F/T12 イェリネク『光のない II —エピローグ?』 ツアーパフォーマンス/新橋からフクシマを視る/充実した演劇体験

『光のない II —エピローグ?』を観た(11月10日/新橋駅周辺)。というより聴いた、もしくは参加したというべきか。

作:エルフリーデ・イェリネク
翻訳:林 立騎
構成・演出:高山 明
写真:土屋紳一
舞台監督:清水義幸(カフンタ)
装置:江連亜花里(カフンタ)
衣裳:有島由生(カフンタ)
技術:井上達夫
記録写真:蓮沼昌宏
プロジェクトアドバイザー:猪股 剛
声の出演:福島の中高生

ポストカードに記された地図と道順/写真をたよりに新橋の街中に設定された12カ所を訪れ、手渡されたラジオの周波数をその場で合わせイヤフォンでイェリネクのテクストを聴く。「ツアーパフォーマンス」。朗読しているのは若い素人の女性(後にいわき総合高校演劇部の生徒たちだと知った)。東京の街から福島を視る。東京もフクシマになるかも知れないという思い。ポイントで居合わせる他の〝観客〟(参加者)への妙な感覚。きわめてゆるやかな連帯感? イヤフォンで聴くイェリネクのテクスト(声)が、何の変哲もない空き地や、街の風景に意味を与え、その場をフクシマにダブらせる。
ニュー新橋ビルの3階で受付を終え、スタート。地図を見ながら、まずは東電本社の向かいにある内幸町ホールの小高い庭園に辿り着く。赤く塗られた角のようなオブジェが五本立っている。早速カードに記された周波数に合わせる。いたいけな声で朗読されるイェリネクのテクストを聴きながら、何度も向かい側の東電に聳える紅白の鉄塔に目をやった。なるほど、こういうことか。次は古い小さなビルの4階にある一室。畳の部屋に寝具が敷かれ、近くに目覚まし時計、アイロン、空気清浄機等が見える。主は着の身着のまま慌てて飛び出したかのよう。障子に映った衣類の影を見ながら、また電波を合わせ、声を聴く。こんなふうに、新橋の雑踏を歩きながら、指定された場所を訪ねていく。「声」をじっくり聴いた所為か、次第にあとからスタートした参加者が追いついてくる。7番目のポイントは「神山産業株式会社ショールーム」前。ウィンドウにはマネキンが着た防護服や放射能測定器らしきものが陳列されている。すると、イヤホンから声がする——

そしてあの男たちは働き続ける、彼らは知らない、自分たちがどうなるか、のちのちどうなるか、彼らは知らない、誰のためか、上司は目の前にいる、だが上司にはまた上司がいる、塔のように重なる食卓布、一人の上にもう一人がいる、もう誰もわからない、自分は誰か、誰のために働くのか、作業員は積まれ、洗われ、乾かされる、そして必要なときに取り出される。どのみち四時間しかもたない、そして終われば、使い終えれば、また新しいものが取り出される。食べるために働きたい者はいくらでもいる。なにをすればいいか、どこで食事を摂るか、彼らは言われる。一つ一つ事前に言われる、なぜなら急がねばならない、目に見えないものを今度も逃れられるように。まさにそれは目に見えないから。彼らは尽きない、この男たちは。彼らの上には塔のように高くさまざまな企業が積み重なる、彼らは互いに男たちを貸し合う、また別の企業に貸す、そしてまた別の企業に貸す、一度は貸し出したことのある人間しか残らなくなるまで、もう誰も貸付料を払わなくなるまで。一体誰に貸すのか。もうずっと前からわからない、この男たちが誰のものか! 彼らは結局はすぐ壊れる・・・。

——ショールーム前を歩いていく人々が、企業に「貸し出」される「男たち」と重なって見えはじめる。グッときた。次に訪れたビル3階の一室は、「食べるために働きたい」男の部屋、「貸し出」された男の部屋だ。が、もちろん男はいない。どこへ行ったのか。あるいは、小さな砂場が中央に設置された部屋。ただし、室内の壁や入り口はすべてビニールで覆われている。まるでビール掛けをする祝勝会場のよう。ビルの隙間に作られた「空き地」には青いビニールで覆った盛り土があり、「入らないでください」の札が。ここで、通りかかった変なおじさんが「なに、なに? なにがあるの?」と近寄ってきた。そのときイヤフォンを付けて「空き地」に見入る参加者が四人ぐらいいたのだ。向こうから見れば、われわれの方がよほど「変」だったろう。廃屋のようなうす暗い空間の地面にカセットレコーダーが埋まっていて、そこから「声」が聞こえる。音が小さいため、みなしゃがんで聴いた。まるで、死者の声を聴き取ろうとするかのように。最後は夕暮れのSL広場で大勢の人々を見ながら、新橋の街が、東京が、異化された。17時過ぎ。15時スタートだから2時間強のツアー。さすがに疲れたが、たいへん興味深く、充実した〝演劇体験〟だった。