カレル・チャペック『母』の初日を観た(5月28日 水曜 19:00/新国立小劇場)。
海外招聘公演はほぼ中劇場だったと思うが、今回小劇場で上演したのはよかった。
演出のシュテパーン・パーツルはチャペックの〝3幕からなる戯曲〟(1938)を全2幕に収め、ラジオをテレビに現代化し、第3幕に登場の老人(母の亡父)をカットしていた。以下、感想メモをだらだら記す。
〈チェコ語上演/日本語及び英語字幕付〉作:カレル・チャペック(1890-1938)/演出:シュチェパーン・パーツル/ドラマトゥルグ:ミラン・ショテク/美術:アントニーン・シラル/衣裳:ズザナ・フォルマーンコヴァー/音楽:ヤクブ・クドラーチュ/英語字幕翻訳:ヤロスラフ・ユレチュカ マルチナ・ナーフリーコヴァー/日本語字幕翻訳:広田敦郎/舞台監督:八木清市/技術監督:友光一夫/制作:ブルノ国立劇場ドラマ・カンパニー/出演:ブルノ国立劇場ドラマ・カンパニー
舞台は最後まで「父の部屋」。奥に天井まで届きそうな飾り棚に種々の武器や狩りの獲物やアフリカの地図等(男の世界を象徴する品々)が陳列され、シモテ手前にテレビが置かれている。第2幕では飾り棚から武器その他はすべて取り除かれ、床に散在している。
第1幕は片言の日本語を交えコミカルな部分も多少あったが、人名すら聴き取れないチェコ語に加え、奥行きのないフラットなセットと演技が少々辛かった。だが、休憩後の第2幕で、すべては母の思いの深さ(奥行き)を際立たせる演出だったのか、と思い直すことに。

白軍と黒軍が敵対する内戦下、双子のコルネル(ヴォイチェフ・ブラフタ)とペトル(ヴィクトル・クズニーク)は代理戦さながらの戦争ごっこでやり合う。詩作好きの虚弱な末っ子トニ(パヴェル・チェニェク・ヴァツリーク)が二人にカメラを向けるとその様が飾り棚に映し出される。…死んだ職業軍人の父=母の夫(トマーシュ・シュライ)が登場して母と対話し…そこへ医者の長男オンドラ(ロマン・ブルマイエル)やパイロットの次男イジー(マルチン・ヴェセリー)ら死者(霊)も登場…。死者が登場するとき必ず降雨の音が聞こえた。やがてUN(国連軍)マークのヘルメットを被るペトルが現れ白軍に銃殺されたと告げ、母は気絶する。…さらにコルネルも銃を持って街へ出ていき、母に残されたのはトニだけ。そこへ、外国軍が宣戦布告なしに侵入し攻撃してきたとテレビが知らせる。喧嘩すらカメラで傍観していたトニも義勇軍への参加を訴えるが、絶対に行かせない母。使命や名誉や祖国のために死んだ夫と息子たちは、トニを行かせるよう説得する…(以下のセリフはうろ覚えの字幕と田才益夫訳が混在)。
父(夫):お前だっていざとなったら、命をかけるだろう。/母:でもそれはあなたたちのためによ。
父:なぜトニを行かせないんだ。/母:あたしがひとりになるから。身勝手かもしれないけど…必死で育てた我が子をそばに置いてはいけないの?
…テレビの女性特派員は、自分の息子が乗った仕官候補生の訓練船が魚雷で沈没中と声を震わせる。彼らは最後の時に、国歌の斉唱を望んでいると。…全男性に呼びかける。祖国が子供たちを呼んでいる。武器を取りなさい! さらに、病院や小学校が空襲され、逃げる子供たちに機銃掃射をあびせたと告げるTV。
母:子供たちが、小さな、甘ったれの子供たちが!
続くラストシーンで、母は怒りと復讐心にかられてトニに銃を渡し「行きなさい!」と言う、戯曲を読んだときはそう思った。が、母役のテレザ・グロスマノヴァーは長いあいだ考えた末、静かな口調で「生きなさい」と言ったのだ。あれは愛国心からではない。そう感じた*1。
銃を渡されたトニは、何もない飾り棚の向こうへ歩いていく。その向こうには朝焼けが。母は飾り棚の下枠に体を丸めて入る。ただひとり。
グッときた。ひとりになる母の覚悟がひしひしと伝わってきた。
原作(1938年2月)の史的背景にはスペインの内戦(1936-39)や隣国ナチ・ドイツによるズデーテン割譲要求(1938年3月)等があった。だが、いま見ると、ロシアのウクライナ侵攻やイスラエルのガザ攻撃が痛いほど想起される。
死んだ父と息子たちの対話で、父の〝英雄的戦死〟がコミカルに脱英雄化される場面は興味深い。
〝英雄批判〟といえば『ガリレイの生涯』の有名な一節が浮かぶ。宗教裁判でのガリレイの地動説撤回に「英雄を持たぬ国は不幸だ!」と失望する愛弟子に、ガリレイは「ちがうぞ。英雄を必要とする国が不幸なのだ」と言い返す(初稿/千田是也訳)。この点、『母』との共通性を感じる一方で、『母』のチャペックは、ブレヒトよりも危機の〝内側〟に居るように感じられる。ブレヒトが『ガリレイ』の初稿を書いたのは『母』と同じ1938年(11月)で、場所は亡命先のデンマークだった*2。
一年前のチャペックはパンデミック下の戦争を描いた『白い病』(1937年1月)で、戦争反対を訴える町医者を祖国愛に熱狂する群衆に殺させた。だが『母』のチャペックは、それとは別の〝場所〟に居る。そう見える。それは、いわば「戦争反対の反対の反対」*3ともいうべき位相だった? いや、むしろそのような俯瞰的見地とは真逆の場に身を置いていた?…チャペックは『母』を書いた10ヶ月後に死去した。
演劇では、死者との対話は、生者との対話となんら変わらないように見える。そこが面白い。だが、リアルにいえば、母は死者と内的な対話をしたにすぎない。つまり、頭の中で、心の中で、死者たちを思い浮かべ、彼らと対話し、考えた。つまり内省したのだ。それを見る観客は、母の思いの深さを目の当たりにした。だが、母は内省しただけなのか。そこに他者性はないのか。…
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