利賀演劇人コンクール2019 第一次上演審査 前半

「利賀演劇人コンクール2019」の第一次上演審査 前半を観た(5月2日 15:30-19:20/こまばアゴラ劇場)。

昨年スタートした「こまばアゴラ演出家コンクール」はたいへん面白かった(一次審査二次審査)。これを見るために劇場の支援会員になったといってもよいほど。今年は「利賀演劇人コンクール」と連動し、利賀での最終上演審査に進む2名(前後半各1名)をアゴラ劇場で選出するかたちに変更(シアターオリンピクスの利賀開催が理由らしく今回限定の由)。コンクールがアゴラで完結した昨年の課題戯曲は、一次がイプセン『ヘッダ・ガブラー』とチェーホフ『かもめ』、二次はシェイクスピア『お気に召すまま』だった(いずれも抜粋)。

審査を前後半に分けた今回は、前半が別役実『マッチ売りの少女』、後半が岸田國士『温室の前』(共に一部抜粋/上演時間:最長20分)。参加演出家には、昨年同様「それぞれの日程の一週間前に課題戯曲と抜粋部分を通知」し、青年団の「俳優はコンクール主催者側が指定する組み合わせの中から」「それぞれの1日目[上演審査前日]の朝に抽選で決定」された。日本の作品が選ばれたのは、利賀山房での最終審査がチェーホフだから差別化したのだろう。

□第一次上演審査 審査員(50音順・敬称略)

相馬千秋(あいちトリエンナーレ2019 キュレーター)

野村政之(演劇制作者・ドラマトゥルク)

平田オリザ舞台芸術財団演劇人会議理事・青年団主宰・こまばアゴラ劇場芸術総監督・劇作家・演出家)

柳美里(劇作家・小説家) 

プログラムに『マッチ売りの少女』(1966)の解説として『緊急対談・平田オリザ×別役実「焼け跡と不条理——復興とは何か?——』(2011)における別役(1937- )の発言が引用されている。「戦後20年にくらい経って、なんとなく平和になりつつあった市民社会に対する衝撃として書きたかった。少女が詐欺師的な「いちゃもんつけ」の精神、ゆすり・たかりの精神を持っていく。「市民社会からこぼれた放浪する人たち」の市民社会に対する復讐です。『マッチ売りの少女』の話は、大阪で実際にあった話なんですね。小さい少女がマッチ一本擦らせて、その間だけ、自分の陰部を見せるという商売ですね。僕はね、日本人の発明だと思ったんですよ。焼け跡が生んだ大発明だと。ただ残念なのはね、イタリアにずいぶん前からあったんですね。日本の発明じゃなかった」。

抜粋箇所は「女が「マッチ売りの少女」であったと判明する語りまでの導入部」(朴建雄/プログラム)とのこと。具体的には、「女の声」がアンデルセンの『マッチ売りの少女』冒頭部を語った後、「初老の男」と「その妻」が「夜のお茶」の準備をしている。そこへ「女」が「こんばんは」と来訪するのだが、この登場から、「男の声」で、人々は飢えて闇市がおできのように開かれる街角で少女がマッチを売って云々、と語る部分まで。 

以下、上演順に簡単にメモする。

中谷和代(ソノノチ)演出

初老の男:山内健司/その妻:小野亮子/女:川面千晶

舞台に家の区画を表す白テープが少しずらした位置に貼られ、その内部に椅子が三脚置かれる。展開されるのはきわめてオーソドックスな対話劇。最後に男(山内)が「男の声」のセリフを語りながらテープの中程をつまみ上げ、山形を作り、のぞき込む。「そのスカートがかくす無限の暗やみにむけて、いくたびとなく虚しく、小さな灯がともっては消えていった ……」。焼け跡の街角でマッチをすって「ささやかな罪」を「犯した人々」と初老の男を視覚的に重ねる趣向は悪くないが、もっと俳優を生かしたい。

中嶋さと(FOURTEEN PLUS 14+)

中藤奨/鄭亜美/名古屋愛

女(名古屋)が客席側から登場し、「私はマッチを売っていたのです」と客に話しかけながら舞台へ上がる。今度は初老の男(中藤/短パンにTシャツ!)やその妻(鄭)とすれ違うとき、女「私はマッチを売って……」、相手「こんばんは」と返すが、反復ごとにアッチェランドかつクレッシェンドしていく。こうしたハイテンションのドタバタのうち、尻取りゲームを模したシークエンスは面白かった。三人が客席に向かって列をなし、先頭に来ると次々に「ネコ!」「ダンロイロリのたぐい!」「ウィスキードブロク…!」「アミ棒と毛糸!」と叫ぶのだ。これは、女が家を訪ねて来たのは我家の家庭的雰囲気に興味をもったからだという妻に、男(夫)が「家庭テキ雰囲気に欠かすことの出来ないのは、第一にネコです。第二にダンロイロリのたぐい」云々と列挙するセリフを再構成したもの。会場ではかなり受けていた。やがて、何もなかったかのように三人のやりとりが「こんばんは」から静かに開始され、徐々に溶暗する。夫婦のハチャメチャな弾け振りを事前に見せられた観客は、この小市民然とした二人の佇まいに偽善を嗅ぎつけることになる(女=娘を食い物にしかねないと)。セリフの解体度はかなり高いが、再構成の意図が見終わって腑に落ちた。生き生きとした役者の演技も気持ちが好い(鄭の発声!)。もう一度見たいと思った。

中村大地(屋根裏ハイツ)

島田曜蔵/和田華子/寺田凜

…… 最後の「男の声」のセリフは女(寺田)が中央で身体を揺らしながら語る。初老の男と妻は無表情で聴いているが、語りが終わると男はいう「何でもよく忘れるのです。トシですからね」。役者の様々な動きやキャラ造形(島田)の面白さはあるが、基本的にはオーソドックスな作り。伝えたいことははっきりしている。

ここで20分休憩

こしばきこう(劇団風蝕異人街)演出

森一生/林ちゑ/南風盛もえ

平台で作られた家の室内で、夫婦が椅子に並んで座る。冒頭で男(森)が例の「男の声」のセリフをきわめて明確に語る。男は両手で自分の腿から膝関節を経て臑まで擦るような仕草を絶えず繰り返す。その横に座った妻(林)は、片手を上げ、時折痙攣するような動きと表情を見せる。「こんばんは」と現れた女(南風盛)は、身体を折り曲げ自分を抱きしめるような動きを繰り返しながら、舞台の縁(フリンジ)をなぞるように歩く。女の〝場所〟が社会の周縁であることを示唆? セリフが続くなか、妻が立ち上がり、以前の神経的な動作を続けながら、家(平台)のフリンジを方形に歩く。これも、家のなかでの妻(女)の〝位置〟を表象しているのか。「男の声」のセリフが再度語られる。ラストで女は、ゴジラが火炎を吐くような動作を繰り返した。チェルフィッチュを変形させたような様式性。森の狂言師のような力強い発声と女優二人の動きはインパクトがあった。だが、それで? という感が拭えない。

島村和秀(情熱のフラミンゴ)

折原アキラ/髙橋智子/西風生子 

 凝ったセット。凝った動き。夫婦(折原・佐山)が女(西村)のコトバを奪ってしまう。前者が後者を食い物にしている隠喩か。夫婦は、あの「マッチ売りの少女」のことを知っている……。

上述の通り、もう一度見たいと思った唯一の舞台は中嶋さと氏。ゆえに観客賞に投じた。結果は、観客賞は中嶋氏と中村大地氏の二人が同点(昨年もそうだった)。本選に残ったのは中村氏。やはり審査員とは基準が違うようだ。

 後半については後ほどアップしたい(こちら)。