新日本フィル #529 トリフォニー定期演奏会/ツィンマーマンの“白鳥の歌”/「伝道の書」と「大審問官」

新日本フィルの第529回 定期演奏会を聴いた(7月18日 19:15/すみだトリフォニーホール)。
“ツィンマーマン&ベートーヴェン”シリーズの第二弾を遅ればせながらメモする。遅れるのは相変わらずだが、今回は、片付けるべき仕事や種々の公演が詰まっていただけではない。なにより、メッツマッハーが仕込んだプログラムに誘導され、ツィンマーマンのシアトリカルな作品に激しく触発されて、その後、この作曲家が使った素材(『カラマーゾフの兄弟』『旧約聖書』等)をあれこれ再読し関連書を読み漁っていたためだ。

ルートヴィヒ・ファン・ベートーヴェン(1770-1827)作曲 バレエ音楽『プロメテウスの創造物』op. 43 序曲(1801)
ベルント・アロイス・ツィンマーマン(1918-70)作曲 私は改めて、太陽の下に行われる虐げのすべてを見た――2人の話者、バス独唱、オーケストラのための“福音宣教的アクション Ekklesiastische Aktion”(1970/日本初演
[休憩]
ベートーヴェン作曲 交響曲第5番 ハ短調 op.67(1808)


指揮:インゴ・メッツマッハー
バス:ローマン・トレーケル
語り:松原 友、多田羅迪夫(当初予定のクリストフ・ヘンドリクスは都合によりキャンセル)
コンサートマスター:崔 文洙


文化庁文化芸術振興費補助金(トップレベルの舞台芸術創造事業)

まずは31歳のベートーヴェンが作曲したバレエ音楽『プロメテウスの創造物』序曲。古典的な味わい。作曲家の聴覚障害が深刻になる前の作品で、音楽も演奏も清澄かつ明朗。

次のメモはかなり長くなる。日本初演の注目作。ツィンマーマン自死する直前に書き終えた最後の作品。形式的にはオラトリオだが、本人は“Ekklesiastische Aktion”「福音宣教的アクション」(舩木篤也訳)と名付けた*1。ステージ以外にバンダのトロンボーンが3階の左右バルコニー及び同階の正面客席に1本ずつ(計3本)。第1の話者(テノール/松原友)はステージ後方3階のパイプオルガン前の左に、第2の話者(バス・バリトン/多田羅迪夫)は右に、それぞれ配置。第1の話者(伝道者ソロモン)は『旧約聖書』から「伝道の書」(コーヘレト書)第四章の言葉を語り、それをやや遅れて、指揮者のすぐ左に位置するバス(ローマン・トレーケル)が朗唱する(すべてドイツ語)。「わたしは改めて、太陽の下に行われる虐げのすべてを見た」。「見よ、虐げられる人の涙を。彼らを慰める者は(もはや)ない」(朗唱では「伝道の書」にはない「もはや」が付加される/以下特記しない限りプログラム掲載の舩木篤也訳)・・・。このバスによる朗唱は、J. S. バッハの100年前に生まれたハインリヒ・シュッツ等の受難曲におけるイエスの朗唱を想起させる。もちろん前者はずっと暗く陰鬱だ。パトスを吹き込むようなその節回しは、むしろ浄瑠璃義太夫節に近い。
右の第2の話者は主に「大審問官」の条りを担う。ドストエフスキーの絶筆『カラマーゾフの兄弟』でイヴァンがアリョーシャに向かって語るあの自作の劇詩である。異端審問がもっとも恐ろしい時代の16世紀スペイン。その地へ再来したキリストを大審問官である枢機卿が捕縛する。第1の話者が語るのは、牢のなかで大審問官とキリストが交わす遣り取りだ。といっても「おまえが、あいつか? おまえが?」(原作では「あいつ」ではなく「キリスト」)と問うた直後、「答えずともよい。黙っていろ」と命じるため、実際は「対話化されたモノローグ」(バフチン)というべきだが。90歳の大審問官が訊問するのは、もっぱらキリストが荒野で斥けた悪魔の三つの誘惑に関わる。キリストはパンと奇蹟と権力を斥けた。なぜなら、第2の話者が語る通り「自由から人間をもぎ離すのをよしと」しなかったから。つまりは「人間を救うため」、「人間が真に独立の人格になるため」「人間があらゆる意味で、求むるところのない、純粋に自由な、良心によってかれ(キリスト)に従うことを望んだ」ためだ(森有正)。だが、老いた審問官は、まさにそれゆえに、キリストの拒絶をなじるのだ。第2の話者(大審問官)はいう、「人間はおまえが思ったより弱く、卑しくできているのだ! そんな人間が、おまえが成し遂げたのと同じことをし遂げられるだろうか? おまえは人間を買いかぶり、人間にはもう同情する必要はないというような態度をとった・・・」。キリストが「悪魔の提案を拒んだ」ゆえに与えられた自由。だが、人間はこの自由という重荷に、「自由な精神という暴虐」(第2の話者)に耐えられない。自由を担うには人間はあまりにひ弱だ。老審問官が「お前は、人間にとっては安らぎと、さらには死でさえも、善悪の認識における自由な選択より大切だということを、忘れてしまったのか?」(ツィンマーマンは使用せず/原卓也訳)と詰問するはそのためだ。「われわれが組んでいるのは、おまえじゃない。あっちのほう(悪魔)なのだ。これがわれわれの秘密だ! もうずいぶん前から、おまえとではなく、あっちと組んでいるのさ!!!」(第2の話者)。大審問官(枢機卿)が、キリストではなく反キリスト(悪魔)を選んだのは、一部の選ばれた「強い人たち」のためではなく、より多くの「弱く、卑し」い人々に「全世界的な幸福」を与えるためである。そのとき、人々は「自由の重荷」から解放されるが、同時に、権力(カトリック教会)にひれ伏す奴隷と化すことにもなる。
このように「大審問官」の一節が語られるなか、第1の話者とバスは「伝道の書」の言葉を語り、朗唱する。「既に死んだ人を、幸いだと言おう。更に生きていかなければならない人よりは幸いだ」。「いや、その両者よりも幸福なのは、太陽の下に起こる悪い業を見ていない者だ」・・・。
こうした語りと朗唱の合間に、あるいは声に重ねて、トロンボーンを主とした金管の音が黒々と響き、ボール紙を破る音や種々のパーカッションで「太陽の下で行われる」すべての「空し」さが強調される。やがて、「大審問官」の結末が、これまで伝道者ソロモンの言葉を担ってきた第1の話者の口から語られる。「だが、彼(キリスト)は黙したまま老大審問官のほうに近づき、血の気の引いた90歳の唇に、そっと口づけをする。それが彼の答えのすべてだった。老人はぎくりとする。口の端がぴくついている。そして扉のところへ行き、扉を開け、彼に向かってこう言うんだ」。続いて第2の話者(大審問官)がこう語る、「出て行け、そしてもう来るな…二度と、二度と来るなよ…絶対に、絶対にだぞ!」
この後、<間奏の終盤で>二人の話者は両手を広げて飛び上がったり、足を踏み鳴らしたりしながら<乱脈に叫び交わす>、「富…自滅…互いを抹殺すること…」と。一方、バスは<任意の母音および子音で><全体的に忘我の態で>自由に声を出す。終曲に近づくと、「伝道の書」の次の言葉が第1の話者とバスの口から繰り返される、「ひとりよりもふたりが良い」「倒れれば、ひとりがその友を助け起こす。倒れれば――倒れても」。やがて、指揮者は指揮台の上に腰を下ろし<瞑想の姿勢をと>り、二人の話者も床に座りここで初めて日本語訳で呟く。「倒れても起こしてくれる友のいない人は不幸だ」等々。ほどなく J. S. バッハのカンタータ《おお永遠、そはいかづちの言葉》BWV. 60のコラールが金管アンサンブルでぶっきらぼうに奏され、唐突に断ち切られる。ちょうどベルリーズの『幻想交響曲』第4楽章「断頭台への行進」での「死の一撃」のように。
バッハのカンタータは全5曲から成り、第3曲までは擬人化された「恐れ」(アルト)と「希望」(テノール)との対話により死の恐怖と葛藤が表される。第4曲では、不安に駆られた「恐れ」の疑問に、「希望」ではなく「キリスト」(バス)が「死ぬ人は幸いである」「主にあって死ぬ人は幸いである」「今から後、主にあって死ぬ人は幸いである」(「ヨハネの黙示録」第14章第13節/新共同訳)と段階的に答える。そこでやっと死への不安は消滅し、希望と喜びを得て、死に臨むことになる。ツィンマーマンが引用したコラールは、この後の第5(最終)曲(その35年前にアルバン・ベルクが「ある天使の思い出に」捧げるべく《ヴァイオリン協奏曲》で引用したのも同じコラールだが、これもベルクの“白鳥の歌”となった)。和訳が見つからないので、とりあえず英訳から試訳する。
「もう十分です/主よ、あなたの意に沿うなら/私を解き放ってください!/私のイエスが来られますように/おお、世界よ、さようなら!/私は天の家へ赴きます/こころ安らかに しかと彼の地へ/私の大いなる苦しみは地上に残して/もう十分です」
ただし、ツィンマーマンの引用は三行目までであり、そのフレーズだけ荒々しい強音で鳴り響く。あたかもゴシック体で「私を解き放ってください!」と叫ぶかのように。そして音楽は断ち切られる。つまり、イエスへの言及や、心安らかに天の家へ赴く等の音楽(言葉)は切り捨てられている。
ツィンマーマンの音楽の構成は、バッハのカンタータの構造にわざと似せているようにも思える。バッハでは、上記のように「恐れ」と「希望」が対話し、その葛藤を「キリスト」の言葉が解消し、最後にコラールで召天への受容がポジティヴに造形される。その背後には、主イエスへの絶対的な信頼(信仰)がある。ツィンマーマンの場合、伝道者ソロモン(旧約聖書)と大審問官(ドストエフスキー)はそれぞれ一方的に語るだけで両者に対話はない(ただし、前述のとおり、後半では第1の話者が一度だけ「大審問官」の語りを担う)。対話はないが、世界の現状認識における否定性が響き合う。ともかく、前者は懐疑主義的かつ厭世的な世界認識を語り、後者は人間の苦悩の根源である自由をもたらしたキリストを非難し、反キリストに与する老枢機卿の姿を描く。ここではキリストは終始沈黙したままで、バッハのカンタータのように声を発して「救い」の手を差しのべることはない。まさにこの世の〝救いようのなさ〟を嘆くようなバスの呻吟が響いた後、出し抜けにバッハのコラールが奏され、終わる。構造が似ているだけに、こうした違いがいっそう際立つ。

オーケストラは弦楽の瑞々しい響きはほとんど不在で、金管の低音が支配的。弦バスのソロやエレキギターの音色が妙に印象に残った。(コラールの直前、一階右側あたりから、オルゴールかハープのような音のフレーズが聞こえ、トレーケルの表情が少し変わった。あれはなに? ケータイの着メロか。)

休憩後、ベートーヴェン交響曲第5番(開始の直前、後方からクシャミが)。ハイテンポ。リタルダンドもあまりしない。とにかくエネルギー全開で前に突き進む。オーボエカデンツァは自然の運動法則に委ねたような感触。第二楽章のヴァリエーションもやや速め。主題が次々に他のパートへ受け継がれていくさまが心地よい。第三楽章のスケルツォはかなり速い。その分、弦バスのトリオ、例の「象のダンス」(ベルリオーズ)のパッセージが小気味いい。やがてフィナーレの歓喜へ突入していく・・・。メッツマッハーは、終始、興奮気味に振っていた。

今回のプログラムは実によく考えられている(今回に限るまいが)。聴覚障害に悩み「自ら自分の生命を絶つまでにはほんの少しのところであった」ベートーヴェンを「引き留めたのはただ『芸術』」だった。「自分が使命を自覚している仕事を遂げないで、この世を見捨ててはならない」と(片山敏彦訳/サントリーシリーズの向井大策によるProgram Notesに引用)。ハイリゲンシュタットで彼がこう書いたのは32歳のとき。冒頭の『プロメテウスの創造物』序曲はその一年前、すなわち聴覚障害が深刻になる以前の作品だ。一方、52歳のツィンマーマンは“Ekklesiastische Aktion”を完成させた五日後にピストル自殺する。メッツマッハーは、まず明朗闊達な『プロメテウス』で幕を開け、その後、ツィンマーマンの〝白鳥の歌〟を、自死に到る心的プロセスを自己劇化したともとれるカンタータを上演する。休憩後、彼が自死した百数十年前、同じく自死への衝動に駆られながらその苦悩を克服したとされるベートーヴェン、まさにそうした〝乗り越え〟を音化したような第5交響曲で締め括る。大雑把にいえば、「無邪気さ」から「絶望」を経て「希望」(勝利)へと到る筋道を濃密に体験させてくれるコンサートだった。
ところで、Program Notesには「ソロモンも大審問官もツィンマーマンの絶望と孤独を救わなかった」との文言がある(青澤隆明)。本当にそうなのか。両者の「思弁や言葉」をコラージュし本作を創り上げる営為そのものは、創り手にとって、「救い」だったとはいえないか。たしかに大審問官の「思想」は、そこだけ取り出せば、反キリスト的であり、突き詰めれば、天ではなく地上の王国(神権政治)に至らざるをえない。あるいは「無神論的・唯物論的な社会主義」に(ベルジャーエフドストエフスキーの世界観』1921)。だが、そもそも、大審問官はイヴァンが書いた劇詩の登場人物にすぎず、またこの劇詩にしても、イヴァンがアリョーシャに語って聴かせる道具立てにすぎない。さらにいえば、大審問官は登場人物であるイヴァンの思想をある程度代弁しているとはいえ、それを作者ドストエフスキーの思想と同一視するのは、小説を読む態度としてナイーヴである。ベルジャーエフには若干その嫌いがある。「ドストエフスキーイデオロギー的世界観に固有の社会的あるいは宗教的なユートピアが、彼の客観的な芸術家としての目を併呑し、溶解してしまうことはなかったのである」(望月哲男・鈴木淳一訳『ドストエフスキー詩学』1929/63)。バフチンのこの言葉は、ドストエフスキーのみならず、小説を含む芸術作品一般をベルジャーエフのように非立体的かつ思想還元的に読解することへの戒めとしても有効だろう。ドストエフスキーにおける「主観共同性」や「邂逅」の問題を重要視し、その「多調音楽的」特性を掴んでいた森有正は、この種の愚を免れていた。曰く「ドストエーフスキーの主観的共同性の場所においては、双方の主観は完全に自己であることをやめない。しかも対手との真に深い共同態にはいっている。そこでは双方が人間として完全に対等であり、しかもそれぞれ自己のなかに深い自己否定を含んでいる・・・」(「ドストエーフスキーにおける「自由」の一考察」1949)。哲学者(思想家)の森はオルガニストでもあった。バフチンのポリフォニックな視点に共通する認識をもてたのはそのせいかも知れない。「大審問官」は劇中劇にすぎず、「真の劇、イヴァンの思想的存在としての苦しみの上場は、詩劇『大審問官』の長い梗概紹介が終ったあと、Dixi[わし(大審問官)の話は終わりだ]のあとで始まる」と書いた寺田透も同様だ(『ドストエフスキーを読む』1978)。
だが、こうしたことは、創作(作曲)家ツィンマーマンには自明だったはず。「Dixiのあと」すなわち、イヴァンが語る劇詩「大審問官」を聞き終えたアリョーシャは顔を赤くしてこう叫ぶ。「・・・兄さんの詩はイエスの賛美であって、兄さんの望んでいたような……非難じゃありません」。「そんなふうに自由を理解しなけりゃいけないんですか!」「そんなのはローマですよ」「カトリックの中のいちばんわるい部分ですよ」(原卓也訳)。カトリックの教育を受けたというツィンマーマンは、「大審問官」をどう捉えていたのか*2。そもそも、この「劇中劇」を含む小説『カラマーゾフの兄弟』をどう読んだのか。いずれにせよ、彼は、最後の作品を作曲するに当たり、「大審問官」を小説から引き離し、その一節を、「伝道の書」の一部と共にコラージュに使った。殊更に黒々とした、厭世的な言葉を選りすぐり、みずからの“白鳥の歌”を創り上げたのである。彼は、それが、この世にさよならを告げるに相応しいと感じたのだろう。これは自己劇化なのか。そうだとすれば、かつて T. S. エリオットが『オセロー』について述べたように、この作曲家は、最期に「自分を元気づけようとしている」のか。「倫理的ではなく、美的な態度を取り」、「自分を悲壮な人物に仕立てている」のだろうか。

*1:なぜ“Ekklesiastische Aktion”と名付けたのか。本作は「伝道の書」(コーヘレトの言葉)の著者であるコーヘレト(伝道者ソロモン?)による語りと朗唱が中心だ。「コーヘレト」は、勝村弘也によれば、「ヘブライ語で「集まる」「集会を開く」を意味する動詞や「集会」「会衆」を意味する名詞と同一の語幹から派生した語である」。「明らかに人名ではな」く、「知恵の教師であった著者が用いた一種のペンネームのようなもの」らしい。「伝道の書」の英語書名“Ecclesiastes”は「七十人訳の書名エクレーシアステース」に倣ったものであり、「「集会で語る者」を意味し得ることから「説教者」(ルッター訳)、「伝道者」(口語訳)などの解釈が生じた」とのこと(『旧約聖書 XIII』岩波書店)。さらに、岩波版の補注によれば、コーヘレトは「元来「集会主催者」というほどの意味」で、「コーヘレトの著者が自らをこう呼んだのは、彼の言葉が集会で宣布されたがゆえだといわれる」。おそらくツィンマーマンはこの旧約の著者によるアクション(パフォーマンス)との意味から“Ekklesiastische Aktion”と名付けたのだろう。もしそうなら、このタイトルは「コーヘレト(集会主催者/伝道者)的アクション」、ツィンマーマンが使ったというルッター訳を採れば「説教者のアクション」と訳すこともできる。プログラムの「福音宣教的」という訳語は、この旧約の書がきわめて懐疑主義的かつ「悲観的厭世的」(勝村)である点、また「福音」がイエス・キリストによる新約的世界を含意する点を考慮すると、少し議論の余地がありそうだ。もっとも、本作では、厭世的なソロモン(コーヘレト)の言葉と、大審問官が囚われのイエスに詰問する条りとが、交互に語られる。したがって「福音宣教的」との文言を使えば、かなり皮肉の効いた逆説的な響きを帯びることになる。訳者はそれを狙ったのか。

*2:ベルジャーエフによれば、大審問官の思想は「聖アウグスティヌスの宿命的な考えかた」と繋がっている。一方、ツィンマーマンは音楽を「過去と未来を巻き込みながら変容する現在」と捉えたというが(向井大策/サントリーシリーズのProgram Notes)、これは聖アウグスティヌスの時間論に影響されているらしい。『告白』を読めば両者の関係を読み解く手掛かりが掴めるかも知れないが、本が手元にない。むかし山田晶の『アウグスティヌス講話』を読んだはずだが、これも見つからない!