シス・カンパニー『鼬(いたち)』

真船豊の『鼬』を観た(12月5日 19時/世田谷パブリックシアター)。ダメ元で招待チケットに応募したら当たったのだ。
真船(1902-77)は三好十郎(1902-58)と同い年で、岸田國士(1890-1954)のちょうど一回り後輩にあたる。『鼬』は、築地座を脱退した人たちによって創立された創作座の旗揚げ公演として1934(昭和9)年に初演された。
ちなみに、名前の通り創作劇の上演に重点を置いた創作座は、創立の挨拶文に次のような言葉を記した。「仮に或る外国人から日本の現代劇を見せてくれと云はれた時、我々は一体どこへ案内したらいゝのでありませう。・・・『真の日本現代劇は創作座から』――微力ながら我々はこの重荷を双肩に担って進みたいと存じます」。また、同劇団の鈴木英輔は次のように述べている。「公演戯曲は、出来るだけ、日本の新創作戯曲を取上げて行きたいと思ふ。それがまだ手法的に未完成であったり、舞台的に破綻があるという危懼があるものでさへも、取上[げ]得べきものは、出来る丈取上げて見たいと思ふ。けだし、日本の新劇は西洋近代劇の中から既にして取るべきものを取り、消化すべきものを消化し得た(つくしたとは云はない)と思ふからである」(倉林誠一郎『新劇年代記〈戦中編〉』に引用)。ちょうど80年前の話だが、いまの日本の演劇界、ひいては舞台芸術一般の状況を思い浮かべると、いろいろ考えさせられる。

作:真船 豊
演出:長塚圭史
美術:島 次郎
照明:佐藤 啓
衣装:宮本宣子
音響:加藤 温
ヘアメイク:宮内宏明
舞台監督:大垣敏朗


キャスト
おとり:鈴木京香
おかじ:白石加代子
萬三郎:高橋克実
おしま:江口のりこ
山影先生:山本龍二
伊勢金のおかみ:峯村リエ
古町のかか様:佐藤直子
弥五:塚本幸男
喜平:赤堀雅秋
お君:萩原羽奈/齋藤さくら
お咲:赤石灯子/小林姫鈴

プロデューサー:北村明子
提携:公益財団法人せたがや文化財団/世田谷パブリックシアター
後援:世田谷区
企画・製作 :シス・カンパニー

舞台の上方には剥き出しの梁。中央には年代を感じさせる柱。板の間の中程に囲炉裏が切ってある。床の回りは土間になっており、側面の板張りから漏れる逆光が美しい(仏像や仁王像などが置かれた『NINAGAWAマクベス』第4幕第3場を思い出す)。舞台の中央部以外は深い闇。欲にまみれた田舎の人間模様という内容とは裏腹に、美的な舞台。役者が美的に演じているというのではないが、両者のコントラストが印象的。
おとり(鈴木京香)とおかじ(白石加代子)の対決は見応えがあった。鈴木京香がよい。とてもよい。方言が身体と心をひとつにさせるのか。東北弁といっても、真船の故郷は福島県安積(あさか)郡福良村(現 郡山市潮南町)だから、鈴木の宮城とは異なるが。祭り囃子が聞こえる中、二人の子供の登場で始まり、休憩前もお面を被った二人が客席を見る。
方言を喋る鈴木京香はいわばゾーンに入っていた。台詞回しのみならず、物腰、動き、すべてがおとりだ。たとえば、腹では別でも外面だけお辞儀して相手を立てるシーンなど。あるいは、心待ちにしていた山影(山本龍二)が来ると、小躍りして駆け寄るとき等々。白石加代子は例の独特の様式(?)で演ずるが、対する京香はまったく臆せず、むしろ喰っていたほど。役者はみないいと思う。ただ、萬三郎役の高橋克実は方言の問題なのか、田舎の野暮ったい人物像に嵌まりきれていない印象。忙しすぎるのか。
特別ドラマティックなことが起きるわけではないが、まったく飽きさせない。いまの日本の演劇シーンにこの戯曲を置いてみると、安易なエンターテインメント性で客に媚びた舞台が多い気もする。
今回の美的なセットは審美的には肯定したいのだが、一方で、いまの日本との地続き感が美しいセットで弱められたといえなくもない。
本作は、戦後、ぶどうの会の試演会に山田肇の演出で上演したらしいが、正確にいつのことかは分からない。
【追記 ぶどうの会の第12回試演会は1957年7月20日-23日(一ツ橋講堂)で、出演は福山きよ子(おとり)、青木和子(おかじ)、蓮川くみ子(おしま)、久米明(山影先生)、磯村千花子、桑山正一、小沢重雄ほか(装置は伊藤寿一)。たまたま入手した『新劇』の同年10月号に奥野健男の評が載っており、上演はもとより戯曲自体を強く批判していた。「思想性とモチーフの希薄さのため今となつては古ぼけた風俗劇であり、劇的かつとうも対立者の間に無用な中間物が存在しているため何かすつきりしない。真船の作品の中でも、独特の粘つこさと重さに欠ける二流の芝居とぼくは思う」と。この評は「今となっては」まったく説得的ではないが、どうも、試演会のパンフレットに記載された中村光夫による高評価への反撥だった可能性がある。】