こまばアゴラ演出家コンクール 一次審査 2018

劇場支援会員限定公演「こまばアゴラ演出家コンクール」の一次審査を観た(5月11日 17:30-21:00/こまばアゴラ劇場)。今年度初めて支援会員になったのはこれが目当てだった。
実行委員会によれば、100名を越える応募者から二段階の書類(資料・映像等)審査を経て、7名が一次審査(上演審査)に進出。課題戯曲は一週間前に、抜粋箇所と翻訳者は一次審査当日の朝に発表。俳優(青年団・無隣館)も「主催者側が指定する組み合わせの中から」当日朝に抽選で決定。公平性への配慮がかなり徹底している(http://www.komaba-agora.com/play/6144)。

□課題戯曲

一次審査:古典戯曲から一部抜粋(上演時間:最長20分)
ヘンリック・イプセン『ヘッダ・ガブラー』より抜粋
岡本昌也(安住の地)
小原 花
蜂巣もも(グループ・野原/青年団 演出部)
和田ながら(したため)


アントン・チェーホフ『かもめ』より抜粋
出井友加里(ティッシュの会)
額田大志(ヌトミック/東京塩麹
野村眞人(劇団速度)

(五十音順)

上演を見ながら、テクスト(全体)を読み込まなくてもよいのかとの疑問が何度も湧いた。全幕台本から抜き出した部分を、そこだけ面白おかしく、奇抜に上演すればよいのかと。
以下、上演順に簡単にメモする。
なお、『ヘッダ・ガブラー』(毛利三彌訳)の抜粋箇所は、第一幕で新婚旅行から帰宅したヘッダとテスマン夫妻の留守宅へ花束を置いていったエルヴステード夫人が再度訪ねてくる場面。エルヴステードはヘッダの学校の後輩だが、以前ヘッダが付き合っていたリェールボルグを追って町に来たらしい……。
『かもめ』(神西清訳)の抜粋箇所は第三幕後半、自殺未遂のトレープレフが母アルカージナと仲直りするところへ、母の愛人トリゴーリンが自作のページをめくりながら登場する場面。そのページには若いニーナの愛のメッセージが記されている……。

1.蜂巣もも(『ヘッダ・ガブラー』)――箱馬と椅子を用い、ヘッダは高い段上で、エルヴステード夫人は下で演技する。舞台に上がらず袖から首だけ出して発話するヘッダの夫テスマンには笑いが出た(まったく笑えなかったが)。壇上でほとんど動かず正面を向いて発話する女優(能島瑞穂)はやりにくそうに見えた。空間の使い方は理解できるがやや図式的。
2.岡本昌也(『ヘッダ・ガブラー』)――ここでもテスマン(吉田庸)は姿さえ見せず、袖でぶっきら棒にまくし立てる声だけが聞こえる。だが、ライバルのリェールボルグが町に来ていることを知り、舞台に上がって何度か倒れるテスマン(チューリッヒ歌劇場の《ばらの騎士》終幕でマルシャリンを転ばせるベヒトルフ演出を思い出した)。それをスカートで観客から隠そうとするヘッダ(この意味を上演後に説明していたが……)。途中でヘッダが箱馬を打ち鳴らす音を合図に椅子取りゲームに興じるテスマンとエルヴステード夫人……。ついていけない。そもそもヘッダのキャラ造形はあれでよいのか。
3.出井友加里(『かもめ』)――アルカージナにトレープレフが包帯を換えてもらおうとするが、服の何か(?)が気になるメガネの母。息子はマザコン。……そこへ短パン姿で本を読みながらトリゴーリン(山内健司)が登場すると、一気に客を引き込んだ。ゆるキャラ造形だが、たしかに作家に見える。対話も面白い。もっとも身体がほぐれた舞台。ただ(後の講評で柳美里も言うように)演出の力なのか役者の存在感ゆえなのかは分からない。難点は山内の登場で、前半の印象が薄れたこと。だが、もう一度見たいと思った唯一の舞台なので、観客賞に一票入れた(実らなかったが)。
4.和田ながら(『ヘッダ・ガブラー』)――しっかりしたまっとうな対話劇。ヘッダとエルブステード夫人の対話の間、テスマンが上手の舞台下から紙ヒコーキを作り二人の方へ飛ばす。が、まともに飛ばない。
〔20分休憩〕
5.野村眞人(『かもめ』)――無言で役者が一人ずつ登場して会釈し退場する。これを三人の役者が入れ替わりおこない、二人が鉢合わせたところで劇が始まる。セリフをいったんバラして再構成したのは、興味深い。男二人のやりとりはよいが、アルカージナ(母)はあれでよいのか。そもそも、アルカージナ役の女優が母としては若いため、このような演出になったのか。
6.小原 花(『ヘッダ・ガブラー』)――きわめてオーソドックス。テスマンは面白いが、ここでもヘッダのキャラ造形に疑問がある。
7.額田大志(『かもめ』)――ハチャメチャ。丸めた紙片や本で散乱した舞台。トリゴーリンが本を咥えたまま髪を振り乱してセリフを吐く(古谷隆太だったのか)。舞台を野獣のように這いずり回りながら。アルカージナ(松田弘子)も得意なダンスの動きから同様の四つ足歩行に。この状況にトレープレフ(二日前まで『GHOSTS』に出ていた森一生)が客席側から登場し、這っているアルカージナに話しかける。すると、セリフによっては異化され爆笑を誘う。ワニ等の爬虫類が這いずり回る舞台から、トレープレフが恐れをなしてバルコニーの手摺に掴まり、逃げようとする。若いトレープレフと、トリゴーリンやアルカージナの住む世界の違い(この化け物たちにはとてもかなわない?/こうは絶対になりなくない?)を表象しているといえなくもないが。

個人的には、出井、和田、野村の舞台を評価した。が、観客賞の投票結果は、和田、野村の両名が同数で二人受賞。一次審査通過者は、和田、野村、額田だった。額田氏が入るところに、チケットを買うかどうかで判断する観客と、審査員との相違があるのか。そもそもテクストをあそこまで改変し削ってよいのか。そこで、あらかじめ示されていた基準を見ると、以下の通り。

□審査基準
以下三つの能力について、現時点だけではなく、将来性も加味して審査します。
1. 体、言葉、空間を制御する技術
2. 独創的・批評的な感性
3. はじめて仕事をする俳優たちとのコミュニケーション能力

なるほど、テクストの処理については言及がない。
額田演出については、俳優にあそこまでハチャメチャな演技をさせるには、たしかにコミュニケーション能力がなければありえない。
応募者たちは、上記の3点だけが問われると割り切って、本の全体像や作者が目指したキャラ設定などはとりあえず無視して演出したのだろうか。それともオペラ演出のような「読み替え」を志向した? 個人的な好みとしては、まっとうな対話劇を見たいと思った。といっても、ただオーソドックスにやればよいというものではない。作品をいったんバラバラに(分析)し尽くしたうえで、あらためて再構築したような対話劇を。
一次審査の結果発表後、二次審査の課題戯曲が発表された。シェイクスピアの『お気に召すまま』(松岡和子訳)とのこと。二次審査については後ほどアップする。
こまばアゴラ演出家コンクール 二次審査 2018 - 劇場文化のフィールドワーク