劇団銅鑼公演 No. 54 詩森ろば『蝙蝠傘と南瓜』& unrato #6 木下順二『冬の時代』

『蝙蝠傘と南瓜』(3月20日 14:00/銅鑼アトリエ)と『冬の時代』(3月21日 15:00/東京芸術劇場 シアターウエスト)の2日目を観た。

『蝙蝠傘と南瓜』は詩森ろばが劇団銅鑼のために書いた新作で、幕末から明治への激動期に日本(世界)初の女性写真家となった島隆と彼女を支えた夫の霞谷(和製ダ・ヴィンチ)の奮闘を描いたもの。

『冬の時代』は木下順二が半世紀まえ劇団民藝に書き下ろした作品(1964)で、明治の終りから大正にかけて、大逆事件後の閉塞した時代に社会変革への闘志を燃やす若者の群像を描いたもの。

詩森も木下も歴史にこだわる劇作家で、この二作とも実在した人物たちの歴史にフィクションを交えて描いている。さらに、銅鑼は民藝を退団した鈴木瑞穂【『冬の時代』初演では飄風(大杉栄)役】らが1971年に結成した劇団だ。新型コロナウィルスの影響で公演中止が相次いだ後、初めて見たのが、奇しくもこの二作となった。しかも連続で。偶然だとしても、いろいろ考えたくなる。

そこで今回は、二つの舞台をまとめてそれぞれ簡単にメモしたい。

『蝙蝠傘と南瓜』作・演出・衣裳:詩森ろば/美術:杉山 至/照明:榊美香/音楽:後藤浩明/音響/青木タクヘイ/舞台監督/村松眞衣 舞台監督助手/植木 圭/演出助手/池上礼朗 バリアフリーサービス/佐藤響子/制作/田辺素子/[キャスト]島 隆(日本初の女性写真師):林田麻里(ラッキーリバー)/島 霞谷(画家・写真家):館野元彦/小林小太郎(学者):山形敏之/高橋由一(油絵画家):野内貴之/川上冬崖(水彩画家):鈴木正昭/厳田信吾(開成所頭取):佐藤文雄/厳田チヅ(厳田新吾の娘):宮﨑愛美/お榮(葛飾北斎の娘 日本画家):金子幸枝/雪之介(役者):齊藤千裕/千代吉(役者):竹内奈緒子/ツタ(浅草料亭の仲居):北畠愛美/サト(浅草料亭の仲居):早坂聡美/山森鹿雄(郷土史研究家 Wキャスト):山田昭一 千田隼生/柏木尚子(地方新聞記者):馬渕真希 

 地方新聞記者(馬淵)と郷土史研究家(千田)を媒介に過去の歴史を描く手法は、『残花——1945 さくら隊 園井恵子』(2016)と似ている。今回はその中間に当時の役者二人(齋藤・竹内)を語り手として挿入しているが。

桐生にある島隆の実家の土蔵をセットの中心に据え、その扉を開けると玉手箱(蓑崎昭子/プログラム)のように島 隆(りゅう)と霞谷(かこく)の物語が文字通り〝飛び出して〟くる。回転するセットが空間を広く見せ、時間をワープさせる効果も秀逸だ(美術:杉山至)。

島隆役の林田麻里はどこかで見たと思いきや『残花』で園井恵子を演じた女優だった。快活でチャーミングかつ華もあり、見ていて楽しい。夫の島霞谷役には銅鑼のエース館野元彦が配役され、質の維持に貢献した(年下の夫には見えなかったが)。葛飾北斎の娘お榮役の金子幸枝はたぶん初めて見た(最近の入団か)。褒められるのが苦手でちょっとぶっきら棒な役柄をとても自然に演じ、いい味を出していた。そのセリフ「真ん中が変わらなきゃ」は、時代を超えて、現政権を射貫いていた。隆が幕切れ近くで言う、女が社会で活かされるには男の頭の中身が変わらなければ、も痛烈だ。見終わった後、日本は民衆が立ち上がり、手ずから社会を変革したことが一度もないという事実を、その重さを再認識させられた(そのツケがいま回ってきている)。歌あり踊りありのエンターテイニングな装いだが、要所にわれわれの〝いま〟を再考させる素晴らしい舞台。

木下順二『冬の時代』(初演:1964)演出:大河内直子/美術:石原 敬/照明:大島祐夫/音響:早川 毅/衣裳:小林巨和/音楽:阿部海太郎/舞台監督:齋藤英明/制作:筒井未来/プロデューサー:田窪桜子 西田知佳/[出演]渋六(堺利彦):須賀貴匡、飄風(大杉栄):宮崎秋人、奥方(堺為子):壮一帆、ショー(荒畑寒村):青柳尊哉、ノギ(高畠素之):池田 努、不敬漢(橋浦時雄):溝口悟光、文学士:若林時英、デブ(白柳秀湖):山下雷舞、キリスト:結城洋平、テの字/コの字(寺本みち子):小林春世、エンマ(伊藤野枝):佐藤 蛍、小僧:戸塚世那、二銭玉(山川均):井上裕朗、お婆さん:羽子田洋子、奉公会/角袖:青山達三

演出家が、いま、この作品に挑戦した気概は買いたい。だが、残念ながら、なぜいまこの戯曲を上演するのか、その理由が舞台からは見えない。俳優たちは健闘したと思う。以下の感想メモは俳優ではなく、ほぼ演出に向けたもの。

 冒頭でマスクを付けたフーディ姿の少年が現れ、雷鳴と共に驚いて走り去ったのち場面が変わり、「冬の時代」の舞台となる。いまを作品世界(約100年前)へとつなぐ趣向のよう。

第1幕。渋六(堺利彦)売文社の執務室。ショー(荒畑寒村)や飄風(大杉栄)らが熱く議論を戦わせる。その熱は感じられるが、それがどこから来るのか。彼らはなんのために社会主義を信奉し、それを遂行しようとしているのか。手法の違いがあるとき、自分の正しさを必死で主張するのは何のためか。セリフ(言葉)の中身より何が何でも〝情熱〟を表出しようとしているかのよう。結果、一本調子。笑える所も笑いが出ない。お婆さんの在り方はよい。奉公会も。第1幕ラストの女性二人(テの字嬢と奥方)の登場と演技のあり方はあれでよいのか。

第2幕。三年後の同執務室。その場で生み出されたと思える発話は残念ながらあまりない(しずかに語る所はとてもよい)。覚えたセリフを必死で発しているようにしか感じられない(長く難しいセリフを覚えるのは大変だったとは思う)。熱を出そうとするあまり、思い切り叫ぶからこうなるのだろう。渋六は受ける役なのだから、もっと受けて(聞いて)、そこから発するあり方が(演出として)なぜ採れなかったのか。幕切れで旗揚げの宣伝文を読むよう渋六に言われて奥方が読み上がるシーンも、ここまで感情移入するようディレクトするのはなぜなのか。淡々と読むほうが自然だし、意味もよく伝わるはず。かすかに聞こえた子供(赤ちゃん)の声の効果音は、たぶん、未来の命へ引き継ぐ意図なのだろうが……。

第3幕。さらに三年後の執務室。足を引っ掛けて椅子を倒しまくるエンマ(伊藤野枝)のおっちょこちょい振り等々。…… 渋六「人間自然の感情を圧し殺す社会制度は必ず変革しなきゃならんということさ。——いま生きている人たちのためにも、死んでしまった人たちのためにも。そのために闘って行かなきゃならんということさ」。これがほぼ最後のセリフ。終わり頃、冒頭のフーディの少年が舞台後方の冬枯れの木に現れる。少し前から桜の花が上から落ちてきている。少年は渋六夫妻を驚いたような表情で見る。二人が客席の通路を通って捌けると、少年はステージに上がり、机の上から二人の去った方角を見つめ、決然とマスクをして走り去る。照明が落ち、英語のスピーチが聞こえてくる。小さくてよく聞き取れなかったが、たぶんトランプ大統領が新型コロナウィルスを「中国ウィルス」と人種差別的に言及しているスピーチだと思う。

なぜ観客にはほとんど解せない英語のスピーチを使うのか。いまのわれわれも、渋六らのように「闘って行こう」とのメッセージを込めたいのだろうが、何と闘うのか。マスクをした少年からすると、コロナウィルスと? スピーチからすれば、人種差別的なアメリカの大統領トランプと? いずれにせよ、闘う相手が違うだろうと言いたい。たとえば、第3幕の掃除のお婆さんのセリフは、飄風(大杉栄)や渋六(堺利彦)やショー(荒畑寒村)やノギ(高畠素之)らがそのために身体を張って闘っている対象(労働者)の声として、運動のあり方そのものを相対化し批判する力があるはずだ。が、叫ばせてしまってはその効果が半減する。

蜷川幸雄の影響なのか。蜷川の舞台は1980年の『ニナガワ・マクベス』以来、数多く見てきた。たしかに彼の舞台では、演目(シェイクスピアギリシャ悲劇等)や劇場の大きさ等から、必然的にテンションの高い発話が多かった。だが、今回は現代劇であり対話劇だ。もっと普通に発話してほしい。大事なコトバを声高に叫んでしまっては、伝わるものも伝わらない。

よい俳優たちが揃っていたとは思う(ノギの池田努は理知的な役柄ゆえにさほど叫ばなかったせいもありリアルで印象的)。そもそも、いまの若い俳優に、百年前の堺利彦大杉栄らに似せるのはまず論外だが、1963年の初演時のように演じる必要すらないと思う。当時といまとでは状況も人間もあまりに違っている。思い切って、いまの俳優(若者)たちに出来るだけ違和感なく自然なあり方で上演する手もあったのではないか。せっかく劇作家の養女に「若い方に取り組んでほしいのよ。自由におやりなさい」と言われたのなら、なおさらだ。木下順二本人も言っているではないか、「僕は昔から怒鳴る演技が嫌いなんだ」と(平田オリザ木下順二先生の思い出」プログラム)。叫ばずともセリフや行動(演技)に熱を持たせることはできるはず。それが見たかった。

『冬の時代』が初演された5年後、世界を変えようとした学生たちに、三島由紀夫は「諸君の熱情は信じます」と言い残して去った。映画『三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実』が上演より前に公開されていたらよかった。