新国立劇場オペラ《さまよえるオランダ人》2022

さまよえるオランダ人》の初日と千穐楽を観た(1月16日 水曜 19:00,2月6日 日曜 14:00/新国立劇場オペラハウス)。

指揮者のデスピノーサはN響12月定期の代役で初めて聴いた。力みがちな組曲展覧会の絵》をふっくらした音楽に仕上げたのが印象的。こういうタイプの指揮者は日本にほとんど居ない(みな総じて振りすぎる上、音の〝色合い〟や〝香り〟をさほど顧慮しない)。デスピノーサはゼンパーオーパー(先の新制作《ニュルンベルクのマイスタージンガー》のセットはこの劇場を模したもの)のコンマス代理から指揮者になったと知りオペラも聴きたいと思った。すると《オランダ人》で即実現。まず初日から。

指揮:ジェームズ・コンロン(入国制限措置により降板 1/5→ガエターノ・デスピノーサ/演出:マティアス・フォン・シュテークマン/美術:堀尾幸男/衣裳:ひびのこづえ/照明:磯野 睦/再演演出:澤田康子/舞台監督:村田健輔/[キャスト]ダーラント:妻屋秀和/ゼンタ:マルティーナ・ヴェルシェンバッハ(同前)→田崎尚美/エリック:ラディスラフ・エルグル(同前)→城 宏憲/マリー:山下牧子/舵手:鈴木 准/オランダ人:エギルス・シリンス(スィリンシュ)(同前)→河野哲平/合唱指揮:三澤洋史/合唱:新国立劇場合唱団/管弦楽:東京交響楽団

歌手も三人が代役になった。序曲や第1幕はオケの調子(特に金管)がいまひとつで、さほどワーグナーらしく響かない。やはりイタリア人指揮者には「合ってないのか」と思いきや(じゃあ日本人は…)、第2幕以降は歌手もオケもよくなった。

f:id:mousike:20220212163053j:plain

第1幕は、ノルウェー船の甲板がシモテからカミテへ平行移動で現れる。そこで船員らが組み体操のように隊列を組むと、シャツの絵柄がジグソーパズル式に合わさり船の甲板が現出する仕掛け(衣裳:ひびのこずえ)。ただ今回は感染防止のためだろう、密に組めずはっきりしなかった(仕方ない)。第2幕では、娘らが糸車で糸を紡ぐ部屋が、第1幕同様、シモテからスライドして来る。とりわけ奥に設えたゼンタの糸車(spinning wheel)は舵輪(steering wheel)に見えるから面白い。男女の社会的な役割を視覚的に相対化させる趣向か(糸車を見るとウィーン・フォルクスオーパが2008年に上演したフロトーの《マルタ》(1847)を思い出す。第2幕で庶民に変装したハリエット(マルタ)が糸車の廻し方を教えられる場面だ。ここで歌われるのが例の「夏の名残のばら」(庭の千草)。ちなみにワーグナー(1813-83)とフリードリヒ・フォン・フロトー(1812-83)は一つ違いで没年は同じ)。

歌手で光ったのはゼンタ役の田崎尚美。田崎ゼンタはオランダ人だけでなく、公演そのものを「救済」した。頬が緩んだのは彼女の歌唱だけ。特に「ゼンタのバラード」は素晴らしかった。劇場の隅々まで響き渡る強音は圧倒的。ただ、初日はピウ・レントの弱音で「救済」を祈るフレーズにもっと表情や艶が出ればと感じた(が、楽日ではほぼ改善されていた。やはり初日の緊張は想像以上らしい)。

オランダ人の河野鉄平は難しい役を好演したと思う。ただ、時に動きが誇張的で多少コミカルに見える。ヴォータンから突然(ユダヤ人を模したともいわれる)アルベリヒやベックメッサーが顔を出す感じ。もっとゆったり動けばオランダ人の〝化け物性〟が出たかもしれない。それとも「さまよえる(永遠の)ユダヤ人」を意識した造形なのか(磔刑への途上にあるイエスを嘲笑したため、呪われて再臨の日まで地をさまようというユダヤ人伝説)。

ダーラントの妻屋秀和は声がよく出るし演技もこなれ安定している。ただ歌唱も演技もやや真っ直ぐすぎる印象も。

エリックの城宏憲ベルカントの感触をよく出していたが、ドイツ語の発音が少し気になった。

マリー役の山下牧子は、こくのある歌声と落ち着いた演技で舞台を引き締めた。

第3幕のラストでゼンタ自身が船に乗り込み、もろとも沈んでいく。すると、陸に残ったオランダ人は次第に苦しみ(喜びのうちに)死んでいき、幕となる。

だが、ワーグナーの台本では、ゼンタが岩礁から海に身を投げると「ものすごい音を立てて、オランダ人の船が沈没する」。やがて、水面から現れた岩礁の上で「ゼンタがオランダ人を抱き起こし、胸に抱きしめ、視線と片方の手で天を示す。その岩礁は音もなくどんどん立ち上がり、いつの間にか、雲の形となる。最後の3小節で、幕がさっと下りる」(井形ちづる訳)。

まるで昨秋の新制作バレエ『白鳥の湖』(1877初演/1895蘇演)の幕切れみたいだ。『白鳥』では、オデットとの永遠の愛の誓を我知らず破ったジークフリードは、湖に身を投げたオデットの後から、自分も身を投げる。すると、抱き合う二人の姿が彼方に現れる。《オランダ人》(1843)とは男女が逆だし、状況も異なるが、愛の誓いや入水自殺が絡む点は共通している。そもそもチャイコフスキーは、このバレエ音楽の主要動機を《ローエングリン》(1850)の「禁断の問い」から着想したのではなかったか。ジークフリードの名も《指環》の英雄と同じことを思えば、両者の浅からぬ関係が見て取れる。

初日の後、デスピノーサのインタビュー動画を見た。序曲のカット(知らなかった)について演出家とオンラインで遣り取りし復元した経緯や、この期のワーグナーベルカントなどイタリアオペラの影響が強い等々、知的にドイツ語で語るのを聞いた。なるほど、円熟期のいわゆるワーグナー的響きを本作に求めるのはアナクロだった。無性に公演を観(聴き)直したくなり、楽日の3階席を入手(その翌日はデスピノーサが連続で振る《愛の妙薬》の初日)。

f:id:mousike:20220206134124j:plain

楽日は、マリー役の山下牧子が(ひとつ前の2月2日から)「都合により出演できなくなり」同役を金子美香が歌唱を、再演演出の澤田康子が演技を務めた。《カルメン》初日(2021.7.3)と同じ状況。澤田の演技は見事で乳母そのもの。ただ金子はシモテの袖(客席からは見えない)で歌ったせいか、歌声がやや細めで本体(澤田)に見合わず(失礼)。他は基本的には初日と変わらない。序曲は初日よりまとまりはあった。ただ、オケはホルンやトランペット(トップ以外)のソロが不安定。弦の中低音は悪くないが、ヴァイオリン群がいまひとつの印象だった。《愛の妙薬》との連続上演が影響したのか。それから、第3幕だったか、舵手の鈴木准が他の船員たちに遊びで小突かれるシーンは、初日と違い、鈴木以外マスクを付けていた(感染力の強いオミクロン株への用心だろう)。