新国立劇場ダンス Aプログラム「小さな家 UNE PETITE MAISON」/人に使用されるアート/「ル・コルビュジエと20世紀美術」展

中村恩恵×首藤康之の「小さな家 UNE PETITE MAISON」を観た(10月4日 19:00/新国立中劇場)。新国立劇場ダンス2013/14シーズンの開幕でもある。

<Aプログラム>小さな家 UNE PETITE MAISON
構成・演出・美術原案:中村恩恵首藤康之
振付:中村恩恵
音楽:ディルク・P・ハウブリッヒ
照明:足立 恒
美術:杉山 至
衣裳:山田いずみ
音響:内田 誠
舞台監督:黒澤一臣


アーティスチック・コンサルタント:デヴィッド・ビントレー
主催:新国立劇場
平成25年度(第68回)文化庁芸術祭協賛公演

「小さな家」はスイス生まれの建築家ル・コルビュジエ Le Corbusier(1887-1965)から触発された作品。タイトルは、彼が老いた両親のために建てた18坪の《小さな家》、そして晩年に妻と住むべく建てた3.66m平方(約8畳)の〝最小限住宅〟《休暇小屋》にちなんだものらしい(プログラム)。
ステージは客席最前列と地続き。その中央奥に白い〝小さな家〟があり、そのつど作業着姿のスタッフ数名が下手・上手等へ移動させる。時折、ル・コルビュジエの言葉を首藤康之が語る。録音もしくはその場で。首藤が数字を口ずさみながらメジャーで寸法を計測するシーンは『フィガロの結婚』冒頭のパロディか。前半、特に首藤の単独場面は少し退屈で眠くなった。二人が三拍子の明るい音楽に合わせて踊るシークエンスは幸福感が滲出。妻の妊娠。希望。やがて音楽が変わり、不穏な空気のなか、右往左往する人々の陰がステージ奥の壁面に映し出される。第二次大戦へと至る欧州の危機を表象したものか。〝小さな家〟が下手から上手へ移動。そのとき室内に白い十字架が見え、首藤はそこで法服のような長い白服を着る。ステージに残った中村恩恵は、苦悩に満ちたソロを踊る。産みの苦しみ? 実存の不安? いずれにせよ、見る者を注視させる踊りはさすが。舞台中央に移動した〝小さな家〟の前のベンチに白髪で黒服の中村が座る。建築家の母だろう。何もせず、ただゆっくり立ち上がり、〝小さな家〟の裏へ去っていくだけ。ベケット芝居に出てくる老婆にも比すべき存在感。
後半の首藤のソロは、もっぱら鋭角的で一本調子の印象。ただし首藤の演技というか、やわらかで少しユーモラスな存在感は悪くない。彼は、昨年12月の〝演劇〟公演『音のいない世界で』(作・演出:長塚圭史/振付:近藤良平)で松たか子と夫婦役をやった。今回の作品には、特に彼の演技に、そのときの感触と似たようなものがあった。踊りについては、デュエットもしくは中村のソロはよいのだが、首藤のソロはあまり面白くない。どちらも中村恩恵が振付けたはずだが、これはどういうことなのか。
ディルク・P・ハウブリッヒの音楽は、ミニマルといってよいのか。人の声(前半は少年合唱か)を効果的に使い、後半はチェロやコントラバスが弓で弦を強く弾き延ばしたような、重苦しい低音が断続的に響く。実に効果的。
ル・コルビュジエが設計した上野の国立西洋美術館で先月「ミケランジェロ展―天才の軌跡」を見た。が、企画の〝貧弱さ〟に失望。ついでに見た「ル・コルビュジエと20世紀美術」の方がよほど楽しめた。この建築家は数多くの美術作品も残していた。絵画、彫刻、版画、タピスリー、映像等々。特に興味を惹いたのは、ピカソやブラックのキュビスム作品等と共に、ル・コルビュジエの本名であるシャルル=エドゥアール・ジャンヌレとして発表した絵画が並列されていた点だ。彼もピカソらと似たような絵を描いていた。
どれも悪くないが、ピカソやレジェらの圧倒的に主張する個性ではない。そこには〝冷たい厳しさ〟とは別種のなにかがある。強いていえば〝温かい優しさ〟のようななにかが。こういう人はやはり絵画より建築の方が向いているのかも知れない。なぜなら、絵画は視覚的な集中と沈潜を強いるが、建築は「二重のしかたで」、すなわち、見られる(視覚的)だけでなく「使用すること」(触覚的)によって受容されるものだから(ヴァルター・ベンヤミン)。絵は終生描き続けたようだが、彼にとっては、精神集中や注目、場合よっては崇拝の対象でもある絵画より、くつろいで利用され、触覚的に受容される建築こそが天職だったのではないか。
ル・コルビュジエは、家の大きさは経済的な地位や豊かさではなく家族の大きさに従って決めるべきと考えていた(Wikipedia)。「小さな家」の思想である。中村恩恵プロテスタント的ともいえるこの美学=倫理に共感したのではないか。人に「必要」とされ、視覚的に見られると同時に触覚的に使われるものを作り出す仕事。そのようなダンス作品を創作するのは容易ではない。だが、今回の舞台から、少なくともその志向(試行)を感じ取ることはできた。