新国立劇場オペラ《ルチア》新制作 2017

今日(12月9日)藤原歌劇団の《ルチア》初日を観てきた。タイトルロールの光岡、エドガルドのクォン、エンリーコのカン、アルトゥーロの小笠原、菊池ひきいる東フィル等々、客席のアンフェアな反応を除けば大変よい舞台だった。今年は新国立でも新制作で本作を観た。下書き欄に書きかけがあるのを思い出し、藤原の感想を記す前に、遅まきながらそのままアップする。
新制作《ルチア》の初日を観た(3月14日 18:30/新国立劇場オペラハウス)。
この演目は当劇場では2002年11月以来だ。

《ランメルモールのリチア》(初演1835)
作曲:ガエターノ・ドニゼッティ(1797-1848)
台本:サルバトーレ・カンマラーノ
指 揮:ジャンパオロ・ビザンティ
演 出:ジャン=ルイ・グリンダ
美 術:リュディ・サブーンギ
衣 裳:ヨルゲ・ヤーラ
照 明:ローラン・カスタン
舞台監督:村田健輔

ルチア:オルガ・ペレチャッコ=マリオッティ
エドガルド:イスマエル・ジョルディ
エンリーコ:アルトゥール・ルチンスキー
ライモンド:妻屋秀和
アルトゥーロ:小原啓楼
アリーサ:小林由佳
ノルマンノ:菅野 敦

合唱指揮:三澤洋史
合 唱:新国立劇場合唱団
管弦楽東京フィルハーモニー交響楽団
グラスハーモニカ:サシャ・レッケルト

主催:新国立劇場
共同制作:モンテカルロ歌劇場

岸壁に波が押し寄せる。背後の空。雲間から朝日が差し、次第に光量を増していく。ターナーの絵にありそう。2場の泉の場。カーテンに先の崖のシーンがモノクロで映し出される。やがてそれが小高い緑の丘に変わる。傍に泉らしきもの。エンリーコ役アルトゥール・ルチンスキー(バリトン)の男らしさ。ルチアのオルガ・ペレチャッコ=マリオッティは流麗でジューシーな声。エドガルド役のイスマエル・ジョルディ(テノール)は真っ直ぐで素直な歌唱(音程も正確)。ワキの二人も声としてはさほど負けてはいない。
第二幕。エンリーコの居室。偽の手紙でルチアにアルトゥーロとの結婚を承諾させる。ズボン姿のルチアに、その場で婚礼のドレスを着せる。ノルマンノ(菅野敦)が無理矢理上着を剥ぎ取り、着せていく。なるほど、あの男との結婚は嫌だよな。そこへエドガルドが乱入。次第にルチアが狂乱へ。
狂乱したルチアは槍の先にアルトゥーロの首を刺し、血の付いた白いドレス姿でカミテ奥から登場。歌っていると、エドガルドとの思い出の泉(丘)のセットが後方からスライドしてくる。その丘に上がり、歌う。このとき客席一階後方から変な声が聞こえた。歌手にも指揮者にも聞こえたろう。このあと今ひとつ集中せず。ルチア役のペレチャッコは声はよく出るが、息を詰めて聴かせるようなタイプではない。今回は「作曲家の原意に沿って」グラスハーモニカ(サシャ・レッケルト)がオブリガートを受け持った。大変興味深い体験だったが、その分、テンポが遅めになり、コロラトゥーラの奇跡的な感触はやや薄れた印象。いったん倒れ、また歌い出す後半の方がよかったか。
第三幕。エドガルドが墓地でエンリーコを待つ場面。冒頭の崖のセットが180度回転したかたち。つまり、陸側から海を臨む。その向こうに広がる風景はとてもサブライムエドガルドが崖の上に立ち客席に背中を向けて遙か彼方を見つめる構図は、ドイツロマン主義の画家カスパー・ダーヴィト・フリードリヒの「雲海の上の旅人」(c.1818)にそっくりだった。カミテ手前に墓が並ぶ。エドガルド役を歌ったジョルディの歌唱はよいと思う。ここでも素直で真っ直ぐ。その後、男たちがルチアの死体を布に乗せて運び込み、墓穴に入れる。それを抱き上げるエドガルド。これは明らかに人形と分かる。彼はこれを抱いたまま断崖へ近づき、飛び込むことが暗示されて幕。この演出は二幕の槍に刺された生首同様、やり過ぎ。これでは観客の想像力の働きが即物的なモノで止まってしまい、音楽の響きに身を任せることが阻害されてしまう。美術はよい。指揮者も歌手もよかっただけに、もったいないといわざるをえない。劇場はこんな演出プランにOKを出したのか。たぶん演出家が共同制作のモンテカルロ歌劇場総監督だけに口を出せなかったのだろう。なんとも・・・。