新国立劇場 オペラ研修所公演 ロッシーニ《結婚手形》/《なりゆき泥棒》

オペラ研修所公演《結婚手形》/《なりゆき泥棒》の初日と二日目を観た(2月20日,21日 18:30/新国立中劇場)。

ジョアキーノ・ロッシーニ(1792-1868)《結婚手形》(1810)/《なりゆき泥棒》(1812)
【各全1幕/イタリア語上演/字幕付】
指揮:河原忠之(オペラ研修所音楽主任講師)
演出:久恒秀典(オペラ研修所講師)
装置:長田佳代子
照明:稲葉直人
衣裳コーディネーター:加藤寿子
舞台監督:高橋尚史
管弦楽東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団

オペラ研修所長:永井和子

《結婚手形》
【トビア・ミル】山田大智(20,22日)/西村圭市(21日)
【ファニー】原 璃菜子(20,22日)/飯塚茉莉子(21日)/竹村真実(カヴァー)
エドアルド・ミルフォート】菅野 敦(20,22日)/水野秀樹(21日)
【スルック】小林啓倫(20,22日)/大野浩司(21日)
ノートン】松中哲平(20,22日)/後藤春馬(21日)
【クラリーナ】藤井麻美(20,22日)/高橋紫乃(21日)

《結婚手形》はロッシーニのデビュー作らしい。たしかにハイドンモーツァルト等の影響から脱し切れていない印象だが、18歳でこれだけ作曲できるのか、とも思う。20日(金)は初日の緊張からか、みな音程が不安定。声は尻上がりに出るようにはなったが、ドラマの面白さは最後まで感じられず。喜劇の演技(在り方)が一番難しいが、それがうまくいっていない。
21日(土)は冒頭からドラマが立ち上がった。ミル役の西村圭市が喜劇の空気を作り出した。スルックの大野浩司は歌唱はともかく、芝居が自在。なによりクラリーナの高橋紫乃が出色。歌唱も演技も一級品。声に個性があり、アリアの歌い方は飛び抜けている。ケルビーノで見てみたい。ミルフォートの水野秀樹は硬さからか音程は不安定だが、声質に色がある。ファニーの飯塚茉莉子はオケと音が微妙にずれる。音程なのか、声質のせいなのか。

《なりゆき泥棒》
【ドン・エウゼービオ】伊藤達人(全日)
ベレニーチェ】清野友香莉(20,22日)/種谷典子(21日)/城村紗智(カヴァー)
【アルベルト伯爵】小堀勇介(20,22日)/岸浪愛学(21日)
【ドン・パルメニオーネ】小林啓倫(20,22日)/大野浩司(21日)
【エルネスティーナ】藤井麻美(20,22日)/高橋紫乃(21日)
【マルティーノ】松中哲平(20,22日)/後藤春馬(21日)

やはりこっちの方が圧倒的に面白い。ロッシーニ的快楽がすでにある。本来の相手を前にしての美しいアリア。こじれた後、別の相手を前に歌う技巧的なアリア。両者のコントラスト等々。初日は、清野友香莉と小堀勇介がゆったりした身体で舞台に生気を吹き込んだ。テノールの小堀は隅々まで神経を行き届かせた高音の美しさで魅せた。アジリタも聞き応え十分。ソプラノの清野は落ち着きがあるし、テクニックも申し分ない。声に色がつけばさらによい。
21日(土)は、テノールの岸浪愛学が不安定。ロッシーニに見合う明朗な輝きがほしい。高音で圧するような迫力を狙いすぎず、より丹念に歌う細やかな神経が必要かも知れない。ドン・パルメニオーネ役の大野浩司は芝居のうまさを発揮。舞台で生きることができる。本番が一番おもしろいタイプと見た(ハプニングもあったが)。その分、歌唱が少しおろそかになりがちか。ドン・ジョヴァンニで見てみたい。エルネスティーナの高橋紫乃はいうことなし。歌の素晴らしさに、喜劇の面白さ。自分は沈黙し、歌っている別の歌手を活かすあり方(反応)も見事。ベレニーチェの種谷典子は姿形がよく、歌唱もととのっている。アジリタの技巧はよくなるだろう。いわゆる〝若い女性の声〟が多少とも成熟すればと願う。両日ともドン・エウゼービオ役を歌った伊藤達人はじつによい仕事をした。蒸留酒を想わせる艶っぽい歌声で、いわゆるおネエ系の役作りにも勘のよさが見て取れる。舞台でコンテクストを作れるタイプ。
今回は二作とも円形の台が舞台に設えられ、そこでアクションが起きる。《結婚手形》では、羅針盤や地球儀のイメージからロンドンと新大陸(アメリカ)との距離空間を示唆したのか。《なりゆき泥棒》では、楕円形のモノが舞台上に吊され、場面によって角度を変え、変化をもたらした。絵画の額のようにも、パルメニオーネがアルベルト伯爵から盗むことになるロケットペンダントのようにも見えるが、描かれているのは風景(雲?)だった。
河原忠之が指揮する東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団は比較的おとなしめで、歌手の歌いやすさを優先させていたか。が、ロッシーニ的快楽が現出するポイントでは、河原の〝気〟がオケと歌手たちにしっかりと伝播していた。