ネルソンス指揮 バーミンガム市交響楽団/ヒラリー・ハーンの完璧な演奏にも頬は弛まず

ネルソンスの指揮およびハーンのヴァイオリンを初めて聴いた(11月21日 19時/東京芸術劇場 コンサートホール)。

指揮:アンドリス・ネルソンス
管弦楽バーミンガム交響楽団
ヴァイオリン:ヒラリー・ハーン


ワーグナー:歌劇「ローエングリン」から第1幕への前奏曲
シベリウス:ヴァイオリン協奏曲 ニ短調 作品47
チャイコフスキー交響曲第5番 ホ短調 作品64


主催:東京芸術劇場 (公益財団法人東京都歴史文化財団

アンドリス・ネルソンス(1978- )は、マリス・ヤンソンス同様、ラトヴィアのリガ出身で「破竹の進撃を続ける俊英」(フライヤー)の若手指揮者らしい。2014/15年のシーズンからボストン交響楽団音楽監督に就任するとのこと。2011年4月の東京春祭で演奏会形式の《ローエングリン》を指揮する予定だったが、東日本大震災で中止になった。私もチケットを買っていたから、二年半ごしにネルソンスを聴いたことになる。
ローエングリン」第1幕への前奏曲は、ヴァイオリンの無音から弱音への響きが印象的。天からローエングリンが地上に降りてくる。次第に音量を増していくが、もっとも近づいてきたときですら、シンバルの響きはかなり控えめ。また遠くへ去って行く。ネルソンスの指揮にいわゆる拍子を取る動きはほとんどない。
ヒラリー・ハーン(1979- )を見ていると、なぜか米国女性詩人のエミリー・ディキンソン(1830-86)を想起する。共に孤高な印象を与えるからだろう。ハーンのヴァイオリンは実に正確な音取りでテクニックは完璧だ。三楽章の民族的な曲想のところなど聴き応えがあった。まったく破綻のない素晴らしい演奏。だが、頬が弛むことは一度もなかった。アンコールではバッハのパルティータ第2番からサラバンド。流麗で正確無比。が、やはり頬は弛まず。演奏は完璧なのに。自分(の身体)が何を求めているのか、あらためて考えさせられた。
今秋はなぜかチャイコフスキーの5番を聴くことが多い。ネルソンスのテンポはややゆるめ。何度も指揮台の柵を握り腰を落としてオケに弱音を要求する。かといって、その後のフォルテを強調するわけでもない。とにかくニュアンスを大事にしているのだろう。だが、三つの楽章が終わる頃、少々このやり方に飽きてきた。そこから生み出される音楽から新鮮ななにかを感じることはない。エンディングにもさほど熱気があるわけでもない。むしろぬるいくらい。9月にサントリーホールで聴いたメッツマッハー指揮の新日本フィルによる凄まじい名演には遠く及ばない。バレーデスが振ったエル・システマ・ユース・オーケストラにも。
オケは、弦楽器は肉厚に響くが、管楽器群は地味でもっと輝きがほしいところもあった。総じて在京のオケとさほど変わらない。ネルソンスは個性的とは思うが、彼の作り出す音楽を積極的に聴きたいかといえば、そうでもない。アンコールで演奏したエルガーの「朝のうた」は、伸びやかで艶のある響きがまさに朝の光を感じさせ、もっとも音楽的だった。