新日本フィル #528 サントリー定期演奏会/メッツマッハー指揮

新日本フィルの第528回 定期演奏会を聴いた(7月13日 14時/サントリーホール)。

ベートーヴェン(1770-1827):劇音楽『エグモント』op. 84 序曲

しびれた。筋肉質の、引き締まった演奏。外からなにも加えない。内から外へエネルギーが噴出する。テンポはやや速めで、強烈なサウンドが快速で疾走する。やわなロマンティシズムとは無縁。片足で拍子を取りながら指揮するさまは、ジャズでも振っているかのよう。

ツィンマーマン(1918-70):トランペット協奏曲 ハ長調「誰も知らない私の悩み」(1954)
トランペット:ホーカン・ハーデンベルガー

「(タイトルの)黒人霊歌を定旋律としながら、バロック時代のコラール前奏曲、十二音技法による自由な変奏曲、そして協奏的なスタイルのジャズという、時代的にも様式的にも異なる3つの形式原理が用いられ」ているとのこと(向井大策 Progam Notes)。なるほど。たしかに、さまざまな曲想の音楽が聞こえてくる。そこにはサクソフォンハモンド・オルガンの音も混じっているし、ホーカン・ハーデンベルガーのトランペットも二種類のミュートを使ってジャズみたいに吹いている。だが、例の黒人霊歌はなかなか聞こえてこない。やっと、コンマスのヴァイオリンがあのメロディを弾いている、と思いきや、すぐに他のオケの音にかき消される。やがて、"主役"のトランペットがこのメロディを奏するのだが・・・。そうか、「人種差別の狂気」に苦しみ、呻吟する声は、差別する側の圧倒的な力にかき消され、なかなか聞き取ることなどできはしない。そうした差別される側の苦境を音楽的に表象しているのではないか。だからこそ「私の悩み」は「誰も知らない」となるのだろう。最後、ミュートを付けたトランペットとオーケストラは共に消え入るように終曲を迎えた。アンコールは、ミュート付きトランペットのソロでリチャード・ロジャーズの「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」。心に沁みるソロだった。
休憩時、椅子に座ってメモしていると、常連らしい数人の話が耳に入ってくる。今後のどこそこのコンサートはチケットが高いとか、指揮者は誰が来るとか・・・。いま終わったばかりの音楽について話すものは誰もいない。クラシックコンサートはこの国では未だ文化ではなく消費の対象でしかないのか。

ベートーヴェン交響曲第3番 変ホ長調「英雄」op. 55

ピリオド奏法をゆるやかに取り入れていたか。ダイナミズムの振幅は大きいが、素朴で自然な音色。ただ、『エグモント』のように、一楽章の冒頭から引き込まれる感じはなかった。二楽章の葬送のテーマは、ノンヴィブラートの弱音で、音がその場で生成しているような感触(この楽章の後半で、二階の左側から、パチンコ玉のような金属が床に落下し、さらに跳ねるようなノイズが聞こえた)。三楽章のホルンの勇壮な響き。四楽章のヴァリエーション。終始、乾いた音色で気持ちがよい。『エグモント』序曲と「エロイカ」は五年ほどの差があるだけだが、演奏様式を変えているように感じた。今回オーボエは客演の庄司知史氏。『エグモント』ではもっと濃いめの音色が欲しい気もしたが、古楽的な音楽作りの「エロイカ」では、氏の素朴で自然な味わいの音色がよく合っていたように思う。