新国立劇場バレエ団 大原永子次期芸術監督による新シーズン説明会

初日公演の後、次期芸術監督の大原永子(のりこ)氏による新シーズン演目説明会があった(2月15日 17:00-17:50/新国立劇場オペラハウス)。
途中で何度も席を立ちかけたが、思いとどまった。最後まで見届けるためだ。
この人はいったい誰に話しているのか。『白鳥』のプルミエ客がどういう人々か少しでも考えたのだろうか。
「・・・アシュトン版『シンデレラ』では男が女(アグリーシスターズ)を演じるんです」云々。隔年で上演してきた演目だ。そんなことは初日の客ならほとんど誰でも知っている。「・・・『ラ・バヤデール』にはよいところもあれば悪いところもあるんですね。牧先生の版はその悪いところを削ってすっきりさせたんです」云々。悪いところ? 
頻発する「向こう」の話の挙げ句に、「向こう」と日本の観客の違いを、というより後者への批判を、日本の観客を前に語る。
だが、観客批判をする前に、この人自身が「向こうの」芸術監督(たとえば、ビントリー)並に、もっと芸術を理解すべきではないか。それから、他人(聞き役の守山実花氏)の話は最後まで聞くものだし、大勢の前でプレゼンするときは、口元からマイクを離さないなど、一定の〝社会性〟を身につけていただきたい。
それにしても、ラインナップを見ると新味はほとんどないし、創造的(芸術的)な刺激が感じられない。要するに、この次期芸術監督が言いたいのは、もっと客を入れるため、古典主体に戻すということらしい。
だが、国立の劇場はただ客席が埋まればそれでよいのか。税金を投入しているこの劇場は営利目的のために在るわけではないはずだ。
芸術的(創造的)な活動をとおして日本のバレエ/ダンス文化を活性化し、ダンサーはもとより観客を育て、ひいては社会の成熟に貢献すること。ビントリーが目指したのは間違いなくこの方向だ。たしかにトリプルビルなどでは客があまり入らなかったが、それは誰の責任か。劇場はビントリーの取り組みを本当にサポートしたのか。定食(古典)以外は受けつけないという食わず嫌いのバレエファンへの啓蒙や、新たな(若い)観客の開拓をどのくらい展開したのか。
たとえば、先日、厚木市民文化会館で新国立劇場バレエ団によるバレエコンサートがあった(このあと姫路と和歌山でも公演した)。会場には、驚いたことに、新国立のチラシは一枚も見当たらなかった。「地方公演」はダンサーにとっては本番を少しでも多く体験するよい機会であると同時に、バレエ団のファンを全国に増やす絶好のチャンスでもあるはずだ。新国立の公演チラシやセット券の案内等を会場に置けば、生の舞台を見たあとだけにかなり効果があると思うのは私だけだろうか。
大原氏は芸術監督というより現場監督(スタッフ)としては重要かつ貴重な人材かも知れない。問題は、このような人を芸術監督に選出した人たちが居るということだ。上に記した大原氏への不満は、本当は、氏の芸監就任を好都合と見なしている人たちへそっくり投げ返さねばならない。
劇場法の制定に尽力した平田オリザは、現行の新国立劇場の問題点を二つ挙げている(『新しい広場をつくる――市民芸術概論綱要』岩波書店、2013年)。

一つは、この劇場が、国民の税金で作品を作りながら、その作品を享受出来る人々が、ほぼ首都圏に限られること。もう一点は、国民の税金で作品を創りながら、それを国外に持って行って投下した資金を回収してくるという志がまったくないことだ。国立の劇場は、ただ創造活動に重点を置くだけではなく、それを広く国民に還元し、また諸外国にもそれを発信していかなければならない。

もとよりこの劇場はオペラ・バレエ・演劇の三つの部門を有しており、平田の主たる関心事はもちろん演劇にある。にもかかわらず、平田の指摘は、オペラやバレエにもすっぽり当てはまるのだ。バレエでは、上記のように、「地方公演」が少しずつだが増えてきている(これもツアー経験の豊富なビントリー芸術監督の存在と無関係ではなかろう)。ただ、後者の「諸外国への発信」は、よほど芸術性が高く(少なくとも魅力的な振付・演出が出来る)革新的な意欲のある人材から芸監を選ばなければ話にならないだろう。