1月のフィールドワーク予定 2023

近ごろ80年代から2000年代初頭に見た舞台が、折に触れて回帰してくる。老いの兆候なのか。マギー・マランの『May B』は 84年にオフ・ブロードウェイで見たアラン・シュナイダー演出のベケットを想起させたし、鈴木忠志の『サド公爵夫人(第2幕)』を見る気になったのは東京グローブ座ベルイマン演出が頭に残っていたから。アトリエ・センターフォワードの『三人姉妹』で何度も笑った後、82年に見た中村雄二郎台本の『プラトーノフ』で立川光貴(三貴)が自殺しようとして死ねない愉快な場面が頭に浮かんだ。年末の山崎広太の新作ダンスは、2001年に見た三公演での山崎の怒濤の踊りを一気に蘇らせた。

マーシャ・ノーマンの『おやすみ、お母さん』'night, Mother も回帰といえばそう。娘に自殺を思い止まるよう説得する母の話だが、たまたま84年2月にブロードウェイ(John Golden Theatre)で観た2年後、北林谷栄三田和代の舞台を渡辺浩子訳・演出で上演した(俳優座)。それをシアター風姿花伝那須さん親子が小川絵梨子の訳・演出で取りあげる。俳優がリアル親子だとどうなるのか。井上道義が創作したミュージカル・オペラは両親を描いたものらしい。どんな舞台になるのかまったく予想できない。「ニューイヤー・バレエ」4回公演の二演目にゲストダンサーのみを出演させる意図はなんだろう。団員の貴重な本番回数を減らしてまで行う意味はあるのか。もしチケットを売るためなら、効果は出ていない。どうも最近のバレエ団のキャスティング(退団の顔ぶれ)には腑に落ちない点が多い。具体的にはいずれまた。

13日(金)19:00 新国立劇場バレエ団「ニューイヤー・バレエ」『A Million Kisses to my Skin』<新制作>振付:デヴィッド・ドウソン/音楽:ヨハン・ゼバスティアン・バッハ/美術:デヴィッド・ドウソン/衣裳:竹島由美子/照明:バート・ダルハイゼン/出演:米沢 唯、柴山紗帆、小野絢子、五月女遥、木村優里、根岸祐衣、渡邊峻郁、速水渉悟、中島瑞生//『シンフォニー・イン・C』振付:ジョージ・バランシン/音楽:ジョルジュ・ビゼー/衣裳:大井昌子/照明:磯野 睦/出演:〔第1楽章〕米沢 唯、福岡雄大〔第2楽章〕小野絢子、井澤駿〔第3楽章〕池田理沙子、木下嘉人〔第4楽章〕木村優里、中家正博//『眠れる森の美女』第3幕よりグラン・パ・ド・ドゥ/振付:マリウス・プティパ/音楽:ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー/衣裳:ルイザ・スピナテッリ/出演:ヤスミン・ナグディ、マシュー・ボール(英国ロイヤルバレエ)//ドン・ジュアン』(抜粋)/振付:ジョン・ノイマイヤー/音楽:クリストフ・ヴィリバルト・グルック、トマス・ルイス・デ・ビクトリア/衣裳:フィリッポ・サンジュスト/出演:アリーナ・コジョカル(ハンブルク・バレエ ゲストダンサー)、アレクサンドル・トルーシュ(ハンブルク・バレエ)/指揮:ポール・マーフィー/管弦楽:東京交響楽 @新国立劇場オペラハウス

14日(土)13:00 新国立劇場バレエ団「ニューイヤー・バレエ」『A Million Kisses to my Skin』出演:直塚美穂、池田理沙子、飯野萌子、廣川みくり、中島春菜、川口 藍、奥村康祐、山田悠貴、森本晃介//『シンフォニー・イン・C〔第1楽章〕柴山紗帆、福岡雄大〔第2楽章〕小野絢子、井澤駿〔第3楽章〕廣川みくり、木下嘉人〔第4楽章〕木村優里、中家正博//『眠れる森の美女』第3幕よりグラン・パ・ド・ドゥ/出演:ヤスミン・ナグディ、マシュー・ボール(英国ロイヤルバレエ)//ドン・ジュアン』(抜粋)/出演:アリーナ・コジョカル(ハンブルク・バレエ ゲストダンサー)、アレクサンドル・トルーシュ(ハンブルク・バレエ)/指揮:ポール・マーフィー/管弦楽:東京交響楽団

17日(火)14:00 青年団日本文学盛衰史』原作:高橋源一郎/作・演出:平田オリザ/出演:山内健司 松田弘子 永井秀樹 小林 智 兵藤公美 島田曜蔵 能島瑞穂 知念史麻 古屋隆太 石橋亜希子 井上三奈子 大竹 直 髙橋智子 村井まどか 長野 海 村田牧子 山本裕子 海津忠 菊池佳南 緑川史絵 佐藤 滋 串尾一輝 中藤 奨 田崎小春/舞台美術:杉山 至/舞台美術アシスタント:濱崎賢二/舞台監督:武吉浩二(campana)/照明:西本 彩 三嶋聖子/音響:泉田雄太/衣裳:正金 彩/衣裳製作:中原明子/衣裳アシスタント:陳 彦君 塚本かな 原田つむぎ/演出部:原田香純 たむらみずほ/小道具:中村真生/演出助手:小原 花/宣伝美術:工藤規雄+渡辺佳奈子 太田裕子/宣伝写真:佐藤孝仁/宣伝美術スタイリスト:山口友里/制作:太田久美子 金澤 昭[吉祥寺公演] 赤刎千久子 込江 芳/制作補佐:三浦雨林/タイトルロゴ制作資料協力:公益財団法人日本近代文学館/協力:(株)アレス @吉祥寺シアター

5年前の初演と印象が違うのは時事ネタの変化もあるが、志賀さんの不在が大きい。その位置に小柄の女性(井上みなみ)が配された。志賀の存在感との落差で異化効果を狙ったのか。長谷川(二葉亭四迷)の「中江先生、ずいぶん小さくなられた」に皆どっと笑った(実際は古屋隆太の降板でそうなったらしい)。時事ネタでは森鴎外森元首相を重ねたギャグはかなり受けたが、幸徳秋水と管野スガ子の関西弁漫才は新鮮だった(ミルクボーイ? 知らん)。初演は太鼓叩きながらシュプレヒコールしてた。この変更は役者が変わったからか。そのあと漱石が国家の怖れるものについて語るくだりで、小さな椅子を持ち出し相馬黒光に座らせる。そして、これはなんですかと。百年後、政治家たちは、ただ女の子が椅子に座っただけの像を恐れるでしょう…。その瞬間なんのことか分からなかったが、そうか、愛トリか。

国家が抱く恐怖(検閲)は、文学芸術の力を逆説的に証し立てる。戦時に岸田國士の『かへらじと』が改竄上演されたのもそう。

とにかくめっぽう面白い。当時の文学や思想に親しむ人は堪らないだろう。オリザ氏と高橋源一郎氏のアフタートークでは耳寄りの話が聞けた。あとは初演の感想メモに譲る。(1/19 ツイート)

20日(金)14:00 『おやすみ、お母さん』作:マーシャ・ノーマン/翻訳&演出:小川絵梨子/出演/那須 凜 那須佐代子/美術:小倉奈穂/照明:松本大介/音響:加藤 温/衣裳:前田文子/ヘアメイク:鎌田直樹/演出助手:渡邊千穂/舞台監督:梅畑千春/宣伝美術:チャーハン・ラモーン/絵画提供:佐和子/WEB:ブラン・ニュー・トーン(小林タクシー・阿波屋鮎美)/票券:北澤芙未子/制作:斎藤 努・加藤恵梨花・月館 森/プロデューサー:那須佐代子/企画・製作:合同会社 風姿花伝プロデュース @シアター風姿花伝

23日(月)19:00 ミュージカルオペラ『降福からの道 A Way from Surrender』総監督(指揮/脚本/作曲/演出/振付)井上道義/タロー(テノール):工藤和真/正義(バリトン):大西宇宙/みちこ(リリック・ソプラノ):小林沙羅/マミ(ソプラノ):宮地江奈/エミ(メゾ・ソプラノ):鳥谷尚子/ピナ(ソプラノ):コロンえりか/[アンサンブル]ソプラノ:中川郁文、太田小百合/メゾ・ソプラノ:蛭牟田実里ほか/テノール:斎木智弥、渡辺正親/バリトン:今井学、高橋宏典、山田大智/バス&バッソプロフォンド:仲田尋一ほか/洗足学園メモリアル合唱団/茂木鈴太(タローの分身)/大山大輔(朗読)@サントリーホール

25日(水)19:00 N響 #1976 定演〈B-1〉バルトークヴィオラ協奏曲(シェルイ版)/ラヴェル:「ダフニスとクロエ」組曲 第1番、第2番/ドビュッシー交響詩「海」/指揮:トゥガン・ソヒエフヴィオラ:アミハイ・グロス @サントリーホール←都合で行けなくなりオケピに

28日(土)14:00 新国立劇場オペラ《タンホイザー新国立劇場オペラハウスジ←都合で2月11日の楽日へエクスチェンジ

 

12月のフィールドワーク予定 2022【感想メモ+】

4年まえ横山(iaku)作品を見始めたのは、軽快な場面転換と時間性の攪乱に魅せられたから。近年はいわゆる感動的なメロドラマ性が濃くなってきた印象。先月の俳優座作品もそう。新国立劇場だとどうなるか、確かめたい。『モデレート・ソプラノ』(2015)は4年前に新国立でやった『スカイライト』(1995)の作者だが、あのグラインドボーン(オペラハウス)を建てた男の話というので見ることに。昨年コロナで別作に差し替えられた北とぴあの《アルミード》は、一年越しの上演となる。三島の『サド公爵夫人 三幕』は32年前のベルイマン演出で震えたが、以来見ていない。それを鈴木忠志が第2幕のみ上演するという。久し振りの山崎広太新作ダンスで本年の打ち止め。

2日(金)19:00 新国立劇場演劇『夜明けの寄り鯨』作:横山拓也/演出:大澤 遊/美術:池田ともゆき/照明:鷲崎淳一郎/音響:信澤祐介/衣裳:西原梨恵/ヘアメイク:高村マドカ/演出助手:山田翠/舞台監督:川除学/出演:小島聖 池岡亮介 小久保寿人 森川由樹 岡崎さつき 阿岐之将一 楠見薫 荒谷清水 @新国立小劇場

4日(日)13:30 劇団民藝『モデレート・ソプラノ』作:デイヴィッド・ヘア/訳&演出:丹野郁弓/装置:堀尾幸男/照明:前田照夫/衣裳:宮本宣子/音楽:池辺晋一郎/効果:岩田直行/舞台監督:中島裕一郎/[キャスト]ジョン・クリスティ大尉:西川明/オードリー・マイルドメイ:樫山文枝/ルドルフ(ルディ)・ビング:齊藤尊史/フリッツ・ブッシュ:小杉勇二/カール・エーベルト佐々木梅治/ジェイン・スミス:日髙里美 @紀伊國屋サザンシアター

6日(火)18:30 新国立劇場オペラ《ドン・ジョヴァンニ》作曲:モーツァルト/台本:ダ・ポンテ/指揮:パオロ・オルミ/演出:グリシャ・アサガロフ/美術・衣裳:ルイジ・ペーレゴ/照明:マーティン・ゲプハルト/再演演出:澤田康子/舞台監督・斉藤美穂/[キャスト]ドン・ジョヴァンニ:シモーネ・アルベルギーニ/騎士長:河野鉄平/レポレッロ:レナート・ドルチーニ/ドンナ・アンナ:ミルト・パパタナシュ/ドン・オッターヴィオ:レオナルド・コルテッラッツィ/ドンナ・エルヴィーラ:セレーナ・マルフィ/マゼット:近藤 圭/ツェルリーナ:石橋栄実/合唱指揮:三澤洋史/合唱:新国立劇場合唱団/管弦楽東京フィルハーモニー交響楽団新国立劇場オペラハウス

8日(木)19:00 アトリエ・センターフォワード『三人姉妹~愛と幻想と、残酷な時間~』作:アントン・チェーホフ/上演台本・演出:矢内文章/演出助手:岡村尚隆/美術:佐藤麗奈/音響:堀江 潤/音楽協力:瀬奈ヒロキ/照明:若井道代/舞台監督:タブチマサヒロ/制作支援:古元道広 加藤七穂/衣装:千葉奏子/ヘアメイク:渡辺真樹/宣伝美術:松田陽子/イラスト生成:Midjourney/映像製作・配信:鈴木カズオ 谷 若菜/制作・プロデュース:矢内文章 洪 明花/[キャスト]オーリガ:藤堂海/マーシャ:安藤 瞳/イリーナ:北澤小枝子/アンドレイ:矢内文章/ナターシャ:みょんふぁ/ヴェルシーニン:本郷弦/クルイギン:根本大介/トゥーゼンバッハ:岡田篤弥/ソリョーニ:山岡よしき/チェブトイキン:三瓶裕史/フェドーチク:今井 聡/ローデ:西澤香夏/フェラポント:堂下勝気/アンフィーサ:あさ朝子 @シアターX

9日(金)18:00 北とぴあ国際音楽祭 2022  オペラ《アルミ―ド》プロローグ+全5幕 1686年初演〈セミ・ステージ形式・フランス語上演・日本語字幕付・本邦初演〉指揮&ヴァイオリン:寺神戸 亮/演出&振付&バロックダンス:ピエール=フランソワ・ドレ/演出:ロマナ・アニエル/合唱・管弦楽:レ・ボレアード(オリジナル楽器使用)/歌手:クレール・ルフィリアートル、フィリップ・タルボ、与那城 敬、波多野睦美、湯川亜也子、山本悠尋、谷口洋介、中嶋克彦 ほか/バロックダンス:ニコレタ・ジャンカーキ、ダリウス・ブロジェク、松本更紗 @北とぴあ さくらホール

11日(日)14:00 劇団銅鑼 試演会2022『いかけしごむ』作:別役 実(1989年6月初演)/演出:館野元彦/装置:髙辻知枝/照明:福井夏紀/照明操作:亀岡幸大/音響:館野元彦/音響操作:村松眞衣/衣装:中村真由美/舞台監督:池上礼朗・村松眞衣/演出助手:竹内奈緒子・永井沙織/宣伝美術:早坂聡美・中村真由美/制作:齋藤裕樹/出演:吉野孝正(劇団員補) 鶴田尚子 横手寿男 @劇団銅鑼アトリエ

↑面白い。夜の街はずれにベンチ、背後に「ここに座らないでください」の立て看板、傍に占い師の机と椅子、その上から電話の受話器がぶら下がる。ここで籠を持つ女(鶴田尚子)が、通りすがりの男(吉野孝正)と可笑しな対話を始め、自分の〝リアリズム〟に男を巻き込んでいく。男が去ると刑事(横手寿男)が現れ、イカの入った袋を持つ男の死体が発見されたと。最後に女は幾晩も同じことを続けてきたという。一年前に家を出てのち、夫が一歳の娘を殺して自首した事を新聞で知ったとも。ならば、あの立て看は〝獲物〟をおびき寄せる罠なのか。男(一般)への復讐? 娘への償い? そんな心理的動機や因果関係の憶測は別役には場違いか。男女の珍妙なボケとツッコミをただ楽しめばよいともいえる。が、女の一見とぼけた対話の巧妙さは時節柄「洗脳」を想起させる。この怖さ、不気味さこそ別役作品の肝に違いない。鶴田の何事にも動じないゆったりした構えと、軋むように反応する吉野との対照がとても好い。横手は微細な演技で舞台に薬味を添えた。先般の『友達』も館野演出で見たかった。12/11ツイート

14日(水)19:00 N響 #1973 定演〈B-1〉グリンカ:歌劇「ルスランとリュドミーラ」序曲/ラフマニノフ:ピアノ協奏曲 第2番 ハ短調 作品18/ドヴォルザーク交響曲 第9番 ホ短調 作品95「新世界から」/指揮:ファビオ・ルイージ/ピアノ:河村尚子サントリーホール

16日(金)18:30 『サド公爵夫人(第2幕)』作:三島由紀夫/演出:鈴木忠志/出演:SCOT/主催:SCOT/共催:(公財)武蔵野文化生涯学習事業団・(公財)利賀文化会議/文化庁「ARTS for the future! 2」補助対象事業 @吉祥寺シアター

17日(土)14:00 役者の落語会「ごらく亭」presents.『人生悲喜劇案内』作:水谷龍二/演出:小宮孝泰コント赤信号/[キャスト]種村松五郎(役名):田村智浩/林原晴彦:仲道和樹/岡部一郎:田口智也/岡部道子:菊池夏野 @小劇場 楽園(下北沢)

↑ギャグで安易に笑いを取らず、物語も安易に解決しないで終わる。この点、近年の、これとは真逆のあり方(舞台・ドラマ等々)を図らずも批評しうる舞台だった。

本作に出てくる宗教は胡散臭いが、その実、極めて健康的かつまとも。いま問題になっている例のカルトとはむろんまったく異なるが、かつて千石剛賢が主催した求道的な「イエスの箱舟」とも違う(〝疑似家族的〟雰囲気は似ていなくもないが、こっちはもっといい加減!)。信者の妻とそうでない夫との間に、この宗教が波紋を起こす。社会的な価値観や約束事に縛られた夫の振る舞いが、妻に不信を抱かせ、本来の〝心〟(優しさ)を忘却した夫とそれを求める妻との決定的な齟齬が生じ、妻は家を出る。暗転後の場面で夫は改心し、入信したことが明らかになる。が、妻は戻って居らず、孤独な夫の暗い表情で幕となる。突然、怪しげな教祖が臆面もなく歌い踊るシーンは可笑しい。妻は青空一家の会に「優しさ」を見出していた。だが、家を出た傷心の彼女は、居酒屋(教会)に立ち寄ってはいない。なぜ作者はそうしたのだろう。妻の心より上司の意向を優先させた夫に、その行為の代償(ラストシーン)を支払わせるため? それとも…? 少し気になる。

岡林信康の「山谷ブルース」など懐かしさを随所に感じた。歌い踊る田村智浩の身体にはオーラが宿り、過去の行状が暴かれるシーンでは、人を殺した男に見えた。田口智也は安定感がある。菊池夏野は好い女優(新国立劇場研修所の5期だったのか)。仲道和樹は器用そう。初演はでんでんが教祖役? 本の選択や演出に、小宮氏の〝真面目さ〟を感じた。

18日(日)15:00 山崎広太 ダンスショーケース+プレゼンテーション —暗黒をすり抜ける、いつでもやってくる山崎!/ダンス:穴山香菜、小暮香帆、鶴家一仁、西村未奈、宮脇有紀、山野邉明香、山崎広太/音楽:大谷能生、永井健太 @Dance Base Yokohama←都合で行けず

23日(金)19:00 新国立劇場バレエ『くるみ割り人形』音楽:チャイコフスキー/振付:ウエイン・イーグリング/美術:川口直次/衣裳:前田文子/照明:沢田祐二/クララ&こんぺい糖の精:米沢 唯/ドロッセルマイヤーの甥&くるみ割り人形&王子:井澤 駿/指揮:アレクセイ・バクラン管弦楽東京フィルハーモニー交響楽団/合唱:東京少年少女合唱隊 @新国立劇場オペラハウス

25日(日)13:00 新国立劇場バレエ『くるみ割り人形』クララ&こんぺい糖の精:柴山紗帆/ドロッセルマイヤーの甥&くるみ割り人形&王子:速水渉悟 @新国立劇場オペラハウス

25日(日)18:00 新国立劇場バレエ『くるみ割り人形』クララ&こんぺい糖の精:小野絢子/ドロッセルマイヤーの甥&くるみ割り人形&王子:福岡雄大 新国立劇場オペラハウス

28日(水)19:30 山崎広太 劇場プロジェクト 新作ダンス『机の一尺下から陰がしのび寄ること』振付:山崎広太/ダンス:穴山香菜、岩渕貞太、小暮香帆、鶴家一仁、西村未奈、宮脇有紀、山野邉明香、山崎広太/音楽:大谷能生、永井健太/美術:山村俊雄/照明:岩品武顕/衣装:GAZAA さとうみち代、山崎広太/音響:齊藤梅生/舞台監督:河内崇/制作:霜村和子/制作協力:岩中可南子、くわはらよしこ/Flier design:Suzuki Seiichi Design Office/主催:一般社団法人ボディアーツラボラトリー/協賛:蟻鱒鳶ル/助成:文化庁「ARTS for the future! 2」補助対象事業/レジデンス協力:Dance Base Yokohama @BankART Station

↑初日。三部構成+エンディング?の80分。第三部の下駄踊りに心が動いた。素足女と下駄女のデュオで後者の木暮香帆がパドブレみたいにケタケタ進みながら上半身を嬉しそうに動かす。その喜びは即こちらに伝播した。初めてポアントで踊った時の喜びみたい。続く下駄踊りの群舞は壮観だった。男(鶴屋一仁)が下駄足を高く上げ、かけ声かけてステップし、見得を切る…。広太が奇声を発し意味不明の言葉を喋りつつ激しく踊る。あっという間にシモテから場外へ消え、怒濤のごとく再登場しエネルギッシュに踊る。グッときた。

かつて『Hyper Ballad』(01.3/新国立中劇場)『ショロン』(01.5/シアターコクーン)『浄められた夜』(01.6/芸劇小ホール)で広太が見せた岩石をドリルで穿つような〝ハチャメチャ〟ダンスを、この下駄ダンスが一瞬で照射した。この〝ハチャメチャ〟は実はとても繊細に分節化されている。そう感じた。

竹内敏晴は山崎広太を見て「これこそダンス」と言ったという。演出家の竹内によれば、「演劇は、日常のルールにのっとった行動を、新しく組み立てた約束事によってぶちこわし、その裂けめからなまなましく奔騰してくるものを突きつける装置」、「演技[アクション]とは、日常生活の約束事…によって疎外されている「生きられる世界」…をとりもどす試み」「からだを根源的にとり返す試み」のこと。竹内の演劇(演技)論は、ダンスにそのまま当て嵌まる。広太の下駄ダンスは、まさに「からだを根源的にとり返」し「からだを劈く」試みだった。単なるハチャメチャではこうはいかない。「これこそダンス」だ。12/29 ツイート

下駄履き8人の輪舞は盆踊りやアフリカの民族舞踊を想起させた。地霊と交歓する祭礼に見えたから。裏返った男2人を背景に西村未奈が語り踊る冒頭、四つん這いで始まる群舞、妖艶な仏像を思わせる西村のコーダは、気を蓄え噴出する下駄ダンスの工程/行程だったのか。キツい年の瀬に観られたのは僥倖だった。12/30 ツイート

11月のフィールドワーク予定 2022【追加+】【感想メモ付加】

今月はダンス公演が4【+1】、演劇が2、オペラ1、コンサート1。どれも楽しみだが、とりわけ横山拓也俳優座に書きおろす3作目は注目している。マギー・マランについては何も知らないが、以前見た『Salves—サルヴズ』は本当に面白かった! 当然『MayB』も期待してしまう。佐藤俊介のヴァイオリンと鈴木秀美のチェロの共演は以前に埼玉で聴いたが、今回スーアン・チャイのフォルテピアノが加わる。【←これ勘違いで、6年前の埼玉でもチャイがピアノフォルテ弾いてた。】楽しみ。

1日(火)19:00「パフォーミングアーツ・セレクション in Tokyo」『瀕死の白鳥』ミハイル・フォーキン原型 改訂:酒井はな+『瀕死の白鳥 その死の真相』演出:岡田利規 出演:酒井はな 編曲・チェロ:四家卯大/『When will we ever learn?』演出・振付:鈴木 竜 出演:飯田利奈子、柿崎麻莉子、鈴木竜、Ikuma Murakami 衣裳:渡辺慎也/『never thought it would』演出・振付:鈴木 竜 出演:柿崎麻莉子  舞台美術:宮野健士郎 衣裳:渡辺慎也@吉祥寺シアター

↑鈴木竜の『never thought it would』はLEDが何本もぶら下がった舞台で金箔みたいな全身タイツ姿の柿崎麻莉子が一人踊る。倒れた体が徐々に蠢き痙攣的に動くが、立ちそうでなかなか立たない。低音の断続的なパルス音から始まる音楽で絶え間なく動き踊る。それがとても魅力的で、注視させる強度があった。柿崎の身体は痙攣的かつエクスタティック。結局立ち上がり、その間LEDの色は変化するけど、舞台は薄暗いまま。体の動きをモーションキャプチャでデジタル化し可視化したのを、人体が逆に模倣したようなダンス。これは人工的な環境に苛まれた身体の苦痛と恍惚のダンスなのか。ラストで虫の鳴き声が聞こえたのは自然への回帰?(11/1 ツイート)

二つ目は岡田利規 演出・振付『瀕死の白鳥 その死の真相』。昨年は都合で見られず。酒井はなは新国立バレエでずっと見てきた。特に『ドン・キ』(佐々木大と)や『マノン』は忘れ難い。身体の美しさに密度の高さが加わったのは、この蓄積ゆえか。チェロは四家卯大(ハープなし)。『瀕死』はあっという間に終わり、酒井はハケずスタッフがマイクを装着。その間、四家は椅子の位置をミリ単位で動かす振りをして時間を潰し、楽屋裏をわざと見せる。チェロも酒井もシモテに向いて踊り始める。観客はカミテ袖から覗き見している趣向。途中何度も踊るのを止め、踊り手は初めから自分の死を分かって踊るべきか等の踊り方に加え、なぜ白鳥は死んだのか、鳥には砂嚢があること、丸いカラフルなもの(ペットボトルの蓋)が落ちていることなど、チェリストに説明し踊る。突然、うえっ! とえずき始め、やがて死に至る。こうして土に帰る、と。でもプラスチックは土に帰りません、でエンド。酒井は岡田節の科白を自身の声で自然に発話。チェリストとの関わり方も好い。四家は豊かな音色のチェロのみならず、酒井を活かす脇役としても見事。本作は、環境問題の国際会議等で上演したら喝采されるのではないか。ぜひ欧州で。(11/2 ツイート)

三つ目は鈴木竜 演出・振付『when will we ever learn?』。広襟上下の黒服男(鈴木)と女3(飯田利奈子・柿崎・Ikuma Murakami カーキのパンツ上下+タンクトップでIkumaも同性に見えた)。音楽は男声の英語歌。男が女3人に稽古をつけるようなやり取りから、振付家とダンサーの関係が見て取れる(岡田利規の「わたしは幾つものナラティヴのバトルフィールド」を想起)。やがて女達はジャケットを、さらにパンツを脱ぐ。男は威厳を保ち上着のまま。やがて動きの反復が目に付いてくる。男が女の胸部を叩く、女同士でハグし片方がそのまま相手の腹部までずり落ち…。後半では男女の立場が入れ替わる。途中、無音でMurakamiがゆっくりと動く。そこへ柿崎がつま先立ちで後方からゆっくり加わる。絶妙なバランスのダンス。とても好い。『never thought it would』と同じ文法。ラストで反戦歌「花はどこへ行った」が流される。知ってる歌詞と違ってた。最後〝「若い男ら」はどこへ行った? 制服を着て…〟と歌ってなかったか。さらにタイトルの「私たち」でなく〝「あなたたちは」いつになったら分かるのか?〟と。このとき照明は客側を照らした。いまなお戦争を止められない「あなたたち」=「私たち」へのメッセージ? 振付家(権力)とダンサー(従者)は非対称(支配・被支配)関係に他ならず、これが独裁者や戦争を生み出す萌芽だと? 反復時に立場を入れ替えたのは、その硬直関係を解きほぐすヒントなのか。(11/2 ツイート)

2日(水)19:00 DAIFUKU「à la carte」「HOME」小野絢子・近藤美緒・菅野英男・小柴富久修・宇賀大将・大和雅美・福田圭吾/「LOVEおっさんず」菅野英男・清水裕三郎・原 健太・小柴富久修・宇賀大将/「But Not for Me」近藤美緒・原 健太/「a day」福田圭吾・石山 蓮 @板橋区民文化会館小ホール

↑初日。新国立バレエ団員の別の姿を見る喜び。大和雅美振付『But Not for Meは近藤美緒と原健太の明朗なデュエット。大和が新国立で担った役とはかけ離れた世界(分かる気がする)。福田圭吾振付『a day。石山蓮は福田圭吾のalter egoか。まずはルイ・アームストロングが歌う What a Wonderful World の肯定的世界。その裏のconflict 。一方が他方の抹殺を試みる。が、色々あった挙げ句 逆に前者が後者を殺し幕。福田自身の内面? 福田圭吾振付『LOVEおっさんず』菅野英男・清水裕三郎・原 健太・小柴富久修・宇賀大将。立ちションから、宇賀を巡るおっさんたちのラブ・コメディに発展。後半の福田圭吾・大和雅美振付『HOMEは「サザエさん」をフレームに家族賛歌を舞踊化したコメディ。新国立バレエファンへの愉快なエンタメになっていた。レトロな吊り下げ照明と卓袱台。食卓シーンや小野サザエのハタキかけはプティの『こうもり』オマージュか。『シンデレラ』も入ってた?福田カツオに意地悪された近藤ワカメが『キャッツ』の「メモリー」で踊っていると、全身白タイツの小柴ネコが現れ、戸惑いつつPDDを踊る。近藤と入れ替わりに小野サザエが登場し、猫じゃらしで小柴ネコにミルタよろしく踊りを強要。〝ちゅ〜るちゅ〜るCIAOちゅ〜る〟の曲で。何度も踊り倒れる様と先日見たアルブレヒトとの落差! 大爆笑。小野サザエとマスオ宇賀の雨上がりPDDは『サザエさん』のピアノアレンジで。戦時の菅野波平のソロ+大和フネとのPDDはグッときた。PDDで女性を活かす菅野は健在。最後は精霊小柴に守られた家族が揃い幕。小野絢子らの楽しそうな姿は格別だ。(11/3ツイート)

4日(金)13:00 新国立劇場演劇『私の一ヶ月』作:須貝 英/演出:稲葉賀恵/美術:池田ともゆき/照明:杉本公亮/音響:星野大輔/衣裳:半田悦子/ヘアメイク:高村マドカ/演出助手:城田美樹/舞台監督:福本伸生/[出演]村岡希美 藤野涼子 久保酎吉 つかもと景子 大石将弘 岡田義徳 @新国立小劇場

3日目を観た。新国立劇場演劇で近年のベストだと思う。戯曲・演出共に極めて質が高く、適材適所の俳優もみな素晴らしい。手法的には平田オリザの〝同時多発会話〟と横山拓也の〝時間の多重性〟等を併せ、さらに発展させたような印象。三つの時空間がほぼ同時に進展する前半は、互いがどう関係するのか想像しながら見る。説明的でなく、見る者の思考と想像を掻き立てる。状況が分かってきた後半、泉が佐東に本音を話す場面、拓馬の十七回忌で彼の両親と泉が交わすやり取り(嫁に対する拓馬の母の本音)、明結(あゆ)が東京での一ヶ月を綴った散文詩を母に聴かせ、母が娘に「ありがとう」と応答するラスト。痺れた。父の真相を知った娘が自分を責める。それを声高に諫める佐東。ではどうすればいいのか? ただ生きていけばいいと(「ただただ生きな」)。このやり取りは、泉らの家族を作劇に〝利用〟した佐東の戯曲への自己批評になっている(戯曲では、幼い遺児にあたしたちみんな悪いと語らせ、舞台を見た拓馬の父が、あれはしんどかったと作者に打ち明ける)。重い感情がさらっと喚起される点も好い。過去と現在の〝対話〟を想像的に体験できる舞台。空席が目立つのは惜しい。(11/4ツイートに少し加筆)

5日(土)14:00 劇団俳優座公演 No.351『猫、獅子になる』作:横山拓也(iaku)/演出:眞鍋卓嗣/[出演]岩崎 加根子 塩山 誠司 清水 直子 安藤 みどり 志村 史人 若井 なおみ 野々山 貴之 小泉 将臣 滝 佑里 髙宮千尋 @俳優座劇場

6日(日)15:00 第4回「落語とコントはお友達」落語:「つる」田口 智也+「時そば」田村 智浩/コント:「湯切り名人の賭け」小宮 孝泰、菊池 夏野、仲道 和樹/落語:「お楽しみ」三遊亭 遊子 @アトリエ三軒茶屋

【11日(金)19:00 新国立劇場演劇『私の一ヶ月』作:須貝 英/演出:稲葉賀恵 @新国立小劇場】←追加(2回目)

15日(火)14:00 新国立劇場 開場25周年記念公演 モデスト・ムソルグスキー《ボリス・ゴドゥノフ》<新制作>プロローグ付き全4幕〈ロシア語上演/日本語及び英語字幕付〉指揮:大野和士/演出:マリウシュ・トレリンスキ/美術:ボリス・クドルチカ/衣裳:ヴォイチェフ・ジエジッツ/照明:マルク・ハインツ/映像:バルテック・マシス/ドラマトゥルク:マルチン・チェコ/振付:マチコ・プルサク/ヘアメイクデザイン:ヴァルデマル・ポクロムスキ/舞台監督:髙橋尚史/[キャスト]ボリス・ゴドゥノフ:ギド・イェンティンス/フョードル:小泉詠子/クセニア:九嶋香奈枝/乳母:金子美香/ヴァシリー・シュイスキー公:アーノルド・ベズイエン/アンドレイ・シチェルカーロフ:秋谷直之/ピーメン:ゴデルジ・ジャネリーゼ/グリゴリー・オトレピエフ(偽ドミトリー):工藤和真/.ヴァルラーム:河野鉄平/ミサイール:青地英幸/女主人:清水華澄/聖愚者の声:清水徹太郎/ニキーティチ/役人:駒田敏章/ミチューハ:大塚博章/侍従:濱松孝行/合唱指揮:冨平恭平/合唱:新国立劇場合唱団/児童合唱:TOKYO FM 少年合唱団/管弦楽東京都交響楽団/共同制作:ポーランド国立歌劇場/令和4年度(第77回)文化庁芸術祭協賛公演/文化庁委託事業「令和4年度戦略的芸術文化創造推進事業」@新国立劇場オペラハウス

19日(土)15:00 『May B』演出・振付:マギー・マラン/出演:カンパニー・マギー・マラン/主催・企画・制作:彩の国さいたま芸術劇場(公益財団法人埼玉県芸術文化振興財団)/助成:文化庁文化芸術振興費補助金(劇場・音楽堂等機能強化推進事業)独立行政法人日本芸術文化振興会/後援:在日フランス大使館/アンスティチュ・フランセ日本 @埼玉会館大ホール

21日(月)19:00 佐藤俊介×鈴木秀美×スーアン・チャイ——ガット弦とフォルテピアノで聴くブラームスシューマン:幻想小曲集 Op.73(ヴァイオリン&フォルテピアノ)/ブラームスピアノ三重奏曲第2番 ハ長調 Op.87/ブラームスピアノ三重奏曲第1番 ロ長調 Op.8/佐藤俊介(ヴァイオリン)、鈴木秀美(チェロ)、スーアン・チャイ(フォルテピアノ)@浜離宮朝日ホール

23日(水祝)19:00 N響 #1970 定演〈B-1〉~ヴォーン・ウィリアムズ生誕150年~ヴォーン・ウィリアムズ:「富める人とラザロ」の5つのヴァリアント/メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲 ホ短調 作品64/ヴォーン・ウィリアムズ交響曲 第5番 ニ長調指揮:レナード・スラットキン/ヴァイオリン:レイ・チェン サントリーホール

【24日(木)19:30 『「櫻の樹の下には」~カルミナ・ブラーナを踊る~』構成・演出・振付:笠井 叡/[出演]ユリアヌス大植 カリオストロ島地 ジニウス辻本 ド・モレー未來 ジャンヌ柳本 ヘリオガバルス笠井/照明:森下 泰/音響:山田恭子/舞台監督:河内 崇/映像技術:岸本智也/衣裳:萩野 緑/音楽:角田寛生/映像:角田寛生 中瀬俊介/宣伝写真:笠井爾示/宣伝美術:NU/映像記録:中瀬俊介/制作:高樹光一郎 瀧本麻璃英/プロデューサー:笠井久子(一般社団法人天使館)/主催:一般社団法人天使館/助成:文化庁文化芸術振興費補助金舞台芸術創造活動活性化事業) 独立行政法人日本芸術文化振興会/協力:公益財団法人武蔵野文化生涯学習事業団@吉祥寺シアター←追加

↑「白浪五人男」で「カルミナ」を踊るとは…。笠井降板→ジニウス辻本→ヘリオガバルスで「四人男」だが、みな個性豊か。見ていて頬が緩みっぱなし。素肌に学ランもどきの上下と下駄履き+赤の番傘から、後半は薄ピンクの襦袢に褌で刺青も露わに踊る。それで「カルミナ」となんの違和感もないから不思議。早々に柳本の下駄の歯が取れた。その歯で未来が歌舞伎のバタバタみたいに床を叩きリズムを付ける…。花吹雪に例の宙吊りで見得を切るラストの感触は、仏壇舞台の『NINAGAWAマクベス』みたい。ドレス姿の辻本は不気味なキレがあった。島地は音楽的で〝いまここ〟と俯瞰の眼が共存してる。指揮者か。野性味を孕みつつ優雅。(11/26 ツイート)
 

25日(金)19:00 新国立劇場春の祭典』演出・振付・美術原案:平山素子/共同振付:柳本雅寛/音楽:イーゴリ・ストラヴィンスキー/照明デザイン:小笠原 純/美術作品協力:渡辺晃一(作品《On An Earth》より)/ピアノ:松木詩奈、後藤泉/出演:米沢 唯、福岡雄大//『半獣神の午後』演出・振付:平山素子/音楽:クロード・ドビュッシー笠松泰洋/照明デザイン:森 規幸/照明:森 規幸/音響:河田康雄/音楽監修:笠松泰洋/衣裳:堂本教子/出演:奥村康祐、中島瑞生、福田圭吾、宇賀大将、小野寺 雄、福田紘也、石山蓮、太田寛仁、小川尚宏、上中佑樹、菊岡優舞、樋口 響、山田悠貴、渡邊拓朗、渡部義紀 @新国立中劇場

↑平山素子+柳本雅寛 振付『春の祭典』再演の初日。正面奥の高台に2台のピアノ。米沢は横綱の化粧まわしを思わせる衣裳。演奏が始まると塩がまかれた土俵のような円をゆっくり周り、ソロを踊る…。白のパンツにタンクトップの福岡登場。まだ絡んでないのに空気が変わる。二人のやりとりはまずまず。暗転後、中央で福岡に高く掲げられた米沢。その後の格闘技みたいな二人の応酬。男に挑むやんちゃ娘は、マッツ・エック(スモーク)を踊るギエムを想起。それを食い止めようとする男。面白い。再度の暗転後、衣裳を替えた二人。椅子を使ったアクロバティックなやりとり…。米沢の乗った椅子が倒れ、しょうがねえなあと戻す福岡。…次第に何かが立ち現れてくる。男に抵抗しつつ惹かれていく女。その女を抑えながらも愛おしさが募る男。ラストは(そう思い出した)床の敷物がどんどん奥へ引き込まれ、女が、そして男も巻き込まれ、同時に奥のピアノ台が次第に平面へ降りてきて、何もない空間に。…カーテンコールで思わず福岡に寄りかかる米沢。あの感情が二人のものでもあった証しか。ピアノの二人は好演したが強さ野蛮さが加わればさらによい。初演からもう14年か。

山新作『半獣神の午後』。笠松泰洋の曲で福田圭吾のソロ、ドビュッシー「シランクス」で奥村康祐と中島瑞生のデュエット、「牧神の午後への前奏曲」で群舞。…奥村の妖しいアウラ以外は何も現出せず。残念ながらチケット代が取れる作品には見えなかった。あのコスチュームは何? アラビア? 火(煙)は? ダンサーとお金はもっと有効に使って欲しい。(11/26 ツイート)

 

 

10月のフィールドワーク予定 2022【感想メモ付】

またまた更新が大幅に遅延! すでに2公演終了し、3公演目が目前に迫っている。感想も手書きメモはあるものの、まったくブログにあげてない。これでは〝ものぐさフィールドワーク〟だ。予定表にコメントを付けるかたちでなんとか継続していきたい。

2日(日)14:00 新国立劇場オペラ《ジュリオ・チェーザレ》新制作 全3幕〈イタリア語上演/日本語及び英語字幕付〉作曲:ヘンデル(初演1724)/台本:ニコラ・フランチェスコ・ハイム/原作:ジャコモ・フランチェスコ・ブッサーニのオペラ台本『エジプトのジュリオ・チェーザレ』1677/1685/指揮:リナルド・アレッサンドリーニ/演出・衣裳:ロラン・ペリー/美術:シャンタル・トマ/照明:ジョエル・アダム/ドラマトゥルク:アガテ・メリナン/演出補:ローリー・フェルドマン/舞台監督:髙橋尚[キャスト]ジュリオ・チェーザレ:マリアンネ・ベアーテ・キーランド/クーリオ:駒田敏章/コルネーリア:加納悦子/セスト:金子美香/クレオパトラ:森谷真理/トロメーオ:藤木大地/アキッラ:ヴィタリ・ユシュマノフ/ニレーノ:村松稔之/通奏低音:栞形亜樹子(チェンバロ) 懸田貴嗣(チェロ) 上田朝子(テオルボ) 瀧井レオナルド(テオルボ)/合唱指揮:冨平恭平/合唱:新国立劇場合唱団/管弦楽東京フィルハーモニー交響楽団 @新国立劇場オペラハウス

9日(日)13:30 《浜辺のアインシュタイン》(ロバート・ウィルソン&フィリップ・グラス 1976初演)音楽:フィリップ・グラス/台詞:クリストファー・ノウルズ、サミュエル・ジョンソン、ルシンダ・チャイルズ/翻訳:鴻巣友季子/演出・振付:平原慎太郎/指揮:キハラ良尚/[出演]松雪泰子 田中要次 中村祥子/ヴァイオリン:辻彩奈/電子オルガン:中野翔太、高橋ドレミ/フルート:多久潤一朗、神田勇哉、梶原一紘(マグナムトリオ)/バスクラリネット:亀居優斗/サクソフォン:本堂誠、西村魁/合唱:東京混声合唱団 @神奈川県民ホール

15日(土)15:00 新国立劇場演劇『レオポルトシュタット』作:トム・ストッパード/翻訳:広田敦郎/演出:小川絵梨子/美術:乘峯雅寛/照明:原田 保/音響:加藤 温/衣裳:前田文子/ヘアメイク:川端富生/演出助手:大澤 遊/舞台監督:山下 翼/技術監督:小西弘人/[出演]浜中文一 音月桂 村川絵梨 土屋佑壱 岡本 玲 浅野令子 木村 了 那須佐代子 泉関奈津子 内田健介 太田緑ロランス 椎名一浩 椙山さと美 鈴木勝大 鈴木将一朗 瀬戸カトリーヌ 田中 亨 野口卓磨 松本 亮 万里紗 八頭司悠友 伊奈聖嵐 久住星空 高橋菜々音 塚越一花 寺戸 花 根本葵空 前田武蔵 三田一颯 @新国立中劇場

17日(月)17:00 東京芸術祭 2022 野外劇『嵐が丘』作:エミリー・ブロンテ/演出:小野寺修二/訳:小野寺健嵐が丘(上)(下)」光文社古典新訳文庫/出演:王下貴司 久保佳絵 斉藤 悠 崎山莉奈 菅波琴音 竹内 蓮 丹野武蔵 鄭 亜美 辻田 暁 富岡晃一郎 中村早香 西山斗真 塙 睦美 宮下今日子 片桐はいり @GLOBAL RING THEATRE〈池袋西口公園野外劇場〉

21日(金)19:00 新国立劇場バレエ団『ジゼル』新制作/振付:ジャン・コラリ&ジュール・ペロー&マリウス・プティパ/演出:吉田 都/改訂振付:アラスター・マリオット/音楽:ドルフ・アダン/美術・衣裳:ディック・バード/照明:リック・フィッシャー/ジゼル:小野絢子/アルブレヒト:奥村康祐/指揮:アレクセイ・バクラン管弦楽東京フィルハーモニー交響楽団 @新国立劇場オペラハウス

22日(土)13:00 新国立劇場バレエ団『ジゼル』ジゼル:柴山紗帆/アルブレヒト:井澤 駿/指揮:冨田実里 @新国立劇場オペラハウス

23日(日)14:00 新国立劇場バレエ団『ジゼル』ジゼル:米沢 唯/アルブレヒト:渡邊峻郁/指揮:アレクセイ・バクラン @新国立劇場オペラハウス

26日(水)19:00 N響 #1967 定演〈B-1〉グリーグ:ピアノ協奏曲 イ短調 作品16/ニルセン:交響曲 第3番 作品27「広がり」/指揮:ヘルベルト・ブロムシュテット/ピアノ:オリ・ムストネン @サントリーホール

27日(木)19:00 劇団銅鑼 ラボ企画#2 プロジェクトYu-kaプロデュース公演 黒い喜劇『友達』作:安部工房/演出:野﨑美子/出演:松田崇 金子幸枝 沓澤周一郎 長谷川由里 野井一十 龍ともこ 向 暁子 福井夏紀 山中宏明 鈴木結翔 鶴田尚子 今井聡 @劇団銅鑼アトリエ

↑役者は適材適所に見えた。男のキャラはぴったりだし、家族の父、三女(トランペットも)、三男など皆うまい。/前半、男の部屋に見ず知らずの〝家族〟9人が闖入してくる。この理不尽さがさほど感じられない。我が物顔で家の中を物色しながら、善意を押し付けてくる厚かましさや気持ち悪さがもっと出てもよかった。他方、押されっぱなしの被害男に、何やってんだ、と言いたくなる人のよさは、ある程度、出てはいたが、もっと両者の相乗関係を意識したあり方が模索できたのではないか。/後半の方が芝居としてはよかった。当事者からは〝外部〟となる警官は、結局〝家族〟側の言い分に納得してしまう。このとき、観客はニュートラルな警官が前半の理不尽さを解消してくれるかもと淡い期待を抱き、それが無残に裏切られ、がっかりしなければならない。難しい役だが、このあたりの機微がより十全に体現できるとさらによい。婚約者の兄はこれと同じではないが似たようなものか。今井くんがこの役に選ばれたのは、プロデュース側が新国立の『どん底』を見たから?全体的に、演技を見る喜びはあったが、ディレクションの方向性がつかめなかった。/この〝家族〟は男の退職金や婚約者、ひいては男の命まで奪ってしまうのだから悪質な詐欺集団に違いない。しかも、相手を孤独から救うため、隣人愛等々、要するに相手のためだというのは、たしかに旧統一教会の手口と似ていなくもない。あるいは、通常は何でもないが、逆らうと〝同調圧〟としてその牙をむく〝世間〟の怖さ? 演出家の意図はどうだったのか。

28日(金)19:00 新国立劇場バレエ団『ジゼル』ジゼル:木村優里/アルブレヒト:福岡雄大 @新国立劇場オペラハウス

29日(土)13:00 新国立劇場バレエ団『ジゼル』ジゼル:池田理沙子/アルブレヒト:速水渉悟 @新国立劇場オペラハウス

29日(土)18:00 新国立劇場バレエ団『ジゼル』ジゼル:米沢 唯/アルブレヒト:渡邊峻郁新国立劇場オペラハウス

↑29日(土)ソワレ、自分にとっての初日がやっと来た。こんなに注視させるダンサーは米沢唯だけ。花占いのモチーフでジゼルにアルブレヒトが言い寄るシーン、ベンチに座る前からなぜかグッときた。羞じらいながらも心ときめく米沢ジゼルは、すでに悲劇の予兆を含んでいた。裏切りを知った後のジゼルは、死の直前に見るという〝走馬灯〟の一瞬を動きと踊りで引き延ばしたかのよう。バッカスの少年にしがみついて放さぬ様は凄まじかった。あとは一気に死へ突進するだけ。

今日の第2幕は気づくとヴィオラを聴いていなかった。ひたすら米沢ジゼルに注視し、そこにヴィオラが聞こえてくる。そんな感じ。最後、アルブレヒトをいたわりながらも以前のようにあえて〝気〟を入れず、というか、この世の人ではないモノとして、スーッと退き、墓の中へ消えていく。グッときた。

今日のバクラン+東フィルは、冒頭から引き締まった演奏。米沢が踊る時、このウクライナ人指揮者はノリが違う。山田悠貴と飯野萌子のペザントpddはよかった。山田は昨日も見たが、きれいでクリアな踊り。村人にしては気品と輝きがありすぎるくらい。王子で見てみたい。今日の客は初日2日目より上質。

渡辺与布のバチルド造形は3人中最も人間的で好かったが、今回の設定変更からは、演出から食み出した結果かもしれない。そもそもクールラント公爵から大富豪の娘に変更したのは何故? アルブレヒトは愛でなく金を理由に婚約した? ジゼルとは遊びでなく真実の愛だった? もしそうなら、アルブレヒトの裏切り(罪)が弱まり、悲劇性も薄れないか。ベルタが葡萄園を営む設定(セットの家は立派)も、ジゼルとアルブレヒトの〝身分格差〟を多少なりとも縮める印象を与えないか等々。2幕のセットを含め少々疑問がある。新制作の演出ノートをリーフレットに記して欲しかった。10/23 ツイート

30日(日)15:00 BCJ #152 定演 A. モーツァルト交響曲第39番 変ホ長調 KV 54/《レクイエム》 KV 626/指揮:鈴木優人/ソプラノ:森 麻季/アルト:藤木大地/テノール:櫻田 亮/バス:ドミニク・ヴェルナー/合唱・管弦楽バッハ・コレギウム・ジャパン @東京オペラシティコンサートホール タケミツメモリアル

BCJ 定演のモーツァルト《レクイエム》は力強さと勢いが印象的。破綻を恐れていない感じ。鈴木優人氏が自身の補筆版を初めて振ったとき、その明るさに驚いた。今回はさらに伸びやさが加わった。父の雅明氏がプログラム巻頭言でこの神童と父親との関係を論じていた。その父はいまポーランド。優人氏の奔放さは〝厳格な父〟から解放されたせい?  前半演奏の39番はモーツァルトで一番好きな交響曲。3楽章トリオでクラリネットとホルンがインプロしてた。演奏の喜びはこっちに伝染する。アンコールの《アヴェ・ヴェルム・コルプス》は心に沁みた。新国立劇場バレエ団 『ジゼル』を6回見た後の《レクイエム》は、食後酒として悪くない。ジゼルを亡くしたアルブレヒトの嘆きは、失って初めて分かるかけがえの無さと不可分なのか。‘Parting is all we know of heaven, / And all we need of hell.’ Emily Dickinson(10/30 ツイート)

9月のフィールドワーク予定 2022

今月も5公演と少なめ。7月中旬以降、オケの生演奏から遠ざかっている。久し振りに聴くとどんな感触なのか。楽しみだ。

1日(木)19:00 『わたしは幾つものナラティヴのバトルフィールド』テキスト・演出:岡田利規/共同振付:岡田利規、湯浅永麻、太田信吾/出演:湯浅永麻、太田信吾/主催・企画・制作:彩の国さいたま芸術劇場(公益財団法人埼玉県芸術文化振興財団)/助成:Dance Reflections by Van Cleef & Arpels文化庁文化芸術振興費補助金(劇場・音楽堂等機能強化推進事業)、独立行政法人日本芸術文化振興会 @彩の国さいたま芸術劇場小ホール

19日(月・祝)15:00 「サラダ音楽祭」メインコンサート[曲目]ペルト:フラトレス~弦楽と打楽器のための [ダンス付き]/ウェーバー:歌劇『オベロン』序曲 J.306/ラフマニノフピアノ協奏曲第2番 op.18より 第2楽章 [ダンス付き]●/メンデルスゾーン:劇付随音楽《夏の夜の夢》(台本:小林顕作)◆▲★◎/指揮:大野和士ストーリーテラー:パックン(パトリック・ハーラン)◎/ピアノ:江口 玲●/ソプラノ:前川依子◆/メゾソプラノ:松浦 麗▲/ダンス:Noism Company Niigataノイズム・カンパニー・ニイガタ(演出・振付:金森 穣)/合唱:新国立劇場合唱団★(合唱指揮:水戸博之)/管弦楽東京都交響楽団 @東京芸術劇場コンサートホール

21日(水)19:00 N響 #1964 定演〈Bプロ〉~ファビオ・ルイージ首席指揮者就任記念~ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品61/ブラームス交響曲 第2番 ニ長調 作品73/指揮:ファビオ・ルイージ/ヴァイオリン:ジェームズ・エーネス @サントリーホール

25日(日)15:00 BCJ #151 定演「秋のカンタータ〜大天使ミカエルの祝日〜」教会カンタータ・シリーズ vol. 81/J. S. バッハ:プレリュード  ハ長調 BWV 545*/おお主なる神よ、汝の神なる御言葉 BWV 757*/フーガ ハ長調 BWV 545*/カンタータ第8番《愛する御神よ、いつ我は死なん》BWV 8/カンタータ第47番《誰であれ高ぶるものは低くせられ》BWV 47/カンタータ第130番《主なる神よ、我ら皆あなたを讃えます》BWV 130/指揮:鈴木雅明/ソプラノ:松井亜希/アルト:青木洋也/テノール:吉田志門/バス:ドミニク・ヴェルナー/オルガン独奏:鈴木優人*/合唱・管弦楽バッハ・コレギウム・ジャパン @東京オペラシティ コンサートホール タケミツメモリアル

28日(水)19:00 新国立劇場演劇 海外招聘公演『ガラスの動物園 The Glass Menagerie』〈フランス語上演/日本語及び英語のバリアフリー字幕付〉作:テネシー・ウィリアムズ/演出:イヴォ・ヴァン・ホーヴェ/制作:国立オデオン劇場/フランス語翻訳:イザベル・ファンション/ドラマトゥルグ:クーン・タチュレット/美術・照明:ヤン・ヴェーゼイヴェルト/衣裳:アン・ダーヒース/音響・音楽:ジョルジュ・ドー/演出助手:マチュー・ダンドロ/出演:イザベル・ユペール、ジュスティーヌ・バシュレ、シリル・ゲイユ、アントワーヌ・レナール @新国立中劇場

 

8月のフィールドワーク予定 2022/iakuのこと

あっという間に16日。今月は演劇の2公演のみだが、一方の『あつい胸さわぎ』再演はすでに終わり、他方の劇団銅鑼公演は陽性者が出たため中止に。8月に1公演しか見ないのは二十数年ぶりか。

『あつい胸さわぎ』は、役者はみな巧いし〝感動〟したが、同時に、演劇性から物語性(メロドラマ)への比重の移行を再確認した。

横山拓也の作品は2018年から見続けてきた。数えたら11作(『首のないカマキリ』は見逃した)。初めて見た「iaku 演劇作品集」(『あたしら葉桜』『梨の礫の梨』『人の気も知らないで』『粛々と運指』)のちらしに本人のコメントが記されている。「横山戯曲は岸田國士の系譜にあると考えている」と。岸田の『葉桜』(1926)と自身の『あたしら葉桜』の連続上演に触れたものだが、『あたしら』以外の作品もたしかに岸田的対話の妙が際立つ。ただし、この4作に魅せられたのは、(関西弁の)対話の妙もあるが、芝居の〝仕掛け〟が大きかった。

岸田は「『或ること』を言うために芝居を書くのではない。芝居を書くために『何か知ら』云うのだ」と何度か繰り返した。これは、芝居の内容(物語)より、芝居としての妙味、つまり演劇性(小説とは異なる)を優先するという作劇宣言である。横山作品も、語り方の工夫(手法)に芝居の妙が強く感じられ、その意味で、「岸田の系譜にある」といってよい。私が気に入ったのは、決定的情報の後出し(『あたしら』『梨の礫の梨』『人の気も知らないで』)や、攪乱された/二重の時間(『逢いにいくの、雨だけど』『雉はじめて鳴く』『The last night recipe』『フタマツヅキ』)などの〝仕掛け〟である。〝後出し〟は、観客に、それ以前の科白の想起と再吟味を促し、〝二重の時間〟は、各場面の、あるいは場面間の意味や関係性を宙づりにし、かえって、いまここでの科白に注視させる。このように、劇の〝仕掛け〟が、シンプルなセットや俳優の律動的な登退場と相俟って、上演を音楽に近づけるのだと思う。横山作品がしばしば良質な演劇的快楽をもたらす所以である。

ただ最近は、そうした要素がやや後退し、物語(メロドラマ)性が前景化してきた印象を受けることがある。特に二つの再演舞台(21年『逢いにいくの、雨だけど』、今回の『あつい胸さわぎ』)などはそう。再演で演技がこなれるせいか、ある意味、分かりやすく、より感動的になった。これをポジティブに捉える向きもあるだろう。だが、芸術の場合〝分かりやすさ〟は要注意だ。ここで想起したいのは、「異化」である。ブレヒトではなく、その基になったシクロフスキイの方。

「芸術の手法とは、事物を〈異化〉する手法であり、形式を難解にして知覚をより困難にし、より長びかせる手法なのである。というのも、芸術にあっては知覚のプロセスそのものが目的であり、そこで、このプロセスを長びかせねばならないからである。芸術は事物の成りたちを体験する方法であり、すでに出来上がってしまったものは芸術においては重要ではないのである」(ヴィクトル・シクロフスキイ「手法としての芸術」松原明訳/ゴシックは引用者)。

俳優座への書き下ろしは11月の新作『猫、獅子になる』で三作目だし、昨年は文学座で『ジャンガリアン』が上演された。後れを取った新国立劇場は12月に『夜明けの寄り鯨』を上演予定だ。横山作品が広く認知され、多くの観客を得るのはとても喜ばしい。ただ、今後も〝分かりやすさ〟より、演劇性を優先させた作品が書かれることを期待している。

5日(金)18:00 iaku『あつい胸さわぎ』作・演出:横山拓也/舞台美術:柴田隆弘/照明:葛西健一/照明オペ:平野明/音楽:山根美和子/音響:星野大輔/音響オペ:日本有香(Sugar Sound)/演出助手:朝倉エリ/衣裳:中西瑞美(ひなぎく)/舞台監督:青野守浩/[配役]武藤千夏(芸術大学の文芸学科学生):平山咲彩、武藤昭子(マスモリ繊維(株)社員+千夏の母):枝元萌(ハイリンド)、花内透子(マスモリ繊維(株)社員):橋爪未萠里、川柳光輝:田中亨、木村基晴(マスモリ繊維(株)社員):瓜生和成(小松台東)  @ザ・スズナリ

29日(月)19:00 劇団銅鑼 創立50周年 第2弾 No.57『ふしぎな木の実の料理法〜こそあどの森の物語〜』原作:岡田 淳(「ふしぎな木の実の料理法」理論社刊)/脚本:斎藤栄作/演出:大澤 遊/美術:池宮城直/照明:鷲崎淳一郎/音響:ステージ・オフィス/衣装:柿野あや/音楽:いとをひろみつ/振付:下司尚美/舞台監督:和田健汰/演出助手:吉岡琴乃/舞台監督助手:村松眞衣・大竹直哉/衣装スタッフ:髙辻知枝/音声ガイド:中島沙結耶・齊藤美香/イラスト:さいとう りえ/宣伝美術:山口拓三(GAROWA GRAPHICO)/票券:佐久博美/制作:平野真弓/[配役]スキッパー:齋藤千裕、ドーモ:深水裕子、ポット:佐藤響子、トマト:亀岡幸大、トワイエ:館野元彦、ギーコ:植木圭、スミレ:川口圭子、アップル:福井夏紀、レモン:佐藤凜、ナルホド:池上礼朗、マサカ:早坂聡美、バーバ(声の出演):北畠愛美 @シアターグリーン BIG TREE THEATER←「関係者の中に新型コロナウイルスへの陽性反応を示す者が複数名確認され…協議を重ねた結果、全公演の中止を決定 8/15」

DULL-COLORED POP 第25回本公演「岸田國士戦争劇集」2022

岸田國士戦争劇集」初日ソワレ(白組)と8日目ソワレ(赤組)を観た(7月8日 金曜 19:00,13日 水曜 19:00/アトリエ春風舎)。

岸田國士の『動員挿話』と『かへらじと』は十数年前に作品論を書いたことがある*1。『動員挿話』の上演は何度か見た。というか、新国立劇場の上演(2007)が論文執筆のきっかけだった。が、『かへらじと』はほぼ上演された形跡がなく*2、今回、舞台を目の当たりにした感慨は一入で、岸田國士が書いた科白の美しさ、作劇の見事さに今更ながら舌を巻いた。それを感じさせる上演だったということ。以下は、例によって、だらだらとメモする。

構成・演出:谷 賢一(DULL-COLORED POP)/『動員挿話』(1927)『戦争指導者』(1943)『かへらじと』(1943)/演出助手:刈屋佑梨、石井泉/美術:濱崎賢二/映像:松澤延拓(株式会社カタリズム)/映像助手:イノウエタケル/照明:緒方稔記(黒猿)/音響:佐藤こうじ( Sugar Sound)/衣裳:友好まり子/所作指導:石原舞子/制作:DULL-COLORED POP/協力:アゴラ企画、アトリエ春風舎/助成:公益財団法人セゾン文化財団、文化庁「ARTS for the future! 2」補助対象事業

白組(7/8金)『動員挿話』『かへらじと』:倉橋愛実(DULL-COLORED POP)、荒川大三朗、石川湖太朗(サルメカンパニー)、石田迪子、伊藤麗、函波窓(ヒノカサの虜)、國崎史人、古河耕史/『戦争指導者』:古河耕史、荒川大三朗

赤組(7/13水)『動員挿話』『かへらじと』:阿久津京介、東谷英人(以上DULL-COLORED POP)、越前屋由隆、齊藤由佳、原田理央(柿喰う客)、ふじおあつや、松戸デイモン、渡辺菜花/『戦争指導者』:東谷英人、越前屋由隆

[声の出演]『かへらじと』、ラジオドラマ『空の悪魔』(1933)後者は7/15より有料配信:石井泉、小野耀大、小幡貴史、勝沼優、椎名一浩、田中リュウ、服部大成、間瀬英正、溝渕俊介、宮部大駿

舞台には一段高い板の間が作られ、正面奥の〝壁〟は縄のれんのように出入り自由。正面の欄間と横木は鳥居を思わせる形状。この板の間が『動員挿話』第1幕では宇治少佐の居間、第2幕は馬丁友吉夫妻の部屋となり、後半の『かへらじと』第1幕では神社の拝殿(原作では「拝殿は見え」ず境内の広場が舞台)や境内となり、第2幕は志岐行一の家の「奥の間」となる。

戦時のニュース映画風に、黒船来航(不平等条約)を起点とした日本近現代史岸田國士(1890-1954)の主要年譜が、当時の映像等を交えて映写される。1904(明治37)年の日露開戦では、軍人に扮した役者が登場する。岸田の父だろう。この年は『動員挿話』の設定年で、父の庄造は大隊長(少佐)として出征し、14歳の國士は名古屋地方幼年学校に入学している。軍靴の音が響くなか、やがて1927(昭和2)年『動員挿話』の発表年となる。…

【白組】プロローグで軍人に扮した古河耕史が宇治少佐として再登場。『動員挿話』が、父親の出征時(動員)のエピソード(挿話)に基づくことを理解させる仕掛けだ。第1幕。陸軍少佐に仕える馬丁友吉が戦争に行くことに、妻数代が強く反撥する。数代の言動は、1927年の当時、劇評家は少佐と共にアブノーマルと見なしたが、いま聞くとしごくまっとうに聞こえる。それが、文脈次第では非国民となるから恐ろしい。

幕切れの女中よしの「井戸です」の科白は弱め。その前に、身を投げたはずの数代がシモテからゆっくり歩み出て、中央手前で座る。その彼女を見ながら友吉の科白「やりやがったな…」。死んだ数代の再登場についてはあとで触れたい。

古河はインテリ軍人の趣き。石田迪子は少佐夫人の品格が見えた。二人の発話は無理に感情を込めず、むしろ言葉自体がおのずと感情を引っ張り出してくるのを待つようなあり方。そう感じた。一方、馬丁夫婦は声が大きくぶっきら棒でいわゆる現代的な印象。こうしたスタイルの違いは両者の身分差(主従関係)を考えると納得できる。

[右上の図版は1927年9月 帝国劇場の初演写真(『演芸画報』1927年10月号)上:大谷友右衛門の宇治少佐、河村菊江の夫人鈴子、阪東嘉好の従卒太田/下:村田嘉久子の妻数代、守田勘彌の馬丁友吉/宇野四郎 舞台監督(演出)、井上弘範 舞台装置]

「戦争指導者」(1943年4月)は知らなかった。「軍艦献納運動*3」をサポートするために書いたらしい。初出は、谷氏(プログラム)によれば、日本文学報国会の機関誌「日本学芸新聞」で、『辻小説集』に収録されている。313字というからショートショートか。流頭(ルーズベルト)=古河と茶散(チャーチル)=荒川のコントみたいな短い対話。漫才風にアドリブから始めた。平田オリザの『ヤルタ会談』を想起。数代が自死した深刻な幕切れ後のコミックリリーフとして効果的。

『かへらじと』は戦時の移動演劇用に書かれたため、それなりの人数が要る。アトリエ春風舎の小さな空間でコロナ下もあってか、第1幕の祭りの準備、第2幕の志岐の戦死報告会も、正面の〝縄のれん〟に映るシルエットや録音した声の出演などを駆使して対応した。姿の見えない役者と録音とのやりとりは、早朝の祭りの準備の情景としては少し物足りない気もしたが、主要人物の対話をフォーカスする利点もあった。赤紙の来た志岐行一は、親友の大坪参弍に、妹のふくを嫁に貰ってくれと打診するが、断られる。参弍は当初のイメージより少し年長の印象。

ハイライトは半年後の第2幕。戦死した志岐行一の遺影代わりに、本人が軍服に国旗の付いた銃を担いで鎮座する。死者の現前は『動員挿話』と同じ。女性らが座布団を敷き、湯飲みを置く。志岐が属した部隊の上級部隊長の副官 結城少佐が来行し、志岐の最期を語る場だ。結城少佐はもちろん古河。この語りが山場。小声で淡々と、ここぞのくだりは意を込める。うまい。語りのなか、戦場で志岐一等兵が部隊長に呼ばれて話しをする場面は、思わず見入った。部隊長役は大坪老人を演じる荒川大三朗。カミテの袖で着替えて登場するが、荒川の怒鳴る軍人造形はとてもリアルで迫力満点。一瞬、軍部が手を入れた改訂版かと錯覚した。オリジナルでそう感じるとは。新発見。[上記二つの図版は初出誌『中央公論』1943年6月号の伊藤熹朔による舞台美術のスケッチで、上左は第1幕、下右は第2幕。]

結城少佐は、この報告を次のように総括する。志岐の戦場での行動は、勇敢といえば勇敢だし、純粋といえば純粋だが、短慮無謀のきらいがあるため、全軍の模範とはいえないと。そうした留保を付けたうえで、少佐はいう、「われわれ軍人のみならず、日本人として、志岐君の一念には深く打たれるところがあることを、わたくし、率直にみなさまに申し上げたい」。生きては帰らぬ(かへらじと)決意は兵隊がみな胸に秘めてはいる。だが、志岐の場合は、すべてが例外に思われると。

個人的な過失を国家的な罪として自らこれを責め、友情をもって大義に結び、戦場に於いては、死にまさる奉公なしと観じた一徹素朴な精神を、わたくしは、涙なくして考えることはできないのであります。欲を云えばきりがありません。これが日本人です。日本男児です。謹んで志岐君の冥福を祈ります。終わり。

この「欲を云えばきりがありません」との科白はずっと耳に残った。当時(戦時)の日本では、これが岸田の絞り出したぎりぎりの「ヒューマニズム」であり、これ以上は残念ながら望めないと、岸田自身が言っているように聞こえたのだ。…

ラストのふくと参弍のエピソードはとても軽やかで明るい。大坪老人が、ふくの母親に娘を嫁にくれないかと言い出すが、肝心の参弍はもじもじして何も言えない。それに「まあ、こんなところかな」と大坪老人は言うのだが、これには思わず笑いが出た。岸田がこんな科白を書いていたかと、あとで確かめたほど。信時潔の賛美歌のような「海ゆかば」が流れて暗転。

古河を初めて見たのは『長い墓標の列』(2013 初日中日)。次が福島三部作 第二部『1986年:メビウスの輪』(2019)、そして今回だが、相変わらずうまい。彼の存在で、舞台がグッと引き締まっていた。

数代の〝反戦〟を岸田國士の思想と捉えがちだが、それは違うと思う。岸田は劇作家として、血の通う生きた馬丁の妻を造形したら、結果として、戦後の憲法を有するわれわれが共感しうる〝反戦〟思想の人物像が創り出された。そういうことではないか。これは、イギリスの詩人キーツシェイクスピアは「桁外れに所有していた」といったネガティヴ・ケイパビリティに関連していると思う(詳しくは先の論文に書いた)。

新国立劇場の深津篤史演出では、数代が不在の場面でも彼女を何度か舞台に現前させた。谷演出では、数代が自死したあと登場するが、おそらくそれは、友吉の最後の科白を彼女のからだに向けて吐かせるためと、続く『かへらじと』の第2幕で、戦死した志岐行一の遺影としてのからだにつなげるためではないか。『動員挿話』の演出で深津とも共通するのは、共に数代のからだを介し、観る者に考えさせる趣向だと思う(当時はともかく現代では共感しうる数代を通して、舞台を見/考えることを促す)。

岸田國士は戦争になったら勝たねばならぬと考えた。これは当時ではごく当たり前の考え方。それが〝悲惨な戦争(敗戦)〟体験を経て、日本はいまの〝平和憲法〟を得たのだが、それは人類の叡知(カント)であり、宝であるのかもしれない。

【赤組】機器のトラブルでプロローグのやり直しがあり、10分遅れでスタート。(開演前のスマホの注意や危機の操作もすべて谷氏だが、トラブル時のお詫びと弁明のお喋りには笑った)。

『動員挿話』宇治少佐はイメージより若く見えるが、声はよい。友吉は人物造形が優れている。立ち居振る舞い、科白。数代はちょっとアイドルタイプだが、役の〝過剰さ〟がよく生きられていた。女中よしも感じが出ていた。赤組は総じて現代的で感情を込めるあり方。よしの「奥さま、井戸…」はリアル。夫人がそれを聞いて出て行く様は、白赤ともにさほど切迫感がないのは演出か。友吉の、正面に現前する数代に向けられた「うそだよ、うそだよ、おれは行かないよ。行かないってばさ。ええい、うそだって云うのに、これでもわからんのか……」は、矢のように数代のからだを通って、われわれ観客に刺さった。

暗転し「戦争指導者」へ。早速 冒頭のトラブルをいじる二人。流頭=東谷英人、茶散=松戸デイモン

『かへらじと』2回目だけに科白がよく聞けるし、状況もよく分かる。志岐らしくマッチョでないタイプの役者。志岐行一と大坪参弍の対話はやや感情過多だが、「戦争志願奨励劇」(渡邊一民)としてリアルともいえる。第2幕の結城少佐は東谷英人。うまい。白組の部隊長は凄い迫力で改訂版かと思ったが、赤組は、声が知的な部隊長(越前屋由隆)ゆえ岸田のオリジナルと納得。[左図版の中段は 1943年6月 邦楽座(丸の内ピカデリー)で「移動演劇東京特別公演」として上演された『かへらじと』(軍部による改訂版)第2幕の舞台写真。佐々木孝丸演出、伊藤熹朔 装置、松竹国民移動劇団(ふく役は北林谷栄)出演/図版中の上段写真は同時上演の久藤達郎作『たらちね海』(『移動演劇図誌』1943年11月)]

本作は、要するに、赤紙が来てギョッとし、喧嘩の仲裁ばかりしていた青年が過って片目を失明させた親友の代わりに、その意志に報いるために死を賭して戦い、戦死する。国家(昨今よく聞く「国益」)や天皇陛下のためではなく、個人として親友のために生命を賭けた点がポイント*4。いまの日本では(特に若い人には)この点が見落とされるかもしれない。もし今回のオリジナルと改訂版(認可脚本)とを交互に上演できたら、岸田がいかに苦心して戦時の日本社会に受け入れ可能な伝統的「死生観」の枠内で、志岐行一の死なせ方を〝日本固有のヒューマニズム〟たりうるものにしようとしたか、また、いかに当時の軍部がいびつで狂信的で没理性的だったか、よく分かるのではないか(谷さんでも誰でも、上演してくれるなら、「認可脚本」は喜んで提供します)。

戦争前の1927年『動員挿話』で〝反戦〟だった岸田が、戦時の 1943年『かへらじと』で戦争を肯定する戦争劇を書いた? そうではない。軍人の家に生まれ、自らも軍人を目指した岸田國士は、反戦思想を抱いたことなど一度もなかったはず。『動員挿話』での〝反戦〟の位相については上記の通り。では、16年後の『かへらじと』で、岸田は何をしようとしたのか。

戦争は決して負けてはいけない。いったん戦争が始まったら理屈抜きに「お互いの生命を守り合うのが当然だ」(リレー評論「文学者と愛国心」1936)。だが、人命をモノのように軽く扱い、人間性の無視が蔓延している事態こそ「結局いざという場合に、国民の本当の力を出し切ることのできない最大原因」である(「文芸雑記」1940)。そこで、〝生命を大事にせよ〟〝国家より個人を尊重せよ〟との価値観を絶妙に盛り込んだ「戦争志願奨励劇」を書き、移動演劇として上演することで、国民を啓蒙しようとした。あくまでも、戦争に勝つための文化の「側衛的任務」として(「文芸の側衛的任務」1940)。

だが、そんな岸田の「戦争劇」も、そのまま上演されることはなく、舞台化されたのは、軍部の意向に沿って無残に改竄(改訂)された「認可脚本」だった。

 

*1:「戦争文化論(Ⅲ)——岸田國士『動員挿話』における〝反戦〟の位相」桜文論叢第68巻,2007/「岸田國士の戦争劇——『かへらじと』の認可脚本をめぐって」2009。

*2:谷賢一氏によれば、文学座研修科の発表会(2020年/鵜山仁 演出/文学座アトリエ)でやったらしい。

*3:「軍艦献納」といえば、「古典」という語の由来を想起させる。「古典」はラテン語の形容詞 classicus にから来ているが、これは「艦隊」の意味を持つ名詞 classis から派生した。つまり、classicus は国家の危機に、国家のために艦隊を寄附できる富裕階級を指し、転じて「人間の心の危機において本当に精神の力を与えてくれるような書物のことをクラシクスというようになり、さらに「絵画でも音楽でも演劇でも精神に偉大な力を与える芸術を、一般にクラシクスと呼ぶようになった」(今道友信)。ちなみに、prole は子供のことで、形容詞 proletarius は、そうした危機に自分の子供しか差し出せない貧しい人々を意味し、それがドイツ語のプロレタリアート(労働者階級)となって世界中に広がった。

*4:1938年に「国家を裏切るか友を裏切るかと迫られたときには、国家を裏切る勇気を持ちたいと思う。こんな選択をすれば現代の読者は憤慨して即座にその愛国的な手を電話にのばし、警察に通報するかもしれない」(小野寺健訳)と書いた E. M. フォースターの言葉と比較してもよい。