日本バレエ協会『ライモンダ』全幕 2018/別次元の米沢唯&献身的な芳賀望

2018 都民芸術フェスティバル参加公演『ライモンダ』2日目のマチネとソワレを観た(3月11日 13:00, 18:00/東京文化会館)。
本作の全幕を見るのは九年振り。とはいえ見たのはほとんど牧阿佐美の新国立版(2004年10月、06年10月、09年2月)で、別ヴァージョンは05年7月のABT(アナ=マリー・ホームズ)版ぐらい。元々『ライモンダ』はパシュコーワの台本にドラマの一貫性が乏しいせいか、様々な版が存在しているようだ。今回のエリダール・アリーエフによる新版は、新国立版に馴染んだ眼には、アブドゥルラクマンの造形など奥行きある演出が新鮮に見える。ただし初演時に登場した「白い貴婦人」は新国立版同様カットされていた(ABT版には登場)。

『ライモンダ』(1898年初演)
音楽:アレクサンドル・グラズノフ
原振付:マリウス・プティパ
新振付/演出:エリダール・アリーエフ(ウラジオストクマリインスキー劇場バレエ芸術監督)
指揮:アレクセイ・バクラン
管弦楽:ジャパン・バレエ・オーケストラ(コンサートマスター:高木和弘)


2018都民芸術フェスティバル主催:公益財団法人東京都歴史文化財団

【マチネ】
ライモンダ:米沢 唯
ジャン・ド・ブリエンヌ:芳賀 望
アブドゥルラクマン:高比良 洋
ほか

マチネは1F 16列の左寄りから。
第一幕はシヴィル・ド・ドリ伯爵夫人の城内。カミテに玉座、正面奥には十字軍遠征(?)を描いた壁画。夫人の姪ライモンダの〝名の日の祝い〟が催されるところ(チェーホフの『三人姉妹』[1901]もイリーナの名の日から始まる)。タイトルロールの米沢唯は床に置かれた花を一輪ずつ拾いながら入ってくる(冒頭から『眠れる森の美女』によく似た趣向)。最初のソロはリリカルで初々しい。そこへ婚約者の騎士ジャン・ド・ブリエンヌ(芳賀望)が白髪混じりの従者(柴田英悟)の先触れののち登場。久し振りに芳賀を見た。[ハンガリーの国王]アンドレイ二世(本田実男)が、ジャンの指揮下で異教徒討伐[十字軍の遠征]に赴くよう、剣を用いた仰々しい騎士道の身振りで命ずる。・・・宴は終わり、ライモンダと友人4人が残る。カミテの椅子に座り小型のハープ[リュート]を奏でるライモンダ。米沢の指使いは半端ではなく、本当に弾いているかのよう。友人ら(奥田花純・江本拓/竹内菜那子・吉田邑那)の踊り。奥田らのしっかりした踊り。次はショール[スカーフ]を使ったライモンダのていねいな踊り。やがて一人になり、眠り、夢を見る。
転換。霧(スモーク)が立ち籠め、場面は森の中へ。向こうに城が見える。ジャン・ド・ブリエンヌと配下の騎士や女性たち。彼女らは小さな翼の付いた兜を冠っている。戦乙女(ヴァルキューレ)みたいだが、プログラムによれば「天女」らしい(〝有翼の女性〟からギリシア神話勝利の女神「ニケ/ナイキ」では、と知人)。ジャンがライモンダを何度もリフトし、踊る。芳賀のサポートは思いの外よい(失礼)。芳賀が醸し出す和んだムードから、思わずこちらも頬が緩む。芳賀ジャンが作り出すやわらかな空気のなかで、米沢ライモンダの身体もやわらかなまま踊っている。そう見える。正面中央奥に立つ芳賀ジャンに見守られ、ヴァリエーションを踊る米沢ライモンダ。片方の脚を横に開き・・・難しいそうな振りもなんなく踊っていく。それは最初のリリシズムとは異なる踊りぶり。・・・突然、舞台が暗くなり、行く手(カミテ)に異様な人物(川島春生)が立ちはだかる。それを避け、ジャンが居た正面奥へ進むと・・・ジャンではなく、サラセン人の男アブドゥルラクマン(高比良洋)が忽然と現れる。ライモンダに言い寄る〝黒い〟異人種の男[サラセン人=アラブ人/イスラム教徒が黒いとは限らぬが]。高比良アブドゥルラクマンと米沢ライモンダの絡みは、前者が後者を激しくリフトする度に、後者の両脚が宙に高く投げ出される。その白さが暗闇を引き裂く残像は、鮮烈かつ官能的。婚約者とのアダージョとは対照的に妖しい空気が漂う。アブドゥルラクマンの召使い(川島)の存在も効果的。この場面はライモンダの無意識をあれこれ想像させる余地があり、よい演出・振付だと思う[プティパの当初の計画も、この演出同様、アブドゥルラクマンの登場はライモンダの夢が最初のはずだった。が、本役のパーヴェル・ゲルトは「初登場が誰かの悪夢の中なんて嫌だ」と劇場支配人のフセヴォロジスキーに文句をつけた。そこでプティパとグラズノフは一幕の宴席に彼が押しかける場をやむなく追加。結局これが初演(1898)となったが、プティパは大いに不満だったらしい(プティパ協会のHP)。ちなみにフロイトの『夢判断』は1900年出版]。やがて元の場に転換し、ライモンダは目を覚ます・・・。他のダンサーでは、夢の場で笑顔を絶やさない清水あゆみ(天女 ソリスト)の踊りが印象的。
第二幕。同じ城の中庭。シモテに玉座。正面奥は外に開けている。祝宴の場[ジャンの帰還を祝う]。カミテにジャンからの手紙を嬉しそうに見ているライモンダと友人たち。音楽はサラセンの王たちの来訪を告げているが、手紙を読み続けるライモンダ。ほどなくアブドゥルラクマンに気づく。そのときのライモンダ米沢の表情が絶妙だった。「ああ夢のなかで見たあの男だわ」。が、シヴィル伯爵夫人(テーラー麻衣)に礼を尽くすよう言われ、不安は胸に押し込み、外にはっきり出すことはない。この男が見つめるなかでライモンダはソロを踊る。この踊りはもう素晴らしいとしかいいようがない。特にあの両ポワントで軽やかに跳ね(シャンジュマン? アントルシャ?)ながら進む踊りは! 他の難しい振りを含め、切れ目のないシークエンスとして踊る。そこから香り立つ高雅さは無類だった。これではサラセンの王でなくとも釘付けだろう。強烈に求愛する男から奴隷たちを全部あげると言われても、結構です、とさらっと断るライモンダ。この身振りも、異教徒とはいえ客人である王[騎士]への礼儀を失わないあり方。高比良のアブドゥルラクマンは思い切りのよい演技と大きな踊りで見応えがあった。ただ悪を演じるのではない。アブドゥルラクマンは何度もライモンダにアタックするが色よい反応は得られない。そこでやむなく拉致に至る。そう思わせたのは、ライモンダに惚れたサラセンの王をよく生きたからだろう。キャラクターダンスはいずれも切れ味がよく、コスチュームを含め、楽しめた。一幕ではエンリエットの竹内菜那子のよさが分からなかったが、二幕では鷹揚で大きく踊るなど小器用ではない点がかえって好ましく感じられた。
第三幕。城内での結婚式。・・・イングリッシュホルンの奏するテーマが聞こえるとゾクゾクする。芳賀はさほど高さはないがまずまずのリフト。・・・芳賀のヴァリエーション。よく踊ったと思う。カンパニーに属さず一定の質を保つのは容易でないはず。舞台を汚さぬよう必死で踊っている。そう見えた。米沢のヴァリエーション(ピアノ)。音を立てないで手を打つやり方。片手を頭の後ろへ引くハンガリー風のポーズ等々。どこまでも瑞々しく、つややかで、ゆったりした踊り。気品の高さが尋常ではない。なにかに捧げているかのよう。・・・芳賀は少し脚にきている感じもあったが、最後までタイトルロールを立てるあり方に徹していた。ギャロップは好きなのだがこの版ではカットされていた。
バクランはしっかり音楽を作っていた。オケは選抜らしいが悪くない(欲を言えばヴァイオリンソロはもう少し輝きがほしいところ)。演出は舞台セット・衣装等と相俟って奥行きのある舞台を作り上げていた。
カーテンコールで振付・演出のアリーエフは米沢にハグ。彼女の踊りに驚いたのではないか。数回のコール後、芳賀(とアリーエフ)は米沢ひとりにレベランスさせた。恥ずかしそうにしていたが。ここ一年ほどの間、米沢唯はいろんな壁に直面し、それをひとつずつ乗り越えていった。昨年「バレエ・プリンセス」(7月20日/新宿文化センター)を見た時その兆しを感じたのだが、いまや、彼女はさらに別次元の境位に達している。この舞台を見ながら、つくづくそう思った。

【ソワレ】
ライモンダ:酒井はな
ジャン・ド・ブリエンヌ:浅田良和
アブドゥルラクマン:福岡雄大
ほか

ソワレは1F 10列目の中央から。こちらは簡単にメモする。
酒井はなを久し振りに見た。第一幕は身体の動きが硬い。やはり所属がないと公演回数が限定されるため、その影響もあるのか(新国立の時もその傾向はあったが)。ジャン・ド・ブリエンヌ(浅田良和)が去っていくときライモンダ酒井は悲しげな表情を見せた(10列からだとよく見える)。夢の場。ジャン浅田にリフトされて踊る。やはり硬い。が、アブドゥルラクマン(福岡雄大)との絡みは悪くない。相性がいいのか。天女のソリストは堀口純と仙頭由貴。ともに新国立退団組だが、さすがにしっかりした踊り(イーグリング版『くるみ』のシュタルバウム夫人の仙頭は印象的だった)。第二幕。ジャンの帰還の知らせを喜んでいるライモンダ酒井がアブドゥルラクマンに再会したときの表情は「嫌」。胸に収めようとするが収めきれない(米沢との違いが興味深い)。その後、踊ったり、リフトされる度にはっきり嫌悪感を表すライモンダ酒井。サラセンのソリスト牧村直紀と渡久地真理子はキレキレだった。福岡のアブドゥルラクマンは悪くはないが、マチネでの高比良の残像がある分、少し物足りない。いわゆる〝悪役〟を演じているように見える。ただ、酒井と福岡の絡みでは、フィクション上は前者が後者を嫌悪しているにもかかわらず、踊りの相性はよさそうに見えた。第三幕。ライモンダ酒井は少し精神的に不安定な印象。正面奥から登場する時、ジャンと顔を見合わせ微笑むが、その分、腕の振りのタイミングがずれたように見えた。アダージョを踊る前、とても嬉しそうな表情を見せた。時折笑みを浮かべるのはよいのだが、少しフィクションからはみ出し気味(本演目は新国立時代に踊る機会がありながら叶わなかったことと関係あるのか)。ジャン浅田の肩に乗せるリフトはとてもよい。浅田のヴァリエーションはダイナミックで見事だが、騎士のノーブルさがほしい。酒井のヴァリエーションはよいと思う。