4月のフィールドワーク予定 2021【追記・修正】

新年度がスタートする今月も少なめだが、見/聞き応えのある演目が並ぶ。恒例のBCJ定期《マタイ》は今回初めて優人氏が振る。つねに父 雅明氏と比較される〝宿命〟をどう乗りこえるか。一幕オペラのダブルビル《夜鳴きうぐいす/イオランタ》は引き続き海外招聘組の代わりに日本のアーティストが歌う。《イオランタ》はバレエ『くるみ割り人形』と同時上演されたチャイコフスキー最後のオペラだ。いつかこの劇場でその再現を見てみたい。5時間近い長丁場の三好十郎『切られの仙太』はどんな舞台になるのだろう。今月の新日本フィル定期は上岡の代わりに井上道義が振る。2017年初演の新国立《ルチア》は感心しない演出だが美術はとても好い。歌唱に集中しよう。 iaku『逢いにいくの、雨だけど』は3年振りの再見をとても楽しみにしている。

追記 アトレ会員の抽選に当たり新国立劇場オペラ《ルチア》を1階11列中央の良席で再見。初日よりさらに気持ちの入ったローレンス・ブラインリーの3幕アリアを堪能できた。『斬られの仙太』はフルオーディションで好い俳優が揃い、傷のない素晴らしい舞台(同じ条件でも三年前の『かもめ』はそうとは言えず)。新国立の演劇では久々にもう一度見たいと思い楽日のチケットを買ったが、三度目の緊急事態宣言 初日に当たり中止に。5月初めのバレエ『コッペリア』も同じ運命。政権はこの一年間なにをしていたのか。政権が無能だと国民は不幸だが、その存在を許してきたのは国民自身だから仕方ない。秋までに実施される衆議院選挙でも投票率が上がらなければ、この国の未来は…。】

2日(金)18:30 BCJ 定演 #142《マタイ受難曲》指揮:鈴木優人「ウイルス感染拡大による入国制限のため外国人歌手の来日が困難となり以下の通り変更」出演:テノールⅠ/エヴァンゲリスト:櫻田 亮 ソプラノⅠ:森 麻季 ソプラノⅡ:松井亜希 アルトⅠ:アレクサンダー・チャンス→久保法之 アルトⅡ:青木洋也 テノールⅡ:谷口洋介 バスⅠ/イエス:ドミニク・ヴェルナー→加耒 徹 バスⅡ:加耒 徹→加藤宏隆 合唱・管弦楽バッハ・コレギウム・ジャパンサントリーホール

4日(日)14:00 新国立劇場オペラ 《夜鳴きうぐいす》〈新制作〉全3幕<ロシア語上演/日本語及び英語字幕付>+《イオランタ》〈新制作〉全1幕<ロシア語上演/日本語及び英語字幕付>「緊急事態宣言の延長に伴い、新型コロナウイルス感染症に係る入国制限措置により、充分な公演準備をしての出演が不可能となり…指揮者、出演者を以下のとおり変更」指揮:アンドリー・ユルケヴィチ→高関 健/演出・美術・衣裳:ヤニス・コッコス/アーティスティック・コラボレーター:アンヌ・ブランカール/照明:ヴィニチオ・ケリ/映像:エリック・デュラント/振付:ナタリー・ヴァン・パリス//ストラヴィンスキー作曲「夜鳴きうぐいす」夜鳴きうぐいす:ハスミック・トロシャン→三宅理恵/料理人:針生美智子/漁師:伊藤達人/中国の皇帝:ニカラズ・ラグヴィラーヴァ→吉川健一/侍従:ヴィタリ・ユシュマノフ/僧侶:志村文彦/死神:山下牧子/三人の日本の使者たち:高橋正尚、濱松孝行、青地英幸//チャイコフスキー作曲「イオランタ」ルネ:妻屋秀和/ロベルト:ユーリ・ユルチュク→井上大聞/ヴォデモン伯爵:ヴィクトル・アンティペンコ→内山信吾/エブン=ハキア:ニカラズ・ラグヴィラーヴァ→ヴィタリ・ユシュマノフ/アルメリック:村上公太/ベルトラン:大塚博章/イオランタ:エカテリーナ・シウリーナ→大隅智佳子/マルタ:山下牧子/ブリギッタ:日比野幸/ラウラ:富岡明子/合唱:新国立劇場合唱団/管弦楽東京フィルハーモニー交響楽団 @新国立劇場オペラハウス

10日(土)13:00 新国立劇場演劇『切られの仙太』作:三好十郎/演出:上村聡史/出演:青山 勝 浅野令子 今國雅彦 内田健介 木下政治 久保貫太郎 小泉将臣 小林大介 佐藤祐基 瀬口寛之 伊達 暁 中山義紘 原 愛絵 原川浩明 陽月 華 山森大輔 @新国立小劇場

16日(金)19:15 新日本フィル定演 #632トパーズ〈トリフォニー・シリーズ〉バルトークルーマニア舞曲、ヴァイオリン協奏曲第1番 ニ長調 BB 48a/Sz. 36*/リムスキー=コルサコフシェエラザード op. 35指揮:上岡敏之井上道義、ヴァイオリン:豊嶋泰嗣*[芸術監督 上岡氏が来日不可の理由については以下の通り「現在、上岡敏之氏の体調はいたって健康とのことですが、数年前に大きな心臓の手術を受けております。新型コロナウイルスは血管を傷つける可能性が高いため、主治医からは長時間の渡航を禁止されております。また、ドイツでのワクチン接種が当初予定より遅れており、上岡氏の接種できる見通しも立っていないとのことです」2/18]すみだトリフォニーホール

18日(日)14:00 新国立劇場オペラ ガエターノ・ドニゼッティ《ルチア》全2部(3幕)〈イタリア語上演/日本語及び英語字幕付〉指揮:スペランツァ・スカップッチ/演出:ジャン=ルイ・グリンダ/美術:リュディ・サブーンギ/衣裳:ヨルゲ・ヤーラ/照明:ローラン・カスタン/[キャスト]ルチア:イリーナ・ルング/エドガルド:ローレンス・ブラウンリー/エンリーコ:マッティア・オリヴィエーリ[本人の都合でキャンセル]→須藤慎吾/ライモンド:伊藤貴之/アルトゥーロ」:又吉秀樹/アリーサ:小林由佳/ノルマンノ:菅野 敦/合 唱:新国立劇場合唱団/管弦楽東京フィルハーモニー交響楽団/共同制作:モンテカルロ歌劇場 @新国立劇場オペラハウス

20日(火)14:00  iaku『逢いにいくの、雨だけど』作・演出:横山拓也/出演:尾形宣久(MONO) 橋爪未萠里(劇団赤鬼) 近藤フク(ペンギンプルペイルパイルズ) 納葉 松本 亮 異儀田夏葉(KAKUTA) 川村紗也 猪俣三四郎(ナイロン100℃) /舞台美術:柴田隆弘/舞台監督:青野守浩/照明:葛西健一/音響:星野大輔(サウンドウィーズ)/衣装アドバイザー:阿部美千代(MIHYプロデュース)/演出助手:朝倉エリ/ドラマトゥルク:上田一軒/文芸協力:カトリヒデトシ/アンダースタディ:加茂井彩音 @三鷹芸術文化センター 星のホール

【23日(金)18:30 新国立劇場オペラ《ルチア》新国立劇場オペラハウス】←追加

25日(日)13:00 新国立劇場演劇『切られの仙太』作:三好十郎/演出:上村聡史 @新国立小劇場←三度目の緊急事態宣言発令のため中止

新国立劇場「舞姫と牧神たちの午後 2021」初日と楽日

舞姫と牧神たちの午後 2021」の初日と楽日を観た(3月26日 金曜 19:00, 28日 日曜 14:00/新国立小劇場)。

照明:杉浦弘行/音響:河田康雄

印象的なのは『かそけし』と『Butterfly』。あとは『Let’s Do It!』。以下ごく簡単にメモする。

『Danae』(DANCE to the Future 2019 にて初演)振付:貝川鐵夫/音楽:J. S. バッハ「無伴奏チェロ組曲第6番」よりサラバンド、「ピアノ[チェンバロ]協奏曲第5番」よりアリオーソ[第2楽章]、フルート・ソナタ第2番よりシチリアーノ[第2楽章](ケンプ編)/編曲:笠松泰洋/演奏(録音):奥泉貴圭(vc.)松木詩奈(pf.)

出演:木村優里&渡邊峻郁

初日は二年前の初演と同じ印象——〈ゼウスの性愛が絡むギリシャ神話といえば、「レダと白鳥(ゼウス) 」が有名だが、これは「アルゴスの姫ダナエと全能の神ゼウスとの情事を描い」た作品。冒頭とエンディングで使われる金色の紙切れはゼウスが変身した黄金の雨か。「エロティシズムの世界に身をゆだねていく」(貝川)バレエに、あえて官能的でない音楽を選んでいる。二人の踊りや身体性からそこはかとなくエロスを立ちのぼらせる目論見か。が、それは実現せず。振付はいいし、踊り自体は悪くないのだが。貝川は振付家としての才能を開花させつつある。本作もよいと思うが、今回のペアは役柄にあまりフィットしていない印象。貝川と小野絢子で見てみたい〉(2019年3月のメモ)。四回目の楽日は好くなっていた。特に木村のからだがほぐれ自分を開くあり方に少し近づいた印象。

『かそけし』演出・振付:島地保武/音楽・演奏:藤元高輝(gt.)/衣裳:萩野 緑/振付助手:大宮大奨

出演:酒井はな&森山未來

面白い! ニジンスキーの『牧神の午後』を島地流に換骨奪胎したような作品。酒井はなの魅力が存分に発揮され、始終、頬が緩んだ。つなぎのようなブルーの衣裳(男は首回りが、女はパンツの裾が紫色がかっている)。横歩き。ユニゾン、掛け合い等々。途中で酒井は回転しながらシモテへハケルと奥でガラガラバッシャーン、酒井の奇声等々。森山と手を繋いでメヌエットを踊るシークエンスはなんか懐かしかった(酒井の主演バレエをこの劇場でずっと見てきたから)。それを徐々に崩していく島地(なんでも崩さずにはいられない?)。酒井がギタリストを邪魔した後、何か発しながらハチャメチャに踊る(山崎広太みたい)。森山はかなり息が上がっていた(楽日はそうでもなかった)が、酒井は平気に見えた。藤元高輝のギター演奏は驚くほど質が高い。乾いた音色とリズム、かと思えば瑞々しい叙情的メロディ、突然ギターを叩く、こする、足で床を踏み鳴らず、喋る等々、じつに効果的。ラストで街のざわめきが聞こえる。なんだろう。この営為を相対化したかったのか。ダンスの時間とそれを取り巻く日常的時間の「境界線」を「ぼやけ」させ、その「かそけき」さまを表出するためか。

『Butterfly』(「舞姫と牧神たちの午後2005」で初演)構成・演出:平山素子/振付:平山素子&中川 賢/音楽:マイケル・ナイマン、落合敏行/演奏(録音):蛭崎あゆみ(pf.)/衣裳:堂本教子

出演:池田理沙子&奥村康祐(26日・27日18:30) 五月女遥&渡邊拓朗(27日13:00・28日)

ノイズとピアノ。初日は池田と奥村の全力ダンスになんか圧倒された。二人のよさがよく出ていた。『ペトルーシュカ』(2019年1月)以来の感動。平山本人が踊るとH. アール. カオス風のハードさが前面に出るが、池田だとむしろ〝健気さ〟も感じられる。奥村はバレエの様式性を気にせず思い切り踊れるコンテの方が合っているかも。髪型や衣裳、きれいに汚したメイキャップなどから、虐げられた者が過酷な現実にもめず何度も立ち上がっていく、みたいなストーリーが想い浮かんだ。この感慨はコロナの影響か。

楽日は五月女の運動能力の高さに目を見張った。自然界の運動の法則。不屈さ。男が女にへばりついてキープするシークエンスは、二人の身長差が大きいため、大丈夫か、と心配に。ここからピアノがメロディを弾き…。

『極地の空』 /構成・演出:加賀谷香/音楽・演奏:坂出雅海/衣裳:清水典子/稽古代役:薄田真美子

振付・出演:加賀谷 香&吉﨑裕哉

 薄闇の奥の台上で鑿を打つような音。ギターを琵琶のようにもっぱら低音弦を弾く。録音の人声、女声…。踊りは…途中で二人羽織みたいな振りもあったがよく分からない。ちょっと古くないか。「天守物語」? 玉三郎主演の舞台は見たが、こんな話だったか。

『Let’s Do It!』/音楽:ルイ・アームストロングコール・ポーター/衣裳:池田木綿子

出演・振付:山田うん&川合ロン

 ルイ・アームストロングの温かみのある歌声に合わせて、二人が動き、踊る(あれは変型二人羽織か)。山田は短パン。川合はスカート。コメディア・デラルテのような感触。山田を見ていて『道』のジェルソミーナが浮かんだ。川合はザンパノではないが、どっしりとした安定感がある。山田の〝人間性〟がこの時空を充実させている、そんな印象。

『A Picture of You Falling』より 振付・テキスト:クリスタル・パイト/音楽:オーウェン・ベルトン/作品指導:ピーター・チュー/衣裳協力:ネザーランド・ダンス・シアター

出演:湯浅永麻&小㞍健太

 英語の語り(録音)と男女の踊り。初日はあまり感情が動かず。楽日は、二人の呼吸もよく合って、思い切りのよい動きが楽しめた。〝言葉と動き〟からサミュエル・ベケットの後期の小品やT. S. エリオットの “La Figlia Che Piange” の詩句などを想起した…。二人はいいダンサーだとは思うが、この断片をラストにもってくる意図がよく分からなかった。ちょっと西洋礼賛の匂いも…。

3月のフィールドワーク予定 2021【再追記】

今月はバレエ/ダンス3,オペラ2,コンサート1,演劇1の計7公演と数は少なめだが、注目すべき点がいくつか。

新国立劇場オペラでは、先月に引き続き今月も《ワルキューレ》で「宣言延長・入国制限措置」のため出演者に変更が出ている。指揮者も当初の飯盛泰次郎が体調面の不安から大野和士と城谷正博に変わった。久々に大野の指揮でワーグナーが聴ける。2010年の《トリスタンとイゾルデ》以来だ。日本の歌手は長丁場のタフな楽劇でどこまで踏ん張れるか。ジークムントを1幕と2幕で別の歌手が歌うのも興味深い。聴くのはもちろん初めてだ。バレエでは『白鳥の湖』のオデットとオディールを別のダンサーが踊る例はあるが【この例は、別の役を同じダンサーで上演することが慣例化されていたのを、本来のやり方に戻すものともいえるけど…ややこしいな】。

吹田市主催の『白鳥の湖』がまさにそれ。大原永子監修の下、山本隆之の改訂振付・演出で米沢唯(オデットのみ)と井澤駿(ジークフリート)が出演し、オディール役は別キャスト。大阪公演は想定外だが、府の宣言解除に伴う追加販売(3/3)で席を確保。14ヶ月ぶりの帰省を利用して【やはり万が一にも高齢の親に感染させてはいけないと思い直し帰省は止めて、ただ】見ることにした。大原氏はスコットランドからリモートで「監修」するらしい。山本はどんな版を創るのだろう。新国立の「舞姫と牧神たちの午後 2021」では、先日米沢唯とコラボした島地保武の振付で酒井はな&森山未來が踊る。これも楽しみだ。

新日本フィル音楽監督の来日不可で苦境を強いられているが、今月のベートーヴェン《トリプル・コンチェルト》は注目だ。初めて聴いたのは、カラヤン指揮、オイストラフロストロポーヴィチリヒテルの共演が実現したレコード盤(もう手元にないが)。今回は鈴木秀美の指揮で、ヴァイオリンはコンマスの崔文洙、チェロは首席の長谷川彰子、ピアノに文洙の兄 崔仁洙の顔ぶれだ。期待したい。

7日(日)14:00 新国立劇場オペラ研修所 修了公演 オペラ《悩める劇場支配人》全1幕 イタリア語上演/字幕付/作曲:ドメニコ・チマローザ/台本:ジュゼッペ・マリア・ディオダーティ/指揮:辻 博之/演出:久恒 秀典/装置:黒沢 みち/照明:稲葉直人(ASG)/衣裳コーディネーター:増田恵美(モマ・ワークショップ)/管弦楽:新国立アカデミーアンサンブル/オペラ研修所長:永井和子/主催:文化庁文化庁委託事業「令和2年度次代の文化を創造する新進芸術家育成事業」)+新国立劇場/出演:新国立劇場オペラ研修所 第21期生、第22期生、第23期生 @新国立中劇場

11日(木)16:30 楽劇「ニーベルングの指環」第1日《ワルキューレ》全3幕〈ドイツ語上演/日本語及び英語字幕付〉作曲・台本:リヒャルト・ワーグナー指揮:飯守泰次郎大野和士(11日・14日・17日・20日)/城谷正博(23日)飯守泰次郎は、昨年12月に手術を受けたため、本作品の規模を考慮し、現在の体調での指揮は困難であるとの判断から降板]演出:ゲッツ・フリードリヒ/美術・衣裳:ゴットフリート・ピルツ/照明:キンモ・ルスケラ/[出演を予定していた招聘キャストは、緊急事態宣言の延長に伴い、新型コロナウイルス感染症に係る入国制限措置により出演が不可能となり…以下のとおり変更]ジークムント:ダニエル・キルヒ→(第1幕)村上敏明/同(第2幕)秋谷直之/フンディング:アイン・アンガー→長谷川 顯/ヴォータン:エギルス・シリンス→ミヒャエル・クプファー=ラデツキー/ジークリンデ:エリザベート・ストリッド→小林厚子/ブリュンヒルデ:イレーネ・テオリン→池田香織/フリッカ:藤村実穂子/ゲルヒルデ:佐藤路子/オルトリンデ:増田のり子/ヴァルトラウテ:増田弥生/シュヴェルトライテ:中島郁子/ヘルムヴィーゲ:平井香織/ジークルーネ:小泉詠子/グリムゲルデ:金子美香/ロスヴァイセ:田村由貴絵/管弦楽:東京交響楽団/協力:日本ワーグナー協会 @新国立劇場オペラハウス

【16日(火)14:00 「小倉尚人展—祈りと宇宙」日本橋高島屋S.C. 本館8階ホール】

18日(木)劇団銅鑼公演 ドラマファクトリーVol.12チムドンドン〜夜の学校のはなし〜』作:山谷典子/演出:藤井ごう/美術:乘峯雅寛/照明:鷲崎淳一郎/音響:近藤達史/衣裳:友好まり子/沖縄方言指導:今科子/舞台監督:村松眞衣/舞台監督助手:鈴木正昭/演出助手:池上礼朗/バリアフリーサービス:佐藤響子/切り絵:まちこ/宣伝美術:山口拓三(GAROWA GRAPHICO)/制作:佐久博美/[出演]山田昭一 谷田川さほ 説田太郎 館野元彦 竹内奈緒子 永井沙織 中村真由美 齋藤千裕 川口圭子 宮﨑愛美金子幸枝 青木七海 鵜澤秀行(文学座)/文化庁芸術振興費補助金舞台芸術創造活動活性化事業)独立行政法人日本芸術文化振興会/協力:NPO法人 珊瑚舎スコーレ/後援:日本労働者協同組合(ワーカーズコープ)連合会、一般社団法人協同総合研究所。一般社団法人日本社会連帯機構、SDGsいたばしネットワーク、一般社団法人若者協同実践全国フォーラム、東京中小企業家同友会 @劇団銅鑼アトリエ

21日(日)15:00 吹田市制施行80周年・開館35周年記念 第186回吹田市民劇場白鳥の湖』全幕 監修:大原永子/芸術監督・演出・改訂振付:山本隆之/音楽:P. I チャイコフスキー/原振付:マリウス・プティパ+レフ・イワノワ/[出演]オデット:米沢 唯/ジークフリート王子:井澤 駿/ロットバルト:宮原由紀夫/オディール:伊東葉奈/王妃:田中ルリ/家庭教師:アンドレイ・クードリャ/王子の友人:石本晴子、北沙彩、水城卓哉/道化:林 高弘 @吹田文化会館 メイシアター

26日(金)14:00 新日本フィル定演 #38 ルビー〈アフタヌーン コンサート・シリーズ〉ベートーヴェン:ヴァイオリン、チェロとピアノのための三重協奏曲 ハ長調 op. 56*ベートーヴェン交響曲第 5 番 ハ短調 op. 67 「運命」指揮:鈴木秀美ソロ・コンサートマスター:崔 文洙(チェ・ムンス)チェロ:長谷川彰子ピアノ:崔 仁洙* @すみだトリフォニーホール

26日(金) 19:00 新国立劇場ダンス・コンサート「舞姫と牧神たちの午後 2021」[スタッフ]照明:杉浦弘行/音響:河田康雄『Danae』出演:木村優里&渡邊峻郁/振付:貝川鐵夫/音楽:ヨハン・ゼバスチャン・バッハ//『かそけし』出演:酒井はな&森山未來/演出・振付:島地保武/音楽・演奏:藤元高輝(gt.)//『Butterfly』(「舞姫と牧神たちの午後2005」で初演)出演:池田理沙子&奥村康祐/構成・演出:平山素子/振付:平山素子&中川 賢/音楽:マイケル・ナイマン、落合敏行//『極地の空』出演・振付:加賀谷 香&吉﨑裕哉/音楽・演奏:坂出雅海//『Let’s Do It!』出演・振付:山田うん&川合ロン/音楽:ルイ・アームストロング ほか//『A Picture of You Falling』より 出演:湯浅永麻&小㞍健太/振付:クリスタル・パイト/音楽:オーウェン・ベルトン @新国立小劇場

28日(日)14:00 新国立劇場ダンス・コンサート「舞姫と牧神たちの午後」『Butterfly』五月女遥&渡邊拓朗  他は同上 @新国立小劇場

【30日(火)映画『騙し絵の牙』監督:吉田大八/原作:塩田武士/出演:大泉洋松岡茉優宮沢氷魚池田エライザ斎藤工中村倫也坪倉由幸和田聰宏石橋けい/森優作/後藤剛範/中野英樹赤間麻里子/山本學佐野史郎リリー・フランキー塚本晋也國村隼木村佳乃小林聡美佐藤浩市 ほか @イオンシネマ板橋】

「音楽×空間×ダンス」第二回公演/米沢唯・島地保武の即興【追記】

「音楽×空間×ダンス」第二回公演を見た(28日(日)14:00/音の降りそそぐ武蔵ホール)。

             

ホールは建物の5階と6階に造られ、高い天井に吹き抜けた八角形の空間。キャパは134席だが、宣言下のいまは50席に制限している由。アシュケナージが選んだとの話もある(?)ベヒシュタインのピアノがカミテに陣取るフロアには、間をあけて椅子が3列、上階は1列だけの贅沢さ。音を聞くには上がよいそうだが、ダンスを見たいので下の三列目に座った。 ピアノは少々強めに響いたが、ダンサーはまさに手が届く距離。今回の衣裳は酒井はなさんが選んだらしい(上階にその姿が!)。

木ノ脇道元「UKIFUNE」

フルート:木ノ脇道元/ピアノ:松木詩奈

平均律のピアノが打ちつける打音と、十二に等分割された音程のあわいを揺れ動くフルート。その対照の妙。洋と和、もしくは男と女の絡みのようにも聞こえる。演奏後、笠松氏に促され、木ノ脇氏から題名の説明があった。「浮舟」は『源氏物語』の最後「宇治十帖」の登場人物の一人で…。

笠松泰洋「The garden in the South, or Solitude for piano」

振付・ダンス:島地保武/ピアノ:松木詩奈

ピアノが奏されるなか、男(島地)がカミテのドアから登場。縦ストライプの黒いセットアップに柄入りの金茶半袖シャツに素足のいで立ち。客席の間をゆっくり通って観客を睥睨する。舞踏のような感触。山崎広太を想起させる激しい動き等々(彼を初めて見たのは広太の作品で新国立中劇場だった)。やがて音楽がわらべ唄調に変わると、動きや踊りもとぼけた感じに。大きさと存在感。作曲の素材は南米での体験が元らしい。(ピアニストの松木氏が素足なのはダンサーに合わせたのかと思った。が、笠松氏によれば、このピアノはペダルの踏み加減で音が繊細に変わる名器なので、自分も靴を脱いで弾くとのこと。)

 J. S. バッハ「無伴奏フルート パルティータ」よりCorrente

振付:島地保武/ダンス:米沢 唯/フルート:木ノ脇道元

シモテから米沢が登場。鮮やかな模様のパンツルックはアルレッキーノを連想させる。眼に見えない捉えられないなにかを掴もうとしているような動き等々。

ドビュッシー前奏曲集第1巻」より「デルフィのの舞姫達」「アナカプリの丘」「亜麻色の髪の乙女

ピアノ:松木詩奈

響きが強い。近いからなのか、ピアニストのパトスが強いせいなのか。 

即興演奏×ダンス

ダンス:米沢唯/ピアノ:笠松泰洋

ギリシャの巫女のようなアイボリーの衣裳。静かな動きのなかに精神の充溢が感じられる。長いドレスからニョキッと現れる鍛え抜かれた脚の美しさ。

ここで休憩20分。

木ノ脇道元「月は有明のひんがしのやまぎはに細くていづるほどいとあはれなり」

ダンス:島地保武/1stフルート:鎌倉有里/2ndフルート:畢暁樺/3rdフルート:棚木彩水/アルトフルート:中村淳/バスフルート:木ノ脇道元

トイレから出たら拍手が。ぎりぎりセーフ。間接外しのような動きや…あまり覚えていない。 というかコンテの動きは言葉にしがたい。 

シューベルト「三つのピアノ曲」D946より第二曲

ピアノ:松木詩奈

出だしと終わりに抒情的で少しメランコリックなフレーズがある。が、このピアニストは激しい中間部のパートに気持ちが入る印象。やはりパトスが強いのかもしれない。

即興演奏×ダンス

ダンス:米沢唯 島地保武/フルートなど:木ノ脇道元/ピアノなど:松木詩奈/ピアノ・オーボエなど:笠松泰洋

島地は朱色のパンツにベージュのノースリーブ。米沢は先の〝アレッキーノ〟風パンツにトップスはブルーのノースリーブ。どちらのトップスもイッセイミヤケ風のプリーツ付き。まず〝狂人〟島地の登場。身体の奥からこわばりの奇声を発し笠松が座るピアノの鍵盤を叩く。笠松がそれに合わせて…。カミテでそれをクールに見詰めていた米沢がゆっくりとそこに介入していく…。島地はピアノの突起か傷跡かなにかを何度も指さす。すると米沢もそこを指で押すと、松木がチーンと鳴らす機敏さ。…米沢は『ジゼル』のミルタみたいにアラベスク・パンシェ(見事!)したり、片脚を上げて、どこに向かうか分からないという風にふらついた自己放棄ぶり、それを後ろから島地が何度も受け止めサポートする。あるときはぎりぎりで受け止め「危なかった!」と胸を撫で下ろす。これは沼地のパ・ド・ドゥのパロディなのか。そうして彼女をモノみたいに抱き留めたまま客席の方へ近づき、なんかつぶやく(差し上げますとでも言ったのか)。これに米沢がすねてみせると、「もうしません」と島地。あるいは、米沢のふくらはぎをモミモミして、米沢にパシッと叩かれる。これは『眠り』の猫のパロディか(一週間前『眠り』の米沢を見に来たらしい)。呟きが止まない島地に、米沢が自分の口を手で塞ぐと、「喋らない?」「バレエは喋らない」と懲りずにつぶやく島地。ここからラップ風になり、なにかの拍子に「くるみ割り人形」とつぶやくと、すかさず木ノ脇がバスフルートで「くるみ」のメロディを。すると松木笠松の弾くピアノに参戦し、その伴奏をつける。米沢はそれらしい踊りを始める…(「中国」だったか「葦笛」か? 思い出せない)。【…色々あって、再び米沢がピアノを指さしながら近づき例の部分を押すと松木が「チーン」。これが終了の合図となった。】

拍手で何度も呼び戻されるアーティストたち。実に楽しい時間だった。こんな近くでダンスや演奏を享受できる機会はめったにない。笠松さん、ぜひまたやってください。

【米沢唯と笠松泰洋が初共演した「DANCE to the Future 2016 Autumn」のメモはこちら(フルートの木ノ脇道元氏も出演していた)。「DANCE to the Future 2019」の初日と楽日はこちら。】

新国立劇場バレエ『眠れる森の美女』2021【訂正・追記】

『眠れる森の美女』の初日と2日目ソワレを観た(20日 土 14:00,21日 日 18:30/新国立劇場オペラハウス)。2日目マチネは取れず(宣言下の座席制限50%でB席以下の販売は僅かだった模様)。

当初予定の〈吉田都セレクション〉『ファイヴ・タンゴ』 [新制作] /『A Million Kisses to my Skin』 [新制作] / 『テーマとヴァリエーション』は「新型コロナウイルス感染症に係る現下の情勢に鑑み、一部作品の公演準備を万全の状態で進めることが困難と判断」(劇場HP)され、本演目に差し替えられた。

振付:ウエイン・イーグリング(マリウス・プティパ原振付による)/音楽:ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー/美術:川口直次/衣裳:トゥール・ヴァン・シャイク/照明:沢田祐二/指揮:冨田実里/管弦楽:東京交響楽団

イーグリング版の初演は2014年で大原新監督のオープニング。2017年に再演しているから、今回が三回目【四回目】となる【2018年6月の公演を失念していた】。
初日の小野絢子は、芸術監督から受けた指導や言葉をこの舞台に活かそうと必死で踊った。その懸命さと覚悟が痛いほど感じられた。他方、2日目ソワレの米沢唯は、観客からの熱い視線や波動を全身で受け止めつつ、役を生きることに集中し、伸びやかに踊った。そこには舞台に立つ喜びが漲っていた。

思えば六週間前「ニューイヤー・バレエ」が中止となり、急遽、バレエ団は無観客のライブ配信を敢行した。観客不在の舞台で踊った経験がよい影響を与えたのかもしれない。

今回の舞台では、吉田都芸術監督の指導(視線)がすみずみまで行き渡っていると感じた。特に6人の妖精のヴァリエーション、リラの精たち、カヴァリエ等々。

「私たちは選ばれてバレエを踊っているわけではない。好きで踊っている」【NHKプロフェッショナル 仕事の流儀」2021.1.5 だったか】。吉田監督が告げたこの言葉を、ダンサーたちはインタビュー等で口々に繰り返していた【配信動画「新国立劇場バレエ団『くるみ割り人形』〜公演までの日々」等】。よほど響いたのだろう。監督の意図は明白だ。世界にはロシア(ソ連)のように祖父母の代まで体型をチェックされ、真の意味で「選ばれて」踊っているダンサーたちがいる。そうでない「私たち」はよほどの努力を重ねなければ勝負にもならないと。これは、自国のなかで「選ばれて」自足していたかもしれない新国立劇場のダンサーに、その地平を開き、世界のバレエ界と地続きにする、そんな狙いがあったのだろう。いわゆる意識改革だ。それが少しずつ効いてきたのか。以下、簡単に感想をメモする。

20日 オーロラ姫:小野絢子/デジレ王子:福岡雄大 

席は3階左バルコニー。東響はいつも聴く東フィルより音がデカいし、響きが分厚い。小野絢子は1幕より3幕が好いと思った。特にヴァリエーションでは、なぜか吉田都を通り越して森下洋子を彷彿とさせた(ライブは見てないが「きっちんもりした」でハンバーグステーキを食べた)。表現が細かく分節され、からだ全体で幸福感を作ろうとしている、そう感じた。ローズ・アダージョで小野が取り損ねて床に落ちたバラをロシアの王子(中家正博)がさりげなく拾い上げ、ベルトに挿した。

福岡雄大は第2幕の鹿狩りの場で、王子のあり方を遺憾なく発揮。伯爵夫人(寺田亜沙子)とのデュエットも王子の踊りだし、ソロも味わいのあるりっぱな踊り。後者のソロはデ・グリューの自己紹介のソロにそっくり。目覚めのPDDは、踊りはよかったが、イーグリングの振付はどうも…。『眠り』のクラシカルな様式に突然マクミラン的なスタイルが混入すると、生理的に気持ち悪い。意識的な様式の撹乱ならアートとして分かるけど、たぶんそうではないだろう。

カラボスの本島美和は大きく美しいマイムとシャープな踊りで魅せた。リラの精の木村優里はしっかりした踊りだが、もっとgoodnessが欲しいと思わせる。親指トムの井澤諒が晴朗な踊りを見せたのはなんか嬉しい。式典長(菅野英男)の演技はあれでよいのか。特にカラボスから帽子や髪の毛をむしられた時の反応と、王の命に背き針で編み物をしてる女たちを見つけたときの叱り方。前者はもっとユーモアが欲しいし、後者はもっと厳しく。

国王の貝川鐵夫ははまり役でカッコイイ。王に見える。第3幕のアダージョオーボエが出遅れた。アポテオーズのオケは迫力満点。

21日ソワレ オーロラ姫:米沢 唯/デジレ王子:渡邊峻郁

席は15列の中央ブロック。やはり正面だと全体がよく見える。ローズ・アダージョのオーロラ(米沢唯)は16歳のあり方と踊り(13歳のジュリエットみたい)。王子らの手を一人ずつ取っていくシークエンスで始めは目を合わさずに進むが、最後のイタリアの王子(浜崎恵二郞)とだけ目が合い、恥じらうオーロラと喜ぶ王子。一人ずつ手を介してバランスを取るときもバラをもらって回転するときも、すべて役のなかで踊る。客席とステージとで交わされるエネルギーが指揮者(冨田)を介してオケに伝わり、音楽の高揚を見事に築いた。ロシアの王子(中家)に踊ってくださいと促され、両親の方を見て許可を得てから踊り始める。踊りながら時々母親の方を見ると、母は大丈夫よと頷く。仮面舞踏会でのジュリエットを思わせるやりとりだ(マクミラン版『ロミ&ジュリ』)。こうした娘(米沢)の視線が王妃(関晶帆)を母にした。

渡邊王子は演技も踊りもやや軽め。伯爵夫人との踊りも、あとのソロも様式性がほしい。幻影の場は少し暗すぎる。姫とリラの精と王子のトロワは、初日も集中しずらかったが、この日も同じ。たぶんチェロのソロが重いというのか、自意識が強すぎる印象。目覚めのパ・ド・ドゥで米沢のラインがきれい。王子はやはり軽い。この振付は、上記の通り、様式が古典作品に不釣り合いだし、音楽のヴァイオリンソロと合ってる気がしない(ニキティンのソロは例によってヴィルトゥオーソ風)。ここも照明が暗すぎ。

第3幕のアダージョ。米沢オーロラの気品ある踊り。フィッシュダイブでは王子の線が細いぶん心配したが、問題なし。音楽の高まりに見合う素晴らしいパ・ド・ドゥ。渡邊のヴァリエーションはジャンプも高いし、踊りも丁寧。リハーサルの充実を窺わせる。が、どこか踊りが平面的な印象も(やはり様式性の問題か)。米沢のヴァリエーションは、精神のあり方を大事に踊ったように見えた。きらきらと…。リラの精の木村優里は、初日とは違って見えた。悪くない(彼女は精神の構えが変わればずっと好くなる)。ゴールドの速水渉悟は重みのある柔らかな踊り。彼が王子を踊るのは時間の問題。芸監はカンパニーの秩序を考えているのだろう。その日が楽しみだ。終幕後、何回目かのカーテンコールでスタンディング・オベイションに。ステージも客席も無観客配信の経験が、この舞台をより特別なものにしたのだろう。

 確かにパンデミックは日本のアーティストを育てている。冨田実里は以前よりよくなった印象。音楽に適度な荒々しさが出てきたし、舞台上の〝いまここ〟で立ち上がるドラマに応じて、熱や気をオケに伝えるようになった。そう感じた。やはり「場数が物を言う」ということか。

バレエを見るのは5月の『コッペリア』までおあずけだ。が、その前に、明日、埼玉の入間市で米沢唯の即興ダンスや島地保武とのコラボがある。楽しみ。

新国立劇場 オペラ《フィガロの結婚》2021

フィガロの結婚》の初日を観た(2月7日 日曜 14:00/新国立劇場オペラ)。

このプロダクション初演は2003年。忘れもしない、トーマス・ノヴォラツスキー新芸術監督のオープニングだった。同時にプルミエ会員になったからよく覚えている。印象深いのは、何といってもケルビーノ役のエレーナ・ツィトコーワだ。思春期の自己撞着的な恋心(火のような氷、高鳴る胸の苦しみ…)を見事に歌いきり、大喝采を浴びて戸惑うさまが、まさに、自分で自分が分からない無意識の少年ケルビーノだった。このとき以来、ホモキ演出の舞台は何度も再演を重ね、今回で7回目。いずれも見てきたが、時として、〝何もない空間〟に少し飽き飽きすることもあった。だが今回、久し振り(4年ぶり)に見てみると、悪くないというか、新鮮に感じた。

1786年 初演/全4幕 イタリア語上演/日本語及び英語字幕付/原作:ピエール=オーギュスタン・カロン・ド・ボーマルシェ(1732-99)戯曲『フィガロの結婚』1778/台本:ロレンツォ・ダ・ポンテ(1749-1838)/作曲:ヴォルフガング・アマデウスモーツァルト(1756-91)

指揮:沼尻竜典エヴェリーノ・ピドが降板を申し出たため)演出:アンドレアス・ホモキ/美術:フランク・フィリップ・シュレスマン/衣裳:メヒトヒルト・ザイペル/照明:フランク・エヴァン/再演演出: 三浦安

アルマヴィーヴァ伯爵:ヴィート・プリアンテ(早めのビザ取得で来日)/伯爵夫人:大隅智佳子(セレーナ・ガンベローニが12/28の入国制限変更により来日不可のため)/フィガロ:ダリオ・ソラーリ(フィリッポ・モラーチェが同理由で来日不可のため《トスカ》に出演のソラーリが急遽代役)/スザンナ:臼木あい/ケルビーノ:脇園 彩/マルチェッリーナ:竹本節子/バルトロ:妻屋秀和/バジリオ:青地英幸/ドン・クルツィオ:糸賀修平/アントーニオ:大久保光哉/バルバリーナ:吉原圭子/二人の娘:岩本麻里、小酒部晶子

合唱:新国立劇場合唱団/管弦楽:東京交響楽団

 過去6回はすべて東フィルだったが、今回は東響が新国立のピットに入る(そこに元新日フィルの首席フルーティスト白尾彰の姿が見えた)。同オケの《フィガロ》といえば、近年では井上道義が振った野田秀樹版の「〜庭師は見た」(2015)や音楽監督ジョナサン・ノットが指揮したコンサート形式(2018)で演奏済み。少し前だと、ニコラ・ルイゾッティが振ったサントリーの〝ホールオペラ〟で《フィガロ》を含むモーツァルトの三オペラをやっていた(2008)。いずれもモーツァルトらしいドライで推進力があった印象だ。以下、メモを簡単に記す。

白一色の〝何もない空間〟が舞台で宙に浮かんでいる感じ。この空間が、第1幕ではフィガロとスザンナの新居に、第2幕では白い衣裳箪笥が運び込まれて伯爵夫人の居間に、第3幕は婚礼の祝いを整えた大広間に、終幕では夜のあずまやに、それぞれ見立てられる。「非歴史的な空間」にすることで「普遍的な問題を描」こうとしたようだ(ホモキ「Production Note」)。この空間(部屋)は、進行と共に少しずつ傾き、崩れ、やがて裂開する。モノトーンの衣裳は「様式化された歴史的」なものだが、次第に剥ぎ取られ、終幕では白い下着姿に近づく。いずれも、領主権に象徴される封建的な貴族社会が崩壊する(召使いが主人を/女性が男性をやっつける)さまを表すためだ。

序曲が始まると、引越し用の白いダンボール箱が黒子(召使い?)によって奥から〝部屋〟のなかへ積み上げられる。箱には LONDON, VIENNA,  トウキョウ等の地名が見える。序曲の演奏はいまひとつ。フィガロ役のソラーリは《トスカ》のスカルピアより合っていると感じた。ブッファの軽さがもっと欲しい気もするが、悪くない。その許嫁スザンナ役の臼木の声は少しキャンキャン聞こえるのは残念(第4幕のアリア「早くおいでよ」ではそうならずに聴かせた)。

ケルビーノの脇園が登場すると一気に空気が変わり、舞台が活性化した。存在自体にエネルギーが感じられ、最初のアリアも〝わけの分からない〟感じがよく出ていた(指揮者はテンポをもっと速くとってもよい)。第2幕のアリエッタ「恋とはどんなものか」はクラリネットの前奏だけでわくわくする。脇園の歌唱はズボン役の艶もあり、気に入った。伯爵(プリアンテ)の来訪にスザンナが慌ててケルビーノを隠すのは、従来は段ボールのなか。が、今回は感染防止のためか、ケルビーノは積み上げられた箱の陰にあちこち移動した。脇園のエネルギッシュな身軽さは、見ているだけでも楽しい(本当はもっと聴きたいがこの役はあまり歌わない)。

見つかったケルビーノが伯爵に軍隊行きを命じられ、フィガロがアリア「もう飛ぶまいぞ」を歌う。ソラーリの歌唱はしっかりと鳴り響いた。このとき黒服を着た召使いの男らがモップを銃に見立て、ケルビーノを銃殺するしぐさで悪ふざけ。ゴヤの絵のパロディだろう(向きは反対だ)が、同時に、二週間前の《トスカ》の悲劇的な銃殺シーンを想起させた(後者のカヴァラドッシ銃殺を命じた悪役が、いまはフィガロ役でこのアリアを歌っている!)。

第2幕の冒頭。伯爵夫人は、いきなりのカヴァティーナで姿を見せずに歌い始める。聴かせ所だけに歌手は大変。さすがに大隈は緊張のせいか少し伸びやかさが不足した。が、その後は尻上がりによくなり、第3幕のレチタティーヴォとアリア「スザンナは来ないかしら」は好かったと思う。

第3幕では、ケルビーノを挟んだ伯爵夫人とスザンナの三角関係的な暗示がもっと欲しい気もした。ただ、ケルビーノが女の衣裳を身につけるシーンは見応えがあり。脇園は、ズボン役の「性別越境的快楽」(室田尚子/プログラム)をしっかり意識していたと思う。伯爵夫人の部屋に伯爵が突然来訪し、慌てたケルビーノは衣装箪笥に身を隠す。夫人は不審顔の夫に、スザンナと一緒だったがもう部屋へ帰ったと嘘をつく。そのとき衣装箪笥のなかで物音が。これほど大きな音はちょっと記憶にない!(脇園の思い切りのよさ)。夫人はうろたえ、つい、なかにスザンナがいると苦し紛れ。二人の押し問答のさなか、スザンナが戻ってくる(このときもっと驚いてもよい)。スザンナは身を隠して二人を窺い、伯爵は狼狽する妻を不審に思い、夫人はあれこれ取り繕い…。秀逸な三重唱の始まりだ。ここで伯爵夫人が歌う上昇メロディは本当に美しい。大隈は最高音まできれいに歌いきった。この歌手は芝居もうまく、コミカルな味も出せる(面白がるタイプか)。伯爵のプリアンテは、歌唱・演技とも安定感が際立ち、今回の舞台を中心で支えた功労者だと思う。第3幕で伯爵夫人が偽の手紙をスザンナに口述する「そよ風」の二重唱はいまひとつ調和せず。

合唱は部屋のなかとその下とに分かれて歌った。第4幕のラストで伯爵は夫人ではなく客席に向かって跪いた。また、本作に頻出する男女のコンタクトは回避され、離れたかたちに修正された。これらはもちろん感染リスクを減らすための措置だろう。

そのラスト。伯爵は妻を疑ったことが間違いだった(必ずしもそうはいえないのだが)と知り、跪いて「コンテッサ、ペルドーノ」(公爵夫人よ、どうか許しておくれ)とアンダンテで歌い出し、コンテッサが「私は貴方より素直です。はいと申しましょう」と赦しの言葉を返す。すると、皆が「ああ、これでみんな/満足するだろう」と賛美歌のような美しいハーモニーを響かせた直後、テンポはアレグロ・アッサイとなり、

苦しみと気紛れと/狂気のこの日を、/ただ愛だけが満足と陽気さで/終わらせることができるのだ。

花嫁花婿よ、友人たちよ、さあ踊りに行こう、楽しく過ごそう。/爆竹に火をつけよう!/楽しい行進曲の音に合わせて、/みんなでお祝いをしに行こう!(戸口幸策訳)

と、一気に駆け抜けて幕となる。まさにタイトル通り「たわけた(狂気の)一日」(ラ・フォル・ジュルネ)に相応しい、血がたぎり胸が躍るような幕切れだ。が、舞台上はともかく、オケにいまひとつ熱が足りないと感じた(指揮者のあの振り方、あり方でオケメンバーのからだを変容させることができるのか…)。

第4幕のマルチェッリーナのアリア「牡山羊と牝山羊は仲がいい」は、この版ではいつも割愛されてきた。「男尊女卑の社会を憂えて歌う」アリアだが(田辺秀樹/プログラム)、失言や撤回が尾を引く〝時節柄〟ぜひ竹本節子に歌って欲しかった。

新日本フィル #630 定演 トパーズ〈トリフォニー・シリーズ〉阪哲朗の渋さ

新日本フィル #630 定演 トパーズ〈トリフォニー・シリーズ〉を聴いた(5日 金曜 19:15/すみだトリフォニーホール)。

指揮は「ドイツ国内における新型コロナウイルス感染状況と上岡(敏之)氏ご本人の渡航上の困難をふまえ(中略)出演見合わせの決定が」なされ、代わりに阪哲朗が務めた。これに伴い曲目も一部変更された。

昨年の9月初旬だったか、半年ぶりに再開した定演で団員がステージに登場すると拍手が起きた。それはこの日も変わらない。変わったのは、入ってきた団員が拍手のなか正面を向いて立っていたこと。時間差でコンマスが入ると拍手は強まり、彼がお辞儀をして全員が座るのだ。アーティストと聴衆が一堂に会し、生の音楽を共有する。当たり前だと見なされてきたそのことが、文字どおり〝有り難い〟いま、両者が互いにその〝有り難さ(感謝)〟を表明し合うのだ。なんかいいですね。(ただしアフタヌーン・シリーズ/ルビーでは、自分が居合わせた限り、団員たちが客席を向いて立ったままでもコンマスが登場するまで拍手は起きなかった。つまりコロナ禍以前と同じ。このシリーズの聴衆は終曲後の反応も相変わらず鈍いまま)。

阪哲朗といえば、2003年の新国立劇場オペラ《ホフマン物語》と05年の再演を思い出す。前者ではニコラウス/ミューズ役にエリナ・ガランチャ、アントニア役にアンネッタ・ダッシュが、後者ではホフマン役にあのフロリアン・フォークトが出演した(当時の芸監は元ウィーン国立歌劇場 制作部長のノヴォラツスキー)。あとはずっと間が空いて、山形交響楽団の「さくらんぼコンサート2019」で《ドン・ジョヴァンニ》、《コジ・ファン・トゥッテ》、《リゴレット》の名場面等を聴いたぐらいだ(共演は森麻季と大西宇宙)。今回はどうだったか。

この日のコンマスは崔文洙。以下、ごく簡単にメモする。

モーツァルト(1756-91):交響曲第13番 ヘ長調 K.112(1771)

 明るく快活な作品で、演奏もそう。期待が膨らむ。

J.シュトラウスⅡ(1825-99):ワルツ「芸術家の生涯」 op. 316(1867)

音が鳴った直後は、懐かしさが込み上げる。ヨハン・シュトラウスの魔力か。だが、次第に醒めてきた。ツボを外さぬウィンナーワルツだが、けっして酔わせることはない。どこまでも〝渋い〟のは指揮者の個性か。

R.シュトラウス(1864-1949):クラリネットファゴットのための二重協奏曲 TrV 293(1947)

クラリネット:重松希巳江(NJP首席クラリネット奏者)/ファゴット:河村幹子(NJP首席ファゴット奏者)

室内楽のような趣もあった。クラリネットファゴットはもとより、各弦楽器のトップらがアンサンブルやソロで聴かせるのだ。至る所でリヒャルト・シュトラウス節が顔を出す。音色もそう。絢爛ななかに甘さや切なさが感じられる。第三楽章は複数の人間がお喋りしている感じも。

ここで20分休憩。 

J.シュトラウスⅡ:ワルツ「南国のバラ」 op. 388

 シュトラウスのワルツを聴いていると、なにか郷愁に似た、甘酸っぱい感情に襲われる。が、一発のタンギングでその思いは削がれた。残念。

モーツァルト交響曲第38番 ニ長調 K. 504 「プラハ」(1786) 

同じ作曲家でも15歳の冒頭曲で感じた清澄さが、30歳の本作ではさほど聞き取れない。音楽に厚みが増したこともあるが、ヴァイオリン群などの透明感は共存して欲しい。指揮者の〝渋さ〟が効きすぎたのか。第3楽章で、《フィガロの結婚》第2幕の第15曲、スザンナとケルビーノのあわてふためく二重唱のテーマが出てくる。2日後に新国立劇場でこのオペラを見た。その意味では絶好のアペリティフだったが音色の〝渋さ〟ゆえか、さほど楽しめず。


アンコールは

ヨハンと弟ヨーゼフ(1827-70)との合作「ピツィカート・ポルカ」(1869)

久し振りのアンコールは嬉しいが、めくるめくような快楽は生まれなかった。日常からいまひとつ〝離陸〟できない。なぜなのか。あれこれ考えながら帰途につく。奏者のからだが変わらなければ、彼/彼女らが発する音も変わらない?  奏者のからだを変えるのは指揮者(幾分かは聴衆)のあり方しかないだろう。楽曲への深い理解や指揮のテクニックは当然として、他に何が物を言うのか。指揮者(のからだ)が発する〝気〟や熱量の問題?