新国立劇場バレエ[新制作]『眠れる森の美女』初日・二日目・四日目

2014/2015シーズン・オープニング公演『眠れる森の美女』の初日と二日目、四日目を観た(11月8日・9日・13日 各14時/新国立劇場オペラハウス)。
だいぶ待たされたが、やっとバレエ部門の開幕だ。本当は米沢唯の二回目(11日 18:30)も見たかったが、翌日が早いので断念。あとは最終日を見る予定。

【音楽】ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー
【振付】ウエイン・イーグリング(マリウス・プティパ原振付による)
【装置】川口直次
【衣裳】トゥール・ヴァン・シャイク
【照明】沢田祐二
【指揮】ギャヴィン・サザーランド
管弦楽東京フィルハーモニー交響楽団


[11/8(土)14:00]
オーロラ姫:米沢 唯、デジレ王子:ワディム・ムンタギロフ
リラの精:瀬島五月、カラボス:本島美和
[11/9(日)14:00]
オーロラ姫:小野絢子、デジレ王子:福岡雄大
リラの精:寺島亜沙子、カラボス:湯川麻美子
[11/11(火)18:30]
オーロラ姫:米沢 唯、デジレ王子:ワディム・ムンタギロフ
リラの精:瀬島五月、カラボス:本島美和
[11/13(木)14:00]
オーロラ姫:長田佳世、デジレ王子:菅野英男
リラの精:寺島亜沙子、カラボス:湯川麻美子
[11/15(土)14:00]
オーロラ姫:瀬島五月、デジレ王子:奥村康祐
リラの精:寺島亜沙子、カラボス:本島美和
[11/16(日)14:00]
オーロラ姫:小野絢子、デジレ王子:福岡雄大
リラの精:寺島亜沙子、カラボス:湯川麻美子


【主催】文化庁芸術祭執行委員会/新国立劇場

初日
[プロローグ]序曲の後半に幕が開くと闇の中、(青)緑のコスチュームを身につけたカラボスが地上に立つ。その両側から灯りの点った二つのシャンデリアが天井へ吊り上げられると、同時に、中央部の天上(井)から別のシャンデリアが降りてくる。そこに乗っているのはリラの精らしい。地上に降り立つリラの精と対峙するカラボス。
宮殿のセットはデコラティヴな焦げ茶の柱に黄土色の壁。想像的な余白を残さず塗り込めたような〝なんとかリアリズム〟か。イマジナティヴとは真逆で、銭湯や霊柩車を思わせるキッチュな感触。装置を手がけた人はチャイコフスキーの音楽をちゃんと聞き込んだのか。
久し振りに見る新国立の女性ダンサーたちはみなスタイルが揃っている。そこへ文法の異なる女性が現れ、妙な表情で妙なアウラを発散させる。これがリラの精なのか。他の妖精はみな清新で若々しい(ただ妖精たちは「リラの精」を除くと衣裳がみな同じで「リラの精たち」と区別が付かない)が、中心で踊るリラの精はあまりに世俗的。ちょっと世間ずれしたスナックのママを連想させる。この役は善(親切)の妖精のはずだが。
なぜ本舞台で踊る貴重な機会をホームの劇場団員から奪うのか。恣意的に余所のダンサーを連れてきて踊らせる理由はどこにあるのか。芸術監督はサブスクライバーが納得できるよう説明する義務がある。踊れるダンサーが居ないから? そんなことはない。これまで一体なんのために堀口純を『シルヴィア』のダイアナや『白鳥』のオデット/オディールや『ジゼル』のミルタで、あるいは細田千晶を『しらゆき姫』のタイトルロールで踊らせてきたのか。たとえ経験や技術的な面で瀬島に及ばないとしても、サブスクライバーとしては彼女らのリラの精を見たかった。あるいは、これは知人のアイデアだが、寺田亜沙子に加え本島美和と湯川麻美子にカラボスとリラの精を交替で踊らせてもよかった。いずれにせよ、キャスティングの理不尽さはビントリー体勢(の後半)で解消されたと思っていたが、リラの精が不在時にも喉に小骨が刺さったような違和感がついて回った。
リラを含め妖精を一人増やし七人にしたのはむしろペローの原作に忠実。音楽は、知人によれば、第2幕の「男爵令嬢たちの踊り」を使ったらしい。トゥシューズを履いたカラボスの造形はとてもよい。蜘蛛。本島美和は巧みにかつ自在に悪を造形した。
[第1幕]ローズアダージョの直前でオケから開放弦のノイズが。
米沢唯は端正な踊り。動きに余計な思いを入れないような、また重力を抜くような、軽やかな在り方。一つひとつがとても丁寧。音楽はpoco stringendoに入ると思ったより速めに感じた。バランス時に相手の目を見るのは難しいらしいが(小野絢子/プログラム28頁)、すばらしい出来。ヴァリエーションもテクニックを見せる在り方からはほど遠い。
本島カラボスが出てくると頬が弛む。小気味のよい演技。オーロラに花束を渡すときの仕草が絶妙だ。役をその場で自在に生きている。そこに本人も喜びを感じていることが伝わってきた。一方、リラの精は動きや踊りに感情を外から被せているように見える。この役にはもっと超越性がほしい。国王の貝川鐵夫は見違えた。王としての重みがあり、父親にも見えた。でも、なぜ色が黒いのか。

[第2幕]森の場面。セットは平凡で、『眠り』に限らずこれまでの森の装置と大差はない。演出は、人々の在り方が立体的な印象を受けた。トレウバエフのガリソン(王子の知人)がよく効いている。演技のすべてに血が通い、とてもコミカル。
幻想の森。オーロラのコスチュームはカジュアルすぎないか。森の精のコール・ドはシューズの音を気にせず、大胆かつダイナミックに踊る。小気味がよい。王子、オーロラ、リラの精の踊り。米沢の密度の濃さと集中力がリラの臭みを覆い隠した。
「パノラマ」の船もキッチュ。後半、船は姿を消し、森の精のコール・ドが踊る。
茨で覆われた森の城での王子とリラの精とカラボスの遣り取り。上手でカラボスの配下たちがカラボスをリフトするが、うまくいかない。紗幕越しで照明も暗いため目立たなかったが。カラボスは自分の魔法が効かなくなり、退散。
目覚めのパ・ド・ドゥ。『ロミオとジュリエット』のバルコニーシーンをシンプルにしたような振り。ただ、ナイティ姿の米沢はしっとりと流麗に踊る。ラインがとても美しい。二人のリハーサルに時間をかければ両者間の交流がもっと見えただろう。
[第3幕]黄金づくめのセット。宝石でアメジストの堀口純が転倒したが、その後、なにもなかったように健気に踊った。
フロリナ王女の小野絢子は菅野英男が相手だとなぜか色気が出る(『こうもり』もそう)。弾けるような軽快さと艶。一方、菅野は少し太ったか、重そうでキレが今ひとつ。ところで本作に赤ずきん(五月女遥)と狼(小口邦明)が出てくるのは、ペローの原作から後半の人食い鬼の話を切り捨てた欠損を補うためかも知れない。
米沢とムンタギロフのグラン・パ・ド・ドゥは大人の踊り。米沢は、幕が変わる毎に落ち着きを増し、16歳から116歳(?)への成熟を表現した。二人の関係性は立体的。イーグリングは男性のパートナーリングの指導の際に「距離をとる」よう要請したというが、その成果か(米沢唯/プログラム27頁)。繰り返しになるが、もっと相手役と長い時間を共有できていたらさらに倍音が出ただろう。
このパ・ド・ドゥはいろいろと考えさせる振付だ。たとえばフィッシュダイヴで胸に迫るのはなぜか。もちろんアクロバティックなスリル感のせいもある。が、やはり男女の関係の理想的なありようを、すなわち、女性の男性への信頼感が踊りとなって身体化されているからではないか。また、クライマックスのあとで、腰を床に下ろしたオーロラに、下手からデジレが手を貸すと、姫はにっこりしながら(今回は)ポワントで立ち上がる。結婚の誓いの言葉が身体化されたような遣り取りだ。このことに初めて気づいたのは、かつてこの劇場で(2004年)厚木三杏と逸見智彦が踊ったときだった(その後ふたりは結婚した)。
ところで、パ・ド・ドゥ後半の盛り上がるべきところで、なぜかトランペットのテーマが引っ込んだ。ここは冒頭のオーボエによる旋律を二本のトランペットがユニゾンで力強く(fff)奏する重要な箇所。たぶん何らかの理由で1st奏者が吹いていなかったのだと思う。聴いていて腰砕けになった(ローズアダージョも似たような感触があった)。デジレのヴァリエーション前半ではホルンが外した。これでは命がけで踊っているダンサーたちが気の毒だ。オーロラのヴァリエーションのヴァイオリンソロでの踊りはとても印象的。あの、泡や湯気がゆったりと舞い上がっていくような両手の動きはどんな発想から生まれたのだろう。
美術(装置)が古くさく、想像力を刺激しない。キャスティングの問題、オケの問題。
米沢唯は、シーズン開幕の初日でしかも初役のタイトルロールを見事に務めあげた。以前のような役をその場で生きる在り方は幾分弱まった印象だ。その分、たとえば脚を後ろへ蹴り上げて開脚したとき等のラインの美しさはかなり増した。ワディム・ムンタギロフもよかったと思う。


二日目
この日のリラの精は寺田亜沙子。属性としては適役。カラボスの呪いのあと、マイムでその呪いを弱めたことを説明するシークエンスは優雅できめ細かく美しい。湯川のカラボスはスケールが大きく分かりやすい造形。六人目の妖精のヴァリエーションで下手奥からスモークが少し漏れ出た。カラボス退場時のフライングか。初日もこの日も衛兵(?)の姿勢が気になる。もっと背筋を伸ばし堂々と歩き、かつ立って欲しい。
第1幕のローズアダージョでは小野絢子の初々しさが際立つ。16歳の弾けるような生命力を見事に体現し、ちょっとグッときた。以前のようにばりばり踊るというよりも、役を生きる在り方が優っているように見えたから。
国王は輪島拓也だが、これも貝川とは異なる個性ながら、重みと父親らしさは出ていた。求婚者の一人、井澤駿は芝居がよい。姫は本当に綺麗ですね、と思わず国王夫妻に語りかけるシーンは言葉が聞こえるようだった。
ガリソンのトレウバエフがこの日も素晴らしい。伯爵夫人(本島)との遣り取りもじつに楽しい。本島は本当によくなった。その場で役を生きることができる。ビントリー前監督による適材適所に配役された成果だと思う。夫人と王子(福岡雄大)のデュエットに入る前、ヴァイオリンがフライング。オケは集中力が切れているのか。
リラの精(寺田)と王子(福岡)。そして幻想のオーロラ(小野)。ちょっと眠くなった。「パノラマ」の終わりに近づくフレーズで、ホルンのソロが上がりきらずグリッサンドのようになった。静かなトランジションの音楽でカラボスとリラの精が争うのは少し不自然か。目覚めのパ・ド・ドゥの王子がジャンプするシークエンスで照明の暗さが気になった。客席は落下音多し。
[第3幕]闇の中、三つのシャンデリアが上がっていく。宝石のゴールドの池田武志は弾性のある踊りで印象に残った。フロリナの米沢は昨日とは別人に見えるほど重苦しさから解き放たれ、楽しんで踊っている。青い鳥の奥村康祐も生き生きと楽しそう。ただ、オケにミスが多く、フルートの速いパッセージでは音がひずみ、フロリナのヴァリエーションでクラリネットから〝しゃっくり音〟が。このとき後の席(16列の招待席)から舌打ちが聞こえた。親指トムの小野寺雄はキレがあるうえに優雅。
グラン・パ・ド・ドゥで小野と福岡は様式性を意識し、二人の関係性を立体的に見せる。イーグリングの指導の成果か。この日のトランペットはユニゾンでしっかり鳴らしていた。王子のヴァリエーションで福岡はノーブルな味を出そうとしている。オーロラのヴァリエーションでも小野はよく踊った。
全体的に個がくっきりと明確になった印象。優美さよりも確固とした安定感を優先したのか。それにしてもセットが古くさい。美術(装置)と衣裳はどの程度イメージを摺り合わせたのか。そもそも、振付・演出の基本的なコンセプトを装置はちゃんと共有していたのか。


四日目
学生団体で埋まっており、一般客は一階の限られた席のみ。チューニングが始まっても唸るような騒音は収まらない。
プロローグで、やはりセットが・・・と上に視線を向けていると、赤ちゃんを入れた籠を持って階段を降りてくる二人の乳母のうち下手側の乳母が足を踏み外し、つんのめって籠から手を離し転びそうになった。転倒は免れたが、本物の赤ん坊なら投げ出されていたところだ。居合わせたのが式典長(輪島拓也)だからよかったが、フロレスタン国王ならどんな刑罰が下ったか。こんなハプニングは初めて見た。カラボス(湯川)も動きの途中で両手を着いたが、〝振り〟に見せてしまうからさすがである。
寺田=リラの精はリフトで降りるとき少し足を滑らせた。全体的になんか不安定。芸術的な求心性を失っているような印象。
[第1幕]ローズアダージョ。長田佳世はあまり体調がよくないように見えた。バランス時には相手と視線を合わせない。ロシア流? それとも指導の目が届いていない? ヴァイオリンソロのヴァリエーションで客席の下手前方から女性が席を立ち、靴音を立てて一番後のドアから出て行った。
[第2幕]森の場面で登場した菅野=王子は青い鳥のときほど重そうには見えない。今日の「パノラマ」のホルンはOK。
目覚めのパ・ド・ドゥはスムーズな踊りだが、少し眠くなった。ライティングが暗すぎないか。この照明担当は何かというとすぐに暗くする。ちょっと安易ではないか。
[第3幕]青い鳥=井澤は踊りはまだまだだが、舞台での在り方はある意味理想的。フロリナ=米沢は日曜より落ち着いた。パートナーとの相性がよい。絶えず目線を合わせ、見ていて気持ちが好い。こちらを笑顔にさせる。
親指トムの八幡顕光はさすがの踊りで貫禄すら感じさせる。猫(玉井るい)は、というか、今回はどの日(若生愛・原田舞子)も、ゆったりとした色香を発揮する踊り。
グラン・パ・ド・ドゥ。長田はやはり体調が万全ではないかも知れない。が、バレリーナらしい踊り。菅野=王子はヴァリエーションで膝ががくんとなったが、彼にしか出せないノーブルな雰囲気。逃げずにすべてを受けとめ、担う精神性。ただ、やはり以前より身体が重そう。それでもこの二人は人の心を動かす何かを持っている。共に献身的で、自分を舞台に客席に捧げている。
今回のプロダクションは、芸術的にばらばらというか、統一性が感じられない。振付は悪くないと思う。新しく振り付けたという1幕のガーランドの踊り、2幕の王子のソロ、3幕の宝石の精のヴァリエーション、目覚めのパ・ド・ドゥ等々、どれも嫌み(臭み)がなく後味がよい。パ・ド・ドゥのみならずコール・ドでも、各自の個が自立したうえで他者と立体的に関わっている。そう感じさせる。ただ、すでに触れたとおり、装置があまりに古い印象を与え、そこで動く衣裳がちぐはぐでなんとも勿体ないといわざるをえない。
音楽については、指揮者を云々するまえに、オケがこれほどミスしたらどうしようもない。今回は『眠り』の5公演と東フィルの定演3公演が重なっている。もしも過密スケジュールのためにピットで(特にバレエでは)十全に演奏できないのなら、劇場は、東京交響楽団との分担比率を改めることも考えるべきだろう。初日に指揮者がオケを立たせるときの力強い身振りが、二日目はかなり弱まった。これでは、日本を代表する国立の劇場として恥ずかしい。招待席から舌打ちされないためにも、否、なにより毎回自腹でチケットを買う新国立劇場バレエのファンのために、劇場はなんらかの対策を講じるべきである。
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