギ穴を落下」→「ドアだらけのホールと涙の池」→「コーカス競走」→「豚と胡椒」PDD追加

第2幕「チェシャー猫」→「狂った帽子屋の茶会」→「イモ虫」→「花の庭園」

第3幕「「ハートの女王とクロッケー試合」→「ハートのジャックと裁判」→(エピローグ/現在)「アリスの目覚め」

原作の「序詩」は、ボート遊びでルイス・キャロルがリドル家の三姉妹にせがまれ、即興のお話を聞かせた経緯が綴られる。時は1862年7月4日午後のこと。〝作品誕生〟のエピソードだ。アリスは当時10歳だが、それをキャロルは7歳に設定した(キャロルは6〜11歳くらいの少女に惹かれた)。

バレエでは、ボート遊びを学寮長夫妻の庭園パーティにアレンジし、アリス三姉妹ほか実在のリドル夫妻や招待客らと不思議の国のキャラクターを対応させ、プロローグで顔見世する趣向。

さらにいえば、原作の第4章「ウサギがビルを投入」はアリスの頭が天井につかえる場(ドアだらけのホール)に組み込み、言葉遊びや替え歌(パロディ)が主眼の第9章「ウミガメもどきの話」と第10章「ロブスターのカドリール」はカットし、クイーンが暴君ぶりを発揮する「クロッケー試合」と「裁判」の場(「誰がタルトを盗んだか?」「アリスの証言」)を連続させた。原作の第5章「イモ虫」と第7章「茶会」の順序をバレエで逆にした点は、あとで触れる。

改訂版と初演版の違いは、先の通り、幕の区切りとPDD追加だけらしい(追加PDDについてものちほど)。

さて、7歳から15歳に成長させられたプロローグのアリスは、庭師の少年ジャックに恋心を抱き、パーティ用のタルトをジャックに渡すが、母は庭師ジャックが盗んだと決めつけ解雇する。こうして、アリスのジャックへの(身分違いの)恋は、物語バレエに〝恋愛〟要素を加味し、パ・ド・ドゥの価値を高めるだろう。アリスの行動原理が、原作の〝好奇心〟に、ジャックへの恋(負い目)と母の理不尽さへの怒りが加わった点は見逃せない。ただ、動機がさらに付加されるからややこしくなる…。

アリスの落下後、ホールのドアからワルツが聞こえる。弱音で。「見たこともない美しい庭園」(原作)への誘いだ。が、ドアは開かない。

と突然ドアが開き、ハートの騎士(ジャック)がハートの女王(母)らに追われ、白ウサギ(キャロル)も出てきて、また戻って締まる。ジャックや女王の出没が、このあと何度か反復されるのは、アリスの動機(恋と怒り)を喚起して、観客の興味・集中を終幕まで維持するためだろう。

その後、動く小さなドアにアリスが頭を入れると、あのワルツが華やかに奏され、花吹雪が舞い、踊り子が踊る。が、客席に現出した「花の庭園」は即座に消失。それ以上小さなドアに入れないから(それで「涙の池」になる…)。

「どんなにアリスは、その暗い廊下を抜け出して、あの美しい花壇や涼しげな噴水の間をぶらつきたかったことでしょう」(多田幸蔵訳)。これこそ三つ目の動機で、アリス本来の(人間の)願望だと思う。

この「美しい庭園」からT. S. エリオットの詩行「開けたことのない/薔薇園へ通じるドア…」(「バーント・ノートン」1935『四つの四重奏』)が生まれた。詩人の「薔薇園 rose-garden」が過去の現実化しなかった〝善き生〟を象徴するなら、キャロルの「美しい庭園 loveliest garden」はどうか。子供時代の無垢な世界? (ルイス・キャロル=チャールズ・ラトウィッジ・ドッドソンは牧師の息子で聖職者ゆえに)〝原罪〟以前の楽園? バレエ作者は、ユートピア的世界と見ているらしい。

なぜなら、原作の順は「イモ虫」「豚と胡椒」「茶会」だが、バレエは初演・改訂ともに「豚」「茶会」の次が「イモ虫」で、アリスがキノコを食べて「花の庭園(ワルツ)」となるから。この変更は、あの「庭園」がキノコの幻覚に過ぎず〝どこにもない〟(ユートピア的)楽園だと暗示するためだろう。

ともあれ、アリスの新たな目標「花の庭園」(ワルツ)は、その片鱗を1幕前半で一瞥しただけ。初幕は「豚と胡椒」という、およそ「花の庭園」とは対照的なカオスで終わる。この願望の実現は、2幕の幕切れまで焦らされるだろう。この遅延を補うように、改訂版ではドタバタ直後、アリスとジャックがパ・ド・ドゥを踊って幕となる。

注目すべきは、このときの白ウサギだ。HOME SWEET HOME の前に立ち、手持ち無沙汰にタルトの皿を持ち替え、気まずそうに、挙動不審の態で、二人が心を通わせる踊りを、見るともなしに見る。白ウサギがキャロルの分身とすれば、図らずも極めて〝意味深〟の場となった。

もうひとつ、作品『アリス』の淵源が1862年7月の川遊びだったと先述した。だが、64年5月に再度三姉妹をボート遊びに誘ったキャロルは、リドル夫人からきっぱり拒絶されたという。この間、キャロルとリデル家で何があったのか。キャロルが当時11歳のアリスに結婚を申し込み、上流好みのリドル夫人が一介の数学教師を相手にしなかった等の憶測もあるが、確証はないらしい(ステファニー・ストッフル)。

ただ、バレエでの「アリスの母/女王」のキャラ造形はこれと無関係とは思えない。威圧的で理不尽な母/女王に、ローズアダージョのパロディを相撲の〝初っ切り〟よろしく禁じ手満載で踊らせる(アシュトン『シンデレラ』の舞踏会でアグリーシスターズがナポレオンやウェリントンと踊るコミカルなPDDから着想?)。あの振付演出は、キャロル(白ウサギ)のリドル夫人への苦い思い(?)をバレエ作者が汲み取って、それを代わりに昇華した!というのは言い過ぎか。

さて、1幕が長く感じる話に戻れば、盛り沢山の視覚情報等のほかに、これまで見てきた事情(アリスの複数の動機、新たな願望実現が焦らされた後の長いドタバタ等々)と関係がありそうだ。一度見たあとなら、次の展開が分かっているから、さほどでなくなるのだろう。

休憩後、2幕の終わりで待望の「花の庭園」が現れ、盛大かつ華やかに花のワルツが踊られる。だが、続く3幕でやっと辿り着いた「庭園」は、あのハートの女王がハートの王を尻に敷いて暴政を振るい、気に入らない部下に片っ端から「死刑」を宣している。プロローグで母が庭師のジャックを馘にしたのと同じ理不尽が、「不思議の国」の「美しい庭園」でもまかり通っていた。最後は、アリスの証言と行動ですべてチャラになる=夢から覚める、とはいえ。「庭園」は実はディストピアだった? それを経験することがアリスの成長?

いやいや。原作は軽妙な風刺やユーモアに溢れたナンセンス童話にすぎない。バレエのコミカルな動きや演技はそれに対応するだろう。だから、あくまでもエンタメとして楽しめばよい…。

だが『ノンセンス大全』の著者はこう言っている、『アリス』の地口(パン)やパロディのラディカルさが「現実への風刺をつきぬけて、もっと人間存在の暗い部分にまで届いてしまう」と(1977 高橋康也)。興味深いことに、振付のウィールドンにも同種の発言がある——「このお話には根元的で恐ろしい闇が存在していて、それが子どもを惹きつけるのだと思います。我々大人もそれを持ち続けているのです」(2013年のロイヤルバレエ来日公演プログラム/発言は2011年/舞台は未見)。

ここで想起するのは、「イモ虫」に続くシーン。イモ虫が水キセルの煙でWhere are you? How are you? Who are you? と問いかけて、アリスがソロを踊る(How are you? では姉妹と)。米沢唯の踊りは「実存的不安」の言葉をいつも想起させる(他のダンサーではなかった)。2018年の初演時からそう。地口や言葉遊びの裏に、無意味の〝深淵〟が口を開けているとすれば、それに近い何かがあの場面に込められているのか。

以下は舞台について少しだけ。

6/12(木)19:00|21(土)13:00 アリス:米沢 唯/庭師ジャック&ハートのジャック:渡邊峻郁/ルイス・キャロル&白ウサギ:奥村康祐/アリスの母&ハートの女王:木村優里/アリスの父&ハートの王:菅野英男/手品師&マッドハッター:スティーヴン・マクレー|小野寺 雄/ラジャ&イモ虫:水井駿介*/公爵夫人:小柴富久修/牧師&三月ウサギ:上中祐樹*/聖堂番&眠りネズミ:原 健太/料理女:中田実里/召使い&魚:木下嘉人/召使い&カエル:宇賀大将/アリスの姉妹たち:五月女遥 東 真帆*/執事&首切り役人:中家正博/3人の庭師:小川尚宏 山田悠貴* 小川尚宏|太田寛仁[*初役]

初日

第1幕 米沢は DRINK ME も EAT ME も少し躊躇して飲み、食べる(原作通りだ)。前はもっとそうだったか。

ソーセージを作っている台所のドタバタシーンで初めて少し体がほぐれた…

米沢は嬉しそうだが、これを4回も踊るのか。奥村白ウサギは動きが動物的で悪くないが…。魚の木下はよい。彼のウサギと米沢で組むのを見たかった。

チクタク・チクタクの時計は白ウサギのライトモチーフ、ワルツは花の庭園の動機、シンコペーションのメロディはパ・ド・ドゥの動機…

第2幕 チェシャー猫の幻想的な場。お茶会でのマッドハッターのタップダンス。マクレーは油が抜けたような感じ。煙でWhere are you? How are you? アリスのソロ、そこへ姉妹が。そして Who are you? 文字はイモ虫の煙草の煙だった。イモ虫・アラビアの踊り。水井は変な気持ち悪さを出してた(褒めてる)。イモ虫から貰ったキノコのかけらを食べると、幻覚効果で花の庭園が現出し、花のワルツを踊る(くるみのオマージュか)。そこへジャックが現れ、PDDを踊ると、ハートの女王と家来が来て、死刑! 大きな斧が降りてきて intermission…

9日目

第1幕 穴の底、始めはドアの向こうから音楽が聞こえてくる。…小さなドアが動いてきてそこに頭を入れると花の庭園が見える(客席が庭園)。花吹雪。

HSHのドタバタ後、ジャックとアリスが踊るとき、家の前でタルトの皿を持ちちょっと気まずそうに手持ち無沙汰でそれを見ている白ウサギは、キャロルの分身だとすれば、意味深長…

涙の海のあと。アリスのドレスから落ちた赤薔薇を米沢自身が拾って付けたけど、ホームスイートホームの前にまた落ちてた。魚木下が魚歩き(?)のままなんだろうって感じで拾いとりあえずしまう。ドタバタの最中に返すのは無理。終わったあと家のパネルが降りてきて、アリスが出てくると薔薇が付いてた(背後で渡したのか)。ジャックに再会したアリスは無事に薔薇を彼に渡す(?)。木下サカナはさすがの舞台人。

第2幕 チェシャー猫にどっちへ行くか尋ねても…。その後、お茶会、その後、イモ虫の問いが水キセルで問われ、ソロを踊る…米沢の踊りはいつも「実存的不安」の言葉を想起させる。他のダンサーで感じたことはない。

そのあとイモ虫からキノコのかけらを渡され、食べると幻覚からかワルツが聞こえ、さらに食べると庭が現出しワルツを踊る男女が。アリスも男女も嬉しそう。ジャックが現れ、PDDを踊るが、始めは例の音楽だがやがてワルツと重なり、皆で踊る。これは男女の恋愛PDDとは一味違う。なにか失われた幸福感のような。ちょっと心が動いた。そこへハートの女王が現れ…斧が降りてきて休憩。…

614日(土)13:00 アリス:高田茜/庭師ジャック &ハートのジャック:井澤駿/ルイス・キャロル&白ウサギ:中島瑞生/アリスの母&ハートの女王:柴山紗帆/アリスの父&ハートの王:渡邊拓朗/手品師&マッドハッター:福田圭吾/ラジャ&イモ虫:宇賀大将/公爵夫人:仲村 啓/牧師&三月ウサギ:西川慶/聖堂番&眠りネズミ:西一義/料理女:木村優子/召使い&魚:佐野和輝/召使い&カエル:石山 蓮/アリスの姉妹たち:飯野萌子 広瀬碧/執事&首切り役人:樋口 響/3人の庭師:森本亮介 長谷川諒太 上中佑樹

第1幕 冨田の指揮でオケのノリがいい。高田は元気でスポーティ、瑞生は頑張ってて高田との絡みも悪くない。井澤はアリスへの思いがよく出てる。Home Sweet Homeのハチャメチャ振りがハンパでなく、笑った。侯爵夫人の仲村の無茶振りがとてもいい。カエルの石山蓮と魚の佐野も負けじと思いっきりの踊り、料理人の木村優子の激しさも凄い!

アリス姉妹の飯野と広瀬はとてもよい。

第2幕 マッドハッター福田圭吾は少しリズムが悪い。

Where are you? How are you? Who are you? のソロよい。

イモ虫の宇賀とてもよい。動き、あり方、上背がある分も+α。高田との絡みもよい。キノコのかけら(高田は飲み物も食べ物も躊躇なく飲み食べる)を少し食べ、庭園が少し現れ、さらに食べる。花のワルツ。中家や直塚…、アリスも一緒に踊り、やがてジャックが現れPDD。何かが出てた。そこへハートの女王たちがカミテから登場し、ジャックは逃げて、白ウサギとアリスも逃げると巨大な斧が撃ち下ろされ intermission

第2幕の花(薔薇)のワルツの高田と井澤のPDDよかった。何かが出てた。高田はさすがと思わせる。タフだね。

薔薇のワルツで中家と奥村が見えた。直塚も?

第3幕 アダージョの柴山女王の相手役は小柴、奥村、渡邊峻郁、原健太だった。柴山は強度はある。ミスキャストとは思わない(この役しかないか)。

高田茜はやはり大したもの。井澤とも多少サポートに難があってもよく合わせてたし、瑞生もよく頑張った。

6/14(土)18:30 アリス:小野絢子/庭師ジャック&ハートのジャック:福岡雄大ルイス・キャロル&白ウサギ:木下嘉人/アリスの母&ハートの女王:山本涼杏/アリスの父&ハートの王:菅野英男/手品師&マッドハッター:スティーヴン・マックレー/ラジャ&イモ虫:水井駿介/公爵夫人:小柴富久修/牧師&三月ウサギ:上中佑樹/聖堂番&眠りネズミ:原健太/料理女:中田実里/召使い&魚:佐野和輝/召使い&カエル:宇賀大将/アリスの姉妹たち:五月女遥 東真帆/執事&首切り役人:中家正博/3人の庭師:山田悠貴 渡邊拓朗 太田寛

第1幕 白うさぎ木下がやはりベスト。山本母/女王は役のハラがずーんと入ってて、菅野王(夫)を尻に敷いて、サポートもしっかりさせる。すごいね。

小野は軽快でいいが、少し脆弱さも感じるか。福岡若い。ただHSHのドタバタのあと家の前のPDDで小野がちょっと回れない箇所もあった(スタミナ切れ?)。高田の後見ると、強度が少し足りないか。

第2幕 目隠ししたアリスから。マクレー今日はキレてる。初日のあの感じは初日だったからか。水キセルの文字の場。あの問いはキノコの上にいるイモ虫との対話「お前は誰だ」から作ったのだろう。それがある種、実存的な問いに見える、音楽がそう、が実際そのような振り付けではない? 水井イモ虫いいと思う、小野が小柄だから。キノコ食べて幻覚が生まれ、庭園が見えて、(ステージは最初から本の一頁でMad Tea-partyの箇所)ワルツは仲村、趙、渡邊弟、など。福岡ジャックのソロ、よい。

第3幕 裁きの場の木下ソロはストラヴィンスキーばりの変拍子。山本のソロは場を支配したまま踊れる(早く主役を踊らせろ)。福岡ソロさすが。

6/20(金)14:00 アリス:池田理沙子/庭師ジャック&ハートのジャック:速水渉悟/ルイス・キャロル&白ウサギ:李明賢/アリスの母&ハートの女王:益田裕子/アリスの父&ハートの王:渡邊拓朗/手品師&マッドハッター:福田圭吾/ラジャ&イモ虫:宇賀大将/公爵夫人:仲村 啓/牧師&三月ウサギ:西川慶/聖堂番&眠りネズミ:西一義/料理女:直塚美穂/召使い&魚:木下嘉人/召使い&カエル:石山蓮/アリスの姉妹たち:飯野萌子 広瀬碧/執事&首切り役人:樋口 醬/3人の庭師:森本亮介 長谷川諒太 上中佑樹

速水の踊りは高性能。池田はもっと強度が欲しい。内側から湧いてくる力が(第2幕の花のワルツなど)。李は踊りはきれいだが、演技は十分指導されてない? 益田は標準的。渡邊拓朗の父はリドル家の父親に見える。料理女直塚は脚がよく上がる。

3幕の速水のソロは素晴らしい! 続く池田とのPDDもよかった。

【追記】

『アリス』に詳注を付けたマーティン・ガードナーによれば、ジョン・テニエルの『不思議の国』の挿絵にはバレエの5つのポジションが全て描き込まれている。エビが1番、クラブのジャックが2番、召使いサカナが3番、同じ絵の召使いカエルが5番、そしてアリスが4番。テニエルの父親はダンス教師だったらしい。6/17ポスト(下図は The Annotated Alice: The Definitive Edition, Penguin Books 2001 より)

     

     

 

新国立劇場オペラ研修所「アフタヌーン・コンサート」2025

新国立劇場オペラ研修所「アフタヌーン・コンサート」を聴いた(6月6日 金曜 15:00/オペラハウスホワイエ)。ピアノは先般公開マスタークラスの講師を務めたキャスリーン・ケリー。

以前は研修所の試演会にオペラ・バレエ・演劇を問わずよく通ったものだが、今回は久し振り。若い才能を見るのはやはり愉しい。

以下はごく簡単なメモ。

W.A.モーツァルトドン・ジョヴァンニ》より第2幕 ドンナ・エルヴィーラのアリア "Mi tradi quell'alma ingatra" ソプラノ:齋藤奈々子(第28期)

公開マスタークラスの受講生だが、あのときより好くなった。後半部は、もっと突き抜けてほしい。

W.A.モーツァルトドン・ジョヴァンニ》より第2幕 オッターヴィオのアリア "Il mio tesoro intanto” テノール:長倉 駿(第28期)

細身の割に声は出るけど、アジリタはこれからか。

G.ドニゼッティ愛の妙薬》より第1幕 ベルコーレのカヴァティーナ "Come Paride vezzoso” バリトン:田中 潤(第28期)

声はよく出ているが、少し音程が不安定なのは緊張のせいか。

G.ドニゼッティ《ラ・ファヴォリータ》より第3幕 レオノーラのアリア”O mio Fernando” メゾソプラノ:吉原未来(第28期)

歌心を感じた。歌唱で空間を作ることができる。もう一度聞きたい。

G.ドニゼッティ《アルバ公爵》より第4幕 マルチェッロのアリア "Angelo casto e bel" テノール:矢澤 遼(第27期)

マスタークラスでの《ジャンニ・スキッキ》から変更。歌がやや〝真っ直ぐ〟すぎか。

G.ロッシーニチェネレントラ》よりダンディーニのアリア “Come un’ape ne’giorni d’aprile” バリトン:上田 駆(第28期)

声に艶と深みがあり、歌唱が表情豊か。アジリタも悪くない。少し声が割れかけたが持ち直した。もう一度聞きたい。

G.ロッシーニタンクレディ》より第1幕 タンクレディのアリア "O patria ... Di tanti palpiti” メゾソプラノ:牧羽裕子(第27期)

ズボン役に合わせた黒づくめの衣裳がよく似合う。アジリタは改善の余地がありそうだけど、魅力的な歌手。

休憩

C.M.v.ウェーバー《魔弾の射手》より第2幕 エンヒェンのアリエッタ “Kommt ein schlanker Bursch gegangen”ソプラノ:渡邊美沙季(第26期)

なにか+α がほしい気も。

C.M.v.ウェーバー《魔弾の射手》より第3幕 エンヒェンのアリア "Einst träumte meiner sel’gen Base”ソプラノ:有吉琴美(第27期)

いわゆる〝日本人〟の声(欧州発祥のオペラに必ずしもフィットしない)に聞こえた。

E.W.コルンゴルト《死の都》よりフリッツのアリア “Mein Sehenen, mein Wähnen”バリトン:小野田佳祐(第27期)

ビブラートが少し気になった。

M.アダモ《若草物語》より第1幕 ジョーのシェーナ “Perfect as we are”メゾソプラノ後藤真菜美(第26期)

マスタークラスの《トロメイ(家)のピーア》から大きく変更。異なるスタイルに対応しうる理解力や器用さは大事だと思う。が、アリア「この恐ろしい生者の墓場」をもう一度聞きたかった。

N.ローレム《Our Town(わが町)》より第3幕 エミリのアリア “Take me back”ソプラノ:谷 菜々子(第26期)

原作はソーントン・ワイルダーの戯曲だと思うけど、オペラ版があったのか。

R.ワーグナータンホイザー》よりヴォルフラムのアリア “O du mein holder Abendstern” バリトン:中尾奎五(第26期)

低めの声質で、歌心は感じた。このアリアを選んだ勇気を買いたい。

G.ヘンデルアルチーナ》より第1幕 モルガーナのアリア “Tornami a vagheggiar”ソプラノ:島袋萌香(第27期)

コロラトゥーラはまずまずだが、もっとキラキラ感が必要かも。演技は好さそう。別の曲で聴いてみたい。

7月のサマー・リサイタル『スザンナの秘密』/『ルクレツィア』は〝もう一度聴きたい〟歌手が比較的多い2日目(27日)を聴くことにした。

6月フィールドワーク予定 2025【追記】【追加】

今月はバレエ7,コンサート4,演劇3の計14公演とやや多め。

バレエの7公演は2演目を別キャストでも見るために回数が増えてしまう(キャストが変わると舞台はまったく別物になる)。

新国バレエの『アリス』はともかく、東バが新国立のオペラハウスで上演するとは驚きだ。かつて第二国立(新国立)劇場の準備委員だったNBSのS氏はキャパの問題で折り合わず(海外招聘は2000席以上でないと採算がとれない云々)手を引いた(外された?)経緯がある。それを思うと時の推移を感じざるをえない。初台で見る東バはどんな感じなのか。興味津々。

先週初台のオペラハウス・ホワイエでオペラ研修所の「公開マスタークラス」を見たが、その受講者3名を含む研修生が講師ケリーのピアノ伴奏で無料コンサートを開く。教育の成果を見る喜びはまた格別だ。【プログラムを追記した】

期待の若手メゾ山下裕賀のロッシーニ名場面を4月に聞いたが、今月はベッリーニのミニハイライト等を聞く。楽しみ。

ロッシーニの《スターバト・マーテル》を聞くのは何年ぶりだろう。

6日(金)15:00 新国立劇場オペラ研修所「アフタヌーン・コンサート」ピアノ:キャスリーン・ケリー/W.A.モーツァルトドン・ジョヴァンニ》より第2幕 オッターヴィオのアリア "Il mio tesoro intanto"/G.ロッシーニタンクレディ》より第1幕 タンクレディのアリア "O patria ... Di tanti palpiti"/C.M.v.ウェーバー《魔弾の射手》より第3幕 エンヒェンのロマンツェ "Einst träumte meiner sel’gen Base"/G.ドニゼッティ愛の妙薬》より第1幕 ベルコーレのカヴァティーナ "Come Paride vezzoso"/G.ドニゼッティ《アルバ公爵》より第4幕 マルチェッロのアリア "Angelo casto e bel" ほか/出演:新国立劇場オペラストゥディオ 第26・27・28期/オペラ研修所長:佐藤正浩/主催:真国立劇場オペラ研修所 @新国立劇場オペラハウスホワイエ

8日(日)14:00 東響 #731 定演/モーツァルト交響曲 第25番 ト短調 K.183/ロッシーニスターバト・マーテル/指揮:ミケーレ・マリオッティ/ソプラノ:ハスミック・トロシャン/メゾソプラノヴァルドゥイ・アブラハミヤン(ヨーロッパでのスケジュールに変更が生じたためキャンセル)→ダニエラ・バルチェッローナ/テノール:マキシム・ミロノフ/バスバリトン:マルコ・ミミカ/合唱:東響コーラス/合唱指揮:辻 裕久 @サントリーホール

12日(木)19:00 新国立劇場バレエ団『不思議の国のアリス』振付:クリストファー・ウィールドン/音楽:ジョビー・タルボット/美術・衣裳:ボブ・クロウリー/台本:ニコラス・ライト/照明:ナターシャ・カッツ/映像:ジョン・ドリスコル&ジュンマ・キャリントン/パペット:トビー・オリー/マジック・コンサルタント:ポール・キエーヴ/アリス:米沢 唯/庭師ジャック&ハートのジャック:渡邊峻郁/ルイス・キャロル&白ウサギ:奥村康祐/アリスの母&ハートの女王:木村優里/手品師&マッドハッター: スティーヴン・マックレー(英国ロイヤルバレエ)@新国立劇場オペラハウス

13日(金)19:00  N響 #2040 定演〈B-2〉イベール:フルート協奏曲/ブルックナー交響曲 第6番 イ長調/指揮:フアンホ・メナ/フルート:カール・ハインツ・シュッツサントリーホール

14日(土)13:00 新国立劇場バレエ団『不思議の国のアリス』アリス:高田 茜(英国ロイヤルバレエ)/庭師ジャック&ハートのジャック:井澤 駿/ルイス・キャロル&白ウサギ:中島瑞生/アリスの母&ハートの女王:柴山紗帆/手品師&マッドハッター:福田圭吾(元新国立劇場バレエ団)@新国立劇場オペラハウス

14日(土)18:30 新国立劇場バレエ団『不思議の国のアリス』アリス:小野絢子/庭師ジャック&ハートのジャック:福岡雄大ルイス・キャロル&白ウサギ:木下嘉人/アリスの母&ハートの女王:山本涼杏/手品師&マッドハッター: スティーヴン・マックレー (英国ロイヤルバレエ)@新国立劇場オペラハウス

17日(火)14:00 新国立劇場演劇『ザ・ヒューマンズ』(2014年初演)作:スティーヴン・キャラム(1980- )/翻訳:広田敦郎/演出:桑原裕子/美術:田中敏恵/照明:佐藤 啓/音響:藤田赤目/衣裳:半田悦子/ヘアメイク:高村マドカ/演出助手:和田沙緒理/舞台監督:川除 学[配役]エイミー:山崎静代/ブリジット:青山美郷/リチャード:細川 岳/モモ:稲川実代子/ディアドラ:増子倭文江/エリック:平田 満 @新国立小劇場

20日(金)14:00 新国立劇場バレエ団『不思議の国のアリス』アリス:池田理沙子/庭師ジャック&ハートのジャック:速水渉悟/ルイス・キャロル&白ウサギ:李 明賢/アリスの母&ハートの女王:益田裕子/手品師&マッドハッター:福田圭吾(元新国立劇場バレエ団)@新国立劇場オペラハウス

20日(金)19:00 劇団銅鑼プレビュー公演『ポニーテールの功罪』脚本:山谷典子/演出:磯村純/原案:多屋光孫(「だがし屋のおっちゃんはおばちゃんなのか?」汐文社)/美術・衣裳:根来美咲/照明:鷲崎淳一郎/音響:坂口野花/音楽:寺田テツオ/振付:明羽美姫/方言:多屋光孫/出演:井上公美子、早坂聡美、宮﨑愛美、向暁子、池上礼朗/宣伝美術:山口拓三(GOROWA GRPHICO)/制作:平野真弓、佐久博美 @銅鑼アトリエ

21日(土)13:00 新国立劇場バレエ団『不思議の国のアリス』アリス:米沢 唯/庭師ジャック&ハートのジャック:渡邊峻郁/ルイス・キャロル&白ウサギ:奥村康祐/アリスの母&ハートの女王:木村優里/手品師&マッドハッター:小野寺雄 @新国立劇場オペラハウス

【24日(火)16:50 映画『国宝』監督:李 相日/原作:吉田修一/脚本:奥寺佐渡子/製作:岩上敦宏 伊藤伸彦 荒木宏幸 市川南 渡辺章仁 松橋真三/企画:村田千恵子/プロデュース:村田千恵子/プロデューサー:松橋真三/撮影:ソフィアン・エル・ファニ/照明:中村裕樹/音響:白取貢/音響効果:北田雅也/美術監督種田陽平/特機:上野隆治/美術:下山奈緒/装飾:酒井拓磨/衣装デザイン:小川久美子/衣装:松田和夫/ヘアメイク:豊川京子/特殊メイク:JIRO/床山:荒井孝治 宮本のどか/肌絵師:田中光司/VFXスーパーバイザー:白石哲也/編集:今井 剛/音楽:原摩利彦/音楽プロデューサー:杉田寿宏/主題歌:原摩利彦 井口理/助監督:岸塚祐季/スクリプター:田口良子/キャスティングディレクター:元川益暢/振付:谷口裕和 吾妻徳陽/歌舞伎指導:中村鴈治郎/アソシエイトプロデューサー:里吉優也 久保田傑 榊田茂樹/制作担当:関浩紀 多賀典彬/立花喜久雄(花井東一郎):吉沢 亮/[配役]大垣俊介(花井半弥):横浜流星/福田春江:高畑充希/大垣幸子:寺島しのぶ/彰子:森 七菜/竹野:三浦貴大/藤駒:見上 愛/少年・喜久雄:黒川想矢/少年・俊介:越山敬達/立花権五郎:永瀬正敏/梅木:嶋田久作/立花マツ:宮澤エマ/吾妻千五郎:中村鴈治郎/小野川万菊:田中 泯/花井半二郎:渡辺 謙/芹澤興人/瀧内公美/2025年製作/175分/PG12/日本/配給:東宝/劇場公開日:2025年6月6日 @イオンシネマ板橋】←追加

26日(木)19:00 紀尾井 明日への扉 第45回 山下裕賀(メゾソプラノドニゼッティ:ジプシーの娘/ブラームス:《ジプシーの歌》op.103より/ドヴォルジャーク:《ジプシーの調べ》op.55/ベッリーニ:歌劇《カプレーティとモンテッキ》ミニハイライト[出演]メゾソプラノ:山下裕賀/ピアノ:多田聡子[ゲスト(ベッリーニ)]ソプラノ:佐藤美枝子(体調不良のため降板 6/20)→宮地江奈/テノール:工藤和真/協賛:三菱地所株式会社/主催:公益財団法人 日本製鉄文化財団 @紀尾井ホール

27日(金)19:00 東京バレエ団『ザ・カブキ』全2幕/振付:モーリス・ベジャール/音楽:黛 敏郎/[配役]由良之助:柄本 弾/直義:中嶋智哉/塩冶判官:樋口祐輝/顔世御前:上野水香高師直:鳥海 創/伴内:岡崎隼也/勘平:池本祥真/おかる:沖香菜子/定九郎:岡﨑 司/遊女:三雲友里加/主催:公益財団法人日本舞台芸術振興会/後援:一般社団法人日本バレエ団連盟/委託:日本博2.0 @新国立劇場オペラハウス

28日(土)18:30 東京バレエ団『ザ・カブキ』全2幕/[配役]由良之助:宮川新大/直義:岡﨑 司/塩冶判官:南江祐生/顔世御前:金子仁美高師直:安村圭太/伴内:井福俊太郎/勘平:大塚 卓/おかる:秋山 瑛/定九郎:鳥海 創/遊女:中川美雪 @新国立劇場オペラハウス

30日(14:00 iaku『はぐらかしたり、もてなしたり』作・演出:横山拓也/出演:瓜生和成(小松台東) 近藤フク(ペンギンプルペイルパイルズ) 異儀田夏葉 竹田モモコ(ばぶれるりぐる) 富川一人(劇団はえぎわ) 井上拓哉 高橋紗良 小林さやか(トローチ)/主催:一般社団法人iaku/提携:公益財団法人せたがや文化財団 世田谷パブリックシアター/後援:世田谷区/助成:文化庁文化芸術振興費補助金舞台芸術等総合支援事業(公演創造活動))独立行政法人日本芸術文化振興会 @シアタートラム

ブルノ国立劇場ドラマ・カンパニー『母』新国立劇場 海外招聘公演 2025

カレル・チャペック『母』の初日を観た(5月28日 水曜 19:00/新国立小劇場)。

海外招聘公演はほぼ中劇場だったと思うが、今回小劇場で上演したのはよかった。

演出のシュテパーン・パーツルはチャペックの〝3幕からなる戯曲〟(1938)を全2幕に収め、ラジオをテレビに現代化し、第3幕に登場の老人(母の亡父)をカットしていた。以下、感想メモをだらだら記す。

チェコ語上演/日本語及び英語字幕付〉作:カレル・チャペック(1890-1938)/演出:シュチェパーン・パーツル/ドラマトゥルグ:ミラン・ショテク/美術:アントニーン・シラル/衣裳:ズザナ・フォルマーンコヴァー/音楽:ヤクブ・クドラーチュ/英語字幕翻訳:ヤロスラフ・ユレチュカ マルチナ・ナーフリーコヴァー/日本語字幕翻訳:広田敦郎/舞台監督:八木清市/技術監督:友光一夫/制作:ブルノ国立劇場ドラマ・カンパニー/出演:ブルノ国立劇場ドラマ・カンパニー

舞台は最後まで「父の部屋」。奥に天井まで届きそうな飾り棚に種々の武器や狩りの獲物やアフリカの地図等(男の世界を象徴する品々)が陳列され、シモテ手前にテレビが置かれている。第2幕では飾り棚から武器その他はすべて取り除かれ、床に散在している。

第1幕は片言の日本語を交えコミカルな部分も多少あったが、人名すら聴き取れないチェコ語に加え、奥行きのないフラットなセットと演技が少々辛かった。だが、休憩後の第2幕で、すべては母の思いの深さ(奥行き)を際立たせる演出だったのか、と思い直すことに。

白軍と黒軍が敵対する内戦下、双子のコルネル(ヴォイチェフ・ブラフタ)とペトル(ヴィクトル・クズニーク)は代理戦さながらの戦争ごっこでやり合う。詩作好きの虚弱な末っ子トニ(パヴェル・チェニェク・ヴァツリーク)が二人にカメラを向けるとその様が飾り棚に映し出される。…死んだ職業軍人の父=母の夫(トマーシュ・シュライ)が登場して母と対話し…そこへ医者の長男オンドラ(ロマン・ブルマイエル)やパイロットの次男イジー(マルチン・ヴェセリー)ら死者(霊)も登場…。死者が登場するとき必ず降雨の音が聞こえた。やがてUN(国連軍)マークのヘルメットを被るペトルが現れ白軍に銃殺されたと告げ、母は気絶する。…さらにコルネルも銃を持って街へ出ていき、母に残されたのはトニだけ。そこへ、外国軍が宣戦布告なしに侵入し攻撃してきたとテレビが知らせる。喧嘩すらカメラで傍観していたトニも義勇軍への参加を訴えるが、絶対に行かせない母。使命や名誉や祖国のために死んだ夫と息子たちは、トニを行かせるよう説得する…(以下のセリフはうろ覚えの字幕と田才益夫訳が混在)。

父(夫):お前だっていざとなったら、命をかけるだろう。/母:でもそれはあなたたちのためによ。

父:なぜトニを行かせないんだ。/母:あたしがひとりになるから。身勝手かもしれないけど…必死で育てた我が子をそばに置いてはいけないの?

…テレビの女性特派員は、自分の息子が乗った仕官候補生の訓練船が魚雷で沈没中と声を震わせる。彼らは最後の時に、国歌の斉唱を望んでいると。…全男性に呼びかける。祖国が子供たちを呼んでいる。武器を取りなさい! さらに、病院や小学校が空襲され、逃げる子供たちに機銃掃射をあびせたと告げるTV。

母:子供たちが、小さな、甘ったれの子供たちが!

続くラストシーンで、母は怒りと復讐心にかられてトニに銃を渡し「行きなさい!」と言う、戯曲を読んだときはそう思った。が、母役のテレザ・グロスマノヴァーは長いあいだ考えた末、静かな口調で「生きなさい」と言ったのだ。あれは愛国心からではない。そう感じた*1

銃を渡されたトニは、何もない飾り棚の向こうへ歩いていく。その向こうには朝焼けが。母は飾り棚の下枠に体を丸めて入る。ただひとり。

グッときた。ひとりになる母の覚悟がひしひしと伝わってきた。

原作(1938年2月)の史的背景にはスペインの内戦(1936-39)や隣国ナチ・ドイツによるズデーテン割譲要求(1938年3月)等があった。だが、いま見ると、ロシアのウクライナ侵攻やイスラエルのガザ攻撃が痛いほど想起される。

死んだ父と息子たちの対話で、父の〝英雄的戦死〟がコミカルに脱英雄化される場面は興味深い。

〝英雄批判〟といえば『ガリレイの生涯』の有名な一節が浮かぶ。宗教裁判でのガリレイの地動説撤回に「英雄を持たぬ国は不幸だ!」と失望する愛弟子に、ガリレイは「ちがうぞ。英雄を必要とする国が不幸なのだ」と言い返す(初稿/千田是也訳)。この点、『母』との共通性を感じる一方で、『母』のチャペックは、ブレヒトよりも危機の〝内側〟に居るように感じられる。ブレヒトが『ガリレイ』の初稿を書いたのは『母』と同じ1938年(11月)で、場所は亡命先のデンマークだった*2

一年前のチャペックはパンデミック下の戦争を描いた『白い病』(1937年1月)で、戦争反対を訴える町医者を祖国愛に熱狂する群衆に殺させた。だが『母』のチャペックは、それとは別の〝場所〟に居る。そう見える。それは、いわば「戦争反対の反対の反対」*3ともいうべき位相だった? いや、むしろそのような俯瞰的見地とは真逆の場に身を置いていた?…チャペックは『母』を書いた10ヶ月後に死去した。

演劇では、死者との対話は、生者との対話となんら変わらないように見える。そこが面白い。だが、リアルにいえば、母は死者と内的な対話をしたにすぎない。つまり、頭の中で、心の中で、死者たちを思い浮かべ、彼らと対話し、考えた。つまり内省したのだ。それを見る観客は、母の思いの深さを目の当たりにした。だが、母は内省しただけなのか。そこに他者性はないのか。…

*1:訓練船の沈没時にラジオ(今回はTV)から国歌が流れてくるとト書きにあるが、流れなかった。理由は種々考えられようが、愛国心の高揚を避ける効果があったことは確かだ。

*2:ブレヒトは1年後の1939年11月に母が主人公の『肝っ玉おっ母とその子供たち』を書くが、『母』と中身は対照的ともいえる。

*3:Chim↑Pom・阿部謙一編『なぜ広島の空をピカッとさせてはいけないのか』(無人島プロダクション発行,2009)の帯文。もちろんチャペックの位相はChim↑Pomとはまったく異なる。

「木下晋展」@ギャラリー碧(足利市)再訪 2025

「木下晋展」の2回目を見た(5月5日 月曜 祝日/ギャラリー碧)。翌日に感想メモをツイートしたが、以下はそれを大幅に加筆修正したもの。初日の感想はここ

ギャラリーで一年ぶりの木下さんと若い頃の話をしていたら、画廊主の山川さんが「若い頃の」自画像を奥から出して見せてくれた。これを描いたはずの当人も驚き、カメラを取り出した。ご覧のとおりの鉛筆画だが、かつて「気まぐれ美術館」に載った黄色がかった油彩に感触が似ている。洲之内徹が、本当に恐ろしいのはその顔ではなく凝視の先にあると書いた「女の顔」の表情にも(「凝視と放心」『帰りたい風景』)。木下さんも頷く。画の日付が判読しにくいため山川さんが額裏を外してくれた。裏面に「1982年11月制作」とあるから35歳の作だ。たぶん現代画廊に出したものだと木下さん。

帰宅後調べると、木下氏の現代画廊での個展は、あの黄色の油彩が出された75年から2年置きに6回開かれ、85年が最後となる。87年に洲之内が死去したからだ。82年11月制作の自画像が出品されたとすれば、83年5月の個展か。木下氏が油彩に見切りをつけ、鉛筆画に本腰を入れるのは83年2月の「ゴゼ小林ハル像」からとされるが、その3ヶ月前すでに鉛筆で自画像を描いていた…。あらためて木下氏の、油彩から鉛筆画への〝転回〟を自伝『いのちを刻む』や画集の年譜等で確かめてみた。

まず81年5月にニューヨークで会った荒川修作から「(憎悪の対象だった)母を描くべき」と言われ、絶望的な境遇が「最高の環境」に逆転し、さらに帰国後同じ月に洲之内を介して〝最後の瞽女小林ハルと出会い、ライフワークとなる鉛筆画の対象を得る(写真は最初の「ゴゼ小林ハル像」1983年2月)。だが、養護盲老人ホームに入所していた人間国宝のハルをモデルにする許可が出るまで、かなりの時間と根気が必要だった。氏はこの81年にまず母の裸婦像「流浪」を描き、翌82年には「祖母像」や母の「唄う」胸像や「女の顔」(妻)など矢継ぎ早に鉛筆で描いている(下掲写真は『木下晋画文集 祈りの心』から)。こうした鉛筆描法を模索するなかで、先の自画像も描かれたのだろう。

     

ただし繰り返すが、この自画像は表情のみならず絵肌にも油彩画「女の顔」(左 1975「気まぐれ美術館展」図録/目黒区美術館)や「赤い帽子の麗子」(右 1977『帰りたい風景』)に近い、オイル的感触がある。先に言及の81〜82年の鉛筆画は描線の痕跡を残しているが、今回の自画像にはそれが希薄でむしろ油彩のイメージで描かれたかのようだ。例のハル像以降に折々描かれた種々の自画像は、実物を見た記憶も、いま画集で確かめても、描線の痕跡をさほど隠していない。とすれば、この自画像は、油絵から鉛筆画へ移行する〝端境期〟の希有な一作というべきかもしれない。足利を再訪した甲斐があった。画廊主の山川さんに感謝したい。(この絵肌に似た小ぶりのハル像をどこかで見た記憶がある。あれはいつどこの画廊だったか。)

さて、今回の自画像から何がいえるか。1982年以降、木下氏は小林ハルと対峙し対話を重ねて制作した末に、デッサンとの地続き感を残す鉛筆画(写真右は1977年のデッサン/左は鉛筆画開始後1983年の自画像)とはむろん別種の、かといってオイリーな印象を与える今回の自画像とも異なる作品群を創り上げていく。それらは、見る者に、ある種の〝崇高さ〟〝聖性〟すら感じさせる。盲目の小林ハルは当然ながら闇を見ていたはずだが、それでも光が視えていた。木下氏は、ハルとの対話から、むしろ〝闇の世界〟を抱えていた、まさにそれゆえに、〝光〟を視た、そう確信したと思う。ハルを描いた一連の画業を見れば、それは明らかだ。小林ハル以外の数人を描いた鉛筆画にも同様の筆致が見られるのは、木下氏の認識と視線に耐える人物であった証しだろう。当然ながら、この個展に出品された新旧の大作もその延長上にある。

(4年前「木下晋 初の自伝『いのちを刻む』刊行記念展」で見た当時の新作「光陰」(2021年2月)のメモを下書欄に発見。「光陰」の写真をブログのヘッドに使っていることもあり、この際そのままアップした。メモはここ。)

 

   

ブログで言及したブロンズの「麗子像」(1972)を改めて別の角度から撮ってみた。ついでながら、例のカラスを描いた小品「カー君」はやはり売れていた。

    

     

 

 

 

「木下晋 初の自伝『いのちを刻む』刊行記念展」/新作「光陰」をめぐって 2021

「木下晋 初の自伝『いのちを刻む』刊行記念展」を見た(2月17日 水曜/永井画廊)。以下は、取りあえずの覚書。【下書欄に放置してたの忘れてた。25.5.8】

展示の中心はパーキンソン病を患う妻を描いた最新作「光陰」と近作「願い」。他には、同じく妻や猫等を描いた小品数点に、鉛筆を用いる前の、初期のクレヨン画や油彩画数点(1963-67年 16-20歳)と黄色が印象的な油彩2点(1975-78年 28-31歳)等が並ぶ。

「光陰」鉛筆,ケント紙,125X200cm 2021年2月7日

「光陰」は出来たてのほやほやで、まだ湯気が立ってる。というか、作品から発するアウラ(オーラ)が見る者の相対化を撥ね返す。そんな感じ。ベンヤミン風にいえば「展示的価値」より「礼拝的価値」が圧倒的なのだ。この感触は氏の新作を間近で見る醍醐味だと思う。画面には病苦と闘う老妻の澄んだ眼差しが丹念に描き込まれている。その見詰める先に何があるのか。光源? ふとマスネーのオラトリオ『聖母』の詩句が浮かんだ。

「眼が眩む!…果てしなく続く夢!…天の扉が開こうとしている!…」(聖母の法悦)

本作に聖画の趣があるからか。2年前の「願い」も(特に祭壇を思わせる枝香庵での展示では)そうだった。表題の「光陰」は妻との歳月が〝矢の如く〟過ぎた感慨か。それとも文字通り「光と陰」か。だが画面に「陰」はごく僅かだ。

これまで木下氏は、老母、瞽女小林ハル、元ハンセン病患者の詩人桜井哲夫等をモデルに、圧倒的な暗闇を微かに光明が照らす濃密な人物像を描いてきた。が、近年の病妻を描く連作では、光が横溢するやわらかな絵肌に変わってきた印象だ。氏の自伝『いのちを刻む』(藤原書店,2019)には、病床の妻が氏の制作を見ながら、客人に語った言葉が記されている。

「願い」133X204cm 2019年7月21日と「光陰」

「この人の絵は要らないものは払いのけていくように感じます。まるでとり憑かれたように、この人は重い鎖を足につけたまま光に向かって歩いていく。その姿勢はずっと変わらない。だから、この人が向かう先には光があるように感じますね」(237頁)

「極貧」の家に生まれ育った木下氏は、幾多の困難を抱えながらも才能が認められ画家になる。独自性を求めて模索する不遇の時代が続いた後、鉛筆画にたどり着く。芸術的な評価は次第に高まるが、その評価に見合う経済的な報いが得られたとは到底いえない。それでも信念を曲げず〝売れる絵〟ではなく自分が納得できる創作をひたすら描き続けてきた。そんな夫の努力は必ず報われる日が来る。画家の妻はそう言っているのか。それとも妻にはプラトンの「洞窟」の比喩に似た何かが頭にあったのだろうか。

洞窟のなかで入口(光明)を背にし、奥の壁に向かって縛り付けられ、そこに映る影(虚偽)を実在(真実)と取り違える囚人たち。人間の状況はまさにこれだとプラトンソクラテス)はいう(『国家』第7巻)。先の妻の言葉から、たとえ苦境にあっても要らないもの(虚偽)をことごとく払いのけ、ひたすら光(真理)を求め続ける画家の姿が浮かび上がる。この「姿勢」は、五十年の同伴者である妻自身のものでもあるのだろう。木下氏は君子との〝関係〟をこう言い切る。

我々は人権とかヒューマニズムといった観念的な言葉は既に超越している。かといって、「信頼に結ばれた」などという甘っちょろい常套句も無縁だ。いわば逃れられない「業」なのだ。濃密な「共闘」が我々の間には存在しているのだ。身体機能が滅びゆく妻を「最高のモデル」として創作に向かうしか私にできることはない。(273-74頁)

2007年から19年まで〝文学/芸術と危機〟を巡るリレー講義のゲストに、毎年木下氏を招いてきた。その最終年(7月)に、ある学生が、盲目の女旅芸人(瞽女)や元ハンセン病患者など「障害や病に苦しむモデルの人たちの幸福についてはどう考えるのか」と質問した。死が間近の老人や病人や障害者など、普通にみれば〝不幸〟の極みだろう。それを絵の材料に好んで描くのはどうなのか、と。まさに「人権とかヒューマニズム」の視点から発せられた問いである。木下氏の答えはこうだった。

「幸福というか、私は(病や差別や社会と)必死で闘っている彼らにむしろ激しく嫉妬しますね。深く知れば知るほどそう思う。翻って自分は何をしているのか、と」

危機的な境涯にある人間を好んで描いているように見える木下氏。だが、それは結果に過ぎない。彼らが「必死で闘う」のは「よく生き」ようとするからとも言える。必死で(純粋に)「幸福=よく生きること」(アリストテレス)を追い求める人間の姿に「激しく嫉妬する」。それほど氏の心を揺り動かすと。

ところで、先の問いに答えた木下氏の頭に妻のことは入っていなかっただろう。病苦と闘う妻を介護しながら「最高のモデル」として創作する画家は、もはや嫉妬などしない。なぜなら、二人には「濃密な『共闘』が存在」するいま、共に「必死で闘っている」からだ。

アリストテレスを嫌いプラトンを高く評価したシモーヌ・ヴェーユ(1909-43)は「不幸」と神の愛の関係について次のようにいう(ボールド引用者)。

神の憐れみは不幸そのものにおいて輝きます。慰めのない苦しみの中心で、その奥底で輝きをはなつのです。愛のうちに耐え忍び、魂が「わたしの神よ、なぜわたしを見棄てられたのですか」という叫びを押さえられなくなるところまで落ちていくなら、苦しみのうちにとどまりつつも、なお愛することをやめずにいるなら、ついには不幸ではないなにかにふれます。それは歓びではなく、本質的で、純粋で、感覚にもとづかない、歓びにも苦しみにも共通した根源的な要因というべきものです。それこそ神の愛なのです。/歓びとは神の愛にふれる甘やかさであり、不幸とはその接触が苦しみをもたらすときに与える傷なのです。そのとき、接触そのものが重要なのであって、接触のしかたは問題ではないことを知るのです。(冨原眞弓訳、1942年5月26日の手紙『神を待ちのぞむ』)

この「 不幸」(malheur)を英語版では affliction(苦痛や苦悩の状態)と訳し、訳者エマ・クロファードの注が付されている。「英語にはフランス語 malheur の意を正確に表す語がない。unhappiness だと否定語になり、あまりに弱すぎる。affliction が最も近いが、完全に満足のいくものではない。malheur は、不可避性と凶運/破滅(doom)の意を有している」。

「光陰」を見たあと改めて『いのちを刻む』を開くと、桜井哲夫(1924-2011)の詩に目が留まった。傍線を引いていたから。

  天の職

お握りとのし烏賊と林檎を包んだ唐草模様の紺風呂敷を

しっかりと首に結んでくれた

親父は拳で涙を拭い低い声で話してくれた

らいは親が望んだ病でもなく

お前が頼んだ病気でもない

らいは天が与えたお前の職だ

長い長い天の職を俺は素直に務めてきた

呪いながら厭いながらの長い職

今朝も雪の坂道を務めのために登りつづける

終わりの日の喜びのために

(第一詩集『津軽の子守唄』より)

 傍線(ボールド)を引いた後半の五行は、先に引いたヴェーユの言葉と響き合っている。桜井は1965年に受洗していた。木下氏は引用のあと、こう続ける。「東日本大震災のあった2011年の暮れの12月28日、桜井哲夫は八十七年の生涯を終えた。しかし、この宇宙に彼の死はどこにもなく、ひとつの生の形を保ち続けていると私には思えた。悲嘆、慟哭を超えた桃源郷へ迎えられたという確かな手応えを私は感じていた」。