新国立劇場 演劇『スカイライト』プレビュー1日目の感想【関連リンク追加】

デイヴィッド・ヘア作『スカイライト』のプレビュー一日目を観た(12月1日 14:00/新国立小劇場)。小川絵梨子が芸術監督に就任後、初めての演出作品。
新シーズンの前二作はいずれもキャスティング等に疑問を感じた。カミュの『誤解』(10月)では演出の稲葉賀恵やマルタ役の小島聖は健闘したが、ジャンとマリアの配役には首をかしげた。ピンターの『誰もいない国』(11月)に主演の二人は味のある好きな役者だが、ピンターものに必須の切れのある台詞回しで魅せるタイプではない。それを補うためか、演出家は天井から水滴を落とし、ステージの半分を水で浸して男の夢や幻想を物化(視覚化)する。なんとも興醒めの演出。彼もピンター向きではなかったようだ。
今回小川はプレビューをこの劇場に初めて採り入れた。「二回のプレビューの後に三日間ほど劇場を閉めて更に稽古を行」うという。欧米では珍しくないだろうが、観客としても割安(約1000円安)なうえに、舞台が好ければ本公演と見比べられる面白さもある。プログラムの販売は本公演の開始から。以下、簡単にメモしたい。

作:デイヴィッド・ヘア
翻訳:浦辺千鶴
演出:小川絵梨子
美術:二村周作
照明:松本大
音響:福澤裕之
衣裳:郄木阿友子
ヘアメイク:鎌田直樹
演出助手:渡邊千穂
舞台監督:福本伸生
キャスト
キラ:蒼井 優
エドワード:葉山奨之
トム:浅野雅博

舞台は粗末なアパートの室内。それを客席が両側から挟み込むかたちだ。なんか既視感がある。2014年にこの劇場で見た二人芝居『ご臨終』の舞台セット(杉山至)とよく似ている(感想メモ)。幕切れ近くで雪が降る美的な趣向もそっくりだ。
キラ(蒼井優)が仕事から疲れて帰ってくる。風呂を沸かし始めた矢先に青年(葉山奨之)が訪ねてきた。吃驚。大きくなったわね。どうやら、以前つき合っていた不倫相手の息子エドワードらしい。キラが別れた男(エドの父)の妻はそのあと病気になり、亡くなったと。初めて知るキラ。父(男)の苦悩も。やがて出ていくエドワード。入浴中にブザーが鳴る。今度はなんとその本人トム(浅野雅博)だ。三年振り? 今の話、昔の話。やがて、チーズにまつわるやりとりから、二人の役者のアドレナリンが出はじめた。才能ある俳優ならではの濃密な時間だ。演劇的愉悦。やがて、トムは下で待つリムジンを帰し泊まることに。ここで20分休憩。
夜中、ベッドで寝ているトム。何か食べながら採点するキラ。彼女は学校の教師だ。ここから、複数のレストランを経営するトムのハイソな志向(嗜好)と学校教師キラの価値観の違いがぶつかり合り、激しい言葉の応酬が続く。最後は愛の問題に。やがて出ていくトム・・・。その後、キラが眠りにつくと、雪が降ってくる。キラの孤独を慰撫し浄化するように。が、ここで終わりではない。朝になるとまたエドワードがやって来る。今度は美味しい朝食を持って・・・。
前半、蒼井と浅野の対話は、言葉を発し合うなかで互いに調子が出てくるのを待つ感じだった。が、チーズの話あたりから、竹内敏晴のいう、「言葉に引っ張り出された感情」がどんどん舞台を覆い、客席まで伝播した。ただし、休憩後、特に浅野は一旦停止したエンジンが掛かりにくい印象。結果、蒼井の長台詞がソロのように聞こえる部分もあり、やりとりの内容がやや飲み込みずらかった。まだプレビューだからかも知れない。
エドワードを演じた葉山の吃音は当初こそ演技かと思ったが、あまりにリアルで、次第に役者自身そうなのかと(まさか)。吃音は「一瞬先は闇」の綱渡り的世界。非日常のいまが現出する。その分、台詞の中身より役者の身体性や存在に注意が向く。吃音は、伊藤亜紗がいうように「言葉ではなく肉体が伝わってしまう」のだ(『どもる体』2018年)。エドワードの吃音は台本に指示があるのか。彼が吃音で発話する演劇上の意味はどこにあるのか。裕福な実業家と、恵まれない子供たちに身を捧げる女性教師の対立軸から、恵まれた前者の息子の吃音(恵まれなさ?)は、二人の間を繋ぐ役割の属性として相応しいということか。
本公演はどんなふうに仕上がるのだろう。つい12月15日ソアレのチケットを取ってしまった。
【2014年の『ブレス・オブ・ライフ〜女の肖像〜』もデイヴィッド・ヘアの作品でブログに感想を書いていた。蒼井優が主演した『アンチゴーヌ』の感想はこちら。】