新制作『白鳥の湖』の初日と2日目,5日目と6日目を観た(10月23日 土曜,24日 日曜,31日 日曜,11月2日 火曜 全て14:00/新国立劇場オペラハウス)。ごく簡単にメモする。
上田公演(11月7日 日曜 14:00/サントミューゼ 大ホール)についてはこちら。
振付:マリウス・プティパ&レフ・イワーノフ+ピーター・ライト/演出:ピーター・ライト/共同演出:ガリーナ・サムソワ/音楽:ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー/美術・衣裳:フィリップ・プロウズ/照明:ピーター・タイガン/指揮:ポール・マーフィー(23日,24日,11月2日)&冨田実里(31日)/管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
ピーター・ライト版は初めて見た。やっと新国立は〝虚構の文法〟に則った結末を得た。こうでなくてはいけない。序曲での王の葬列を始め、随所で理にかなったコンテクストが与えられ、ダンサーは各場面で何をするのか、どこに向かって行動するのか明確になっていた(スタニスラフスキー晩年の「身体的行動」理論と重なる)。もちろん観客にとっても。美術・衣裳は重厚で本格的。さすがに女王の国で創られたプロダクションだ。
第3幕のディヴェルティスマンも各民族踊舞の位置づけを再考し、チャルダッシュ(ハンガリー)、マズルカ(ポーランド)、ナポリ(イタリア)、スペインの順に変更。これに合わせて花嫁候補はハンガリー王女、ポーランド王女、イタリア王女の3人に絞り、各舞踊のあとに、王女がそれぞれソロを踊る。最後はロットバルト男爵らと闖入したオデットがジークフリードとパ・ド・ドゥを踊る。つまりスペインはロットバルト(悪魔)の眷属だ。ゆえに、オデットの到来を隠すのはスペインの舞踊手たち。なるほど。なお、王女のソロは1877年のオリジナル版にあったパ・ド・シス等の音楽が使われているらしい。
第4幕の冒頭、スモークのなかから白鳥たちの手が現れる。涙のオデット。いっそ人間の姿でいるうちに湖に身を投げようとするが、2羽の白鳥の娘たちに止められる。駆けつけたジークフリード。オデットとのパ・ド・ドゥ。だが、ジークフリードは誓いを破ったため、もう取り返しがつかない。人間の姿のまま湖に身を投げるオデット。ジークフリードもあとに続こうとするが、ロットバルトに阻まれる。ジークフリードにフクロウの頭をもぎ取られ、おたおたする隙に身を投げるジークフリード。駆けつけたベンノは王子の行方を白鳥の娘たちに尋ね…やがて王子の死体を抱いて現れる。後方には二人の佇む姿が中空に浮かび上がり幕。グッとくるラスト。
音楽は、この劇場が上演してきたセルゲイエフ版や牧版のようにリピートを省略しない。実に新鮮。クラシック音楽では長いあいだ反復記号を無視していたが、近年は忠実に履行する(作曲家の指示通り演奏するのは当たり前だが)。その影響かと思ったが、版の初演は1981年だから演奏慣習の流れとは無関係らしい。ただ、第1幕で王子がソロを踊るアンダンテ・ソステヌートの第二主題(初めはチェロ、続いて第1ヴァイオリンが奏する)の、半音でなく全音下がる箇所が気持ち悪い。ミのフラットからミのナチュラルに上昇し下降するところ(レ・ミ♭ーレ・ミ♭ミ♮ファーミ♮、のミ♮がミ♭に)。なぜ? 第3幕のヴァイオリンソロで同じフレーズの繰り返しをオクターブあげないのはオリジナル通りだと思う。
ポール・マーフィの指揮はチャイコフスキーの音楽性より踊りに合わせることを優先しているのか。音色がその場に応じてさほど変わらない。ゆえに物足りない。
初日 オデット&オディール:米沢 唯/ジークフリード王子:福岡雄大/王妃:本島美和/ロットバルト男爵:貝川鐵夫/ベンノ:
速水渉悟(怪我のためキャンセル)→木下嘉人/クルティザンヌ(パ・ド・カトル):池田理沙子、柴山紗帆/ハンガリー王女:廣田奈々/ポーランド王女:飯野萌子/イタリア王女:奥田花純
印象的なのはダンサー(特に女性)の踊りが滑らかで継ぎ目がほぼ見えないこと。たとえばクルティザンヌの池田理紗子や飯野萌子。きっちりキメるより、表情豊かに踊る。継ぎ目の無さはクネクネ感と表裏だが、血の通った踊りは大変好ましい。吉田都監督の指導が効いてきたのか。
ベンノの木下嘉人は、長い手脚を溌剌と動かし踊る。とても華やか。友人(侍従)として憂鬱な王子を気遣う演技はとても自然。怪我で降板した速水渉悟のベンノも見たかった(上田公演に間に合えばよいが )。←上田はおろか『くるみ』「ニューイヤー・バレエ」も降板。少し心配だ。
第2幕のオデット米沢唯は、しなやかで勁い踊り。キレもある。腕などの動きが速く強い。福岡ジークフリードとさほど内的交流が感じられない分、踊りが身体的でプロっぽい印象。第3幕のオディールではぐっと若く見えた(吹田ではこんな凄い若手がいるのかと騙された! 席も遠かったんだけど)。ジークフリードに飛びつく動きは吃驚。悪魔なんだな。フェッテはいつもと少し違う感触。レヴェランスも妖しい。
ジークフリード福岡雄大は引き締まった踊り。ただし第2幕のオデットとのやりとりはもっと交流が欲しい。他方、第3幕のパ・ド・ドゥはある意味スポーティで面白かった(『ホフマン物語』第3幕のホフマン福岡とジュリエッタ米沢のバトルを想起)。福岡のヴァリエーションはただただ見事だった。
4羽の白鳥の娘たちは、内側に絞り込んだような強度の高い踊り。2羽の白鳥の娘たちは、誰が踊っているのは分からない。ああ、ひとりは寺田亜沙子か。
どのダンサーも動きの〝角〟が取れ、踊りの運動(流動)性が高まったように感じる。それがプロっぽく見えるゆえんなのか。これまで〝角〟が個性として記憶され、ダンサーたちを識別していたのかもしれない。
王妃の本島美和はカンパニーの宝。ツボを外さぬ素晴らしい王妃。第3幕のラストでくずおれる様はマクミラン版『ロミ&ジュリ』のキャピュレット夫人を想起。ロットバルト男爵の貝川鐵夫は大きな存在感。
2日目の小野絢子はオデットではきめ細かく洗練された踊り。自発性が高く動きがくっきり見える。ジークフリードへの想いがどんどん募り、最後は彼との離れがたさが強く伝わってきた。そう促したのは相手役の奥村康祐だろう。ヴァイオリンとチェロのソロはこの日の方がよかった。オディールでは次第に強度が弱まったのは残念だが、第4幕の脱力パ・ド・ドゥ、投身自殺、奥村ジークフリードの後追い…グッときた。中家正博のロットバルトは第4幕でフクロウの頭をもぎ取られた後オロオロのたうち回る演技が素晴らしい。
10月31日(日)木村優里はかたちはまあよい(フェッテはもっと綺麗に回って欲しい)が、内側からなにも感取できない。結果、1ミリもこころが動かない。残念。渡邊峻郁はノーブルな王子像を造形しようとしているのか、あり方がいかにも硬い。第3幕のヴァリエーションはきっちり綺麗に踊った。この日は木下ベンノがドラマを作った。指揮は冨田実里。オケはよく鳴っている。第2幕のアダージョ、ヴァイオリンとチェロは技術的にはともかく情感は出ていた。
11月2日(火)柴山沙帆は白鳥らしい白鳥。内なるターボエンジンが発動し、踊りの〝書き順〟に間違いがない。第3幕は引き締まった踊りだが、オディールとして目力がほしい。フェッテは綺麗な回転。井澤駿は王子としての演技がとてもよかった。トロワの終わりあたりで少しよろけたが(なぜあそこで?)。
上田公演(11月7日 日曜 14:00/サントミューゼ 大ホール)についてはこちら。