木下晋展@ギャラリー枝香庵 2023

銀座のギャラリー枝香庵で木下晋展を見た(6月17日 土曜,23日 金曜)。枝香庵で木下作品を見るのは 2017年6月、19年11月、21年9月に続き4回目。

初日は新国立劇場の米沢唯・速水渉悟が主演する『白鳥の湖』ソワレと重なったため、木下さんと少し話したあと展示をざっと見てから劇場へ直行。約一週間後の2回目は仕事のあと立ち寄った。思いがけずこの日も木下さんは来ていたが、まずはゆっくりと作品を見直す。やはりパーキンソン病で寝たきりの妻を介護しつつ描いた連作が、いきなり飛び込んでくる。中でも同じ「夢想」と題する2点は素晴らしい。

閉じた両目をやや左から描いた作品(2021年 70x101cm)は、夢見る老いの表情に艶やかさが滲みでる。何か愉しい思い出が去来しているのだろうか。同じモチーフを真正面から扱う大判(2022年 125x200cm)には圧倒された。先の作品から一年後の制作だが、もはやジェンダーをこえ、展示された枝香庵のひび割れた壁面のように、物体化していく人間の老いた皮膚が写し取られている。

痛み傷ついた額や眉間、閉じた瞼や睫毛などを見ていると、その向こうに広がる内側の、広大な世界が感じられるから不思議だ。かつての濃密に描き込まれた絵肌とは異なり、ふわっとしたソフトフォーカスのような柔らかさがある。この画家は老いた顔やからだを鉛筆で丹念に描きながら、常にその向こうを視てきた。近年顕著なこの柔らかさは、被写体の向こうを見る視線の深さと関係しているのかもしれない。木下さんは本物の芸術家だ、とあらためて思う。枝香庵はそんな木下作品と実によく合っている。

今回は、故郷の富山で見つかった石彫「未完の原点」(1961年 18x20x30h cm)も展示されていた。本作を奥さんは覚えていたが、本人はまったく記憶になかったらしい。見る角度によって表情が変わり、古代ギリシャの悲劇の仮面のような趣もある。14歳でこれが彫れるとは。というか、だからこそ、いまの木下作品があるというべきか。石彫を見ていると、油彩時代の黄色がかった「赤い帽子の麗子」(1977)? を思い出した。かつて洲之内徹が、その視線の先にある恐怖の淵源について書いいてたはずだ(『気まぐれ美術館』)【あとで調べたらその絵は「女の顔」(1975)で、これを取り上げた洲之内のエッセイ「凝視と放心」は『帰りたい風景—気まぐれ美術館』1980に収録されている】。

初日には、奥さんの一瞬の表情を捉えた小品「誰かな」(2021年 14.7x10cm)と、大作「流浪II」(1986年 123x80.5)の小さなリトグラフ版(2002年刷 15x9.5cm)を予約した。後者は放浪癖のある母親を濃密に描いた作品で、以前に愛媛の町立久万美術館で見た。これでわが家の木下コレクションは14点になった。むろん小品ばかりだけど。木下さんとは久し振りなので一緒に写真を撮った。南青山の始弘画廊で会ってからもう25年か。二人とも歳をとったな。