バレエ・アステラス☆2014/“ブラボー唯ちゃん”の意味

「バレエ・アステラス☆2014〜海外で活躍する日本人バレエダンサーを迎えて〜」を観た(7月20日 15時/新国立劇場オペラハウス)。
例によってごく簡単にメモする。

バレエ・アステラス☆2014選考委員(五十音順):
安達悦子(東京シティ・バレエ団理事長)
岡本佳津子(公益財団法人井上バレエ団常務理事)
小山久美(公益財団法人スターダンサーズ・バレエ団代表・総監督)
小林紀子小林紀子バレエ・シアター芸術監督)
牧 阿佐美(新国立劇場バレエ研修所長)
三谷恭三(牧阿佐美バレヱ団総監督)


公演監督:牧 阿佐美(新国立劇場バレエ研修所長)
舞台監督:森岡
指揮:デヴィッド・ガーフォース
管弦楽東京フィルハーモニー交響楽団


主催:文化庁新国立劇場
制作:新国立劇場
文化庁委託事業「平成26年度次代の文化を創造する新進芸術家育成事業」

【第1部】

新国立劇場バレエ研修所 第10・11期研修生、予科
「ワルツ」(振付:牧 阿佐美/音楽:C. グノー)

男性はみなずいぶん細身でプロポーションがよい。それくらい。

直塚美穂☆(サンクトペテルブルク・バレエ・シアター)& 高谷 遼☆(ポーランド国立ウッチ・バレエ団)
「タリスマン」パ・ド・ドゥ(振付:M.プティパ/音楽:R. ドリゴ)

直塚はよく踊れるが、脚の上げ方等にも音楽性が感じられるとよい。高谷の高い運動性には美しさがある。

織山万梨子 & 中家正博(牧阿佐美バレヱ団)
エスメラルダ・パ・ド・ドゥ」(振付:B. スティーブンソン OBE/振付指導:D. ウォルシュ/音楽:C. プーニ)

織山はこのバレエ団らしく洗練されてはいる。中家の踊りの大きさは好ましいが、もっと自然で伸びやかな踊りを見たい。演目にもよるが。

米山実加☆ & 奥田丈智☆(ボルドーオペラ座バレエ団)
「グラン・パ・クラシック」(振付:V.グゾフスキー/音楽:F. オーベール)

ホルンによるパストラルに聞き応えがあった。米山には見る者を注視させるなにかがある。あとは身体と精神のスタミナか。奥田は心身共に大人になる必要あり。

近藤亜香☆ with チェンウ・グオ(オーストラリア・バレエ団)
ラ・シルフィード」第2幕のパ・ド・ドゥ(振付:A. ブルノンヴィル/E. ブルーン/音楽:H. レーヴェンショルド)

近藤は浮遊感はあまりなく、むしろ(大)地に足が付いた感じだが、なんかよい。ジェイムズ役は、ブルノンヴィルの様式をはみ出すが、〝生の躍動〟があり劇場の空気を一変させた。例のトゥール・アン・レールでは左右両回転も。シルフィードを捕まえようとする動きも肉食系で本気モード。こんな日本人がいたのかと思ったら中国人だった。日本からもこんなダンサーが出ないものか。

橋本清香☆ & 木本全優☆(ウィーン国立バレエ団)
「海賊」パ・ド・ドゥ(振付:M. プティパ/音楽:R. ドリゴ)

二人ともプロポーションがいいし上背もあり、本格的。が、踊りからはさほど倍音が出ていない。橋本はきれいだが少し大味か。木本は外連よりもノーブルな役で見てみたい。

【第2部】

志賀育恵 & キム・セジョン(東京シティ・バレエ団)
ロミオとジュリエット」バルコニーのパ・ド・ドゥ(振付:中島伸欣/音楽:S. プロコフィエフ

中島の版は初めて見た。志賀=ジュリエットのコミカルな動きが面白い。セジョンの踊りはきれい。自然な作りで悪くないが、コンサートピースとしては、音楽に見合うより大きな起伏が欲しい気もする。

根本しゅん平☆ with パトリシア・バスケス(クルベリ・バレエ団)
「SIDE」(振付:根本 しゅん平)

闇のなか照明が作り出す屈折した道を男女の二人が一定の距離を保って歩き、踊る。共にジーンズとグレーのシャツ姿。すべて無音。やがて、二人は邂逅し、手をやりとりし、手と手を触れる。触れない。触れる。また、別れて歩く。それだけだ。悪くない。が、客席で咳がとたんに増えた。これ以降、落下音も。沈黙に耐えられない人々。ほんの7〜8分に過ぎないのだが。

市河里恵☆ with アルタンフヤグ・ドゥガラー(ボストン・バレエ団)
「Rhyme」(振付:V.プロトニコフ/音楽:F. ショパン
チェロ:服部誠/ピアノ:奥谷恭代

闇のなか、前作同様、踊るスポットを照明が作り出す。ただし、そのスポットが移動し、かたちも変わるが。振付はあまり覚えていない。市川はきれいなライン。ドゥガラーも強度の高い動きとサポート。なによりチェロの服部が素晴らしい。ピアノもよかった。が、演奏の二人は拍手を受けずじまい。カーテンコールで、ダンサーがピットの二人に挨拶してもよかった。

島添亮子 & 冨川直樹(小林紀子バレエ・シアター)
「シンデレラ」第2幕のパ・ド・ドゥ(振付:A.ロドリゲス/振付指導:小林紀子/音楽:S. プロコフィエフ

アシュトン版を見慣れているせいか、まずコスチュームの違いに眼が行った。あまり島添のよさを生かす作品とはいえないような。本来はマクミランだろうが、「振付作品上演料等の必要経費は自己負担」では無理か(http://www.nntt.jac.go.jp/ballet/training/news/detail/140320_004342.html)。

加治屋百合子☆ with ジャレッド・マシューズ(アメリカン・バレエ・シアター
「ジゼル」第2幕のパ・ド・ドゥ(振付:J. コラーリ/J. ペロー/M. プティパ/音楽:A. アダン)

ABTのガラではコルネホが相手だった。あのとき加治屋は少し作為的に見えたが、今回はそうでもない。

米沢 唯 & 菅野英男(新国立劇場バレエ団)
白鳥の湖」黒鳥のパ・ド・ドゥ(振付:M.プティパ/音楽:P. I. チャイコフスキー

全幕では役を生きる二人だが、やはりガラでは感触が違う。米沢のフェッテは豪快さより美しさを意識しているように見えた。あれはダブル? 何回なのかよく分からない。いずれにせよ、最後までゆったりときれいに回った。菅野の踊りは端正。カーテンコールで左バルコニーの後方から「ブラボー! 唯ちゃん!」の声が何度もかかった。「ブラビー」とも。フィナーレではバルコニーの最前まで移動し、「ゆーいちゃーん!」と。そういえば、以前、酒井はなに「はーなちゃーん!」と声をかける中高年(?)の男性がいた。やはり左側の同じ位置から。二人は同一人物か。それとも別人? いずれにせよ、酒井はなが受けていたきわめて〝土着的な〟声援を、小野絢子ではなく米沢唯が受け継いた事実は大変興味深い。かつてのはなちゃんファンも、この唯ちゃんファンも、彼女らの舞台での営みに、文化的な「地続き」を看取していたと思われるからだ。この国のバレエ界はみな一様に西洋化を目指しているように見える。彼の地で生まれ育った芸術であれば、それも当然か。〝日本人離れ〟することは、かつての〝脱亜入欧〟同様、この業界では価値であり目標なのだろう。こうした文脈からすれば、米沢の志向はやはり異質である。米沢が部屋の壁に貼っているという谷川俊太郎の「舞台に 舞台から」を見よ。「土足で上がるのだ 舞台に/田んぼと劇場を地続きにするのだ/足裏は知っている/板の下 奈落の下 コンクリートの下/人々の意識の下に この星のマグマがたぎっていることを・・・」。〝海外で活躍する日本人バレエダンサーを迎えて〟の公演で発せられたあの「ブラボー唯ちゃん」は、すでに米沢唯の踊りが、「田んぼ」ならぬ、この土地の日々の営み「と劇場を地続きに」していることを告げている。

フィナーレ
「バレエの情景」Op. 52より第8曲“ポロネーズ
出演者全員(音楽:A. グラズノフ

加治屋&マシューズ組は、カーテンコールでマシューズが加治屋を浮遊させて出てきた。去るときも。さすがにプロ意識が高い。
ガーフォース指揮の東フィルは、つねに気品を失わず迫力ある音楽作りで舞台を盛り上げた。ただし、この指揮者にはフィニッシュをダンサーと合わせる意志はなさそうだ。
「新進芸術家」の「育成」が主眼の本公演は、ダンサーたちに母国で表現する場を与える貴重な事業だといえる。気になるのは、個々のダンサーのよさを生かす作品が必ずしもあてがわれていないように感じる点。毎回そう思う。ガラ全体の構成を重視する余り、ダンサーと作品とのマッチングが犠牲にならないよう工夫できないものか。