平成26年度 新国立劇場 地域招聘公演「Color of Dance カラー・オブ・ダンス」

新国立劇場の地域招聘公演「Color of Dance カラー・オブ・ダンス」を観た(1月11日 15時/新国立中劇場)。席は2階の2列目。

平成26年新国立劇場 地域招聘公演
樋笠バレエ団 文化芸術国際交流バレエ公演


制作総監督:樋笠よ志江
振付・演出・総合芸術監督:メメット・バルカン
舞台監督:森岡
照明:沢田祐二
衣裳:アイダン・チナール
衣装:セフタッチ・デミール
音楽:J. S. バッハ、エリン・アルダル(すべて音源使用)
バレエ・ミストレス:樋笠淳子


スペシャルゲスト]
 イレク・ムハメドフ、ジョゼフ・ヴァルガ

[トルコ国立バレエ劇場]
 デニス・クルンチ・ツイレック、オズゲ・オヌック・バシャラン、ブルジュ・オウルナール、アナ・ジョルジアシュヴィリ、ドルン・ドイラン、エルハン・グゼル、ボアチャン・ボズアーダ

[樋笠バレエ団]
 山口美果、樋笠理子、永田ひとみ

[牧阿佐美バレヱ団]
 小橋美矢子、日高有梨、尾形結実、久保茉莉恵、中川 郁、三宅里奈、坂爪智来、石田亮一、清瀧千晴、中家正博、ラグワスレン・オトゴンニャム、元吉優哉


主催・制作:樋笠バレエ団
共催:公益財団法人新国立劇場運営財団、香川県
協力:牧阿佐美バレヱ団
文化庁 平成26年度 地域発・文化芸術創造発信イニシアチブ

〝変な公演〟というのが正直な感想。バレエについて言いたいことはあまりない。代わりに音楽を中心にコメントする。

『バッハ・ア・ラ・トゥルカ』Bach à la Turca
音楽:J. S. バッハ(アレンジメント)
出演:ジョゼフ・ヴァルガ、トルコ国立バレエ劇場ダンサーたち、牧阿佐美バレヱ団ダンサーたち

バッハを様々に「オリエンタル風にアレンジ」。序曲代わりに《平均律クラヴィーア曲集 第1巻》の「前奏曲 第1番 ハ長調 プレリュード」が流される。グノーが付けたアヴェ・マリアの旋律を弦楽器が奏していた。踊りが入る第1曲は〝バッハのラルゴ(アリオーソ)〟として知られる《チェンバロ協奏曲 第5番 ヘ短調》から第2楽章(カンタータ第156番『わが片足すでに墓穴に入りぬ』のシンフォニアとメロディは同じ)。第2曲は牧歌的な明るい〝狩りのカンタータ〟だが、ソプラノの歌唱が演歌のようにねっとりした節回しでしかもフラット気味。なぜこんな音源を選んだのか。これがトルコ味? デュエットを踊る二人はやりにくくないのか。次は、速いアルペッジョと低音の主題が印象的な「プレリュード ハ短調 BWV.999」。本来はリュート用でセゴヴィアのギター版しか聴いたことがなかったが、今回のピアノ版も面白い。《マタイ受難曲》のアリア "Erbarme dich"は器楽のアレンジ版だが尺八(?)が入っていたので驚いた。順序は定かでないが、《平均律 第1巻》からテンポの速い「第2番 ハ短調 プレリュード」も使っていた。ピアノを主としたジャック・ルーシェ風の《トッカータとフーガ》では、少し太めの男性ダンサー(エルハン・グゼル)のコミカルな踊り。初めて頬が弛んだ。トルコ国立バレエ劇場のダンサーたちは体型も踊りも悪くない。牧の方は少しひ弱にみえるがまずまず。ただ、振付があまりに凡庸なため、なにも記すことがない。
ここで25分休憩。

『ビトゥイーン・トゥー』Between Two
音楽:エリン・アルダル
出演:ジョゼフ・ヴァルガ(若き日のムハメドフ)、デニス・クルンチ・ツイレック、オズゲ・オヌック・バシャラン
『ムハメドフ』Mukhamedov (イレク・ムハメドフ特別主演新作品)
音楽:W. A. モーツァルト
出演:イレク・ムハメドフ、ジョゼフ・ヴァルガ、デニス・クルンチ・ツイレック、オズゲ・オヌック・バシャラン

モーツァルトの《ピアノ協奏曲 第23番 イ長調》から第2楽章のアダージョシチリアーノ風のピアノ独唱が終わりオケが入る箇所でいきなり大音量の音楽が始まる。これがあまりに低俗。エリン・アルダルは映画音楽家らしいが、聴いていて苦痛なほど(テレビ番組「大改造!!劇的ビフォーアフター」でサザエさんの声によるナレーションを聞きながら繰り返し反復される単調なメロディに堪えているのと同種)。踊りは男性と女性が、後には別の女性に変わり、踊る。なんということはない。なにかを読み取る気にもならない。後半の『ムハメドフ』は、ジョゼフ・ヴァルガがイレク・ムハメドフに変わり、音楽はモーツァルトのコンチェルトに戻る。質が違いすぎる二つの音楽の並列は、この公演と全盛期のムハメドフが出演した舞台との差異を体感させるためなのか。ムハメドフは1960年生まれだから55歳。どちらかといえば英国ロイヤルに移る前のボリショイ時代の外連味や男らしさの名残が見えた(ノーブルさも少しだけ)。といっても、私がかつてのムハメドフを見たのはほとんどヴィデオに過ぎず、生では99年のロイヤル来日公演『マノン』のレスコーぐらい。

『黒と白』Black and White
音楽:エリン・アルダル
出演:デニス・クルンチ・ツイレック、オズゲ・オヌック・バシャラン、ブルジュ・オウルナール、ドルン・ドイラン、エルハン・グゼル、ボアチャン・ボズアーダ

音楽がひどい。この作曲家を選んだ振付家の見識が問われる。そもそも、どの振付も音楽との関連が乏しい。

『彩の彼方』Beyond Colors (フィナーレ)
音楽:エリン・アルダル
出演:全員(スペシャルゲスト、トルコ国立バレエ劇場、牧阿佐美バレヱ団、樋笠バレエ団)

舞台中央に照明が作り出す土俵大の円内で、ムハメドフが廻転し跳躍する。キメ方等にパトスや音感のよさが見て取れた。フィナーレで初めて樋笠バレエ団の三名が出てきた。それもトルコ人の男性ダンサー三名にサポートされて少し〝踊った〟だけ。カーテンコールはなし。
地域のプライベートなバレエ団が、〝国際交流〟と称してトルコの国立バレエ団を呼び、新国立劇場で共演する。ただし、共演といっても、同団の三名は上記の通りほんのわずか顔を見せたに過ぎず、日本側の本体は牧阿佐美バレヱ団といういびつさ。しかも、作品はすべて演出・総合芸術監督を担当したトルコ人メメット・バルカンのもの(プログラムの説明によれば、バルカンは新国立劇場のオペラ『タンホイザー』でバレエの振付を担当している。それで想い出した。その時の感想は脚注で)*1。これが〝国際交流〟なのか。この公演が本当に地域文化の発展につながるのか。バレエ・ミストレスの樋笠淳子氏は振付家としてもヨーロッパで活躍したとある。ならば、なぜ彼女の作品を披露しないのか。名実共に「文化芸術国際交流」を目指さないかぎり、「日本人は創作の追随者であって、その主導者ではないという誤った考えを存続させることにしかならない」*2のでは。
18時から演劇研修生の修了公演『アンチゴーヌ』を見るため、買っておいたサンドイッチを頬張って地下のリハーサル室へ向かう。すると入り口前にはすでに人が十数名待っている。といっても演劇の客ではなく、バレエ公演の出待ちだった。てっきりムハメドフが目当てかと思いきや(あるいはそうだったのかも知れないが)、「制作総監督」が出てくると歓声を上げ、サインを求め、写真を撮っていた。この人たちは公演を評価することはないのか。要するに〝向こう側〟の人間なら誰でもよいのか。それとも、サインを終えて立ち去る彼女に「ブラーヴァ!」と叫んだのは評価し判断した結果なのか。よく分からない。変な公演に変な客たち。

*1:2007年10月の《初演時は牧阿佐美バレエ団から17名、新国立バレエ団から4名の出演だった。が、今回[2013年1月の再演で]は24名の出演(交代を含む)で全員が新国立劇場バレエ団。知人の言葉を借りれば「これはビントレーのダンサー達への愛だと思う」。バレエ団はギャラ制だから出番を増やせば生活の足しになるし、なによりダンサーの成長につながる。ダンサーは、歌手も役者もそうだろうが、本番の舞台でしか成長できないのだ。初日は堀口純と福田紘也のペアがトップを踊った。みな真面目に踊っていたが、如何せん、ヴェーヌスベルクの属性である官能性がまったく出ない。これはダンサー達のせいではない。メメット・バルカンの振付があまりに平凡で、官能に訴える動きがどこにもないからだ。第1幕終了後、楽屋へ向かうビントレーの姿があった。『ダイナミックダンス!』開幕の前日にもかかわらず、ダンサー達を見守っていたのだ。彼が振り付けていたら、と思わずにはいられなかった(たとえば『アラジン』の砂漠の場面における砂嵐の群舞などピッタリだ)。》(2013年1月17日付新国立劇場オペラ《タンホイザー》 卓越した合唱/ヴォルフラム役のクプファーが出色/気が漲る東京交響楽団 - 劇場文化のフィールドワークより)

*2:舞踊史研究家の薄井憲二氏が22年まえ東京バレエ団について述べた言葉(Kenji Usui, International Dictionary of Ballet, Vol. 2, Martha Bremser ed., St James Press, 1993, P. 1424)。