BCJ 定演 #131〈祈りのカンタータ〉/二つの震災を想起して【追記】

近年 BCJ の演奏には何度も心が動かされた。しかも強く。定演での受難曲やモーツァルトの《レクイエム》以外でも、ベートーヴェン《ミサ・ソレムニス》(2017.2)、モンテヴェルディ聖母マリアの夕べの祈り》(2017.9)、ベートーヴェン《第九》(2019.1)等々。が、なぜか感想をアップしていない。走り書きはあるが、まとめず仕舞い。だから今回は久し振り。どうも震災や死者に関わる舞台だとアップへの動機が強まるらしい。

BCJの定演を聴いた(3月3日 15:00/東京オペラシティ コンサートホール:タケミツ メモリアル)。

今月の定演〈祈りのカンタータ〉は、1995年1月の阪神淡路大震災および2011年3月の東日本大震災で犠牲となった人々に祈りを捧げ、来月の《マタイ受難曲》へと繋ぐ演奏会らしい。

冒頭の鈴木優人によるオルガン演奏は J. S. バッハ《ただ愛する神の力に委ねる者は》BWV 690, 691, 647, 642の4曲。特にBWV 642 のコラール旋律には圧倒された。

前半1曲目のカンタータ第150番《御身を、主よ、われは切に慕い求む》はバッハが22歳頃の作品。ブラームスが例の交響曲第4番フィナーレに取り入れたのは、第7曲「チャッコーナ」(シャコンヌ)の通奏低音だった。が、そう思って聴いてもあまりよく分からず(四つのシンフォニーでは4番が最も好きなのに)。

前半2曲目のカンタータ第12番《泣き、嘆き、憂い、怯え》は29歳頃の作でオーボエソロ(三宮正満)が大活躍。本作で多用された旋律の上昇(アナバシス)と下降(カタバシス)の意味については、鈴木雅明氏が巻頭言で詳しく分析している。いつもながら充実した文章。

休憩後はカンタータ第21番《わが心に 数多の思い煩い満ちたり》第3稿。第3曲のハナ・プラシコヴァ(ソプラノ)によるアリアは聞き応えがあった。彼女を初めて聞いたのは十数年前か。以来、来日を楽しみにしてきた。昨年11月《クリスマス・オラトリオ》で久し振りに聞くと、年齢からか少し高音がきつくなった印象も。今回は声がやや太くなったが、相変わらず清澄で美しい歌唱。第5曲のアリアでは、テノール(ユリウス・プファイファー)が「落つる辛き涙の河、/轟く激流となりて絶えず流るる」と歌う。このときヴァイオリン群は、歌詞の通り、身体を大きく揺らしながら激流のような音型を奏した。「嵐と大波にわれは苛まれ、/幾多の苦難を堪うる この海は/われより魂と生命の力を奪わんとす、/帆柱と錨も今まさに砕けんとし、/ここにわれ 水底まで沈み行き、/かしこには 口を開けし陰府の深淵が見ゆ」(藤原一弘訳、プログラム)。津波や水害のことが思わず頭に浮かんだジェシカ・ラング新国立劇場バレエ団に振り付けた『暗やみから解き放たれて』(2014)のことも】

第二部の第7曲からソプラノ(魂)とバス(イエス)の対話が続く。艶っぽいプラシコヴァと厳かだが温かみのある加耒徹(バス)の遣り取りは、ユーモラスでとても魅力的。恋する男女の対話にも聞こえる。第9曲では、コンチェルティスト(ソロイスト)が交互に歌うなか合唱がコラールを朗々と斉唱していく。この旋律は、冒頭のオルガン演奏を見事に想起させる。素晴らしいプログラミング(第二部の歌詞も引用したいが、プログラムの文語訳は名文すぎて意味がすぐに飲み込めない。特に魂とイエスの対話は口語訳ならいっそう楽しめるはずだが・・・)。

合唱はいつも通り素晴らしい。ロビン・ブレイズの明るく清潔なカウンターテナーは大好きだが、数年前から衰えを隠せない。幾分持ち直した時期もあったが、響きや声量の低下は致し方ないのかも知れない(特にこの音域は)。テノールゲルト・テュルクもそうだった。時間の中で生きる存在は永遠ではないのだ。