iaku 演劇作品集2/死者との対話&二重唱から六重唱へ 2018【断片】

はてなダイアリーの停止を受け、やむなく下書き欄のメモをそのままアップすることにした。『梨の礫の梨』については完成していたが、『粛々と運針』は断片のみ。

2018年5月26日(土)15:00(約60分)こまばアゴラ劇場
『梨の礫の梨』(2012)
演出:横山拓也
出演:宮川サキ(sunday)、藤本陽子(DACTparty)

舞台には立ち飲み用のバーカウンターがあり、スコッチウィスキー・マッカラン10年のボトルとその両脇にロックグラスが1個ずつ置かれている。中年女性がカウンターの向こうに立ち、客席に向かって喋りはじめる。どうやらこちら(客席)側にバーテンダーが居る見立てらしい。話は、満員の電車内で目の前に座った客が荷物を抱えず隣の席に置いていた、だから座れなかった、ムカつくので他の席が空いてもずっとその真ん前に立っていた等々。他にもいろんな小話。あまり面白くない。やがて、若い女性が奥から登場。中年女性のカミテに立ち、二人でマッカランのロックを飲みながら、話は続く。当初、若い方は中年女性の娘かと思ったが、それにしては言葉遣いが不自然だ。……戻れるなら35歳に戻りたいという中年女性。その頃そろばん塾をやっていた男性と付き合っていた。が、死んだと。……大阪くさい(?)ネタ話を交えながら対話は続く。7歳の娘を残して自殺した母。それが「あんたの時」と中年女性はいう。何のこと? どうやら、その「母」が中年女性の隣に居る若い女性らしい。つまり、「残された娘」が、ホテルの清掃業をしているこの中年女性。彼女は、いま、かつての母と同じことをしようとしている。27歳で自殺したはずの母が、いまそれを止めようとするセリフでそうと分かる。「アカンで」。この母は同じ7歳のとき彼女のハイカラな母(つまり中年女性の祖母)が連れて行ってくれた映画のセリフで勇気づけようとする。自分には価値がないと落ち込む主人公の女の子を綱渡り芸人が励ます言葉で。曰く「世の中に価値のないものなんてない。そこらの石ころにも何らかの価値がある」と(フェリーニの『道』か)。一方、娘は7歳の自分を置き去りにして逝った母にそんなこと言われたくないと、感情を爆発させる。娘に謝り、その名を呼ぶ母「こいし(礫)」。泣き崩れる娘。ロックアイスを投げつけ「もう行って」と追い払うと、姿を消す母。「お母さん」……。勘定を払うときマッカランを二本入れるようバーテンに頼む女。
中年女性と若い女性の関係性が不明のまま対話は進む。やがて、希望のない日々を送るホテル清掃業の中年女が、マッカランのロックで酔い、自らの生を振り返りながら、自分を残して自殺した母と内的な対話をした挙句、母と同じことをするのは何とか思いとどまる。徐々にそういう話なのかと分かってくる。だが、母とのやり取りが女性の頭のなかでの出来事だとすると、自分が見てもいない映画のセリフはどうして分かるのか等々……疑問が湧かないでもない。が、こうした問いは無粋か。この作品でも、登場人物についての決定的な情報が当初は隠され、それが、後半で知らされる。関係性やセリフの意味合いが宙吊りにされたまま観客はあれこれと想像を巡らせることになる。なんだろう、どういう関係だろう等々と、役者が発するセリフに傾注させる。死者との対話はいいと思う。先月この劇場で見たパスカル・ランベールの『ゴースト』もそうだった。日本演劇には能の伝統が連綿と続いている。

5月26日(土)19:00(約90分)
『粛々と運針』(2017)
演出:横山拓也
出演:尾方宣久(MONO)、近藤フク(ペンギンプルペイルパイルズ)、市原文太郎、伊藤えりこ(Aripe)、佐藤幸子(mizhen)、橋爪未萠里(劇団赤鬼)

舞台には高さの異なるスツールが6脚。カミテとシモテの高いスツールにそれぞれ女性が互いに向き合うかたちで座る。彼女らは一方は白の、他方は赤の割烹着のような服を着ており、開始の少し前から長い晒しのような布に運針を走らせる。やがて、四人の男女がスツールに座り、芝居が始まる。どうやら運針の二人は狂言回しもしくはコロスらしい。まずは関西弁の男女(夫婦)の対話。次に東京弁の兄弟の対話。まったく異なるふた組の対話が、途中から響き合い始める。
・・・膵臓癌で入院している70歳の母に恋人? 自動車事故で追突されて首に固定装具を付けた夫と保険金の話、猫の話等々。桜の木が切られる話。桜の木が咲かせる花。川に落ちた花を筏で拾う。生と死。時間。誕生と終焉。二つの二重唱が四重唱に、さらに六重唱に。子供を産みたくないという妻に夫が寄り添う。無条件で? 子宮筋腫。隠し玉。あざとい? 時間を紡ぐ・・・

『あたしら葉桜』/『葉桜』と『人の気も知らないで』(「 iaku 演劇作品集1」)の感想メモはこちら