バロック・オペラ《メッセニアの神託》の初日を観た(2月28日 15時/神奈川県立音楽堂)。
神奈川県立音楽堂 開館60周年記念特別企画
《メッセニアの神託》全3幕(イタリア語上演/日本語字幕付)
ファビオ・ビオンディによるウィーン版(1742年)の再構成版【日本初演】
台本:アポストロ・ゼノ(1711 年) RV 726
作曲:アントニオ・ヴィヴァルディ(1678-1741)、ジェミリアーノ・ジャコメッリ(1692-1740)ほか
初演:1738 年 12 月 30 日/ヴェネツィアのサン・アンジェロ劇場
ウィーン版初演:1742 年のカーニヴァル/ケルントナートーア劇場音楽監督・指揮・ヴァイオリン:ファビオ・ビオンディ
演出:彌勒忠史
美術:松岡 泉
衣裳:萩野 緑
照明:稲葉直人
ヘア・メイク:篠田 薫
演出助手:家田 淳
舞台監督:幸泉浩司
プロダクション・マネージャー:船引悦雄ポリフォンテ:マグヌス・スタヴラン(テノール)
メロペ:マリアンヌ・キーランド(メゾ・ゾプラノ)
エピーティデ:ヴィヴィカ・ジュノー(メゾ・ゾプラノ)
エルミーラ:マリーナ・デ・リソ(メゾ・ゾプラノ)
トラシメーデ:ユリア・レージネヴァ(メゾ・ゾプラノ)
リシスコ:フランツィスカ・ゴッドヴァルト(メゾ・ゾプラノ)
アナッサンドロ:マルティナ・ベッリ(メゾ・ゾプラノ)主催:神奈川県立音楽堂(指定管理者:公益財団法人 神奈川芸術文化財団)
助成:一般財団法人地域創造
平成26年度 文化庁 劇場・音楽堂等活性化事業
ヴィヴァルディ最晩年のオペラ《メッセニアの神託》は、自作他作の楽曲を寄せ集め組み合わせたパスティッチョ。楽譜は失われたが、近年発見されたウィーン版台本をもとに2012年ファビオ・ビオンディが再構成し復元上演した。演出付きとしては今回の日本上演が「世界初」とのこと。
能楽から着想を得た弥勒忠史は、演出ノートのとおり、舞台の下手のみならず上手にも橋掛かりを設置。その中央を占める本舞台の床面は橋掛かり共々漆塗りのように黒光りさせている(美術:松岡泉)。背景のいわゆる鏡板の部分には巨大な掛け軸に見える幅3mほどの幕が下がり、老松ならぬオリーブの木が描かれている。下手橋掛かりの手前には、竜安寺の石庭を模した白い空間がある。本舞台の前側面には波形模様が描かれ、その下にはいわゆる白州も作られている。そのため、舞台は、厳島神社のように、海に浮かんでいるように見えなくもない。これらの意匠は、劇中の海を表す一節で一役買った。ピットは舞台のすぐ前、客席の最前列にほぼ接する位置に作られている。緞帳が本作のイメージに合わないらしく、代わりに、雲が描かれた大きな四枚の襖を本舞台に立てた。開幕すると人力で襖が左右の袖へ移動し、幕切れにはまた襖が舞台を隠す。
衣裳は能装束をイメージした和風のものだが、高位の人物はイッセイ・ミヤケまがいのプリーツをあしらった豪華なガウンを羽織っている(衣裳:萩野緑)。彼らが帯に差す扇はそれぞれ人物によって色が異なり、演技の小道具として効果的に使われていた。ただ、トラシメーデが腰帯に差す日本刀だけは異和を覚えた。白人が纏う能装束とキモノをアレンジしたコスチュームは、日本的というより無国籍な風情だ。そこにリアルな刀剣が混じると、かなり浮いて見える。さらに、小柄なユリア・レージネヴァはチョンマゲを擬してか髪をきつく上部に結わえ、広いおでこがさらに広く見える。衣裳は浪人もしくは忍者を連想させる鼠色。しかも彼女のみ刀を差しているため、つい注視してしまう。
第一幕。歌はみなうまい。かなりうまい。アジリタのテクニックもヴィヴィカ・ジュノーだけではない。そのうえ声にみな張りがある。例のレージネヴァの中低音は、このなかでも突出して濃厚だ。メロペ役のマリアンヌ・キーランド(キーラント?)は迫力十分の歌唱を聴かせた。彼女は以前、BCJのコンサートで何度か聴いたことがある。それにしても、女性はすべてメゾで、ソプラノは一人も居ない。カストラートが歌った役だから当然か。ただしエルミーラ役のマリーナ・デ・リソは王女にふさわしい白服で、歌唱もソプラノ味。唯一の男声はテノールで、悪役のマグヌス・スタヴランだ。大きな身体で大胆に蹲踞する動きなど見応えがある。歌唱は悪役には少し軽めか。
第二幕。日本刀にチョンマゲのレージネヴァはやはりただ者ではなかった。「私は荒れる海で揺れる船のよう」と歌うアリアで、とんでもない歌唱を聴かせてくれた。中低音の張りだけでなく、アジリタの超絶技巧にソプラノ顔負けの高音まで披露。しかも、これ見よがしに声を出しまくるようなあり方とは対照的。弱音の美しさも堪能させてくれる。アリアが終わり下手へ去ると、ブラーヴァの嵐が。この後、どの歌手も、いわゆるダカーポ・アリアのリピートで、即興の装飾が俄然、攻勢を極めたと感じたのは気のせいか。キーラント、スタヴラン、幕切れのマルティナ・ベッリ(アナッサンドロ役)のアリアもそう。ビオンディは、歌手たちの熱気に応え、他の奏者たちに〝気〟を吹き込んでいく。まさに生の舞台の醍醐味だ。演出は二人の護衛を巧みに動かし、金屏風、椅子等の小道具も効果的。
第三幕。ポリフォンテに剣を振るうよう命じられたトラシメーデ(レージネヴァ)は、ここで初めて腰帯の刀を抜き、アリアを歌う。またもやすばらしい歌声、技術。ただ、他の歌手たちとは歌の感触が微妙に異なる。この違いは文化的なもの? ロシア人という出自と関係があるのか。アラスカ出身のジュノーやノルウェー出身のキーラント、スタヴランにはまったく感じないなにか。チョンマゲに日本刀を差すレージネヴァの異様さは、舞台が進行するにつれ、彼女の歌手としての傑出を表す徴に変わった。このアリアに続くキーラントのアリアは、母であり女王であるメロペの地位にふさわしい大きさが感じられた。母(メロペ)に息子とは信じてもらえず、恋人(エルミーラ)にも秘密を守るため知らぬふりをされたエピーティデのアリア。ジュノーは陰影のある、少し震えるような声で歌う。彼女の歌唱は、いまここで発せられる即興性の感触が強い。さすが。ラストはオリーブが描かれた掛け軸のような幕が開き、死体ではなく生きたエピーティデが出てくる。この少し前、スタヴランによるレチタティーヴォの科白の直前に妙な間ができ(プロンプの声が聞こえた)ややぎこちなさもあったが、いずれにせよ、幕切れはあっさりしたもの。
途中わずかにアンサンブル(チェロだったか)の乱れもあったが、素晴らしい舞台。彌勒忠史の演出もイタリアのバロック・オペラと日本の伝統文化をまさにパスティッチョとして見事に融合させた。満席となった聴衆はとても満足した様子(高齢者の多さが少し気になったが)。終演後の喝采はとても熱く、私もスタンディングした。今夜は場所をオペラシティに移し、ファビオ・ビオンディ & エウローパ・ガランテとヴィヴィカ・ジュノーによる《スターバト・マーテル》等のヴィヴァルディ集コンサートが開かれる。とても楽しみ。