9月のフィールドワーク予定 2023 追記+感想メモ

先月同様、今月も映画1 演劇1 コンサート2 と少なめ。

先月は公演が少ない分、気になっていた本をいろいろ読めた。中沢啓治はだしのゲン』全10巻、吉原真里『親愛なるレニー——レナード・バーンスタインと戦後日本の物語』、平野啓一郎『死刑について』、村田喜代子・木下晋『存在を抱く』等々。

なかでも『はだしのゲン』(1973-1987)は読後感が後を引き、また、いっけん無関係に読んだ別の本とも響き合い、中沢の『はだしのゲン 自伝』(1994)『はだしのゲン わたしの遺書』(2012)黒いシリーズ短編集『黒い雨にうたれて』(1968-1973)等を読み、さらに、複数のヴォランティア(Project Gen)で訳したという英語版全10巻(2004-2009) を入手することに。漫画を読んだのは、やはりヒロシマの原爆体験を扱ったこうの史代の『この世界の片隅に』以来だ。『ゲン』を読みはじめたら、二十数年前に読んだアート・スピーゲルマン『マウス——アウシュヴィッツを生き延びた父親の物語』(1986/91)が頭に浮かんだ。これも20世紀の災厄を描いた漫画作品である。この作者が『ゲン』の英語版序文(1990)を書いたのは偶然とは思えない。スピーゲルマンは『マウス』に着手してほどなく『ゲン』を読んだという。おそらく1978年の最初の英語版だろう(翻訳は年月を経ながら進化を遂げたらしい)。『ゲン』についてはまた改めてメモしたい。

4日(月)17:10 映画『福田村事件』監督:森 達也/脚本:佐伯俊道、井上淳一荒井晴彦/企画:荒井晴彦/統括プロデュ―サー:小林三四郎/プロデュ―サー:井上淳一 片嶋一貴/企画協力:辻野弥生、中川五郎、若林正浩/アソシエイトプロデュ―サー:内山太郎、比嘉世津子/撮影:桑原 正/照明:豊見山明長/録音:臼井 勝/美術:須坂文昭/装飾:中込秀志/衣装:真柴紀子/ヘアメイク:清水美穂/編集:洲崎千恵子/音楽:鈴木慶一/助監督:江良 圭/キャスティング:新井康太/スチール:佐藤芳夫/メイキング:綿井健陽/出演:井浦 新、田中麗奈永山瑛太東出昌大コムアイ、木竜麻生、松浦祐也、向里祐香、杉田雷麟、カトウシンスケ、ピエール瀧水道橋博士豊原功補、柄本 明 @イオンシネマ板橋

7日(木)19:00 東京芸術劇場 Presents 木ノ下歌舞伎『勧進帳』監修・補綴:木ノ下裕一/演出・美術:杉原邦生 [KUNIO]《通常公演》武蔵坊弁慶リー5世/源九郎判官義経:高山のえみ/富樫左衛門:坂口涼太郎常陸海尊&番卒オカノ:岡野康弘/亀井六郎&番卒カメシマ:亀島一徳/片岡八郎&番卒シゲオカ:重岡漠/駿河次郎太刀持ちの大柿さん:大柿友哉 @芸劇シアターイース

17日(日)15:00 BCJ #157 定演 シューベルト:ミサ曲第5番 変イ長調 D 678/交響曲第7番 ロ短調《未完成》D 759/指揮:鈴木雅明/ソプラノ:安川みく/アルト:清水華澄/テノール:鈴木 准/バス:大西宇宙/合唱・管弦楽バッハ・コレギウム・ジャパン @オペラシティコンサートホール タケミツメモリアル

20日(水)19:00 N響 #1991 定演 モーツァルト交響曲 第29番 イ長調 K. 201/モーツァルト:フルート協奏曲 第2番 ニ長調 K. 314/モーツァルト交響曲 第39番 変ホ長調 K. 543/指揮:トン・コープマン/演奏:神田寛明(フルート/N響首席フルート奏者)@サントリーホール

コープマンはかなりモーツァルト交響曲全曲演奏してなかったか、たしか芸劇で。テレビで見た記憶がある。いま78歳だからかつての跳ねるような指揮振りとは違ったが、片鱗はあった。

モーツァルト交響曲第29番イ長調 K.201》編成はオーボエ2,ホルン2,弦楽。

地味目な始まりは後半39番との違いを計算した点もありそう。それでも面白い箇所がちらほら、特に第4楽章。

《フルート協奏曲第2番ニ長調 K.314》編成は29番と同じだが弦の人数を減らしてる。

神田寛明のフルートは優美。聞かせ所でもこれ見よがしにならずオケとよく馴染む。といって埋没はしない。幸福感とウキウキ感が漲る音楽。カデンツァも素晴らしかったが、神田自身の作とは! アンコールは《魔笛》「私は鳥刺し」フルート二重唱のアレンジを一人で吹いたと。すごい。

交響曲第39番変ホ長調 K. 543》フルート1(神田氏が入ってる!),クラリネット2,ファゴット2,ホルン2,トランペット2、ティンパニ1,弦楽。

初めて聴いたのは十代半ばだったか。なぜかモーツァルトで一番好きなシンフォニー。序奏がいい。かつてのベームカラヤンを聞き慣れた耳でアーノンクールを聞いたとき驚いた。すごいハイテンポで、軽やか。むろんコープマンもこの方向。序奏からアレグロに入ったときの爽快感! 氷の上を滑っているような気持ちの好さがある。3楽章のクラリネット(フルート)のトリオはオペラのアリアみたい。どこかでクラリネットが遊んだ! ティンパニも!18歳で作曲の29番から24歳の協奏曲を経て34歳の39番を聞くと、悪戯好きの個性が開花していくさまを聴き取れる。コープマン指揮の賜物か。(9/24のツイートを修正)

【29日(金)19:00 劇団銅鑼 Labo 企画 第三弾『雌伏~「ながい坂」三浦主水正、江戸に潜む~』原作:山本周五郎『ながい坂』より/脚色・演出:平石耕一/出演:鈴木正昭 長谷川由里 黒田志保 柴田愛奈 野内貴之 髙辻知枝 大竹直哉 川口圭子 金子幸枝 吉野孝正/音楽:寺田テツオ/音楽助手:北村友佳/効果:真原孝幸/照明:館野元彦/結髪:佐藤亭子/衣装&美術協力:中村真由美/舞台監督:鈴木正昭/演出助手:館野元彦/宣伝美術:中村真由美/制作:柴田愛奈 @銅鑼アトリエ】←追記

愛知県芸術劇場×DaBY ダンスプロジェクト『Rain』東京公演 2023

東京公演『Rain』の初日を見た(8月4日 金曜 19:00/新国立小劇場)。

暮れに、米沢唯がモームの短篇「雨」(1921)に基づくダンスを踊ると聞き、たしか新潮文庫の短編集があったと思い探したが、ない。処分したらしい。代わりにペンギン版の短編集が見つかり、正月に読んでみた。へーこの場末感満載の娼婦役を踊るのか。ちょっと驚いた。たしかに米沢は『ホフマン物語』の高級娼婦ジュリエッタや、いわゆる娼婦ではないが『マノン』のタイトルロールを見事に演じ踊っている。だが、「雨」のミス・トムソン(イギリス人モームはそう発音した可能性はあるがアメリカ人設定の彼女は〝トムプソン〟が自然)はそれらとまったくタイプが違う。米沢がどんなミス・トムプソンを造形するのか、見守りたい。

本作は降りしきる雨の効果もさることながら、謹厳で狂信的ともいえる宣教師デイヴィッドソンが重要になりそう。愛知の初演では吉崎裕哉が踊ったらしいが、今月の再演では中川賢に変わっている。鈴木竜はどんな舞台を創ったのか。(その後、中野好夫が訳した新潮文庫版を入手。装丁が懐かしい。40年前と変わってなかった。)

…ここまでは見る前のメモ。以下は実際に見た感想。

演出・振付:鈴木 竜/美術:大巻伸嗣/音楽:evala/出演:米沢 唯(新国立劇場バレエ団)、中川 賢、木ノ内乃々、Geoffroy Poplawski、土本花、戸田祈、畠中真濃、山田怜央

プロデュース:唐津絵理(愛知県芸術劇場/Dance Base Yokohama)、勝見博光(Dance Base Yokohama)/プロダクションマネージャー:世古口善徳(愛知県芸術劇場)/照明ディレクター&デザイン:髙田政義(RYU)/照明オペレーター&デザイン:上田剛(RYU)/音響:久保二朗(ACOUSTICFIELD)/舞台監督:守山真利恵、川上大二郎/舞台監督助手:峯健(愛知県芸術劇場)/舞台:(株)ステージワークURAK/衣裳:渡辺慎也/リサーチ・構成:丹羽青人(Dance Base Yokohama)/振付アシスタント:堀川七菜(DaBYレジデンスダンサー)/制作:宮久保真紀、田中希、神村結花(Dance Base Yokohama)/企画・共同製作:Dance Base Yokohama、愛知県芸術劇場

正直ピンとこなかった。むしろ原作を読まない方が楽しめたかもしれない。読んだ頭で見ると、多少とも見方が〝演繹的〟になる。つまり、原作の残像がイデアとして働き、その具現化を探してしまうのだ。

一方、昨年の『never thought it would』や『When will we ever learn?』の舞台は〝帰納的〟に見たと思う。鈴木竜の振付はたしかに抽象的だが、その抽象はきわめてリアルだ。ゆえに見る者の想像力を刺激し、作り手の創意をあれこれ考えながら個々の踊りを見る。そこに喜びがあった。

今回の『Rain』では、読後の残像に見合う振付や演出はあまり見出せず。また、美術や音楽の工夫は分かるが、通奏低音たるべき〝雨〟の「神経にさわる」「無慈悲さ」や「原始的な自然力の悪意」も体感できなかった。ただし、こうした読書体験と舞台の乖離が、逆に、原作から何を強く受け取ったのか気づかせてくれた。この点は後で触れる。

前半は秩序立ったキレのある群舞。悪くない。そこにスタンドカラーの黒服を着た中川デイヴィッドソンが加わる。やがて米沢トンプソン登場。秩序から混沌へ?トンプソンは秩序の撹乱者? …長い〝縄のれん〟で区切られた大きな立方体が上方から降りてきて、雨に閉ざされた箱状の空間を作り出す。面白い振付があった。降り続く雨を思わせる長い間の後、中川がハンドライトを米沢に照らすが、途中で米沢がそのライトを奪い、中川に照らし返す。見る側(男/宣教師)と見られる側(女/救われるべき娼婦)の関係が逆転する様をうまく表した。〝縄のれん〟の向こうから手や腕が伸び、それらにリフトされ浮遊する米沢トンプソンの妖しげなシークエンスは、H・アール・カオスの『秘密クラブ・・・浮遊する天使たち』を想起した。…

ただ、総じて舞台ではデイヴィッドソンのなかに渦巻く情念の変化がはっきりしない。前半の黒服から後半の裸での踊りが、禁欲的なあり方から本能を抑えきれない幕切れへの変化を示す?

 

原作では、デイヴィッドソンが風紀を乱すトンプソンを島から追い出そうと画策する。退去命令を知ったトンプソンは激しく抵抗するが、無駄だと分かるや傲慢で嘲笑的な態度を一変。怯えきった奴隷のごとく従順になる。サンフランシスコ行きの船に乗れば刑務所行きだ。それを極度に恐れるトンプソンは、あまりの恐怖心からデイヴィッドソンにすがりつく。追いつめられた彼女は〝罪深い〟自分のために祈るという牧師を信じるしかなかった。不安を煽り、脅して従わせる。宗教活動にはありがちだが、彼が島の総督を動かしたのも同じ手口だ。

だが、トンプソンが乗船する日の朝、海岸でデイヴィッドソンの血にまみれた遺体が発見される。自分の喉を剃刀で切り、自死したのだ。その日、トンプソンは元の派手なあばずれ女に戻っていた。何があったのか。それは彼女がドクター・マクフェイルに投げつけた幕切れの言葉に明らかだ。

あんたら男ときたら! 薄汚い、汚らわしい豚だ! あんたらはみな同じさ。あんたらみんなだよ。豚だ! 豚だ! You men! You filthy, dirty pigs! You're all the same, all of you. Pigs! Pigs!

ミイラ取りがミイラになった。デイヴィッドソンは、売春婦トンプソンの客と同様、彼女の体を求めたに違いない(これは彼がよく見た「奇妙な夢」、すなわち「ネブラスカの山々」が彼の夢に出てきた話で暗示されていた*1)。悪魔は売春婦トンプソンではなく牧師自身の中に居たのだ。その悪魔を、壊疽のごとく切除しようとしたのか。マクフェイル同様医師でもあった彼は、あるいは確実な方法で自分を抹殺したのか。

トンプソンの呪詛の言葉の背後には、牧師デイヴィッドソンへの激しい幻滅がある。この感情は舞台では不在だった。彼女は刑務所暮らしへの不安や恐れから「悔い改めたい」と牧師に告げる。自分のためにひたすら祈る彼を信じ、その〝誠意〟にすがらざるをえなかったのだ。が、自分を救うはずの「牧師さま」が、自分の体に欲情し…。これ以上の裏切りがあるだろうか。

宣教師の死に方とトンプソンの呪詛から感じるのは、〝力強い〟独善的な宣教師デイヴィッドソンに対する作者の強烈な憎悪である。彼をここまで完膚なきまでに叩きつけるとは。

一方、ナレーターのドクター・マクフェイルにはある種の〝弱さ〟が付与されている。これはマクフェイル(=作者ではないが)に過度の〝正しさ〟を帯びさせないためかもしれない。自らを絶対に正しいと見なすあり方への忌避と周到な戒めを感じる。

 

これらはもとより個人的な解釈だが、個人で舞台を見るかぎり、そこに相関物を探すのは避けられない。原作を知らずに舞台だけ見れば、また違った感想を抱いたかもしれないが。

そもそもコンテンポラリー作品でバレリーナに売春婦役を踊らせること自体かなり大胆な企画だと思う。ホノルルの赤線地帯から流れてきたトンプソンは、宣教師夫妻やマクフェイル夫人らにとって(ナレーターのドクター・マクフェイルは別)、島の原住民同様、下品で不道徳で堕落した存在である。バレエが得意とするのは一般に〝美しさ〟の表現だ。七人のコンテダンサーに混じり、ひとり汚れ役を演じた唯一のバレリーナ米沢唯は、大変だったろう。本が読める彼女だけに複雑な思いもあったか。数々の壁を乗りこえ成長してきた米沢だから、今後の糧にするはずだ。鈴木竜にはこれまで通り、リアルで抽象的な振付作品を創ってほしい。_

*1:デイヴィッドソンが見た夢の話を夫人から聞いたドクター・マクフェイルは「アメリカを横断する時、汽車の窓からその山々を見たことを思い出した。丸く、なだらかな山々が平原から急に高くなっていて、ちょうど大きな土竜[もぐら]の丘を見るようだった。ふとその時、なんとなく女の乳房を連想したことを彼は思い出した」(中野好夫訳)。このフロイト的暗示は、デイヴィッドソンが〝無意識〟ではすでにトンプソンの肉体を求めていたことを告げている。

バレエ・アステラス 2023

「バレエ・アステラス 2023~海外で活躍する日本人バレエダンサーを迎えて世界とつなぐ~」の2日目を見た(6日 日曜 14:00/新国立劇場オペラハウス)。広島に原子爆弾が投下された日。

当初そのつもりはなかったが、見た方がいいよと何度も勧められ、数日前に2F左バルコニーを取った。アステラスは2019年振りだと思う。

指揮:デヴィッド・ガルフォース[ガーフォースだと思うけど]/管弦楽東京フィルハーモニー交響楽団/照明プラン:喜多村 貴(劇光社)

バレエ・アステラス委員:(五十音順)安達悦子(東京シティ・バレエ団理事長/芸術監督)岡本佳津子(井上バレエ団代表理事)小倉佐知子(新国立劇場バレエ研修所長)小山久美(スターダンサーズ・バレエ団代表/総監督)小林紀子小林紀子バレエ・シアター芸術監督)法村牧緒(法村友井バレエ団団長)堀内 充(大阪芸術大学教授)三谷恭三(牧阿佐美バレヱ団総監督)

総じてこれまでより質が高くなった印象。以下ごく簡単にメモする。

第1部

シンフォニエッタ』/振付:牧 阿佐美/音楽:シャルル・グノー

出演:新国立劇場バレエ研修所 第19期・20期生、予科生 、作品ゲスト:京當侑一籠(牧阿佐美バレヱ団)

例のバランシン風の作品。

『Love Fear Loss』よりLossのパ・ド・ドゥ 日本初演/振付:リカルド・アマランテ/音楽:エディット・ピアフ

出演:五十嵐愛梨 (アトランタ・バレエ)&セルジオ・マセロ (アトランタ・バレエ)/ピアノ演奏:中野翔太

柔らかな踊りだが、次第に熱がこもってきて…。気品のある二人。ピアノは少し勢い余ったが、なかなかのもの。

『サタネラ』よりパ・ド・ドゥ/振付:マリウス・プティパ/音楽:チェーザレ・プーニ

出演:後藤絢美(アメリカン・バレエ・シアター スタジオカンパニー)&三宅啄未 (アメリカン・バレエ・シアター スタジオカンパニー)

三宅は技術が高いのにこれ見よがしでない。強度を上げると凄味がでる。好いダンサー。後藤もいいと思う。

『夏の夜の夢』よりファイナル・パ・ド・ドゥ/振付:リアム・スカーレット/音楽:フェリックス・メンデルスゾーン

出演:吉田合々香(クイーンズランド・バレエ プリンシパル)&ジョール・ウォールナー(クイーンズランド・バレエ プリンシパル

ホルンの響きが聞こえただけでグッときた。素晴らしい演奏。ダンサー二人も登場しただけで妖精の王&女王の風格を感じさせる佇まい。気品のある音楽に見合う踊りだった。

コッペリア』よりパ・ド・ドゥ/振付:マリウス・プティパ/音楽:レオ・ドリーブ

出演:ジェシカ・シュアン (オランダ国立バレエ プリンシパル)&山田 翔 (オランダ国立バレエ ソリスト

ヴィオラのソロ。バランスを多用した振付。二人とも人の好さを感じさせる踊り。

アルルの女』よりラストソロ(ファランドール[ゲスト出演の石山古都(カナダ国立バレエ プリンシパル)が体調不良で降板のため当初の『In Our Wishes』振付:キャシー・マーストンから変更]/振付:ローラン・プティ/音楽:ジョルジュ・ビゼー

ゲスト出演:吉山シャール ルイ(チューリヒ・バレエ プリンシパル

吉山のパトスは、最後に窓外へ身を投げるまで強烈だった。カーテコールも。

『ジゼル』 第2幕よりパ・ド・ドゥ/振付:ジャン・コラリ&ジュール・ペロー&マリウス・プティパ/音楽:アドルフ・アダン

 出演:木村優里(新国立劇場バレエ団 プリンシパル)&中家正博 (新国立劇場バレエ団 ソリスト

木村はもっと浮遊感が欲しい気もした。少し太ったか。中家はきっちり踊ったが、音楽のテンポが速かった印象も。

第2部

『Largo』より/振付:マッテオ・レヴァッジ/音楽:ヨハン・ゼバスティアン・バッハ

出演:ミラノ・スカラ座バレエ・アカデミー/チェロ演奏:上村文乃

なるほどフォーサイスっぽい踊りだが、よりストレートであっさりめ。若手のダンサーらは悪くない。チェロの上村はBCJではピリオド楽器だが、この日はモダンだったか。唸り声を含め好かった。

『La fille mal gardée』よりパ・ド・ドゥ/振付:フレデリック・オリヴィエリ/音楽:ルートヴィヒ・ヘルテル

出演:ミラノ・スカラ座バレエ・アカデミー

まだ体をコントロールできてないけど、演目に見合った大らかさはなんか微笑ましい。こういう育て方でいいのかも。

ドン・キホーテ』第3幕よりパ・ド・ドゥ/振付:カルロス・アコスタ/音楽:レオン・ミンクス

出演:栗原ゆう (英国バーミンガム・ロイヤルバレエ ファースト・ソリスト)&マイルス・ギリバー (英国バーミンガム・ロイヤルバレエ アーティスト)

男性のサポートがちょっと…。基本が出来ていないように見える。栗原が少し気の毒(以前のアステラスではよく見たシーン)。

『SOON』日本初演/振付:メディ・ワレルスキー/音楽:ベンジャミン・クレメンタイン

出演:刈谷円香 (ネザーランド・ダンス・シアター1)&パクストン・リケッツ (ネザーランド・ダンス・シアター1)

青のパンツを穿き、素肌に青のジャケットを羽織った男女。照明。作品名も分からず見たが、なんか好かった。

Shakespeare Suite』よりロメオとジュリエット 日本初演/振付:デヴィッド・ビントレー/音楽:デューク・エリントン

出演:水谷実喜 (英国バーミンガム・ロイヤルバレエ プリンシパル)&ロックラン・モナハン (英国バーミンガム・ロイヤルバレエ プリンシパル

これも何か分からず見たのだが、ロミオとジュリエットには見えず(知ったうえで見たら違ったか)。

『眠れる森の美女』第3幕よりパ・ド・ドゥ/振付:マリウス・プティパ/音楽:ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー

ゲスト出演:石山古都(カナダ国立バレエ プリンシパル[体調不良で降板]→ジェシカ・シュアン (オランダ国立バレエ プリンシパル)&吉山シャール ルイ(チューリヒ・バレエ プリンシパル

シュアンは独特の雰囲気を持ったダンサー。技術も確かで、気品があり、ゆったり(まったり)したあり方は、吉山と合っていた。とてもよいパ・ド・ドゥ。

フィナーレ 『エウゲニ・オネーギン』よりポロネーズ

出演者全員

久し振りに見て、楽しかった。何より、ガーフォース+東フィルの音楽が素晴らしい。ガーフォースが振ると音楽から気品が滲み出る。不思議。

8月のフィールドワーク予定 2023【追記】

8月はダンス1作と演劇1作のみ。このところ体調が万全でない日が続いたから、ゆっくり休みたい。

暮れに、米沢唯がモームの短篇「雨」(1921)に基づいたダンスを踊ると聞き、たしか新潮文庫の短編集が本棚にあったはずだと探したが、ない。カビでも生えて捨てたのか。代わりにペンギンブックス版の短編集が見つかり正月に読んでみた。へーこの場末感満載の娼婦役を踊るのか。ちょっと驚いた。たしかに米沢は『ホフマン物語』の高級娼婦ジュリエッタや、いわゆる娼婦ではないが『マノン』のタイトルロールを見事に演じ踊っている。だが、「雨」のミス・トムソン(モームはイギリス人だからそう発音しただろうが彼女はアメリカ人の設定だから本来トムプソンだと思う)はそれらとはまったくタイプが違う。米沢がどんなミス・トムソン(トムプソン)を造形するのか、見守りたい。【追記:本作は降りしきる雨の効果もさることながら、謹厳で狂信的ともいえる宣教師デイヴィッドソンが重要になりそう。愛知の初演では吉崎裕哉が踊ったらしいけど、今月の再演では中川賢に変わっている。鈴木竜はどんな舞台を創ったのか。興味津々。】

岡田利規の『宇宙船イン・ビトゥイーン号の窓』。タイトルからは、以前見た『現在地』(2013)で壁に映し出された青空に浮かぶ雲や月や惑星等の映像が浮かぶ。in-bwtween も暗示的だが、チェルフィッチュのHPには次の言葉がある。

「日本語を母語としない俳優との創作がひらく「演劇と言語」の未来/いくつものリアリティが交差する、まだ見ぬSF演劇」

「演劇は、俳優の属性と役柄が一致せずとも成立するものです。それにも関わらず、日本語が母語ではない俳優はその発音や文法が「正しくない」という理由で、本人の演劇的な能力とは異なる部分で評価をされがちである、という現状があります。…」

たしかにそうだ。

「…ドイツの劇場の創作現場で、非ネイティブの俳優が言語の流暢さではなく本質的な演技力に対して評価されるのを目の当たりにした岡田は、一般的に正しいとされる日本語が優位にある日本語演劇のありようを疑い、日本語の可能性を開くべく、日本語を母語としない俳優との協働を構想しました。…」

既成のあり方をつねに疑い、刷新しようとする岡田利規

今週末は楽しみでしかない。

【行った方がいいよと何度も勧められ「バレエ・アステラス」のチケットを取った。見るのは19年以来か。これで今月はダンス1と演劇1とバレエ1に。】

4日(金)19:00 愛知県芸術劇場×DaBYダンスプロジェクト『Rain』演出・振付:鈴木 竜/美術:大巻伸嗣/音楽:evala/出演:米沢 唯(新国立劇場バレエ団)、中川 賢、木ノ内乃々、Geoffroy Poplawski、土本花、戸田祈、畠中真濃、山田怜央/プロデュース:唐津絵理(愛知県芸術劇場/Dance Base Yokohama)、勝見博光(Dance Base Yokohama)/プロダクションマネージャー:世古口善徳(愛知県芸術劇場)/照明ディレクター&デザイン:髙田政義(RYU)/照明オペレーター&デザイン:上田剛(RYU)/音響:久保二朗(ACOUSTICFIELD)/舞台監督:守山真利恵、川上大二郎/舞台監督助手:峯健(愛知県芸術劇場)/舞台:(株)ステージワークURAK/衣裳:渡辺慎也/リサーチ・構成:丹羽青人(Dance Base Yokohama)/振付アシスタント:堀川七菜(DaBYレジデンスダンサー)/制作:宮久保真紀、田中希、神村結花(Dance Base Yokohama)/企画・共同製作:Dance Base Yokohama、愛知県芸術劇場 @新国立小劇場→感想メモはここ

【5日(土)18:00 チェルフィッチュ『宇宙船イン・ビトゥイーン号の窓』作・演出:岡田利規/出演:安藤真理、徐秋成、ティナ・ロズネル、ネス・ロケ、ロバート・ツェツシェ、米川幸リオン/舞台美術:佐々木文美/音響:中原楽(LUFTZUG)/サウンドデザイナー:佐藤公俊/照明:吉本有輝子/衣裳:藤谷香子/舞台監督:川上大二郎(スケラボ)/舞台監督アシスタント:山田朋佳/演出助手:山本ジャスティン伊等(Dr. Holiday Laboratory)/英語翻訳:オガワアヤ/宣伝美術:牧寿次郎/アートワーク:平山昌尚/プロデューサー:黄木多美子(precog)、水野恵美(precog)/プロジェクトマネージャー:遠藤七海/プロジェクトアシスタント:村上瑛真(precog)/製作:一般社団法人チェルフィッチュ/共同製作:KYOTO EXPERIMENT/主催:一般社団法人チェルフィッチュ/企画制作:株式会社precog/提携:公益財団法人武蔵野文化生涯学習事業団/助成:公益財団法人東京都歴史文化財団 アーツカウンシル東京、文化庁文化芸術振興費補助金(舞台芸術等総合支援事業(創造団体支援)) |独立行政法人日本芸術文化振興会吉祥寺シアター

【6日(日)14:00 「バレエ・アステラス 2023~海外で活躍する日本人バレエダンサーを迎えて世界とつなぐ~」指揮:デヴィッド・ガルフォース[ガーフォースだと思うけど]/管弦楽東京フィルハーモニー交響楽団/照明プラン:喜多村 貴(劇光社)[ゲスト出演]石原古都 (カナダ国立バレエ プリンシパル[体調不良のため降板 8/4]ジェシカ・シュアン (オランダ国立バレエ プリンシパル)&吉山シャール ルイ (チューリヒ・バレエ プリンシパル『In Our Wishes』日本初演/振付:キャシー・マーストン/音楽:セルゲイ・ラフマニノフ/ピアノ演奏:中野翔太→『アルルの女』よりラストソロ(ファランドール/振付:ローラン・プティ/音楽:ジョルジュ・ビゼー出演:吉山シャール ルイ +『眠れる森の美女』第3幕よりパ・ド・ドゥ/振付:マリウス・プティパ/音楽:ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー[海外で活躍する日本人ダンサー&パートナー](女性名五十音順)五十嵐愛梨 (アトランタ・バレエ)&セルジオ・マセロ (アトランタ・バレエ)『Love Fear Loss』よりLossのパ・ド・ドゥ 日本初演/振付:リカルド・アマランテ/音楽:エディット・ピアフ/ピアノ演奏:中野翔太//刈谷円香 (ネザーランド・ダンス・シアター1)&パクストン・リケッツ (ネザーランド・ダンス・シアター1)『SOON』日本初演/振付:メディ・ワレルスキー/音楽:ベンジャミン・クレメンタイン//栗原ゆう (英国バーミンガム・ロイヤルバレエ ファースト・ソリスト)&マイルス・ギリバー (英国バーミンガム・ロイヤルバレエ アーティスト)『ドン・キホーテ』第3幕よりパ・ド・ドゥ/振付:カルロス・アコスタ/音楽:レオン・ミンクス//後藤絢美 (アメリカン・バレエ・シアター スタジオカンパニー)&三宅啄未 (アメリカン・バレエ・シアター スタジオカンパニー)『サタネラ』よりパ・ド・ドゥ/振付:マリウス・プティパ/音楽:チェーザレ・プーニ//ジェシカ・シュアン (オランダ国立バレエ プリンシパル)&山田 翔 (オランダ国立バレエ ソリスト)『コッペリア』よりパ・ド・ドゥ/振付:マリウス・プティパ/音楽:レオ・ドリーブ//水谷実喜 (英国バーミンガム・ロイヤルバレエ プリンシパル)&ロックラン・モナハン (英国バーミンガム・ロイヤルバレエ プリンシパル)『Shakespeare Suite』よりロメオとジュリエット 日本初演/振付:デヴィッド・ビントレー/音楽:デューク・エリントン//吉田合々香 (クイーンズランド・バレエ プリンシパル)&ジョール・ウォールナー (クイーンズランド・バレエ プリンシパル)『夏の夜の夢』よりファイナル・パ・ド・ドゥ/振付:リアム・スカーレット/音楽:フェリックス・メンデルスゾーン新国立劇場バレエ団]木村優里 (プリンシパル)&中家正博 (ソリスト)『ジゼル』 第2幕よりパ・ド・ドゥ/振付:ジャン・コラリ&ジュール・ペロー&マリウス・プティパ/音楽:アドルフ・アダン//ミラノ・スカラ座バレエ・アカデミー『Largo』より/振付:マッテオ・レヴァッジ/音楽:ヨハン・ゼバスティアン・バッハ/チェロ演奏:上村文乃 +『La fille mal gardée』よりパ・ド・ドゥ/振付:フレデリック・オリヴィエリ/音楽:ルートヴィヒ・ヘルテル//新国立劇場バレエ研修所 第19期・20期生、予科生 ほか『シンフォニエッタ/振付:牧 阿佐美/音楽:シャルル・グノー//[作品ゲスト]京當侑一籠(牧阿佐美バレヱ団)//[バレエ・アステラス委員](五十音順)安達悦子(東京シティ・バレエ団理事長/芸術監督)岡本佳津子(井上バレエ団代表理事)小倉佐知子(新国立劇場バレエ研修所長)小山久美(スターダンサーズ・バレエ団代表/総監督)小林紀子小林紀子バレエ・シアター芸術監督)法村牧緒(法村友井バレエ団団長)堀内 充(大阪芸術大学教授)三谷恭三(牧阿佐美バレヱ団総監督)@新国立劇場オペラハウス】→感想メモはここ

 

英国ロイヤル・バレエ団『ロミオとジュリエット』オシポワ2023 rev.

英国ロイヤル・バレエ団『ロミオとジュリエット』のオシポワの回を見た(6月30日 金曜 18:30/東京文化会館)。

以下のメモは、7/7のツイートを少し修正したもの。

バレエを見始めたのは99年4月 英国ロイヤル・バレエ団『マノン』(NHKホール)のシルヴィ・ギエムがきっかけ(デ・グリュー:J. コープ レスコー:I. ムハメドフ)。05年は『マノン』全4キャストを一階で(東京文化/バッセル&ボッレ,コジョカル&コボー,ギエム&ムッル,ロホ&コープ→テューズリー)。08年は『シルヴィア』のみ。10年は『うたかたの恋』『リーズの結婚』『ロミ&ジュリ』。13年はロイヤルガラのみで『アリス』は見ず。16年は『ジゼル』2キャスト(ヌニェス&ムンタギロフ,オシポワ&ゴールディング)。19年はついにゼロ。【世界バレエフェス&オペラ・バレエの引越公演に関するメモはこちら

そして今回は『ロミオとジュリエット』のオシポワだけ。他に見たいダンサーはほぼいなくなった。見たのはD席の4階左バルコニー。それでも12,000円。

オシポワはさすがにプライムは過ぎたけど面白い。きぬぎぬ後のパトスには目を見張った。マントや薬をめぐる取り憑かれたような動き、薬の飲み方も一気! 自分の身体でジュリエットを生きる。当たり前だがさすが。

ロミオ役のクラークは手脚が長く、大きな踊り。ただ少し荒削りか。

団員はみなmotivation高い。端役の隅々まで役を生きている。ただキャピュレット夫人は本島美和の残像が強い。今公演では、見慣れない動きが散見された。例えば、ロレンス庵室の秘密結婚後、街頭シーンは暗い照明でカミテからペアで列をなし中央へ。そこにシモテから物乞いが一人逆方向から鉢合わせ…照明が明るくなり…こんな演出だったか? マキューシオ刺殺の場は、二人の男の背後からティボルトの剣が背中に刺さる。アクシデント? ティボルトは本意でなかった? 原作&マクミラン演出と異なるがOKなのか? 刺された後のマキューシオは剣をギター代わりに弾く仕草がなかった or あれでやってるつもり?

最も好印象なのは東京シティ・フィル の透明度の高い演奏。指揮のクーン・ケッセルズは大枠を押さえ、各声部をバランスよく鳴らし、要所の迫力も申し分ない。

全曲版『ロミ&ジュリ』はともすると重くてしつこくなりがち。キーロフの初演リハでダンサーが舞台で音楽が聞こえないと訴え、プロコフィエフ不本意にも音を加えた為らしい(M.A.ヤクーボフ/森田稔訳)。もしかしたら、英国ロイヤル・バレエ団のスコアは、本来のオーケストレーションが残る組曲版を部分的に採り入れているのかもしれない。

木下晋展@ギャラリー枝香庵 2023

銀座のギャラリー枝香庵で木下晋展を見た(6月17日 土曜,23日 金曜)。枝香庵で木下作品を見るのは 2017年6月、19年11月、21年9月に続き4回目。

初日は新国立劇場の米沢唯・速水渉悟が主演する『白鳥の湖』ソワレと重なったため、木下さんと少し話したあと展示をざっと見てから劇場へ直行。約一週間後の2回目は仕事のあと立ち寄った。思いがけずこの日も木下さんは来ていたが、まずはゆっくりと作品を見直す。やはりパーキンソン病で寝たきりの妻を介護しつつ描いた連作が、いきなり飛び込んでくる。中でも同じ「夢想」と題する2点は素晴らしい。

閉じた両目をやや左から描いた作品(2021年 70x101cm)は、夢見る老いの表情に艶やかさが滲みでる。何か愉しい思い出が去来しているのだろうか。同じモチーフを真正面から扱う大判(2022年 125x200cm)には圧倒された。先の作品から一年後の制作だが、もはやジェンダーをこえ、展示された枝香庵のひび割れた壁面のように、物体化していく人間の老いた皮膚が写し取られている。

痛み傷ついた額や眉間、閉じた瞼や睫毛などを見ていると、その向こうに広がる内側の、広大な世界が感じられるから不思議だ。かつての濃密に描き込まれた絵肌とは異なり、ふわっとしたソフトフォーカスのような柔らかさがある。この画家は老いた顔やからだを鉛筆で丹念に描きながら、常にその向こうを視てきた。近年顕著なこの柔らかさは、被写体の向こうを見る視線の深さと関係しているのかもしれない。木下さんは本物の芸術家だ、とあらためて思う。枝香庵はそんな木下作品と実によく合っている。

今回は、故郷の富山で見つかった石彫「未完の原点」(1961年 18x20x30h cm)も展示されていた。本作を奥さんは覚えていたが、本人はまったく記憶になかったらしい。見る角度によって表情が変わり、古代ギリシャの悲劇の仮面のような趣もある。14歳でこれが彫れるとは。というか、だからこそ、いまの木下作品があるというべきか。石彫を見ていると、油彩時代の黄色がかった「赤い帽子の麗子」(1977)? を思い出した。かつて洲之内徹が、その視線の先にある恐怖の淵源について書いいてたはずだ(『気まぐれ美術館』)【あとで調べたらその絵は「女の顔」(1975)で、これを取り上げた洲之内のエッセイ「凝視と放心」は『帰りたい風景—気まぐれ美術館』1980に収録されている】。

初日には、奥さんの一瞬の表情を捉えた小品「誰かな」(2021年 14.7x10cm)と、大作「流浪II」(1986年 123x80.5)の小さなリトグラフ版(2002年刷 15x9.5cm)を予約した。後者は放浪癖のある母親を濃密に描いた作品で、以前に愛媛の町立久万美術館で見た。これでわが家の木下コレクションは14点になった。むろん小品ばかりだけど。木下さんとは久し振りなので一緒に写真を撮った。南青山の始弘画廊で会ってからもう25年か。二人とも歳をとったな。

 

新国立劇場バレエ団『白鳥の湖』2023

ピーター・ライト版『白鳥の湖』再演の初日、2日目ソワレ、6日目ソワレを観た(6月10日 土曜 14:00,11日 日曜 18:30,17日 土曜 18:30/新国立劇場オペラハウス)。

振付:マリウス・プティパ&レフ・イワーノフ&ピーター・ライト/演出:ピーター・ライト&ガリーナ・サムソワ/音楽:ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー/美術・衣裳:フィリップ・プロウズ/照明:ピーター・タイガン/管弦楽東京フィルハーモニー交響楽団

 例によってだらだらとメモする。

前回の全4キャストのメモはここ。上田公演についてはこちら

初日6/10(土)14:00[出演]オデット&オディール:米沢 唯/ジークフリード王子:福岡雄大/王妃:楠元郁子/ロットバルト男爵:中家正博/ベンノ:木下嘉人/クルティザンヌ(パ・ド・カトル):池田理沙子、飯野萌子/ハンガリー王女:飯野萌子/ポーランド王女:根岸祐衣/イタリア王女:奥田花純/指揮:ポール・マーフィー

ワルツさえない。ちゃんと踊れていない男性ダンサーが…。木下ベンノは三年前同様、素晴らしい。1幕は彼でもった。福岡は脂が抜けた感じだが、なんか懸命さが感じられる。王妃もよくやっているが、王妃タイプではない。やはり本島美和の不在は大きい(せめて寺田亜沙子がいれば…)。

第2幕。Vnソロはミュート時のヴィブラートが細かすぎて気になったが、ミュートを外した後の開放感(オデットの喜び)はよい。Vc は懐の深い音色。今回オケはジューシーで豊かな響きが印象的。マーフィーは味気なかった前回と違う。なぜ?*1 福岡王子がオデットの後ろからハグすると、なんかグッときた。米沢オデットは、やっと信頼できる人に会えた…と体が語っていた。福岡のサポートにめずらしく(?)愛を感じた。米沢はよくここまでパートナーシップを築き上げたと思う。…「ドッジボールやろうよう!」のエピソードを思い出した。

第3幕。王女と民族舞踊の組み合わせはやはり好い。関優奈と趙載範のチャルダッシュは前者がチャーミング、後者が大きく好い感じ。王女の踊りはそれぞれよかったが、ポーランド王女はシモテで回転がうまくいかず、その後カミテで転倒(少し身体が重くなった?)。オデットとは別人に見えるオディール。アダージョ…床に座った米沢オディールの手を福岡王子が取ると、オディールはポワントで王子に飛びつく。悪魔の本性が垣間見えた。3幕のVnソロはミュートなしでも細かすぎるヴィブラートは意図的?(第2幕アダージョ後半のミュートを外した開放的な弾き方とは違う)。福岡王子のヴァリエーションは喜びの踊り。オディールのフェッテは豪快とも違う…。

第4幕。米沢オデットの身投げはリアル。福岡王子のそれはさほどでも。が、木ノ下ベンノが登場し、亡骸を抱いて戻り、後方に二人の姿が現出すると、やはりグッときた。

Vnソロの弾き方は明らかに前回と違う。東フィルは公演リーフレットコンマス名を記さない(東響は記す)ため、劇場に聞いた。コンマス依田真宣首席チェロ金木博幸オーボエ加瀬孝宏ハープ梶彩乃。やはりコンマスは近藤氏ではなかった。チェロ、オーボエは思った通り。ハープを含めみな素晴らしかった。

6/11(日)18:30[出演]オデット&オディール:小野絢子/ジークフリード王子:奥村康祐/王妃:楠元郁子/ロットバルト男爵:中家正博/ベンノ:木下嘉人/クルティザンヌ(パ・ド・カトル):奥田花純、池田紗弥/ハンガリー王女:廣川みくり/ポーランド王女:直塚美穂/イタリア王女:赤井綾乃/指揮:ポール・マーフィー

この日はごく簡単に。

第1幕。奥村のソロは王子タイプとはいえないけど、憂鬱さが出ていた。奥田のクルティザンヌはあだっぽい。…

…第2幕。小野オデット。きめ細かな踊り。何かを出そうというより、振付をきっちり踊ればそれ自体が何かを語るはず、と思わせるあり方。

第3幕。直塚のポーランド王女、滑らかにかつにこやかに踊ったけど、初日と同じ振付に見えないのはなぜ。小野オデットは奥村王子に飛びつかなかった。小野は少し勢いが足りない。エネルギー切れか。サポートされて回転するとき軸が少し傾く。フェッテはやはり最後まで回転しきれず。そこで素が見えてフィクション性が崩れた。その後も、悪魔の娘として継続しきれず(見る側はそう見えず)残念。フェッテは完全でなくても、役のまま、回転不足と思わせないあり方を模索できないものか。先の「踊り自体に語らせる」あり方だとこうなってしまう。

第4幕。…ラストシーンは感情が動いた。

6/17(土)18:30[出演]オデット&オディール:米沢 唯/ジークフリード王子:速水渉悟/王妃:楠元郁子/ロットバルト男爵:中家正博/ベンノ:木下嘉人/クルティザンヌ(パ・ド・カトル):池田理沙子、飯野萌子/ハンガリー王女:飯野萌子/ポーランド王女:根岸祐衣/イタリア王女:奥田花純/指揮:冨田実里

前奏。王子の陰鬱。王妃の嘆き。

第1幕。速水王子の暗さ。ハムレット同様、喪に服してる? 王位継承の重圧? トロワの池田、飯野はやはり素晴らしい。前者のクルティザンヌとしてのあだっぽさ、後者の自在さ。ベンノ木下を含め、質の高いトロワだった。楠本王妃登場。厳しい態度。王子の重みあるメランコリックなソロ。滅入る想いを内に秘め、抑えて踊り、終始プリンスの気品を失わない。木下ベンノとの対話も聴こえるようだ。冨田の指揮は少し変わった印象。流れを切らず要所は押さえる。コントロールしすぎなくなった分、オケは伸び伸び(マーフィーがリハで作ったとしても【その前にプレトニョフが作っていたとしても】)。

第2幕。白鳥が客席の背後から飛んできてシモテの方へ迂回し、カミテの奥へ着地する…。速水王子の仕草で、その様が目に浮かぶようだった。米沢オデット登場。王子は驚き、次第に惹かれていく…。二人の対話が聴こえるようだ。米沢は〝気〟が細かい。速水がそれを受けて返すから、さらに細かくリアルになる。アダージョ。丁寧なサポート。後ろからのハグでは「安心感」と言うより「好き!」と相互の気持ちが高まる。オデットのソロから喜びが滲み出た。というか、からだが喜んでる。速水は終始スタニスラフスキーの「身体的行動の方法」を実践しているかのよう。その時その場で何をするのか、何に向かって行動するのか。それをつねに意識して舞台に立ち動き踊っている。そう見えた。米沢はずっとそうしてきたと思う。早くこれ(二人の相互作用)が見たかった(『ドン・キ』と『白鳥』では要求される演技の質や密度が違う)。依田のVnソロ。冒頭のミュート時の細かなヴィブラートはすすり泣きをイメージしたのか。それに応える王子の音楽は、金木Vcの懐の深いヒューマンな音色で。素晴らしい応答。オケも前に聴いた2回より好い。他のダンサーもみな感触が違う。二人のただならぬあり方が、伝わっているのだろう。

第3幕。重厚な衣裳、美術。王子は木の椅子に座るのを強く拒む。よほど亡き父王を継ぐのが嫌らしい。王子の演技、好い。米沢オディール登場。Pdd。オデットの振りをするオディール。が実は悪魔の娘。その二重性をつねに感じさせる米沢の動き、目付き。まんまと騙される速水王子。床に座ったオディールが手を差し出す王子にポワントで飛びつく…。これらのシークエンスから、Vnソロの意味が分かった。ミュートなしのこの幕で、なぜすすり泣くように細かいヴィブラートをかけるのか。オデットがオディールの声音を真似するさまを音楽で表すためだろう。第2幕でオデットが自分の苦境を王子に語るすすり泣くような口調を。が、ここではミュートがない分、オディールの派手さは(観客には)隠せない。繰り返しのフレーズがオクターブ上げて弾かれるのも、真似する際の誇張ととれば納得できる。今回、米沢・速水の舞台から初めて気付かされた。速水王子のヴァリエーションは豊かで大きな踊りに、喜びも感取できた。力強さ、意志も。どこまでも王子の気品を失わない。オディールのヴァリエーション。多少疲れがあるか。でもきれい。王子のきれいなピルエット。米沢のグランフェッテは大きくきれい。騙されたと気づいた後の王子の驚愕と失意。王妃の嘆き。嘲笑うオディール。富田の棒でオケはノリまくり、最高潮の響き。

第4幕。米沢オデットの身投げは素晴らしい。速水王子もあたまから。ベンノ木下登場。…亡骸を抱いて…後方に二人が…さほどグッとこない。なぜだろう。速水の経験不足?【「死についてどれだけ考えているか」の差ではないかとの意見をある人から聞いて、なるほどと思った。】

何度目かの、ほぼスタンディングのカーテンコールで芸術監督が登場。マイクで速水のプリンシパル昇格を発表。万雷の拍手。その後、実はもう一人…と芸監が言うと、米沢は口に手を当てて歓喜し、さっとカミテへ移動、来たるべき人にセンターを譲る。…柴山が私服で登場。……二人の何度かのレヴェランスと喝采の後、芸監が米沢に「あなたが今日の主役なんだから」というように真ん中へ来るよう手招きし、本公演のカーテンコールに戻した。が、柴山は速水の隣に陣取ったまま。…米沢は柴山の左横(速水・柴山がセンターでそのカミテ側)に並び嬉しそうにレヴェランス…。柴山は袖に退くか、せめて左右のどちらかに離れるべきだった。

『シンデレラ』の初役以来、彼女の主演舞台を見なくなった理由がプリンシパルの昇格発表で再確認されるとは、たいへん残念。踊りの技術は大前提だが、その時その場で自分が何をするのか、しなければならないのか、考え、判断し、行動(演技)する。プリンシパルには、そうしたあり方が備わっていなければならない。プリンシパルではないが、木下嘉人や中家正博はそれが出来ていると思う。

*1:理由が後で分かった。東フィルは昨年6月の定期でプレトニョフ版の『白鳥』を彼の指揮で演奏してた。コンマスを務めた依田氏はプレトニョフとのリハーサルについて「たとえば『ここは振り向いて手を差し伸べる瞬間だから』といったことを話されたりと、バレエの情景を前提に音楽を作っている印象です」と。後で述べるヴァイオリンソロのヴィブラートの使い分けは、プレトニョフの示唆によるものかもしれない(コンマス依田氏が語るプレトニョフの定期)。とすれば、今回の東フィル全体の仕上がりの好さも含め、すべてはマーフィーではなく、プレトニョフのお陰なのか…。