新国立劇場オペラ《マノン・レスコー》4年ぶりに実現した舞台

プッチーニの《マノン・レスコー》初日を観た(3月9日 19時/新国立劇場オペラハウス)。
2011年3月に上演予定が震災・原発事故のため中止。その時と同じ主要キャストで四年後のこの日実現した(指揮者はリッカルド・フリッツァからピエール・ジョルジョ・モランディに変わったが)。演出はストレーレルに学んだというジルベール・デフロ。昨年の《カヴァレリア・ルスティカーナ/道化師》での好演出は記憶に新しい。

オペラ《マノン・レスコー》(1893)全4幕〈イタリア語上演/字幕付〉
作曲:ジャコモ・プッチーニ(1858-1924)
原作:アベ・プレヴォーの小説『騎士デ・グリューとマノン・レスコーの物語』(1731)
台本:ルッジェーロ・レオンカヴァッロ/マルコ・プラーガ/ドメニコ・オリーヴァ/ルイージ・イッリカ/ジュゼッペ・ジャコーザ
指揮:ピエール・ジョルジョ・モランディ
演出:ジルベール・デフロ
装置・衣裳:ウィリアム・オルランディ
照明:ロベルト・ヴェントゥーリ

マノン・レスコー:スヴェトラ・ヴァッシレヴァ
デ・グリュー:グスターヴォ・ポルタ
レスコー:ダリボール・イェニス
ジェロント:妻屋秀和
エドモンド:望月哲也
旅籠屋の主人:鹿野由之
舞踏教師:羽山晃生
楽家:井坂 惠
軍曹:大塚博章
点灯夫:松浦 健
海軍司令官:森口賢二
合唱:新国立劇場合唱団(指揮:三澤洋史)
管弦楽:東京交響楽団


全幕とも白を基調としたシンプルで洗練されたセット。第1幕は旅籠屋の中庭だが、横長の机やベンチ椅子等があるだけ。残念ながら十八世紀前半フランスの衣裳が日本人(特に男)に似合わない。デ・グリュー役のグスターヴォ・ポルタは太めでちょっと貴族の学生には・・・。だが歌うと迫力があり、さすがに見方も変わる。レスコー役のダリボール・イェニスは外見も艶のある豊かな歌声も申し分ない。マノンのスヴェトラ・ヴァッシレヴァは痩身できれい。硬質でやや暗めの歌声。1幕では長い黒髪にオレンジ色の服を身につけ、奔放さは抑え気味。デ・グリューとマノンの出会いの歌は《ラ・ボエーム》のロドルフォとミミの自己紹介のアリアを想起させる。二人が歌い始めると「マノン・レスコー」の世界は吹き飛び、プッチーニの愛の世界が舞台に横溢した。シンプルな白のセットがこの変貌を促している。マノンとデ・グリューは、彼女に目を付けていた好色な老銀行家ジェロントの裏をかき、パリへ出奔して幕。第2幕も白ずくめで、豪華なマンションの一室。中央に高い天井から垂れ下がる白い天蓋カーテンにベッドと鏡があるだけ。マスネーのオペラ(1884)やマクミランのバレエ(1974)とは異なり、二人の貧しい愛の巣はプッチーニでは描かれない。デ・グリューとの貧乏暮らしに耐えきれず、いまや大金持ちの老人に囲われているマノンは金髪の鬘に瀟洒な黄色のドレス。前幕の比較的地味な佇まいとは別人に見えるほど。ヴァッシレヴァはその細い身体から強い高音を出したが、客席の反応は鈍い。第3幕はル・アーヴルの港、第4幕はニューオーリンズの荒野・・・。[左上のプログラムの表紙は2011年の舞台稽古を撮影したものらしい。]
全般的にオケの響きは美しく、洗練されたセットに見合う音楽だったといえる。が、一方でもっとベタなプッチーニ節を聴きたい気もした。たとえば、弦楽器は時として歌い手に手を差しのべるような大仰さやしなやかさがもっとあってもよい。指揮者のモランディはイタリア人だが、響きがさほどイタリアンとは感じなかった。あまりアゴーギクを使わなかったか。ソプラノは身体の割には強い声が出てきたが、もっとはみ出してもよい。テノールはまず文句はないが、ノってくればさらによくなるだろう。それでも、総じて後味はよい。これは東響に東フィルのような凡ミスがほぼ皆無で、基本的に美しい音が出ていたから。
カーテンコールで印象的なシーンがあった。ポルタとイェニスが何度も自らの胸を叩きながら感慨を表に出していたのだ。先に記した四年前の経緯が二人を熱くしたのだと思う。周知のように、震災と原発事故の後、各国の大使館は日本に居る自国民に即刻退避するよう勧告した。来日してリハーサルを続けていた歌手たちもむろん例外ではない。結果、上演は中止。だが、仄聞するところによれば、ポルタ、そしてイェニスは退避勧告にもかかわらず最後まで出演する意志を示していたらしい。あれから四年、奇跡的にほぼ同じキャストでの上演が実現した。あのとき無念の思いで帰国した二人である(その後、イェニスは2012年11月に《セビリアの理髪師》のフィガロで、ポルタは2014年5月に《道化師》のカニオで、本劇場に出演)。カーテンコールで感激しないはずはない。だが、総じて客席は冷めていた。たしかに上階からは数人のブラボーが飛んだが、アーティストたちの思いに共感するひとはあまり居なかったようだ。そもそも初日の客はあまり拍手しないのだが。あるいは、こうした事情を知らない客が少なくないのか。いずれにせよ、劇場側が上演までの経緯を告知するなど、何らかの工夫をすれば、客席と舞台との相乗効果が生まれ特別な公演となりえたかも知れない。そう考えると少し残念である。
21日(土)の千秋楽に再度観る予定。初日以降どんなふうに舞台が育っているか確かめたい。