新国立劇場 演劇『貴婦人の来訪』2022

新国立劇場 演劇『貴婦人の来訪』4日目を観た(6月4日 土曜 13:00/新国立小劇場)。ごく簡単にメモする。

初演:1956年(スイス)/作:フリードリヒ・デュレンマット(1921-1990)/翻訳:小山ゆうな/演出:五戸真理枝/美術:池田ともゆき/照明:阪口美和/音楽:国広和毅/音響:黒野尚/衣裳:加納豊美/ヘアメイク:鎌田直樹/演出助手:橋本佳奈/舞台監督:澁谷壽久

クレール・ツァハナシアン:秋山菜津子/イル:相島一之/執事:山野史人/町長:加藤佳男/牧師&ロビー:外山誠二/駅長&医者&トビー:福本伸一/教師:津田真澄/イルの妻:山本郁子/女&町長夫人:斉藤範子/警官&トビー:高田賢一/夫VII&1番目の盲目(コビー)&夫VIII&記者1&夫IX&ラジオレポーター:清田智彦/画家:谷山知宏/差し押さえ役人&車掌&男2&体操選手&2番目の盲目(ゴビー)&記者2&カメラマン:髙倉直人/息子:田中穂先/男1:福本鴻介/娘:田村真央

この劇場で久々にまともな芝居に出会った。これが正直な気持ち。演劇ならでは(演劇性)の妙味や喜びが、シリーズ「声」の3作では秀でている。見ていて〝異和感〟がない。というか、ブレヒト的な〝異化効果〟はたっぷりある。歌あり、ギター演奏あり、ボードの提示あり、タバコ=シャボン玉あり…。コロスの使い方がとても巧み。こうした趣向は原作通りか、それとも五戸真理枝のアイディアなのか。コロスは原作にあるらしい。この演出家が3月に『コーヒーと恋愛』(文学座アトリエ)で多用したギター&歌がここでも生かされた。イル(相島一之)が町民らに殺される場面では、首を絞められ始めるや、すっとそこから離れ、寄ってたかってとどめを刺す仲間たちを客観的に眺めてる。殺される側への感情移入を殺す側へ巧みに逸らし、後者に、ある種の滑稽さや哀れみすら感じさせる。そういえば『どん底』(2019)でも似たようなシーンがあった。

一見楽しげな舞台だが、芝居の中身はかなり苦い。ある意味アレゴリカルで思考実験的な作品。財政破綻した町に帰郷した富豪の〝貴婦人〟ツァハナシアン(秋山菜津子)が巨額の寄付を申し出る。ただし、かつて自分を裏切った元恋人イルの命と引き換えの条件で。町民は初めこそ拒否するが、次第に「正義」の名の下、人心はヒューマニズム(人間の生命)から金(安逸な生活)に傾斜し、いつの間にか処刑に反対しなくなるのだ(牧師を含むから恐ろしい)。神を信じたくとも信じえない、作者の徹底したスケプティシズムが読み取れる。人間は結局リベラルな理想主義より「金目でしょ」というわけだ(どっかで聞いた台詞)。ツァハナシアンは売春婦まで身を落としながら大富豪にのし上がった経験から、町民のそんな心情を見透かしていたらしい。「しょせん人間なんて」…。つい、ここ十年続いたどこかの政権を想起してしまう。

秋山菜津子は歌も演技もうまい。他の役者も同様だが、牧師役の外山誠二はギターがプロ級で声の張りは尋常ではない。久々に気持ちよく小劇場を後にした。