「木下晋展 いのちを描く」を見た(11月14日、17日/ギャラリー枝香庵)。
枝香庵は2年前の「木下晋展 表現の可能性」で初めて訪れた。ギャラリーは古い銀座ビルディングの7Fと8Fにあるのだが、広い展示スペース(7F 枝香庵Flat)だけでなく、屋根裏を思わせるこぢんまりした回廊や小部屋(8F)もあり、屋上のテラスではお茶を飲みながら寛げるようになっている。とても居心地がよく、お気に入りの画廊である。
木下晋(1947- )は、硬さの異なる十数種の黒鉛筆を使い分けて細密な人物像を描く〝えんぴつの画家〟として知られる。これまで氏のモデルとなったのは、母、瞽女小林ハル、元ハンセン病患者 桜井哲夫等々。つまり、この画家は〝危機的〟な境遇にある人物を好んで描いてきたといってよい。そんな木下氏が近年集中的に描いているのは、パーキンソン病に罹った妻である。「願い」(上図)もそのひとつ。仕上がる直前に見る機会を得たが、完成形を見るとまた違った感触があった。
横たわる半身。薄目を開け少し口を開いた苦悶の女性。表情だけ見るとこちらも苦しくなってくる。両手はしっかり合わさってはいないが、祈っているようにも見える。なにより彼女の周りに横溢する光が印象的だ。ギャラリーでは一段高くなったスペースの奥に展示され、その両側に大小の「合掌図」が掛けられている(下図)。まさに祭壇だ。光に包まれた女性は、宗教画のような神々しさを湛えている。作者のモデルへの深い愛をひしひしと感じる。
2017年の「視線の行方」も妻を描いた作品。東京で展示するのは初めてで、私もこれが初見。二重瞼が年を重ねて少し垂れ下がっている。が、そこからわずかに覗く瞳はこのうえなく美しい。2年前このギャラリーに出展されていた「視線の光」(2015)と構図は似ているが趣がずいぶん異なる。「行方」では、澄んだ眼は何かを見ているようでもあり、何かに思いを馳せているようでもある。皮膚には深く皺が入り、頭髪はほつれ毛を含めみな白い。額の中央と鼻筋上部のやや左(本人からは右)に亀裂がある。肉体を徐々に蝕んでいく老いと病。が、そうした次元とは別の、透明な何かが瞳から視える。肉体は朽ちていくとしても、そこに宿る精神(魂)が、その美しさがここにある。それを、「痛み傷ついた老人の肉体」(阪田勝三)を克明に描き尽くすことで表現しえた木下晋に、画家としての凄味を感じた。
この部屋には他に旧作の「棄民」や「待つ人」が展示されている。ホームレスを描いた「棄民」は、氏と初めて会ったとき〝できたて〟として見た作品。懐かしい。もう21年前か。
8Fの小部屋や回廊には、木下氏に大きな影響を与えた瞽女小林ハルのデッザンや、猫を描いた小品、自画像等が展示されている。
じつは、もう一度「願い」や「視線の行方」と会いたくなり、日曜の午後再訪した。この日は嬉しいことに木下さんも来ていた(前日のねじめ正一と木下氏のトークは都合がつかず断念)。また、日曜は映画監督の瀧澤正治氏が見に来られており、木下氏に紹介された。小林ハルを描いた映画『瞽女』の撮影が終わり、来年3月に公開されるという。構想を含め16年越しの完成だと。まったく知らなかった。ぜひ見たいと思う。
『刻む。ーー鉛筆画の鬼才、木下晋 自伝』城島徹 編(藤原書店)が12月に刊行される。「木下晋展」は21日(木)まで。