新国立劇場 オペラ《魔笛》

魔笛》の初日を観た(4月14日/新国立劇場オペラハウス)。
このプロダクションは1998年5月の初演以来、4回目の再演。個人的には初演を除き、2006年1月、2009年10月を経て、今回が3回目となる。

【指揮】ラルフ・ヴァイケルト
【演出】ミヒャエル・ハンペ
【美術・衣裳】ヘニング・フォン・ギールケ
【照明】高沢立生
キャスト
【ザラストロ】松位 浩
【タミーノ】望月哲也
【弁者】大沼 徹
【僧侶】大野光彦
【夜の女王】安井陽子
【パミーナ】砂川涼子
【侍女I】安藤赴美子
【侍女II】加納悦子
【侍女III】渡辺敦子
【パパゲーナ】鵜木絵里
【パパゲーノ】萩原 潤
【モノスタトス】加茂下 稔
【武士I】羽山晃生
【武士II】長谷川 顯

【合 唱】新国立劇場合唱団
管弦楽東京フィルハーモニー交響楽団

オーソドックスな演出。特に作品への新たな認識を促すような斬新さはないが、見ていてとても楽しい。2009年の公演は再演演出のせいか間が悪いと感じたが、今回は改善された(澤田康子)。
指揮者以外はすべて日本人の全4回公演。全体的な印象としてはまずまずか。
パミーナを歌った砂川涼子は2006年以来のキャスティングだが、この役にぴったりだ。今回もあのときの朗々とした素晴らしい歌声は健在だった。ただ、もっとゆったりと歌ってもよい。ややもすると、声を強く押し出そうとの意識が歌や音楽を追い越しそうになる。砂川を初めて聴いたのは《ホフマン物語》(2003年)のアントニアだった。並み居る海外の歌手たちに引けを取らない歌唱は直立不動で歌う姿と共にいまでもこころに残っている。2005年の再演でも好かった。頻度を上げて新国立劇場に出演して欲しい歌手である。
タミーノの望月哲也は、緊張からか第1幕のアリア等でつまずいたが、その後は持ち直した。だが、そのことよりも、演歌のような例のヴィブラートはノーブルな役とは相容れない。残念ながらそう思う。
パパゲーノの萩原潤は堅固な歌唱とドイツ語で、いくつかのアクシデントにも柔軟に対応し、舞台を盛り上げた(第2幕第23場 地下室の場面で弁者の〝サーヴィス〟により床から出てくるはずの葡萄酒が出てこなかった。また、パパゲーナがいなくなり絶望して樹で首をくくろうとするとき、「誰かひとりでもそんな自分を哀れと思うなら自殺を止める、だからイエスかノーかいってくれ」というと、客席左バルコニーあたりから「ノー」と男の声がかかった)。
夜の女王の安井陽子は2009年にもこの役を歌っている(私はその1年まえ日生劇場開場45周年記念公演で安井の同役を初めて聴いた。演奏は上岡敏之指揮の読売日本交響楽団)。前回は例の超絶技巧を要するコロラトゥーラで極端にテンポが遅くなったが、今回はかなり改善されていた。そういえば、東日本大震災1ヶ月後の新国立《ばらの騎士》で海外の歌手たちが軒並みキャンセルするなか、安井は急遽ゾフィーを見事に歌いきった。そうした経験が糧になっているのかも知れない。
ザラストロの松位浩も4年前に引き続いての配役。力強さと豊かさを併せ持つ堂々たる歌唱。特にパミーナを前に歌うアリア「この聖なる殿堂では」(第15番)は滋味もあり聴き応えがあった。帰宅後もしばらく頭で鳴っていたほど。
弁者を歌った大沼徹はしっかりとした歌唱で気品もあり、印象に残った。ただ、台詞部分で線が細く感じられたのは残念。モノスタトスの加茂下稔は役の〝化け物性〟をよく出していた。武士Iの羽山晃生は高音が十全に出ていない。
ラルフ・ヴァイケルト指揮の東京フィルハーモニー交響楽団は可もなく不可もない。テンポ等には違和感はなかった。パミーナとパパゲーノの二重唱(第7番)などは遅すぎずに快い伴奏。ただしモーツァルトの場合、オケにはこの世のものとは思えないような〝美しさ〟を求めてしまうが、そうした瞬間は訪れなかった。また、第2幕第18場で沈黙の行ゆえに口をきけないタミーノを、心変わりと勘違いして歌うパミーナのアリア(第17番)は素晴らしかったが、後奏の頭の音を第1ヴァイオリンがフライングし、感興を殺がれた。このオケには時折こうしたケアレスミスがある。残念だ。
ジングシュピール(歌芝居)をすべて日本人歌手で公演するのなら、台詞は日本語でやってもよかった。もちろん、歌(ドイツ語)と台詞部分との繋ぎについては、間合い等を十分練って演出する必要がある。劇場の今後の英断に期待したい。
ところで、2006年版ではカーテンコール時にパパゲーノ&パパゲーナと同じ衣装を着けた大勢の子供たちが二人のあとからぞろぞろ出てきて客席が大いに沸いたのを覚えている。もちろん初演もそうだったはずだ。ところが、2009年版も、そして今回も二人の子沢山が視覚化されることはない。予算削減が理由だろうが、少し寂しい。