新日本フィル #511 定期演奏会/大野和士のブルックナー7番ほか

新日本フィルハーモニー交響楽団の第511回定期演奏会を聴いた(7月5日 19:15/すみだトリフォニーホール)。
ごく簡単にメモする。

シャリーノ Salvatore Sciarrino (1947- )
『夜の肖像』Autoritratto nella Notte (1982) *日本初演 約10分


ツィンマーマン Bernd Alois Zimmermann (1918-70)
 『ユビュ王の晩餐のための音楽――7部とアントレからなるバレエ・ノワール』 約20分
Musique pour les soupers du Roi Ubu――Ballet noir en sept parties et une entrée


  休憩20分


ブルックナー Anton Bruckner (1824-96)
交響曲第7番ホ長調(ノーヴァク版、1954) 約70分
Symphony No. 7 in E major (1954, edition Nowak)
I. Allegro moderato
II. Adagio: Sehr feierlich und sehr langsam(非常に厳かに、そして非常にゆっくりと)
III. Scherzo: Sehr shnell(非常に速く)― Trio: Etwas langsam(いくぶんゆっくりと)
IV. Finale: Bewegt, doch nicht schnell(動きをもって、しかし速くなく)


指揮:大野和士
コンサートマスター:崔(チェ)文洙 Munsu Choi


生誕200年の〈ワーグナー讃〉をテーマに大野和士が選んだ三曲。興味深いプログラムだ。
前半の『夜の肖像』は弦や笛等で終始囁いているような音を作り出す。『ユビュ王の晩餐のための音楽』は「多様な引用と盛大なコラージュで巧緻に織りなされ」た音楽(青澤隆明/プログラム)。たしかに。特にIIにおけるバッハのブランデンブルク協奏曲ベートーヴェンの「田園」が、VIIではベルリオーズの「断頭台への行進」(幻想交響曲)とワーグナーの「ワルキューレの騎行」が、それぞれ荒々しく共存するシークエンスには思わず笑った。二演目とも曲が終わると指揮者が客席へ振り返る。「どうですか」「面白いでしょ」と言わんばかりに。たしかに面白かった。
後半のブルックナー第7番。II楽章のアダージョは、ヒットラーが自殺したのち追悼としてドイツのラジオで流されたことはよく知られている(使われたのはフルトヴェングラー指揮のベルリンフィル)。この夜は例のシンバルで少し音楽が目覚めた感じもしたが、どうも・・・。III楽章のスケルツォはまあよかった。全体的に骨はしっかりしているし、よく鳴っているのだが、どうもこちらに来るものが薄い。大きな音は聞こえていてもどこか空疎な感じ。音楽体験としての弱さ。なぜだろう。
大野和士は言葉で説明する能力がきわめて高い優秀な指揮者である。つまりはものすごい秀才だが、逆に、その先の境位に達するには啓蒙的すぎるのではないか。それとも年齢? 指揮者で五十代と言えばまだこれからのはずだが。ただ、都響の『戦争レクイエム』(6月18日/東京文化会館)のとき、大野の身体からあまり〝気〟が出ていない、と知人は言った。たしかに。今回も指揮者だけが音楽に入っていないような印象。これは、指揮者はつねに理性的でなければならぬといった話とは別だ。たとえば、きわめて理性的といわれるハーディングには感じないのだから。今後は都響で聴く機会が増えるだろう。日本が誇る優秀な指揮者のこれからを見守っていきたい。