三好十郎の『冒した者』を観た(9月7日 17時/神奈川芸術劇場 大スタジオ)。いま頃は東京公演(吉祥寺シアター)の中日あたりか。
今回もつい出遅れて、気がついたら〝予定枚数終了〟に。なんとかネットで横浜公演のチケットを入手。この取りにくさは「あまちゃん」がらみか。ミズタク(水口琢磨)人気がここまでとは知らなかった。実際、チケットをゲットできたのは松田龍平ファンからだ。KAATはちょっと遠いが、その甲斐は十二分にあった。今年観たなかでは3月の『長い墓標の列』(新国立小劇場)以来の収穫。
だいぶ時日は経ったが、やはりメモしておく。
『冒した者』(1952)
作:三好十郎(1902-1958)
演出:長塚圭史
[キャスト]
私:田中哲司/須永:松田龍平/舟木(医師):長塚圭史/織子(その妻):桑原裕子/省三(学生・舟木の弟):尾上寛之/若宮(株屋):中村まこと/房代(その娘):江口のりこ/柳子:松雪泰子/浮山:吉見一豊/モモちゃん:木下あかり[スタッフ]
美術:二村周作/照明:齋藤茂雄/音響:加藤温/人物デザイン監修:柘植伊佐夫/ヘアメイク:河村陽子/演出助手:山田美紀/舞台監督:福澤諭志/プロデューサー:伊藤達哉主催:ゴーチ・ブラザーズ
企画・製作:葛河思潮社
提携:KAAT神奈川芸術劇場
助成:文化芸術振興補助金(トップレベルの舞台芸術創造事業)
戦後の東京郊外に建つ、塔と地下室附きの三階建て家屋に「私」を含め5家族9名が住んでいる。といっても、舞台には倒された木製の椅子が十脚ほどあるだけ。10名の俳優たちは両袖に置かれた椅子に座り、原則、はけることはない。『浮標(ブイ)』(2011年/翌年の再演は未見)のように砂場こそないが同じような制作途上(ワーク・イン・プログレス)的形態だ。
全20場から成る舞台は、一階の「食堂」、三階の「私の室」、二階の「洋室」、「地下室」、二階の「若宮の室」、「舟木の室」、「柳子の室」等々、次々と転換する。だが、基本的には何もない舞台でそのつど椅子を並び替えるだけ。冒頭の食事シーンでもテーブル等はない。椅子以外の小道具はほとんど使用せず、すべてマイムを含む演技で表現される。第10場「 塔」と最後の第20場「塔の上」のみ舞台奥のバルコニーが使われる。きわめてシンプル。屋敷が「三カ所ばかり焼夷弾を食ったり自然の崩壊のためくずれこわれた」感じは、倒れた椅子だけではたしかに伝わりにくい。だが、そのぶん観客は役者の演技を注視し、そこから人物たちの性格や境遇や互いの関係等に想像を巡らせることができる。
芝居は「そうだ。もう芝居はたくさんだ」という「私」(田中哲司)の台詞で始まる。時折「私」は、語り手のように説明したり感慨を述べたりするが、それは観客に、というよりも、死んだ妻(『浮標』の五郎=作者同様「私」は妻を亡くしている)に話しかけているようでもある。
いつものように一同が集って夕食をとっていると、そこへ、ひょっこり須永(松田龍平)がやってくる。須永は兵隊帰りの、いわゆる演劇青年で、これまで何度か「私」から教えを請いに訪ねてきていた。だが、今回は「私」というより、屋敷の管理人である浮山さん(吉見一豊)の遠縁に当たるモモちゃん(木下あかり)に会いにきたらしい。十六七のモモちゃんは、広島の原爆で視力のみならず親兄弟もすべて失ったが、四階の塔に登ってフルートを吹く快活な少女。やがて、屋敷の住民は、須永が人を三人殺してきたことを新聞で知る。死んだ恋人の義父を絞め殺し、さらにピストルで恋人の実母を、そこへ来合わせた米屋の配達人をそれぞれ射殺したと。にわかに、屋敷の「平凡ながら」「落ちついた平和な空気」が一変する。
超然とした須永は、トリックスターのように、住民たちをかき乱す。〝殺人者〟の闖入で死の恐怖が持ち込まれた途端、「私」を含め、インテリの医者(長塚圭史)も、クリスチャンの妻(桑原裕子)も、学生(尾上寛之)も、株屋(中村まこと)も、長唄の名取り(松雪泰子)も、進駐軍に務める女(江口のりこ)も、須永の超越性を共有するモモちゃん以外、みな、その本性が露わになる。同時にそれは、生きながら死んでいた彼らの内なる〝生〟を蘇らせる事態でもあった。幕切れのモモちゃんの裸身は、投身する須永への作者からの餞別のよう。須永の最期。その透明な悲しさに周囲の女性客たちが静かに涙を拭っていた。
須永役に松田龍平を得たのは大きかった。集客というより、作品にとって。須永は、眼鏡こそかけていないが「あまちゃん」のミズタク同様、猫背でぼそぼそ喋る。それでも、台詞はほぼすべて聴き取れた。いったん台詞が松田の身体に入り血肉化されたからだろう。
別役実によれば、「一度身体をくぐらせてきた」台詞は「科白」となる。「発信された情報を受信するだけ」の「台詞」と違い、「『科白』の場合の聞き手は、その動作に自分自身の身体のリズムを同調させざるを得ないから、情報の受信と同時に、それへの共鳴にも思わず誘われることになる」という(「台詞と科白」『日経新聞』2013年8月18日)。
今回の松田龍平を見れば、別役の主旨はストンと腑に落ちる。松田=須永の呟きが聞き手にしっかり届いたのは、まさにこの「共鳴」ゆえだろう(松田の発話レンジは実はかなり大きいのだが)。他の役者たちの台詞もみな「手触りのある」「科白」になっていた。それはいうまでもない。だが、松田の発することばには、〝いま、ここで〟内から生み出されているような独特の感触があったのだ。しかもそこには妙なユーモアがあり、何度もクスクス笑わされた(話の文脈上〝不謹慎〟をおそれてかほとんど誰も笑わなかったが)。
他の俳優もみな演じる役への理解度がきわめて高く、充実した舞台を作り上げていた。特に若宮役の中村まことと浮山役の吉見一豊は肉厚の存在感で、飄々とした松田との好対照を成していた。モモちゃん役の木下あかりは〝現代社会〟を相対化する須永との親和性がよく出ていた。織子に扮した桑原裕子の身体はいかにもクリスチャン! 房代を演じた江口のりこは〝GIを恋人に持つ女〟というレッテルからは推し量れない内的奥行きを感じさせた。柳子役の松雪泰子は三味線弾きを含め、芸者あがりの雰囲気を醸し出していた。須永にエロスを刺激され失神する場面はやや清潔すぎるが。舟木役の長塚圭史は、人はよいが「一人よがり」のインテリ医者を演じていた。省三役の尾上寛之は学生らしい社会への反感や熱血性を強調したが、もっと知的な感触を出してもよいか。
残念ながら「私」役の田中哲司は、『浮標』同様、ミスキャストと言わざるをえない。膨大な台詞覚えには敬意を表したいが、やはりタイプが違うと思う。作者と重なる部分が大きなこの役は、その内面領域がもっと客席まで広がってこなければいけなくないか。演出家には、この俳優を主役に立てる、われわれには計り知れない理由や事情があるのかも知れない。観客席からは分かりにくいが。
深い洞察に満ちたことばが飄々とした松田=須永の口から発せられ、それを20〜30代の若者(大半は女性)がじっと聴いている。なんか妙な快感と感慨を覚えた。たとえば、「私」と須永の次のような対話。
二人は椅子に差し向かいで座り、照明が二人の頭上をX形に交差している。他の住民たちは、両袖の闇のなかで聞き耳を立てている。須永はまず原爆の話をする。曰く、人間は原子爆弾を発明し、それを広島に落としたことで、一線を越えてしまった。神さまの領域まで。だが、落とした人、落とすことに決めた人をとがめようとしているわけではない。自分にその資格はない。いったん発明したからにはいずれ誰かが武器に使ったであろう。「ですから、人間全体に、それに就いては責任があるわけで――ですから善い悪いの事を言ってるんじゃありません。ただ、人間は原子力で人を殺したと言う事で、犯してはならない所を犯してしまったと思うんです。[・・・]僕が言うのは、そんなトテツもない、自分たちに取って根本的に決定的なことが起きてしまっているのに、しかもそれを自分の手で引き起こしてしまったのに――つまり犯しちまっているのに、人間はその事に気が附いていないんじゃないかと言うことを、それを僕あ――」。
須永 人間はもう死んでいるのに、死んでいる事に気が附かないままで生と死の境目の敷居を踏み越えてノコノコ歩いて行ってる。・・・・・
[・・・]
須永 [・・・]友達に逢っても、先輩も親兄弟もそのほかの世間の人も僕には、つまらんのです。直ぐ嘘をつきますから。あなたは、嘘だけはつかれないから、そいで、なんとなくツイお目にかかりに来るんです。
[・・・]
須永 [・・・]その[恋人あい子の義父の]後姿を見ていて僕は、この人と自分とは、いっしょに生きてはおれないと言う気がヒョッとしたんです。一瞬でもいっしょの空気を呼吸して・・・・・いや、気がしたんじゃなくて、その時、一刻もいっしょに生きてはおれなかったんです。そいで・・・・・僕は自分のバンドをはずし、後ろから行って、首をしめた、ようです、ハッキリおぼえていません。[・・・]死んだんですか、じゃ?
私 君は人を殺した。・・・・・人を殺すのは、いけない事じゃないかね?
須永 それは知っています。・・・・・でも、しかたがなかったんです。
私 しかたが無い? そう、しかたがないと言えば、なかったかもしれん。でも、悪いことは、やっぱり悪い。
須永 ええ、悪いです。・・・・・でも、善いことと言うのは、なんですか?
私 そりゃ君・・・・・(言葉につまる)
須永 戦争の時は、敵を殺すのは善い事なんでしょう?
私 ・・・・・・・・・(答え得ない)
須永 いえ、僕は自分のした事が善い事だなんて言う気はまるでありませんから、屁理屈を言おうとしてるんじゃありません。いけないのは僕です。でもホント言うと、何が善くて何が悪いか、僕にはまるきり、わからないもんですから。――
私 ・・・・・(額に脂汗が光っている)しかし、しかしだね・・・・・(あえぐ)その、逆にだな、君が人から、いきなり殺されたら、君、イヤだろう?
須永 そんな事はありません。いつ殺されてもいいです。・・・・・僕はもう、とうに死んでいるかも知れないんですから。
私 (歯をガリガリと鳴らして)僕は冗談を言ってるんじゃない。
須永 僕も冗談言ってるんじゃありません。弱ったなあ。(第11場「私の室と次ぎの室」)
こうして台詞を書き写していると、舞台で飄々と呟いている松田龍平の姿がまざまざと蘇ってくる。
次は、須永の恋人あい子の自殺を医者の舟木がフロイト流に得々と精神分析してみせ、それを、須永のゆったりとした「そうでしょうか?」の一言で相対化した後の遣り取り。
私 [・・・]須永、君は、その最初にどうしてその、あい子さんと一緒に死ぬ気になったの? 互いに好きなら結婚するなり、又、あい子さんが結婚はいやがっているなら、それはしなくても、なぜ死ぬ気になったの? そこの所が私には一番わからない。
須永 ああ、それなら僕にはハッキリ言えます。息がつけなくなったからです。呼吸が苦しくて、窒息しそうになったんです。ピストンは段々、段々に押されて来る。空気は狭くなり圧力を増し、熱して来る。二度と鉄砲を持たされるのはイヤだ。右の足も左の足も、足の裏からジリジリと焼けて来る。どこにも立っておれる所が無い。宙にぶらさがる事は出来ない。逃げ出さなければならない! 脱出! 脱出しないと、歯車はギリギリと、もう既に廻っている。煙硝の匂いがまだ消えないのに、原子爆弾は二千個に達した。イエスと言ってもノウと言っても、どちら側かに組み込まれている。第三の場所は無い。殺すまいとする事が、殺さざるを得ない原因になる。平和に近づこうとすると戦争に近づいてしまう。生きようとすると、死ななければならん。生きているものは、生きたままで死骸の臭いを立てはじめた。ハハ、矛盾の大きさは、悲劇ではなくて喜劇になってしまった! こっけいになったのです。笑いながら、僕は崖を飛び降りただけです。窒息しそうになったので、壁を僕は押しただけだ。(第19場「地下室」)
今回の観客はとても行儀がよい。というかよすぎるぐらい。笑いを誘うところでも静寂を破らない。カーテンコールでは、暗転ののち再び明るくなって役者たちが舞台に揃って前を向き、礼を始めたところでやっと拍手が始まった! 随分いろいろな芝居を見てきたが、こんなことは初めてだ。松田龍平ファンは〝真面目〟なのか(チケットを譲って貰った女性はそう見えた)。
かつてこの戯曲を読んだとき、きわめて挑戦的で面白いとは思いつつ舞台での情景を想像しずらかった記憶がある。「舞台空間をデザイン」する二村周作は「はたしてこれは上演を想定して書かれた戯曲なのか」との感想を抱いたそうだ(プログラム)。たしかに。それほど舞台化するのが困難な作品といえる。三好十郎の一人娘 白木まりは「生きているうちにまさか『冒した者』が再び観られるとは思わなかった」と言ったという(プログラム/ちなみに本作は「Sの霊に捧げる」との献辞が記されているが、このSは、移動演劇桜隊の隊長として広島に常駐したさい原爆で亡くなった丸山定夫で、白木まりの名付け親でもあるらしい)。それが見事に肉化され、そこに現前していた。嬉しい驚きだった。
ところで、先に『冒した者』と『長い墓標の列』を並記した。一見恣意的な取り合わせに思えるが、案外そうでもない。
『冒した者』は三好と岡倉士朗の共同演出で民芸が1952年に初演。福田善之(1931-)の『長い墓標の列』(決定稿)はその6年後に上演され、岡倉の弟子 竹内敏晴*1が演出している(1958年11月/ぶどうの会)。同年12月16日(ちょうど『墓標』の静岡での楽日)三好十郎は56歳の生涯を閉じ、翌年、文化座が追悼公演で『冒した者』を再演する(佐々木隆 演出・村山知義 装置)。
こうしてみると、共に敗戦後のある時代の空気のなかで創作され、舞台化されたことになる。数十年ぶりに上演された点も両者に共通するが、共に見る者の(少なくとも私の)こころに深く食い込んできた。これは偶然なのか。それとも、三好十郎が61年前に名指しした「現代」と、いまの時代が似ているということか。