中村恩恵×新国立劇場バレエ団『ベートーヴェン・ソナタ』【訂正】

ベートーヴェンソナタ』の二日目を観た(3月19日 14:00/新国立中劇場)。
素晴らしい作品が誕生した。日本人の振付家が日本のバレエ団に振り付けた点も嬉しい(ナショナリスティックな意味ではまったくない)。今年はベートーヴェンづいている。まずは鈴木雅明率いるBCJの《ミサ・ソレムニス》(1月29日・2月3日/オペラシティ コンサートホール)。公開リハーサルと本番を両方聴いたが、すごい演奏だった(いまだにアップできずにいるが)。先週の新日本フィル定演では上岡敏之ベートーヴェン交響曲第1番を振った(3月17日/トリフォニーホール)。当日はシューマン交響曲第2番がメインだったが、前者が圧倒的によかった。聴く者をウキウキさせる音楽の喜びに溢れた演奏。さらにこのダンス/バレエ作品『ベートーヴェンソナタ』が加わった。以下、簡単にメモしたい。

振付:中村恩恵
音楽:ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770-1827)
音楽監修:野澤美香
照明:足立 恒
美術:瀬山葉子
衣裳:山田いずみ
舞台監督:森岡

ベートーヴェン:福岡雄大
カール:井澤 駿
ヨハンナ:本島美和
ジュリエッタ:米沢 唯
アントニエ:小野絢子
ルートヴィヒ:首藤康之

八幡顕光 貝川鐵夫 寺田亜沙子 福田圭吾
奥田花純 木下嘉人 五月女 遥 堀口 純 丸尾孝子 渡邊峻郁
清水裕三郎 中田実里 福田紘也 宝満直也 益田裕子
宇賀大将 小野寺 雄 関 晶帆 郄橋一輝 中島瑞生 盆子原美奈

第一幕。何もない空間に、白い大きな布が中央上部からシモテの床へ斜めに掛けられている。舟の帆のよう。プロローグ。白いコスチュームのダンサーたちが、客席から、両袖から、カミテ奥から、次々に現れる。なにかあったのか。互いに言葉を交わす。米沢/ジュリエッタだけ奥から不安そうに走ってくる。素足で。ルートヴィヒ(首藤康之)が黒服で椅子をもって登場。椅子に座り「喝采したまえ、諸君。喜劇は終わった」。ベートーヴェンの最後の言葉とされるフレーズ(本当は違うらしいが)。モーツァルトの『レクイエム』がピアノ独奏版で静かに流れる。おそらくベートーヴェンの弟子だったツェルニーの編曲だろう。首藤は座ったまま両掌を広げ、腕で踊る。とても印象的。白い上下を着たベートーヴェン(福岡)。二人とも時折手を耳に当てるのは聴覚障害の徴候を表すのだろう。ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンが死を目前に、自分の生を振り返るという趣向らしい。I ヴァイオリン・ソナタ第5番「春」第1楽章(Allegro ヘ長調)。ジュリエッタ(米沢)とベートーヴェン(福岡)が心地よい音楽に合わせ、気持ちよさそうに踊る。思わずこちらも笑顔になる。II ピアノ・ソナタ第14番「月光」第1楽章(Adagio sostenuto 嬰ハ短調)。この幻想曲風ソナタは十四歳年下の伯爵令嬢ジュリエッタに献呈された。ジュリエッタとルードヴィヒのパ・ド・ドゥ。素足の米沢と黒服の首藤の踊りは素晴らしい。言葉にできない何かが出ていた。グッときた。III 「エグモント」序曲。押さえつけるような重々しい音楽のなか、カミテ奥から八幡をはじめ6人の男性が走ってきて、踊る。処刑を思わせる響きと共に倒れる八幡。その後、男たちが駆けてきて八幡を担ぎ上げ、連れ去る。やがて、カミテ奥にテーブルと椅子が持ち込まれ、白いドアが現れ、上からシャンデリアが降りてくる。つまり、あの勝利を歌い上げるコーダの音楽は、なんと、次の家族の食卓場面への転換に用いられたのだ。素晴らしい発想。IV 弦楽四重奏曲 第9番。父(貝川)、母(丸尾)、兄弟(宝満)、姉妹(堀口)の四人がテーブルに着き、正面(客席)を向いて食事をする。その動きは戯画的で少しグロテスクですらある。音楽の後半もわざと歪ませていた。カミテ手前の椅子に暗い顔で座っているルートヴィヒ。プティ版『こうもり』の食卓を想起したが、中村恩恵ならキリアンの『フィガロの結婚』というべきか(18世紀の宮廷を思わせる白いコスチュームはたしかに似ている)。いずれにせよ、これを、家族に対するルートヴィヒの苦々しさや不満を表出する手段として巧みに利用した手腕は見事。V 弦楽四重奏曲 第7番。使われたのは第3楽章(Adagio molto e mesto ヘ短調)か。アントニエ(小野)とベートーヴェン(福岡)のオーソドックスなパ・ド・ドゥ。それをカミテ奥から見ていたルートヴィヒが抑制する。VI ピアノ・ソナタ第25番。ふたり(自分と自分)の葛藤。白い布は落とされ、奥にグランドピアノが見える。そこでピアノを弾くベートーヴェン・・・。
ここで休憩25分。
第二幕。コスチュームは第一幕の白から黒の基調に変わる。I 交響曲第7番 第2楽章(Allegretto イ短調)。男女12人の踊り。II 弦楽四重奏曲 第15番 第1楽章(Assai sostenuto - Allegro イ短調)?【第5楽章(Allegro appassionato イ短調)だった】 「弟の[ヨハンナとの]結婚は、彼の愚かさだけでなく不道徳性を示している」。ベートーヴェンの甥カール(井澤)とその母ヨハンナ(本島)をめぐる奇妙な三角関係。鏡。ちょっとややこしい。III ピアノ・ソナタ 第31番 たぶん第3楽章(Adagio, ma non troppo - Fuga. Allegro, ma non troppo 変イ長調)。鏡の向こうでベートーヴェンがヨハンナの服を脱がしていく。あとからルートヴィヒ(首藤)が入れ替わり上半身裸の姿で手前に出てくる。カミテ手前の椅子に座ったカールは拳銃で自殺を図る。IV 交響曲 第9番 フィナーレ。10人の男性がありきたりではない音取りで踊る。が、声楽が入る(つまり歓喜の歌の)前に音が途切れはじめ、やがて無音になる。耳が聞こえなくなったベートーヴェン。第9をこのように使うとは、秀逸。V 弦楽四重奏曲 第15番 第3楽章「快癒に際して神への聖なる感謝の歌、リディア調で」(Molto Adagio - Andante ヘ調)。生涯に関わったすべての人々が姿を現す。ただし、遠近法で。ややシモテ寄りの奥に両親や兄妹たち。近くにはアントニエやジュリエッタやカールらが居る。まもなく生を終える人間に走馬燈のように明滅する人々の姿。こうした男女との愛憎入り交じった関わりが楽聖の芸術を創り上げたのか。カミテ手前の椅子にはルートヴィヒではなくベートーヴェンが座っている。前者は人々の中へ赴くがやがて諦めたようにそこから離れ、奥へ遠ざかる。このときの首藤/ルートヴィヒの少し老いたあり方にグッときた。悲しさのなかに、救いのようなものも感じる。「聖なる感謝」と題されたコラールのような響きをもつ音楽がその感情を助長する(この四重奏曲はT. S. エリオットが長編詩『四つの四重奏』を創作するきっかけになったらしい)。首藤は奥からベッド(死の床か)を中央まで引いてくる。この間、人々は次々に姿を消していく。最後に残ったベートーヴェンとルートヴィヒ。ルートヴィヒはベートーヴェンをベッドへ横たえようとするが、彼は力強く拒否する。やがて、ベートーヴェンはルートヴィヒに頭を押さえつけられ仕方なく横たわる。ルートヴィヒはカミテ手前の椅子に身体を丸めうずくまる。まずベッドへの照明が消え、やがて、椅子を照らす光も消滅し、闇になる。グッときた。かなりきた。ラストの両者のやりとりは、人が死を受け入れていく内的プロセスを見事に舞台化したものだ。久々に素晴らしい舞台を体験した。レパートリー化すれば、バレエ団の宝になるだろう。選曲も的確で、振り付けも「いわゆる」を免れている。資料をしっかり読み込み、労力を惜しまなかったことがよく分かる。前日に神奈川県民ホールで結局は平凡な《魔笛》を見せられただけに(東バのダンサーやナレーターはよくやったが振付・演出が、オケを除く音楽陣が・・・)、本作の創造性の高さがよけい嬉しかった。