新日本フィル #527 サントリー定演/ハーディング All Brahms Vol. 3/画布としての聴衆

新日本フィルの第527回 定期演奏会を聴いた(6月29日 14時/サントリーホール)。
遅まきながら、ハーディングによる「オール・ブラームス」シリーズの掉尾をメモする。

ブラームス(1833-97):ピアノ協奏曲第1番 ニ短調 op. 15
ピアノ:ポール・ルイス

二十代半ばの作品だとか。とても奥行きのある音楽。演奏も。一楽章はベートーヴェンの第二交響曲を、二楽章のアダージョはクララのポートレイトらしいがヴァーグナーの『ローエングリン』の一節を、それぞれ想起。オケが響きを持続する中、ピアノが次のフレーズを弾き始める楽章間のトランジションが面白い。サントリーの客は終曲後の拍手が相変わらず早い。ルイスのピアノは質が高い。アンコールはシューベルトのアレグレット ハ短調 D. 915。ルイスが歌心と構成力を併せ持つ素晴らしいピアニストであることがよく分かる。

ブラームス交響曲第1番 ハ短調 op. 68
コンサートマスター:豊嶋泰嗣

出だしは、同列右側からの飴の包みを開けるノイズで集中がそがれた。二楽章はオーボエ(古部賢一)の張り詰めたメロディ、ホルン(吉永雅人)とヴァイオリン(豊嶋泰嗣)の掛け合い等々をはじめ、素晴らしい。アレグレットの三楽章を経て四楽章へ。ホルンの雄大な響きに続きトロンボーンのコラール。弦による例の第一主題はややゆったりめのテンポ。どこまでも自然に、というか、メロディが自然界から湧いてきたような感触。コーダへ入っても、けっして理性を失わない。先のコラールがtuttiで奏された後、終曲へ突進する。ラストはふわっと音を消していこうとするハーディング。が、二階左側からの野蛮な拍手で、音が消滅し完全な静寂へと到る至福の〝音楽的瞬間〟は無残にも破壊された。
コンサートは、聴衆が音楽家に協力することなしには成立しない。協力といっても実に簡単。ただ音楽に、あるいは音楽を作り出す音楽家(たち)の呼吸に耳を傾ければよいのだ。そうすることで、いわば真っ白な画布(キャンヴァス)を作り出す。この白いキャンヴァスに、音楽家たちが絵を描いていく。だが、そのキャンヴァスにシミや汚れが付いていたらどうなるか。あるいは、画家がせっかく見事に描き終えた直後、キャンヴァスにインクを投げつけたりしたら? 指揮者や演奏家の呼吸を無視し、平気でフライングの拍手をしたりブラボーを叫ぶ聴衆は、これと同じ事をしているのである。逆に、千人を超える聴衆が演奏に集中しているときの沈黙には、信じがたいような音楽をステージ上に現出させる力がある。これは、オペラでもバレエでも演劇でも変わらない。そんな演奏会や舞台に立ち会いたいものだ。