平田オリザ『冒険王』/+ソン・ギウン『新・冒険王』(新作)

『冒険王』と新作の『新・冒険王』を観た(6月25日 15:00 19:30/吉祥寺シアター)。前日に文学座公演『明治の柩』の楽日を観たため、いろいろ考えさせられた。平田オリザが『明治の柩』を文学座の役者で演出したらどうなるか。見てみたい。そう思った。ありえないが。

青年団第74回公演/青年団国際演劇交流プロジェクト2015
日韓国交正常化50周年記念事業


『冒険王』(1996年初演)上演時間:約1時間45分
作・演出:平田オリザ

出演
小林 智(小杉 なんとなくいる)/代田正彦(高橋 寝ている人)/太田 宏(栗本 アテネの針金売り)/佐藤 滋(吉岡 インド帰り・肝炎)/海津 忠(篠塚 ふらふらしている人)/伊藤 毅(大橋 これからアジアに行く大学生)/森山貴邦(桜田 ヨーロッパを回っている人・在日韓国人)/秋山建一(中村 翼 中村さん)/河村竜也(中村太郎 スケナカさん)/石松太一(染谷 ニューヨーク帰り)/李そじん(高原 染谷の婚約者)/村井まどか(杉崎真理子 女性客)/菊池佳南(宮島 女子大生)/木引優子(国崎 女子大生)/富田真喜(栗本和子 夫を追いかけてくる)/佐藤 誠(寺田 あとから来るカップル)/鈴木智香子(中島 あとから来るカップル)/大竹 直(最初に出発する)             


『新・冒険王』(新作)上演時間:約2時間10分
日本語・韓国語・英語上演/日本語字幕付き
共同脚本・共同演出:平田オリザ ソン・ギウン

出演
太田 宏(沢田はじめ 長く旅行している)/森山貴邦(副島直人 学生で休学中)/大竹 直(木下幸太 大学卒業後、ヨーロッパを旅行中)/佐藤 誠(金隆博、一年ほど旅行している)/佐藤 滋(植木タケシ ずっと寝ている)/村井まどか(前川さゆり 比較的長く旅行している)/河村竜也(坂本芳雄 比較的長く旅行している)/木引優子(矢島育美 ヨーロッパを旅行中、韓国人の彼氏がいる)/ブライアリー・ロング(キャッシー アルメニアアメリカ人)/マ・ドゥヨン(キム・スルギ 安宿の客引きをしている)/チョン・ジョンハ(プ・ヒギョン キム・ミョンファンの母)/ペク・ジョンスン(キム・ミョンファン[ファニ]兵役前の若い旅行者、日本人の彼女がいる)/チョン・スジ(ユ・ソヨン スペインに留学していたが、奨学金が切れて帰国)/ソン・ミョンギュン(キム・インフ 三〜四年ほど旅行している)/カン・ヒジェ(チャン・ミンジェ 兵役の後、大学に戻る前に旅行している)/パク・ミンジ(キム・ポミ オタクの韓国人) 


企画制作:青年団/(有)アゴラ企画・こまばアゴラ劇場 第12言語演劇スタジオ
主催:(有)アゴラ企画・こまばアゴラ劇場
提携:城崎国際アートセンター
後援:公益財団法人日韓文化交流基金 在日韓国大使館 韓国文化院
平成27年文化庁劇場・音楽堂等活性化事業

『冒険王』15:00-16:52。役者はみなうまい。いつもそう感じる。自然。リアル。1980年初夏、イスタンブールの安宿。二段ベッドが左右に二台ずつそれぞれ繋ぐように縦に置かれ、中央手前に一段ベッドが一台。その中ほどにテーブルがひとつ。正面奥に入り口。日本人旅行者たちが出入りする。出発する者、着いた者、長く滞在する者等々。あとでそう知れる在日韓国人も。後半、長期滞在の男性を妻の栗本和子が日本から訪ねて来る。たまたま本人は不在。同宿者たちと妻とのきごちない対話。なぜぎこちないかといえば、彼らが一様に回避してきた〝社会的責任〟や断ち切ったはずの〝しがらみ〟を彼女の存在が否応なく想起させるからだ。旅人たちから滲み出る、ある種の〝やましさ〟。その夫を捜しに出かける小杉(小林智)。一人になった妻(富田真喜)は夫のベッドに顔を埋め、毛布を掛けて横になり、歌を口ずさみはじめる。「花摘む野辺に日は落ちて/みんなで肩を組みながら/唄をうたった帰り道/幼なじみのあの友この友/あぁ 誰か故郷を想わざる・・・」。「それ、誰の曲ですか?」突然声がする。ずっと毛布を被っていた男だ。その後、二人の女子大生を連れて現れた夫(太田宏)との気まずい再会・・・。最後に宿を立つ決心をする小杉。なにげない対話に底流する感情や思い。そこにこそドラマがある。真後ろの客が始終いごいごして椅子を軋ませ、ズボンをごしごし擦る。いつもの試練。中高年が多く、みなよく笑っている。
『新・冒険王』19:30-21:43。とても啓蒙的な作品。あれから22年後の2002年6月18日、同じイスタンブールの安宿。同じセット。日韓サッカーワールドカップで韓国とイタリアが対戦している真っ最中。出演は日韓の俳優が半々(ひとりアメリカ人女性も)。日本人出演者は『冒険王』とほぼ同じ(当然数は減ったが)。下手手前下段と同奥下段のベッドには同じ役者(太田宏と村井まどか)。ここでも上手奥上段には誰かが毛布にくるまっている。その役者は『冒険王』ではその下段に居た、なにかとお茶を淹れに出て行く男の佐藤滋。日本語、韓国語、英語等が飛び交う。日本人がすぐ群れるところやガラパゴス的思考(「ドーハの悲劇」は韓国人には「ドーハの奇跡」)などは身につまされる。日本対トルコ戦で日本をサポートできない韓国人。韓国対イタリア戦で密かにイタリアが勝つことを願う日本人。それはしょうがないことだ。それを、相手の前で正直に認める場面。韓国人にも物静かで一人を好む人もいる(当たり前だが)。日本語のうまい(本人は「いまいちです」というが)アルメニアアメリカ人(ブライアリー・ロング)が語るトルコ人によるジェノサイド。ワールドカップで騒がしいのが嫌で旅に出てきた若い女性(パク・ミンジ)は日本のアニメで日本語を覚えたらしい。後半、知的な韓国人男性インフ(ソン・ミョンギュン)が物静かな韓国人女性ソヨン(チョン・スジ)と交わす対話。あんなに大人しい日本人が、どうしてあんなことをしたのか・・・と。

インフ (韓)でも、なんか、意外と草食動物みたいなとこありますよね、おとなしくて
ソヨン (韓)えぇ。
インフ (韓)ちょっと、かわいいところもある。
ソヨン (韓)そうですね。
   ・・・・・
インフ (韓)でも、こんなおとなしい人達が集まって、どうして、あんなことをしたんだろうって思う。
ソヨン (韓)え?
インフ (韓)昔。・・・侵略して、戦争を始めて、それをちゃんと覚えてなくて。
ソヨン (韓)あぁ。
インフ (韓)忘れているのか、知らないのか・・・知らないふりをしているのか、
ソヨン (韓)・・・
*(韓)は韓国語のセリフ

このとき、やや上手寄りに座っていた40歳前後(?)の男性客が席を立ち、出て行った。足音を立てる歩き方は、たぶん〝不快〟を告げていたのだろう。他者(韓国人)の視点から見た風景や率直な思いに向き合うことがそれほど耐え難いのか。思考を停止するポイントがかなり下がっている? いずれにせよ、あの男性は最後まで聴く(見る)べきだった。二人の対話はこう続く。

インフ (韓)いや、さっき、この部屋でそんな話をしてたから。アメリカ人の女の子が来たんだけど、
ソヨン (韓)あ、会いました、少しだけ。
インフ (韓)あれ、そうだった? じゃあ、アルメニア人の集団虐殺の話も聞いた?
ソヨン (韓)それは聴いてないけど、でも、その話はわかります。
インフ (韓)え、本当?
ソヨン (韓)アルメニア人の友達がいたから、アルメニア系。
インフ (韓)系って?
ソヨン (韓)ヨーロッパの子達は、いろいろ複雑でしょ、人種が混ざって。
インフ (韓)あ、あ。
ソヨン (韓)それで?
インフ (韓)トルコの政府は事実を全く認めてないらしいけど
ソヨン (韓)そう。
インフ (韓)うん。そうだ、今の試合に勝ったら、次はスペイン戦だって・・・。光州でやるらしいね。ベスト8の試合。光州ワールドカップ競技場、新しくできた。
ソヨン (韓)そうなんですか?
インフ (韓)さっき、ここのテレビで韓国の街が出てたけど、ソウル市庁前の広場が出て、あと、光州の錦南路(クムナムロ)も、もう真夜中で・・・また、光州のあの通りに、あんなに人が集まるなんて。
ソヨン (韓)でも、またすぐに忘れられちゃうんじゃない。「そんなこと、あったっけ?」って。
インフ (韓)えぇ?
ソヨン (韓)自分から忘れるのか、忘れ去られるのか。
インフ (韓)・・・
ソヨン (韓)だって、明日にでも国がつぶれるみたいに騒いだでしょ、韓国人たち。
インフ (韓)は?
ソヨン (韓)たかだが、4,5年前のことなのに、
インフ (韓)あぁ、通貨危機のことか、
ソヨン (韓)でも、今日は、みんな忘れてる。
   ・・・・・

この後、ソヨンは荷物をまとめ誰にも告げずに出て行く・・・。部分的にはともかく対話全体では、日本の侵略戦争、あるいはその忘却癖は、トルコによるアルメニア人集団虐殺への言及や光州事件(「多くの市民が軍部によって虐殺されるという悲しい事件」ソン・ギウン/パンフレット)を暗示する条りで相対化されている。善悪はともかく、この芝居はかなりバランスに配慮して作られているのだ。ちょっと理性と想像力を使って相手(他者)の立場で考えれば、誤解は簡単に解くことが出来る。そうした誤解はけっこうある。芝居はそのことに気づける仕組みになっている。しかも笑いながら。
この対話の前、部屋に居た孤独なソヨンと、駐在員宅でのテレビ観戦から戻ってきた坂本(河村竜也)との対話で、突然 'Amazing Grace' の音楽が聞こえてきた。オリザの芝居にこんな演出が? と不思議に思っていたら、すぐ前の女性が床に置いた鞄をまさぐり携帯のスイッチを切った! ・・・だが、日韓の二人の役者はまったく動じず演技に集中し続けた。さすが。
長期旅行者の沢田(太田宏)は帰国する決心がなかなかつかないが、ふと、釜山から日本を見てみたいと口にする。すると、光州出身のインフは自分の家に招待するといい、光州へも行ってみたかったと応じる沢田。やがて、バナナを食べていたアニメ好きの若い韓国人女性が、バザールへバナナを買いに行きたいといい、そこにいる四人(韓国人二人と日本人二人)でバザールへ行くことに。インフ(英)「沢田さん、釜山から日本を見る前に、イスタンブールからアジアを見ませんか?」[(英)は英語のセリフ]/沢田(英)「あぁ、いいね。/植木「ガラタ橋?」・・・若い韓国人のポミは皆にバナナを勧める。
ポミ(韓)「バナナを、食べますか?」/植木(韓)「はい。バナナを、食べます。」/ポミ(沢田に)「バナナを食べますか?」/沢田「はい。(バナナを受けとりながら)カムサハムニダ。」/ポミ(韓)「おじさんも、ひとつ。」/インフ(韓)「うん。」/植木(韓)「家に行きます。バナナを食べます。」/ポミ(韓)「海を見ます。」植木(韓)「見ます。」*みな、黙々と、バナナを食べる。溶解。
韓国語会話の本を見ながらたどたどしく喋る植木(佐藤滋)は、これ以前の場面でも大いに笑いを取っていた。日本や韓国ではなくアジアそのものをトルコから相対化する視点を暗に提案するインフ。賛同する沢田。そして、みな黙々とバナナを食べる・・・。とても印象的な幕切れだ。金明和との共作『その河をこえて、五月』(2002/2005)のラストを想い出す。たしか、ソウルの河原に集った日韓の様々な世代の人々が、中国から飛んできた黄砂を仲良く見上げる幕切れだった。『その河』はまさに『新冒険王』で設定された2002年6月に上演されたことを思うと、感慨深い。あのラストシーンを含めて、ある意味、予言的ともいえる。『新・冒険王』は、2008年に亡くなった平田の盟友パク・クァンジョンと一緒に創る予定だったとの由。その盟友は光州出身だったとも(パンフレット)。劇中のインフの故郷も同じ光州だ。改めてインフと沢田の対話を思い出すと、少しグッとくる。インフ役のソン・ミョンギュンはポミからバナナを受け取りはしたが、食べなかった・・・。
日韓共に役者はみな素晴らしい。韓国の役者もみな印象深いが、ユ・ソヨンを演じたチョン・スジはセリフは少なくとも、そこに居るだけで謎めいた存在感を発揮した。キム・インフ役のソン・ミョンギュンは知的でノーブル。チョン・スジ共々、別の芝居でも見てみたい。宿の客引きキム・スルギを演じたマ・ドゥヨンは日本と韓国を繋ぐ役を見事に演じた。
緻密に作られているのに作為を感じさせない。個性豊かな役者たちの即興のように感じさせる演技(平田の演出術)が作品に命を吹き込んでいたからだろう。そんな舞台をすぐ間近で見られる喜び。このあとソウルでも上演するらしい。韓国の観客はどんな反応を示すのだろう。