マクミランの『グローリア』とツィンマーマンの『ある若き詩人のためのレクイエム』

ケネス・マクミラン振付の『グローリア』初日を観た(8月21日 18:30/新国立中劇場)その二日後に、ベルント・アロイス・ツィンマーマンの《ある若き詩人のためのレクイエム》を聴いた(8月23日 18:00/サントリーホール)。
共に日本初演であり、「戦争」と「平和」(への祈り)に関わる演目なので、併せてメモする。

【ミックス・プログラム】
『グローリア』(1980)
振付:ケネス・マクミラン
音楽:フランシス・プーランク
ステイジド・バイ:アントニー・ダウスン
美術:アンディー・クルンダー
芸術監督:小林紀子
監修:デボラ・マクミラン
ゲスト・バレエマスター:アントニー・ダウソン
指揮:ポール・ストバート
演奏:東京ニューフィルハーモニック管弦楽団
合唱:武蔵野音楽大学グローリア合唱団(指揮:横山修司)
出演:島添亮子、ロマン・ラツィック(ウィーン国立歌劇場バレエ)、エステバン・ベルランガ(スペイン国立ダンスカンパニー)、後藤和雄、高橋怜子、恵谷彰、大森結城、冨川直樹、村山亮、澤田展生、萱嶋みゆき、真野琴絵ほか
助成:平成27年度トップレベルの舞台芸術創造事業

第一次大戦をモチーフにしたバレエ『グローリア』の着想は、ヴェラ・ブリテンの自叙伝『青春の遺言』(1933)から得たらしい。創作の背景には、マクミランの父が第一次大戦に従軍し、塹壕での毒ガス被害により健康のみならず家族生活も台無しにされた事実があるようだ。

セットは後方に盛り上がった丘と鉄骨のような枠があるだけ。塹壕のようにも見える。合唱はオケピット両端上の舞台袖に2列で18名ずつハの字型に並び、ソロソプラノは下手の列の右端に立つ。フランシス・プーランクの《グローリア》(初演1961)に合わせて、男女が様々に踊る。ヘルメットを被った男たちは兵士だろう。男たちを慰撫するように踊る女たちは彼らの恋人のスピリット? 天使? 戦争により青春を奪われた若い男女の亡霊が感情を押し殺して踊っているようにも見える。マクミラン独特の動きが至るところで散見され、『マノン』3幕の流刑の女たちを彷彿させる部分等もあった。男女のペアの踊り。男二人と女一人の踊り。群舞等々。最後はみな丘の向こうへ去って行く。最後に残った一人の男は、ソプラノソロの「アーメン」と共に、投身自殺のように丘から向こうへ飛び降りる。けっこう快活さも感じる楽曲だが、舞台ではかなり深刻に響く。ソプラノソロの國光ともこは強度というか厳しさのある歌声で好演した。合唱も悪くない。ただ、舞台全体からはさほど強度を感じない。
プログラムにはヴェラ・ブリテン(1893-1970)の詩「戦争の世代:アヴェ」が原文のまま掲載されている。だが、バレエからは、むしろエドマンド・ブランデンの「経験についての報告」(1929)を想起した。
ブランデン(1896-1974)はブリテンと同世代の英詩人で、第一次大戦に砲兵中尉として従軍した「経験」をもつ。この詩では、緑の国土が銃や地雷によって台無しにされ、ネズミや鷹も追い出され、天使のような美しい女性が売春に身をやつした等と、詩人の見聞した事実が報告される。初めは、スタンザの末尾で「これはかつて聞いた話とは違う」と否定的な反応が記されるが、続くスタンザから「神よ我らすべてに祝福を、これは神の独特の恩寵であった」とキリスト者としてのポジティヴな解釈が付加される。さらには「私はこれを新たな事と受けとった」と。しかし、行間には、従軍等で経験した〝不条理〟への怒りと、〝神の義しさ〟への信仰との間で藻掻いた形跡が読みとれる。
一方、マクミランの作品にそうした葛藤は見出せない。戦争の惨禍を神の栄光を賛美する音楽で舞台化すれば、当然ながらアイロニーがつきまとう。戦争が若者たちの青春を無残にも奪っていくのに、「いと高き処には、神に栄光あれ」(Gloria in excelsis Deo )とか「我らをあわれみたまえ」(miserere nobis)と歌われると、至高の存在に懐疑心が湧いてくる。すべてを見そなわす神は何もしなかったのか、と。後半で、男が客席を何度か指さす仕草が見られたが、あまりぴんと来なかった。あれは傍観者批判なのか。舞台にもっと高い密度や強度があれば、あるいは劇場を取り巻くこの国の状況を照射しえたのかも知れない。(他の二作『ソワレ・ミュージカル』と『Raymonda Act III』は、残念ながら、とても「トップレベルの舞台芸術」といえる出来ではなかった。)

【サマーフェスティバル 2015】
トーク 大野和士×長木誠司
B.A.ツィンマーマン(1918-70)《ある若き詩人のためのレクイエム》
ナレーター、ソプラノおよびバス独唱、3部の合唱、オーケストラ、ジャズ・コンボ、オルガン、電子音響のための、テクスト、様々な詩人、ラジオ通報およびラジオ報道に基づくリンガル(言語作品)(1967-69)日本初演


指揮:大野和士
ナレーター:長谷川初範、塩田泰久
ソプラノ:森川栄子
バリトン:大沼 徹
合唱:新国立劇場合唱団
管弦楽東京都交響楽団
大石将紀、西本 淳(サクソフォン)、堀 雅貴(マンドリン)、大田智美(アコーディオン)、長尾洋史、秋山友貴(ピアノ)、大木麻理(オルガン)
ジャズ・コンボ:スガダイロー・クインテット
スガダイロー(ピアノ)、吉田隆一(サクソフォン)、類家心平(トランペット)、東保 光(ベース)、服部マサツグ(ドラム)
エレクトロニクス:有馬純寿

字幕映像:原島大輔
舞台監督:井清俊博

主催:公益財団法人サントリー芸術財団
協賛:サントリーホールディングス株式会社
助成:芸術文化振興基金
制作協力:東京コンサーツ

新国立劇場でオペラ《軍人たち》を聴いたときは(2008)さほどでもなかった。が、昨年メッツマッハーが新日本フィルを相手にツィンマーマン作品を、トランペット協奏曲 ハ長調「誰も知らない私の悩み」(1954)、管弦楽のスケッチ「静寂と反転」(1970)日本初演、オーケストラのためのプレリュード「フォトプトシス」(1968)日本初演、ユビュ王の晩餐のための音楽――7部とアントレからなるバレエ・ノワール(1966)、と集中的に取り上げ、特に《私は改めて、太陽の下に行われる虐げのすべてを見た――2人の話者、バス独唱、オーケストラのための“福音宣教的アクション Ekklesiastische Aktion”》(1970)の日本初演を聴いて以来、この作曲家に強い感心を抱くようになった。
開演時間後に今回のプロデューサーを務めた長木誠司氏と指揮者の大野和士氏のトークが20分ほど行われた。様々なテクスト(声)が錯綜する驚異的な本作を初めて聴くうえで、助けになる対談だった。
舞台にはヴァイオリンとヴィオラを除くオーケストラにジャズのクインテットとピアノが二台。3部の合唱は四つに分かれ、オケを後方から見下ろす正面のPブロック(I)と二階席Cブロックの後方に男声および少数の女性合唱(II)が、二階の左右Bブロックに男声合唱(III)が陣取り、正面以外の3カ所にはそれぞれ合唱指揮者が配されている。正面のパイプオルガン上方にスクリーンが設置され、ここに字幕が映し出される(欧米での上演では無いらしい)。8チャンネルのスピーカーが客席を取り囲み、ここから電子音響、詩人や哲学者や思想家の言葉をはじめ、宗教家や政治家(独裁者を含む)の演説などが聞こえてくる。使用言語は、ドイツ語、ラテン語ギリシャ語、英語、フランス語、ハンガリー語チェコ語、ロシア語とのこと(作曲者ノート)。すべてを聞き分けるのはまず不可能だ。二人のナレーターは、ドイツ基本法憲法)と『毛沢東語録』、そしてマヤコフスキーの『エセーニン追悼』を日本語訳で語り、その際、スクリーンには原文の字幕が映し出される(他にも字幕には様々な工夫があった)。ソプラノとバスの独唱はパウンド、ヴェレシュ、マヤコフスキーの詩文等を歌う。
冒頭、低い電子音が響くなか、アウグスティヌスの『告白』における言語に関する一節がドイツ語でスピーカーから聞こえてくる。やがて、それはヴィトゲンシュタインによる引用であることが、「言語ゲーム」についての条りで判明。さらにジョイスの『ユリシーズ』最終挿話のモリーの(夢の?)独白も前の言葉に重なって聞こえてくる(例の「イエス」という言葉が反復される句読点のない末尾)・・・。このように、さまざまな言説が多重に交差するなか、時折、左右や前後の合唱からラテン語でミサやレクイエムの式文がしばしば強烈な発声で歌われる。後半、テープもソリストも「ラクス」(光)の音を強調するシークエンスがあった。かと思うと、突然、ビートルズの『ヘイ・ジュード』や第九のフィナーレ冒頭が流されたり、ヒトラーゲッペルスやフライスラー(あの悪名高きナチスの裁判官)等による肉声の演説が入ってきたりする。最後は《神々の黄昏》の幕切れで奏される「愛と救済の動機」が金管で荒々しく繰り返され、マーラー交響曲第6番「悲劇的」を想わせるハンマーの打ち下ろしが聞こえると、テープからデモの騒乱のような音が客席を圧倒する。ここは国会議事堂前か。つかの間の静寂の後、ドイツ語の語りがテープから流され、突然、合唱が全員で「Dona nobis pacem!」(我らに平和を与え給え)と絶叫して終わる。指揮の大野和士は、音を断ち切らず、末尾の「m」音を弱音で暫く響かせた。
カーテンコールで、この公演をプロデュースした長木誠司が指揮者に呼び出され、大きな喝采を浴びた。彼がいなければこんな驚くべき作品を日本で聞くことは叶わなかっただろう。また、何度目かのコールののち、大野がひとり登場し指揮者の譜面台から大判のスコアを抱きかかえ「重っ!」というようによろけてから、スコアを高く掲げて見せた。すると大きな拍手とブラボーが飛んだ。グッときた。これを書いた翌年にツィンマーマンは自死している。
題名の「ある若き詩人」とは特定の詩人を念頭に置いたものではない、と作者はいう。二つの大戦を含む「1920年〜70年のヨーロッパの状況」(ツィンマーマンの生涯)を規定した様々な文学者や思想家たち。すなわち、マヤコフスキージョイス、パウンド、カミュ、バイヤー、ヴィトゲンシュタイン等々、そして宗教家や政治家や独裁者たち。すなわち、法王ヨハネス23世、毛沢東チェンバレン、ドゥプチェク、スターリンチャーチルヒトラー等々。そしてもちろん、ベートーベン、ヴァーグナービートルズ、ジャズ等々の音楽。ツィンマーマンは、これらの言葉や音楽をひとつの作品に包摂し、そのなかで、「我らに平和を与え給え」と何度も叫ばせ、その絶叫で閉じるのだ。どんな文学や思想も宗教や政治も結局は「我らに平和を与える」ものではないという、絶望的な叫びを音楽化した作品。そういってよいのだろう。だが、それを作品化する行為自体は、絶望ではない。これは、彼が自死する直前の作品《私は改めて・・・》も同様だ(http://d.hatena.ne.jp/mousike/20140806/1407315666)。作者自身を規定し育んだ、きな臭い政治演説を含むそれらの言葉(声)や音楽(ノイズを含む)をすべて自分の作品にすっぽり取り込み包摂する手つきに、対象への〝いとおしさ〟を感じたのは気のせいか。いずれにせよ、その創作行為には、一時的にせよ、彼にとり、希望(救い)があったと思いたい。幕切れの合唱による「pacem」(平和)の「m」の美しい弱音が、その感を強めていた。