新国立劇場 オペラ《愛の妙薬》2022

愛の妙薬》の初日を観た(2月7日 月曜 19:00/新国立劇場オペラハウス)。劇場の初演は2010年4月、再演が13年1–2月、再再演18年3月で、今回が4回目。

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入国制限のため指揮は前日千穐楽を迎えた《さまよえるオランダ人》の代役に続き、ガエターノ・デスピノーサが務め、歌手は全員日本人の配役。結果は、素晴らしかった。このプロダクションを初めていいと思った。本や文字をベースとしたポップな美術で牧歌的ならぬ人工的なセット。これがあまり好みでなかったが、バスク地方のパストラルな雰囲気を、セットの代わりにオケが音楽でつくり出した。その効果なのか、人工的な美術がさほど気にならない。というか、ポップな舞台で織りなす喜劇をすんなり受け入れることができた。日本の歌手陣も健闘したが、何より、それを支えたデスピノーサの指揮が素晴らしい。柔らかで弾性のある音色(昨日と同じオケとは思えない)、絶妙なテンポ感や歌手への的確な指示、アッチェランドからクライマックスに至る衝迫(これが昨年〝ワグネリアン〟指揮の《チェネレントラ》に欠けていた)等々。デスピノーサはワーグナーも(特に第二幕)面白かったが、やはりイタオペが合っていた。水を得た魚とはこのことだ。学識はむろん大事だが、からだに染みついた感覚は掛け替えのない財産である。以下は簡単なメモ。

全2幕〈イタリア語上演/日本語及び英語字幕付〉令和2年度 文化庁 子供文化芸術活動支援事業/作曲:ガエターノ・ドニゼッティ/指揮:フランチェスコ・ランツィロッタ(入国制限措置等の諸般の事情により)→ガエターノ・デスピノーサ/演出:チェーザレ・リエヴィ/美術:ルイジ・ペーレゴ/衣裳:マリーナ・ルクサルド/照明:立田雄士/アディーナ:ジェシカ・アゾーディ(同前)→砂川涼子/ネモリーノ:アン・フランシスコ・ガテル(同前)→中井亮一/ベルコーレ:ブルーノ・タッディア(同前)→大西宇宙/ドゥルカマーラ:ロベルト・デ・カンディア(同前)→久保田真澄/ジャンネッタ:九嶋香奈枝/合唱:新国立劇場合唱団/管弦楽:東京交響楽団コンサートマスター:水谷 晃)

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アディーナの砂川涼子はアジリタを含め、きれいな歌唱。落ち着きもある。幕切れの最後の高音では少し息切れしたが(カーテンコールの悔し顔)、好かったと思う。中井亮一は、少し頭の弱いネモリーノ役がよく合っており、「人知れぬ涙」を役のなかで歌ったのは好印象。紙切れが上から落ちてくるあの場面、アルファベットの立体セットが置かれたままだった。従来〝何もない空間〟にもっと沢山の紙が降ってきた記憶がある…(感染リスク軽減のため?)。ベルコーレの大西宇宙はノリのよい動きで、歌唱も雄弁(アメリカ教育の賜物か)。演技は少し食み出し気味だが、好い。ドゥルカマーラの久保田真澄は歌唱も演技も大したもの。砂川、中井、久保田の好演を見るにつけ、藤原歌劇団の底力を感じた(ゼッダ先生の薫陶のお陰か)。唯一初演・再演の舞台を踏んだジャンネッタの九嶋香奈枝は、当たり前のようにしっかり役をこなした。

デスピノーサは、この公演が終わると2月18日に京都市響(首席客演指揮者は例のアクセルロッド)の定演で、3月3日に愛知県芸術劇場東芝グランドコンサート)で、さらに6月25日は群響の定演を高崎芸術劇場で、それぞれ指揮するらしい。アクセルロッドに引けを取らぬ大活躍だ。

彼はこのまま6月の群響定演まで日本に滞在するのか。まさかね。新国立の次回公演は3月10日の《椿姫》だ。HPで指揮は依然アンドリー・ユルケヴィッチのまま。ウクライナ人のユルケヴィッチはゼッダ等から学び、現在【元らしい】ポーランド国立歌劇場の音楽監督という。彼は3月初旬に来日できるのか。もしだめなら、ぜひデスピノーサに振ってほしい。ヴェルディはきっと得意のはず。たぶん劇場は、状況の推移をぎりぎりまで見定めているのだろう。