『明治の柩』を観た(6月18日 18:30/あうるすぽっと)。全14公演で初日は11日だからほぼ中日。
本作はぶどうの会から〝鉱毒事件と田中正造〟の主題で執筆依頼された宮田研が戯曲化し、竹内敏晴の演出で1962年に初演された。竹内の著作をあれこれ読み漁っていた十数年前、芋づる式にこの『明治の柩』や林竹二の『田中正造の生涯』等にも行き当たった。が、舞台を観るのはこれが初めて。
『明治の柩』(初演1962)
作:宮本 研(1926-1988)
演出:高瀬久男(6月1日に逝去)
美術:島 次郎
照明:沢田祐二
音響効果:藤田赤目
衣裳:前田文子
殺陣指導:栗原直樹
演出補:生田みゆき
舞台監督:寺田 修
宣伝写真:サト・ノリユキ/SATOFOTO
制作:矢部修治、大野順美
票券:最首志麻子
[キャスト]
旗中正造:石田圭祐
タツ子(正造の妻):山本郁子
佐竹和三郎:木場允視
多々良治平:上川路啓志
ヨネ(治平の母):南 一恵
一ノ瀬宋八:亀田佳明
タキ(宋八の妹):福田絵里
宋六(宋八の父):石川 武
南 佐十:藤側宏大
別れの挨拶にくる女:千田美智子
豪徳さん:得丸伸二
岩下先生:加納朋之
杉本菀子:佐古真弓
二木斉太郎:椎原克知
洋服の若い角袖/看守一:沢田冬樹
強制執行官吏/看守二:清水圭吾
社会主義伝道行商の青年一:高塚慎太郎
社会主義伝道行商の青年二:駒井健介
角袖の斎藤巡査:坂口芳貞
主催:文学座
共催:あうるすぽっと(公益財団法人としま未来文化財団)
後援:栃木県・佐野市
文化庁文化芸術振興費補助金(トップレベルの舞台芸術創造事業)
客席には思いのほか若い人が多い。急逝した演出家の教え子たちか。
前半(序曲・第1幕)は科白が頭にも身体にもまったく入ってこない。受け手のコンディションのせい? いやいや、役者たちが互いに言葉を聞き合っているように感じない。みな存在が軽い。岩下先生は芝居があまりにクサい。地に足の付かぬクリスチャンを造形するため? それだと、人物が生きず芝居がうすっぺらになる。二木斉太郎も壮士として・・・。4場(明治34年、前橋の監獄)で宗八(亀田)が出てきて少しほっとした。5場(同年師走、麻布の豪徳の家)の、旗中正造と豪徳さんの対話(明治天皇への直訴文の執筆依頼)でやっと科白が意味をなしてきた。下手手前の貯水槽に水が上から流れ落ちる。農夫が桶で水を汲みに来る。例のト書きの「あれ」(傍点付き)もしくは「あれがきこえてくる」は、先の二人の対話の後半、オーボエのような音が聞こえ始める・・・。前半(第1幕)は頭の中で何度もダメ出しした。
休憩後の後半(第2幕)はどんどんよくなり、落ち着いた。貯水槽の水には鉱毒が流れ込んでいる。汲み上げる農夫の仕草がそう告げる。第2幕3場(明治38年晩秋、旗中村の一ノ瀬方)で、耶蘇の信仰を捨て、労働者と農民の団結を説く佐竹和三郎は世界に目を開かない先生(旗中)を批判する。旗中は、「キリスト教がだめだなら社会主義。社会主義が駄目なら無政府主義。それがだめなら・・・」と腰が定まらず足尾へ向かう佐竹を杖で打ち据える。すると「あれ」が聞こえる。トランペットによる「君が代」のメロディーらしい。それがかたちをなしそうでなさない。第2幕4場(明治40年夏、同前)、村の強制破壊にやってきた執行官吏と旗中が対峙するとき、また「あれ」が。ここではトランペットの響きがはっきり「君が代」に生成する。ただし、狂乱した調子で。そこに村の家屋が崩壊するきしみ音も混じる。この国(君が代)が、他国からではない、自国による攻撃によって瓦解するさまが見えるようだった。自己解体していく日本。現在のこの国のきしみとだぶる。終曲は旗中正造の柩を前に、まず斉藤巡査が旗中のその後を語る。後方では村人たちが次々に花を柩に手向ける。やがて、旗中が始終持ち歩いた遺品の頭陀袋から、まずは袈裟を着けた佐竹(クリスチャンから転向したらしい)が新約聖書を取り出しマタイ伝の八章十八節〜二十二節を読む。要するに、人間は動物とは異なり安住安息の場所などない。生きる限り、死者を葬る暇に理想(真理)を求めて戦い続けよ、と。次に宗八が帝国憲法の写本を取り出し、読む。天皇ハ・・・。正造は何によって生きたか。最後に、正造の妻が客席に語りかける。「けれども旗中は人様のなかで暮らし、人様に迷惑をかけて死んだ男でございます。……どうぞ、どなたか、旗中を弔う言葉を、旗中を叱る言葉をかけてやっては下さいませぬか。……どうぞ。どうぞ」と。その後「あれ」が、トランペットならぬファゴットで「君が代」とは似ても似つかぬ旋律を奏する。
前半の冒頭はスピードを速め、徐々に落ち着き、後半はじっくり台詞(対話)を聞かせる。そういうプランだったのか。それにしても、一幕前半は台詞が上滑りしているように感じた。演出の高瀬久男は病身をおして5月26日まで稽古場に通い、27日に入院。6月1日に逝去。そう聞いた。高瀬は、あるいは我が身の限界を悟り、あえて後半を集中的に稽古したのか。
鎮魂のための終曲では、客席が悲しみに包まれた。柩の主を演出家とだぶらせたのだろう。その意味では、マタイ伝の朗読は高瀬の座員へのメッセージと受け止めた向きもあるかも知れない。「弟子の一人いいけるは、主よ、まず行きてわが父を葬ることを許し給え。されどイエスいいけるは、汝われに従え、死にたるものは死にたる者をして葬らしめよ」。「死にたるもの」(私)のことより、私の遺志(われ)に従い、死ぬ気で芝居に打ち込め、と。
一ノ瀬宋八の亀田佳明の他は、多々良治平役の上川路啓志がいい。南佐十を演じた藤側宏大も、宋六(宋八の父)の石川武も。佐竹和三郎の木場允視は大声になると言葉がクリアでなくなる。旗中タツ子の山本郁子は他と異なるアウラでよいと思うが、役からいうと少し上品すぎるか。
舞台をもう一度確かめたい。そう思い、あれこれ都合をつけて明日の楽日に再見することにした。