iaku 演劇作品集1/関西弁の対話劇

横山卓也の作品を初めて観た(5月19日 15:00, 19:00, 26日 15:00, 19:00/こまばアゴラ劇場)。関西弁による対話劇は思いのほか質が高く、演劇特有の喜びも味わえた。これもアゴラ劇場の支援会員になったお陰。見た順にメモを記す。まずは19日の2作品から。

作:横山拓也
演出:横山拓也、上田一軒
舞台監督:青野守浩、河村都
照明:葛西健一
音響:星野大輔(サウンドウィーズ)
音響オペ:櫻内憧海
演出助手:朝倉エリ、鎌江文子
写真:堀川高志(kutowans studio)
宣伝美術:下元浩人(EIGHTY ONE)
チラシ写真メイク&ヘアメイク:田沢麻利子
宣伝:吉田プロモーション
制作協力:佐藤美紘、斉藤愛子、安井和恵
制作:笠原希(ライトアイ)

5月19日(土)15:00(約70分)
『あたしら葉桜』(2015)
『葉桜』(1926/原作:岸田國士を同時上演
演出:上田一軒
出演:林英世、松原由希子(匿名劇壇)

まずは岸田國士『葉桜』のリーディング。障子と畳の和室で、着物姿の母とワンピースの娘が台本を持ち、読み進める。見合いをした娘とその母の対話。娘「あたし、どうでもいヽわ。」/母「母さんもどうでもいヽ。(間)どうでもいヽことはないよ。(間)お前も少しは考へたら……?」/娘「考へるつて……だから、あたし、母さんのいヽやうにするわ。」/母「母さんは別に異存はないよ。ただお前の気持ちさ、大事なのは……」。時おり二人が位置を変えるのは、親娘の心的距離が変化するさまを視覚化したのか。ただ、対話のテンポが遅く、岸田本来のユーモアやペーソスは出ない。代わりに重い情緒が支配しがち。快速で疾走すべきモーツァルトをマッタリと演奏した感じ。母役のセリフ「…けれど」が「けど」に縮まりがちなのも残念。娘役のセリフ回しは少し緩慢。関西人に岸田の「東京弁」は難しいのか。
少し暗転した後『あたしら葉桜』が続く。二人のセリフ回しは『葉桜』と打って変わり、関西弁の快活さが全開。冒頭から〝アイネ・キュッヘンシャーベ〟をめぐるドタバタがギャグを交え展開される。が、基本的には岸田の『葉桜』と同じシチュエーション。なにやら美味しそうに響くカタカナコトバは一匹のゴキブリを表すドイツ語で、一緒にドイツへ行こうと娘にプロポーズした「島田さん」から教わったらしい。ただし、娘の相手「島田さん」は女性。後半唐突に分かる。だが、母は同性愛の娘をよく理解しているのか、二人の対話はある意味〝普通〟に進む。ラスト近くで母(あーちゃん)は、娘(美弥子)から、「普通の男の人」と結婚したら嬉しいかと問われ、一気に理想のプロポーズを一人二役でコミカルに実演して見せる。時々ツッコミを入れながらも無表情で聞いている娘。やがて娘は声を立てずに泣く……。ゴキブリ騒動から始まり、大阪弁のギャグで笑いを取りながら、ゴキブリの不在を確認して終わる。
「あまり言ってもらえないが、横山戯曲は岸田國士の系譜にあると考えている」(作者のコメント/ちらし)。『葉桜』の現代版は、同性愛等の現代的な設定を加えながらも、あくまで親娘の日本的な情緒(情愛)を重視している。ギャグや笑いはそうした感情を際立たせる道具立のように思われた。一方、92年前に書かれた岸田の戯曲は、本来、軽妙な対話の律動から、母親の娘に対するアンビヴァレントでダブルバインディングな感情が見え隠れする(はず)。そこに可笑しさと表裏の物悲しさが滲み出る趣向だ。「お涙頂戴」をひどく嫌った岸田作品は本来(少なくとも表面上)乾いているのだが、『あたしら――』にはかなりの湿り気がある。これは関西の特徴なのか。今回は作者の演出ではなかったが、前半の『葉桜』をマッタリと演じさせたのは、泣かせるためなのか。結果、笑いは皆無で深刻さが強調され、その分、後半の快活さが際立ち爆笑をとっていた。どちらも感情過多で共通してはいたが。ただ、岸田を初めて見る観客も少なくないとすれば、こうした演出プランは岸田作品にアンフェアだと思った。

5月19日(土)19:00(約60分)
『人の気も知らないで』(2012)
演出:横山拓也
出演:橋爪未萠里(劇団赤鬼)、吉川莉早、海老瀬はな

カフェで三人のOLが待ち合わせる。同僚の結婚式の余興について打ち合わせをするためだ。まずアヤ(吉川莉早)とココロ(橋爪未萠里)の二人が先に来る。事故を起こした別の同僚を見舞った直後らしい。その同僚は右腕を切断したと。強く同情するココロ。そこへオサダ(海老瀬はな)が遅れてやって来る。オサダは過度にかわいそうがるココロに違和を覚える。二人の激しく緊迫したやり取り。仲裁するアヤ。実はオサダのクールな態度には訳があった。彼女にも失ったものがあったのだ。この「後出し」に動揺し、引っ込みがつかないココロ。が、謝罪はせず、先に帰るココロ……。どちらが本当に思いやっていることになるのか。シンパシー(ココロ)とエンパシー(オサダ)?
たいへん面白く、かつ見応えがあった。きれいで質の高い女優を見る喜びも。ココロ役の橋爪はとんがった性格をよく生きた(関西弁ネイティヴでない?)。アヤ役の吉川は懐の広さがよく出ていたし、オサダ役の海老瀬は設定された過去に見合うハラがあった。決定的な情報があとで判明する点は『あたしら葉桜』と共通している。26日の2作品は後ほどアップする予定。