新日本フィル #611 定演/未完の二作

新日本フィルの定演 #611 トパーズ〈トリフォニー・シリーズ〉の初日を聴いた(10月4日 19:15/すみだトリフォニーホール)。指揮は上岡敏之コンサートマスターは崔文洙。

フランツ・シューベルト(1797-1828)交響曲第7番 ロ短調 D759「未完成」

第1楽章はハイテンポで、室内楽のようなやさしさ。と思いきや、突然、激しい感情が沸き起こる。第2楽章も速い。クラリネット(ペレス)が短調のメロディを歌いオーボエ(古部)が長調で返すシークエンスは、この上なく美しい。弦楽器が歩をしっかり進めるなか、管楽器群が流麗なメロディを奏するところも快速だ。時おり歩を休め、中断したかのような個所を経て、あっという間に幕を閉じる。まるで人生のように。そういえば、シューベルトは本作を未完のまま31歳で生涯を終えたのか。

ヴォルフガング・アマデウスモーツァルト(1756-91)レクイエム ニ短調 K. 626

ソプラノ:吉田珠代/アルト:藤木大地/テノール:鈴木准/バス:町英和/合唱:東京少年少女合唱団、東京少年少女合唱隊カンマーコア/合唱指揮:長谷川久恵

 コーラスに少年少女を使い、オケを極力抑えることで透明感ある音楽を目指したのだろう(フォーレのような)。ただ、頭ではそう理解しても、正直いまひとつ身体に食い込んでこなかった。音楽のかたちがみえ(感取し)にくい。Dies iraeなどはあれでよいのか。ソリストは質が高かった(特にソプラノとバリトン)。弦楽器のピリオド奏法はよいのだが、極端な弱音のとき音楽が崩れるような印象も。ペレスのクラリネット(バセットホルン)はよく効いていた。トロンボーンは感じが出ていたが、Tuba mirumのソロは残念。上岡の〝いわゆる〟を排した解釈には総じて好感を持っている。が、たまに弱音の過度な強調が裏目に出るというのか、パフォーマーのエネルギーが一つに収斂し損ね、こちらの身体に届かない場合がある。今回はもっと小さなホールなら違っていたのか。3階で聴いた知人はポジティブな印象をもったと言っていた。

それにしても客席はガラガラ。演目によっては仕方ないと思っていたが、未完成と〝モツレク〟でこれだとちょっと深刻だ。たとえ少なくとも傾聴する客ならまだましだが(斜め前の会員とおぼしき中年カップルは、レクイエムの演奏中にご婦人がちらしを折り畳んでハンドバッグへ入れると、今度は男性がのど飴を袋から出して口に入れる。自分が発しているノイズに気づかないらしい。そもそも音楽を聴いているのか…。指揮者や団員が気の毒になった)。