戯曲リーディング 時代を築いた作家たち2 ウージェーヌ・イヨネスコ『禿の女歌手/椅子』

イヨネスコの2作品をリーディングするというので観てきた(5月10日 14時/シアタートラム)。
イヨネスコといえば、かつて渋谷のジャン・ジャンで毎週金曜の夜に中村伸郎が出演していた『授業』ぐらいしか見ていない(調べてみると1972年から11年間も)。生徒役は中村の次女が務めた。跡を継いだ仲谷昇でも見たが、中村の飄々とした演技はいまも忘れがたい。
今回はリーディングといってもただ読むだけではなく、しっかりした演出がなされていた。

『禿の女歌手』―反戯曲―(初演1950年)
訳:諏訪 正
演出:中屋敷法仁
スミス氏:久ヶ沢徹
スミス夫人:村岡希美
マーチン氏:鬼頭真也
マーチン夫人:内田亜希子
消防署長:中村まこと
ト書き/作者:中屋敷法仁

セットは机と椅子。みな白いシャツとダークカラーのズボンもしくはスカート。ト書きも読む。外から余計なものを加えない。演劇が成立する条件について考えさせらる。村岡は語りがシャープ。広岡は何を言ってもやっても面白い。

『椅子』―悲劇的笑劇―(初演1952年)
訳:安堂信也
演出:ノゾエ征爾
老人 95歳:中村まこと
老婆 94歳:広岡由里子
弁士 45歳から50歳:ノゾエ征爾
読む女:村岡希美

客席に向かって横一列に並べられた椅子。演劇的でないものを捨象。老夫婦と見えない登場人物たちの対話。観客は想像力の行使を強いられる。中村の太い存在感。バスバリトン。広岡はなにをやっても演劇になる。ト書きを読む村岡。透徹した語り口。動きのすべてが磨き抜かれている(先日の「続・岸田國士一幕劇コレクション」での演技も印象的だった)。演出の力。ある意味、過剰な存在感の中村と広岡がつくりだす「氾濫」(ノゾエ)を、ナレーターの引き締まった語りと動きで、見事に制御。