劇団銅鑼 創立45周年記念公演 第1弾『彼の町――チェーホフ短編集より』

『彼の町』の初日を観た(3月15日 19:00/俳優座劇場)。
団友の鈴木瑞穂が演出の大谷賢治郎に「いつかチェーホフの短編集をやってみないか」と誘ったのがきっかけらしい。

作:青木 豪
演出:大谷賢治郎
cast
鈴木瑞穂(オフィス・ODA/団友) 館野元彦 三田直門 佐藤響子 竹内奈緒子 井上 太 向 暁子 真原孝幸 川邊史也 齋藤千裕
山田由起子(ピアノ演奏)
staff
美術:池田ともゆき /照明:鷲崎淳一郎 /音響:坂口野花 /衣裳:坂本真彩 /音楽・ピアノ演奏:山田由起子 /振付:原田 亮
舞台監督:稲葉対介 /演出助手:宮藤希望 / 舞台監督助手:村松眞衣
バリアフリーサービス:鯨エマ /宣伝美術:山口拓三(GAROWA GRAPHICO)
制作チーフ:小関直人 /制作サブ:田辺素子 平野真弓 佐久博美
助成:文化庁文化芸術振興費補助金舞台芸術創造活動活性化事業)
後援:ロシア連邦大使館

劇団員が稽古場でチェーホフの短編小説を演じていく。リハーサル風景がそのまま舞台化されたような、いわゆる「ワーク・イン・プログレス」風。シモテ手前にアップライトピアノ。中央に高いスタンドライトが客席方向を照らしている。樹木を象った焦げ茶色の切り出しが数枚吊され、住居の壁面を表す色とりどりの移動式パネルが、進行によって、巧みに使われる。いかにも作りもの然とした(リアルでない)平モノは「ワーク・イン・プログレス」のリアルさには打ってつけ。ひとりの若い団員(齋藤千裕)がニコニコしながら舞台を掃除しはじめる。次々に集まってきた役者たちは、稽古場(舞台)を掃除しながらチェーホフ談義に花を咲かせる。そこへ長老俳優(鈴木瑞穂)が到着し、先の若い役者「チー坊」とチェーホフの思いについて対話する。医者のチェーホフは自分の死を予感していたのではないか、と若い役者。話しの続きはまたあとで、と長老。やがて短編「芸術家の妻」(館野元彦、三田直門 他)の芝居が始まる・・・。ピアニスト(山田由起子)はまるでバレエレッスンのように役者の動きに合わせてチャイコフスキーの音楽を弾いていく。ただ、前半は『くるみ割り人形』(トレパック、花のワルツ等)や『眠れる森の美女』(何だったか)『白鳥の湖』(ルースカヤ)などバレエ音楽が多用され、やや単調な印象も。が、後半は違った。
公演の中心に置かれた「せつない」は、最近息子に死なれた辻橇の御者(鈴木)の話。鈴木は客席に向かって御者台に座り、後ろの座席に乗り込む客たち(竹内奈緒子、向暁子、川邊史也 他)にそれとなく息子のことを告げる。が、「もっと速く走らせろ!」と急かすばかりで耳を貸す者はいない。息子を失った悲しみを誰とも分かち合えず、あげく、馬に打ち明けるしかない貧しい御者。その「せつなさ」を鈴木瑞穂は、交響曲第6番『悲愴』冒頭のテーマがピアノで静かに奏されるなか、見事に表出した。時折、馬の嘶く効果音が入り、建物を象った小さな小道具を役者が巧みに引き回す。橇から見た風景が次々に過ぎ去るさまを観客に想像させる演出だ。素朴だがよく効いていた。他に、貧しい少年(齋藤千裕)と父親(真原孝幸)の「牡蠣」や「接吻」(井上太、佐藤響子 他)が印象的。最後に、長老が若いチー坊に「チェーホフはやはり生きようとしていたのではないか」と問いかける。「死」を思う最年少(たぶん)に、最長老が「生」で応える点が肝だろう。若者が「生」や「希望」を思い描きづらい今の時代について考えさせられる。
役者はみな生き生きと演じており、見ていて楽しかった。ただ、ひとつ感じたこと。今回の芝居には、稽古している位相と、そこでチェーホフの短編を演じる位相のふたつがあった。両者ともフィクション(お芝居)だが、後者の虚構性は前者よりワンランク高くなければならない。観客から見たらそうなる。前者(稽古場のレベル)では、冒頭でピアニストが鈴木瑞穂に「おはようございます」と挨拶した、あの自然さで皆が「演じる」さまを見てみたい。個人的願望。
チェーホフの戯曲については、上演を何度も観たし、読んでもいた。が、短編小説は別。今回は銅鑼による短編上演の企画を知り、これを機に前もって読んでみた。といっても稽古場の向曉子のように全編読破はとても無理。そこで、沼野充義訳の『新訳 チェーホフ短篇集』に目を通した。どれも面白かったが、「ロスチャイルドのバイオリン」は格別だった。銅鑼の舞台では取り上げられなかったが、ごくごく簡単にメモする。この短編は、筋は端折るが、訳者の解説がいうユダヤ人問題もさることながら、むしろ、棺桶屋の主人公が囚われた損得勘定(経済)を超える、あるいはそこから生じる苦しみ(貧困等)を和らげるものとして、音楽(芸術)があること。それを、主人公のバイオリンを通して示唆しているのではないか。しかも、そのバイオリンを、偏見・差別の対象たるユダヤ人が受け継ぎ、その悲しい音楽を再現するのだ。芸術(音楽)の存在価値ついて考えさせる実に優れた短篇小説。