一昨日シス・カンパニーのケラ版『三人姉妹』を見た。これを機に、二年前に見た山崎清介版のメモをアップする。
『三人姉妹』を観た(2013年10月25日 14時/あうるすぽっと)。この日はハシゴで夜は『MIWA』(芸劇プレイハウス)も。
アントン・チェーホフ(1860-1904)
翻訳:松下 裕
脚本・演出:山崎清介
キャスト
ナターシャ:竹下明子
オーリガ:伊沢磨紀
ヴェルシーニン:福井貴一
アンドレイ:板倉佳司
トゥーゼンバッハ:戸谷昌弘
マーシャ:佐藤あかり
ソリョーヌイ:若松 力
アンフィーサ:加藤記生
クルイギン:北川 響
イリーナ:吉田妙子
チェブトゥイキン:山崎清介
スタッフ
照明:山口 暁
音響:角張正雄
美術:松岡 泉
衣裳:三大寺志保美
演出補:小笠原 響
舞台監督:久保健一郎
プロデューサー:峰岸直子
制作:千葉乃梨子/福本悠美
共催:あうるすぽっと(公益財団法人としま未来文化財団)
主催:華のん企画
芸術文化振興基金/平成25年度(第68回)文化庁芸術祭参加
2011年公演の再演らしい。シェイクスピア作品同様、台本を適宜刈り込み、休憩なしの二時間弱にまとめている。舞台中央の限られた一画に屋敷の一室が木枠で作り込まれ、その狭苦しさが三姉妹たちの閉塞感を物語る。生きることの、日常生活(現実)の苦しみ。そして希望。なぜひとは苦しみながらも生きるのか。その意味は? やがて分かるときが来る? 否、初演から113年経ったいまも分からない。が、そうした人間の営みそのものを慈しむ。その視線がこの芝居にはある。希望と「おなじことさ」(チェブトゥイキン)の共存。相対化。
芝居が書かれてちょうど100年後、蜷川幸雄が演出した舞台では、その苦しみが報われるとの暗示を感じた記憶がある(2000年4月/彩の国さいたま芸術劇場小ホール)。というか、絶望しながらも、「なんのために生きるのか、なんのために苦しんでいるのか」、そう問い続ける(芝居を作り続ける)ことに蜷川自身が希望を見出しているように感じた。
オーリガの伊沢磨紀がカーテンコールで涙ぐむ。作品の精神を生きた証し。チェブトゥイキンの山崎清介はさすが。召使いアンフィーサの加藤記生が好演。マーシャの佐藤あかりもソリョーヌイの若松力もよかった。イリーナ役の吉田妙子もまずまず。北川響にクルイギン役はチャレンジだったのかいまひとつ役を生ききれず。