『消しゴム山』初日を見た(6月7日(金)18:30〜20:45/世田谷パブリックシアター)。
素晴らしい! 終始頬が弛んだ。岡田利規はとんでもないクリエーターだ。本作は2019年初演で、21年2月にあうるすぽっとで上演したようだが、見逃した。美術館版もあったのか。以下は、予備知識なしで初めて見た感想ダラダラメモ。
出演:青柳いづみ 安藤真理 板橋優里 原田拓哉 矢澤誠 米川幸リオン
衣裳:藤谷香子(FAIFAI)/照明:高田政義(RYU)/音響:中原楽/映像:山田晋平(青空)/技術監督:鈴木康郎/舞台監督:湯山千景、川上大二郎/演出助手:和田ながら/英語翻訳:アヤ・オガワ/プロデューサー:水野恵美、黄木多美子(以上precog)/プロダクションマネージャー・広報:遠藤七海
主催:一般社団法人チェルフィッチュ/提携:公益財団法人せたがや文化財団/世田谷パブリックシアター・後援:世田谷区/助成:芸術文化振興基金助成事業、公益財団法人東京都歴史文化財団 アーツカウンシル東京〈東京ライブ・ステージ応援助成〉、公益財団法人全国税理士共栄会文化財団/協力:コネリングスタディ/山吹ファクトリー、急な坂スタジオ、京都市立芸術大学、公益財団法人セゾン文化財団/京都芸術センター制作支援事業
舞台には沢山のモノが置かれている。例えば、土管、丸太、バスケットボール、テニスボール、フットサルのゴールネット、猫写真のパネル、コンクリートミキサー、噴水…。とてもカラフルでインスタレーションみたい。噴水からは水がチョロチョロと噴き上げ、コンクリミキサーはゴロゴロと音を立てて回っている。そこへ六人の俳優たちが登場。
まずは矢澤誠が有線マイクで語り始める。冷蔵庫がいや洗濯機が音を立てて壊れた話だ。…ミニスカ(短パン?)姿の青柳いづみが宇宙服みたいな赤いダブダブ上下に身体を入れ、赤の長靴を履いて、マイクで語るのはコインランドリーの、そこへ来る人たちの話。これがめっちゃ面白い! 何度も笑った。やがて、壊れた洗濯機(の実態はなく見立て)に対し原田拓哉はラップを、青柳は和歌を捧げる。誰かがコンクリートミキサーに服を入れた。ミキサーはランドリーの乾燥機だったのか。ここまでが第一部。
第二部で長身の米川幸リオンが語るのは、公園で出くわした穴だらけのなんだかよく分からないモノを見つけた話。その描写たるや実に細かい。等身大に映し出されたロココ風(をアレンジしたような)ドレス姿の青柳はそれをタイムマシンと決めつける。…未来から流入する移民の問題を、政治家と覚しき者らが役人言葉をさらにこねくり回したような話しぶりで論じ合う。どこぞの政治家・役人らへの痛烈な風刺。…等身大に映し出されたドレス姿の青柳(オペラ《ホフマン物語》の自動人形オランピアみたい)が時間について語り始める。時間には経過する性質があると。人間にとって時間は大きな問題だと。人間には時間に帰属しないということはできなかったと。…
矢澤が舞台の奥から小型の拡声器で観客に向けて語り始めると第三部。「こちら側からすると…」ああこれは〝モノたちの側から〟だなと思った。やがて、自分らは残念な人間たちと呼ばれていたと。人間たち? 見捨てられたのはモノではなく、人間だったのか。…その後、ナレーションが、揺れる草木やかたちを変える雲には「観客がいなかった」という。自然の変化や動きには観客も聴衆もいなかったと。スマホのイヤホンから漏れる音にも。… 3.11 の震災・原発事故後の時間が止まったように見えるフクシマの街や家々(のなか)の写真や映像が頭に浮かんだ。「世界の終わり」のイメージ。人間は一人もいない。あちこちに散らばった用済みのモノたち…。
舞台上の俳優たちはモノたちを丁寧に持ち上げ、動かし、新たな位置に整える。モノへの慈しみ。弔いの儀式に見えた。俳優たちはモノを持ち、モノと並び、それを映し出し、モノの中へ入り、灯りの点いた蛍光管の下に佇む。こうした動きは初めから見られたが、ここへ来て、その意味が少し腑に落ちる。自分(人間)とモノとを同列に置き、人間とモノとのフラットな関係を創り出すこと。ふとウィリアム・ブレイクの「生きているあらゆるものは神聖である …every thing that lives is Holy」を思い出す。やはり矢澤のいう「こちら側」とは、モノの側のことではないのか。
一人のキャラクターのセリフを複数の俳優で繋いでいく岡田の手法は久し振り。動きながらの発話も。俳優はみな独特の感触をもっているが、青柳の発話と動きは創り手の意図を色濃く体現している。そう感じさせる。矢澤もそう。岡田のテキストは本当に面白く、見たこともない舞台を目の当たりにする喜びは格別だ。再演するなら、ぜひまた見たい。
『現在地』『地面と床』『部屋に流れる時間の旅』もそうだったけど、あらためて、3.11が岡田利規に与えた影響の大きさを思った。