ビオンディ & エウローパ・ガランテ+ヴィヴィカ・ジュノー ヴィヴァルディの「四季」と「スターバト・マーテル」

ファビオ・ビオンディ & エウローパ・ガランテのコンサートを聴いた(3月3日 19時/東京オペラシティ コンサートホール)。
席は三階正面の三列目(最後列)。ホールは空席がかなり目立つ。三日前《メッセニアの神託》が上演された神奈川県立音楽堂は満席だったが。

指揮・ヴァイオリン:ファビオ・ビオンディ
弦楽アンサンブル:エウローパ・ガランテ
メゾソプラノ:ヴィヴィカ・ジュノー

主催:日本アーティスト
協力:カメラータ・トウキョウ

アントニオ・ヴィヴァルディ:歌劇《テルモドンテに向かうヘラクレス》RV710より「シンフォニア

ヴァイオリン7,ヴィオラ2,チェロ2,コントラバス1,テオルボ1,チェンバロ1の計14名。前半部へのシンフォニアという趣きで奏された。

スターバト・マーテル》RV621

ヴァイオリン2、ヴィオラ、チェロ、コントラバス、テオルボ、チェンバロの計7名。基本的に静謐な音楽。美しい。特にヴァイオリン等。アルトも。が、ジュノーは身体全体を使うまでもない感じ。場内咳多し。

歌劇《忠実なニンフ》RV714より「残酷な運命に打ちひしがれた魂は」

再び14名のアンサンブル。歌手の第一声から、前曲とは気の入り方がまったく違う。アジリタ! リピート部ではいきなり高音の装飾が炸裂した。アンサンブルのノリもよい。現金なもので、場内から演奏中の咳払いは消えていた。

歌劇《アテナイの人びと》より「2つの風にかき乱され」

ヴィヴィカ・ジュノーは前奏でオケに身体(つまり客席に背中)を向け、器楽の律動を全身で感受し、共鳴し、その気とリズムを身体に乗り移させてから客席の方に向き直り、歌い出す。まるでジャズのセッションみたい。この曲では、弦楽器が奏する速いパッセージを、まるで楽器のように、声で、歌声で唄っていく。まさに超絶技巧だ。大喝采
アンコールは聞き覚えのある歌。三日前の《メッセニアの神託》第三幕でエピーティデ役のジュノーが歌ったアリアだ。「希望」という歌詞が印象に残っている。先の二曲とは対照的にゆったりとした翳りのある歌唱。拍手は止まない。もっと聴きたいが、これでジュノーの出番は終わり。
ここで15分休憩。

ヴァイオリン協奏曲集《和声と創意の試み》op. 8より「四季」
第1番「春」ホ長調 RV269
Allegro/Largo/Allegro
第2番「夏」ト長調 RV315
Allegro non molto/Adagio-Presto/Presto
第3番「秋」ヘ長調 RV293
Allegro/Adagio/Allegro
第4番「冬」ヘ短調 RV297
Allegro non molto/Largo/Presto

ビオンディのヴァイオリンソロは弱音部を思いっきり弱く弾き、耳を澄まさないとメロディが聞き取れないほど。ソロとアンサンブルとの掛け合いや、思いがけないニュアンスなど、興味深いところもあった。が、どこか気が入っていない印象。例の弱音も、音楽的な創意でのことか。それとも、いまここで、この音楽を演奏することに、頭では理解しても、身体自身が思わず拒絶し、この事態に抗議しているのか。もっとも、第3番の「秋」あたりから少しずつ即興性の面白さを感じはしたが。こうした印象にもかかわらず、音楽が終わると、ブラボーの声があちこちから掛かり、大きな歓声が沸き起こった。
鳴りやまぬ拍手に応え、ビオンディはアンコールに第2番「夏」の第3楽章を再演。さっきよりはるかに面白い。なにより気が入っている。拍手は止まず、ビオンディが客席に向かって喋る。だが、マイクなしでは三階最後列までよく聞こえないし、何を言っているのか分からない。「ご存じのように今回はオペラ《メッセニアの神託》を上演しましたが、素晴らしい・・・でした。というのもヨーロッパでは・・・しかしここ日本では・・・。本当に素晴らしい。その・・・に次の曲を捧げます」。そして第4番「冬」の第2楽章を再び演奏した。素晴らしい! 凍てつく冬に「外は大雨だが、家の中では暖炉の前でくつろぐ」人々(楽譜に添えられたソネットの概要から「Program Note/関根敏子」)。その温かい団欒を彷彿とさせる音楽が、遊び心の横溢したビオンディの即興で見事に生き返る。グッときた。気持ちが入ると、こんなにも違うのだ。
ところで、ビオンディはあのときなんと言ったのか。近くで聞き取れたひとがいたら、ぜひ教えてください。
プログラムの後半に「四季」を入れたのは、たぶん、客寄せを狙っての主催者側の意向だろう。だが、彼らは読み違えた。客も入らず、アーティストの気合いもいまひとつ。もちろん、週末に二日連続でオペラを上演した疲れが残っていたかも知れない。しかし、アンコールを聴く限り、疲労のせいではなく、動機付けの問題だ。個人的には後半もジュノーの歌唱を聴きたかったが、それはいろんな意味で難しかっただろう。いずれにせよ、もはや「四季」では客を呼べない。都内のクラシック音楽ファンは、定食にはとっくに飽き飽きしている。そうした聴衆の食指が動き、かつアーティストの意欲を掻き立てるプログラミングは簡単ではないが、もちろん不可能ではない。今後に期待したい。